公立福生病院透析中止死亡事件を問う 第2弾 −死なせる医療に楔を、勝利的和解の意味を広めよう− 基調報告レジメ 2022.2.27 冠木 克彦  第1.長期にわたる福祉・医療予算の削減と「死なせる医療」  1.ここまで来たか、という感じがします。小泉政権以来計画的に毎年2000万円ずつ福祉医療予算を切り捨てていく政策の行きつく先が、この「死なせる医療」である。    表面的には「安楽死」「尊厳死」などときれいな言葉を使いながら、実質は早く死なせるためのあれやこれやの手練手管の総称と考えて間違いない。加えて、「自己決定」「自己責任」という言葉が、いわば罠としておおいかぶさってくる。もうひとつ、児玉さんが外国のこととして紹介してきた「無駄な治療」。へぇー治療が無駄なのか?どうもおかしい、治療が無駄とは何か、それは、「お前の命が無駄」といわれていることである。一言で特徴づければ、「自己決定に基づいて早く死んでもらう」医療政策こそ、今の私達が闘わなければならない医療福祉政策である。  2.今日、とりあげる福生病院事件とは、透析治療をしてきた病院であるが、これまで「透析非導入」という言葉で20数人死亡していることがわかった。その病院で、44歳の女性が、理由は明確ではないが(推定では貧困、家族への迷惑)、血液透析を中止する意向を示したところ、担当医師は「血液透析は治療ではない。腎不全というものによる死期を遠ざけているにすぎない。」「最も大切なのは自己意志である」「透析をやめれば2〜3週間の命となる」「どうするかは本人意思である」と説明した。何?これ説明なんでしょうか。裁判で反対尋問をして、この医師に聞きましたが、これだけだったようです。    で、ここから「死なせる医療」がはじまる。 第2.「死なせる医療」の実際  1.透析離脱証明書    担当医師は早速こんな証明書を起案して患者に署名させた。    「現状の症状の説明をうけ、内容のすべてを理解した上で、透析医療を離脱することが、死期を早めること等のリスクを全て承知した上で、透析医療を自己意志で終了することを認めます」     →説明? 前記のまま。尿毒症の「地獄の苦しみ」も、肺水腫の「溺れるような苦しみ」も説明していない。     →透析するようにという説得はしない。それは「パターナリズム(家父長主義)」でダメという。  2.具体的な経過    助けようと思えばいつでも助けられた。正確には8/16 16:48まで助けられたが、正に「死を早めた」    8.14 離脱は「自分で決めた。だけどこんなに苦しくなるとは思わなかった。撤回するならしたい。でも無理なのもわかっている」 家族:本人が苦しいから治療(テシオカテーテル)をやって楽にしてほしい」 医師:「お薬で苦しくないようにしていきます」    8.16 2:40 苦しみを訴え、「どうにかしてほしい」と訴える。 3:10 「あー、また苦しくなってきた。あー。苦しい」と大声を出している。 3:46 「狂いそう、苦しいし、暑いし、全体が痛いし。あー」と大声で訴えあり。         :         : 9:45 モニターのアラームが鳴り、訪室。     酸素マスクを外し、ベッド上にて「苦しい〜」と体を左右に揺らしている。SpO2 88% 呼吸困難により、身の置き場が無い状態     本人より「こんな苦しいなら透析した方が良い。撤回する」と混乱しながら話したことを伝えた。 11:45 医師より、長男と次男に、患者本人が「呼吸困難によって意識が混乱している状態では無く、意識が清明であった時の本人の意思を尊重する」ことを伝える。 11:56 鎮静開始。ドルミカム1A筋注施行 14:00前 ドルミカムの持続静注を開始(ドルミカム12A+ヘパリン1V+生食19?を2?/hrに) 17:11 死亡確認 18:37 デスカンファレンス 患者は、「苦し、どうにかして。こんなに苦しいなら透析する。辞めるのを撤回する」といったが、「呼吸困難によって本人の意思は揺らいだと考える。呼吸困難を緩和するには、鎮静以外の方法では困難、…家族も同意し…早期に鎮静を開始できた」 17:11 永眠のためプラン解決にて終了とする。 第3.裁判における勝利的和解の成果と今後の闘い 1.裁判所の和解提案    裁判所は和解調書に異例の前文をつけた。重要な部分は「透析中止の判断が患者の生死に関わる重大な意思決定であることに鑑みると、一件記録上、本件患者に対する透析中止に係る説明や意思確認について不十分な点があったといえることを踏まえ、当裁判所は、本件紛争の適切妥当な解決策として和解を勧告し」たという部分である。    「患者の生死に関わる重大な意思決定」で括り、それに対する「慎重かつ丁寧な説明」を裁判所は要求した。 2.病院側の主張と裁判所の和解の前提たる判断    証人尋問で、なぜ透析するよう説得しなかったかを聞かれた医師は     「何かの医療、これ根治の医療だと話は別で、本人が嫌がろうが何しようが説得をしてその治療を行えば元どおりに治るので、その説得はします。ただ、対処医療においては、その説得をしたことによる根治は得られないということになるので、積極的にその対処医療の何かの一つの選択肢を推し進める説得するということはうちの病院ではしていません。」   と答えている。    これに対し裁判所は、「救命治療は根治治療の場合、延命治療は対処医療と区別して、透析医療は対処医療で延命治療だから、本人の選択に任せてよい」という福生病院側の方針を否定し、「生死に関わる意思決定」で括り、差別なく、「慎重かつ丁寧な説明」を要求したことが重要である。 第4.成果を生かして闘おう 1.「自己決定権」の罠をあばこう    普通に人は自己の意思に従って行動しているのに、わざわざ「それはあなたの自己決定だ」という場合、哀れな個人に百貫の重責を背負わせる言葉と考えて間違いない。    社会に関係する行為は常に様々な人と人との関係によって規律させられ、規定され、決定されている。それが突然にそれらの人的関係と切り離され、「自己決定」だという場合、関係していた他の人々を免責して、ただ一人「本人の責任」だけを問いおとしこめる言葉であることを肝に銘じることが大切。  2.十分な説明なく、安易に「延命治療」を中止させたり、その約束をさせたりする行為は、あらためて違法であること。  3.アドバンス・ケア・プランニング(ACP、いわゆる人生会議)の意思決定の手続きにおいても、患者が元気な時の気持ちでもって、終末期の措置について決めていることに対し、生命にとって不利益な決定は、本人の直前の真摯な意思表示がなければ、まずもって無効と判断すべきである。  4.いわゆる「事前指示書」の終末期における措置の記載において、「人工呼吸器を使用しない」とか「抗菌薬を使用しない」とかの意思表示は該当箇所にチェックをつけるだけでなんらの効力も有していないことを確認する。  5.大切なことは、何人も、死に至るまで、救命のための治療を受ける権利を有していることである。このことは、根治医療か対処医療かの区別によって左右されないことを確認しなければならない。 以上