練馬区学童保育事業の「これまで」の歩み

 児童白書(厚生省、昭和38年)「子どもは危機的段階にある」を受けて、練馬区でも昭和39年に教育委員会が、練馬区における鍵っ子の実態調査を実施し、翌昭和40年に3カ所で学童保育事業を開始しました。

 当初は「練馬区学童保育事業実施要項」に基づく事業であり、また指導員の身分も非常勤職員でしたが、昭和47年に職員が正規職員化され、平成2年4月からは「練馬区立学童クラブ条例」が施行になり、現在はそれに基づいて運営されています。

 学童クラブ数も、「練馬区中期総合計画」(昭和52年)や、「練馬区長期総合計画」(昭和56年)の「1小学校1学童クラブ 」の設置目標を上回り、練馬区内には現在85学童クラブがあります。
 これに関する条例化については、「婦人問題総合調査報告書」(昭和49年総理府発表)が学童保育の制度化を提言し請願が国会で採択されているにもかかわらず未だ制度化されていない状況の中で、昭和53年、当時の田畑健介練馬区長が区議会で「学童保育事業の条例化」を表明しました。練馬区学童保育連絡協議会(以下「練連協」)は、条例化に関する請願書を提出し、それによって「条例化については、区当局・関係住民・職員労働組合(以下「区職労」)の三者が十分に協議できる場を早急に設けること」が、採択されました。
 そして昭和57年になると、区の内部組織として「学童クラブ事業検討委員会」が発足し検討作業に入ったのに合わせ、練連協も、区職労と協力して「条例化対策委員会」を設けて、主旨採択したものを実行するように要望し、「条例化」三者懇談会がもたれるようになりました。その後9回の三者懇が開催され、平成2年4月に施行されています。
 条例化されたことによって事業としての内容は保障・確率されましたが、「条例化=有料化」の面や、定員に基づく入会基準の運用によっては、住民にとって障害にならないとは限りません。その意味では、条例は「両刃の剣」と言えます。

 施行された後の運用を、私たちは見守って行かなくてはなりません。そのためにも「条例化」三者懇は、発展的に解消しましたが、今後の話し合いの場として「三者懇」を定期的に開催することを合意し、文書を交わしています。

 その後の動きとしては、国も法廷労働時間の短縮(時短)があり、平成4年に職員の週40時間労働への移行に伴って、第1・第3土曜日に正規職員が一斉に休務し、臨時職員のみで対応する「土曜学童クラブ」が採用されました。
 また、平成5年には、事業の見直しということで「正規職員2名を1名に削減」というものが区側に提案されました。練連協は、区職労と共に区議会へ反対の陳情書を提出し、今までにない16万名を超える署名が集まり、福祉児童保健委員会でも「労使での交渉経過を見守る」、「住民へのサービス低下につながらないようにすること」などの意見が出され、区議会での採択もできない状況になって、当初、岩波区長が明言した「平成6年4月実施」が見送られました。その後、行政内部では区職労との検討協議会がもたれてきましたが、双方合意に至っていません。私たち住民からの働きかけに何ら答えることなく、行政は平成7年11月「行政改革懇談会」を設置、行政に携わっている”有識者”を住民代表と称して懇談し、提言をさせ、それをもとに「行政改革計画(案)」を議会に報告しました。
練馬区の学童保育は、発足以来、大局的に見れば一時期までは発展・充実して来たものと思います。公設公営で専任の正規職員が常勤化され、日本経済の発展に伴う女性の社会への進出及び子育て支援・障害児の受け入れ、条例化に際してのそれまでの「留守家庭児童」から「保育に欠ける児童」への対象児童の拡大、などをみてもわかる通りです。

 小子化が社会問題となり、児童福祉の重要性が見直されなければならないときに、将来のビジョンが何も検討・提示されないまま、「正規職員削減」のみが、「行政改革」の名の下にゴリ押しされようとしています。
 練馬区では、小学校の就学児童が減少傾向にある中でも、学童クラブへの入会児童は年々1%位は増加してきており、全体の20%に達しようとしています。
 将来を考える時、絶対にこの事業は縮小させてはならず、私たちにとって今が正念場だと思っています。
(文責:栗山)


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