「透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」 (一般社団法人日本透析医学会) に対する批判                                2020年7月27日                    やめて!!家族同意だけの「脳死」臓器摘出!市民の会                    尊厳死法いらない連絡会                        代表 弁護士 冠木 克彦 大阪市北区西天満1丁目9番13号  パークビル中之島501号冠木克彦法律事務所                            第1.本提言に至る経緯について  1.日本透析医学会は、2020年4月17日、従来からのガイドラインを改め、終末期の患者でなくても透析中止を認める提言を公表した。  この「提言」の策定は、2019年5月31日発表された同学会の「日本透析医学会ステートメント」において約束されたものである。 周知のように、2019年3月7日毎日新聞は、「透析患者に『死』の提案」(大阪版見出し)との4段抜き見出しで、2018年8月16日公立福生病院において、透析中止により死亡した44才の女性の記事を掲載し、広く社会問題になった事を受けて、同学会は事実調査に入り、死亡女性のカルテを閲覧した上で、前記ステートメントを発表した。 同ステートメントは「本症例では患者さんの血液透析終了の意志は固く、透析終了の真摯な意思は明らかであったとの事です」と事実関係を認定して、「患者さんが自ら血液透析終了の意思を表明しており、その意思が尊重されてよい事案であると判断しました」と結論づけて、公立福生病院の透析中止行為全体を擁護した。 ところが、カルテには同患者が一旦透析中止に同意したが、「こんなに苦しいなら透析した方がよい。撤回する」と明言した事実が記載されており、当然同学会もこの事実を認識した上で、透析中止から死亡に至る全過程に対し同病院を擁護する立場を表明していた。 2.これまで、貴学会が2014年に作成し、学会員に遵守を求めてきたガイドラインは、「維持血液透析の開始と継続に関連する医療行為に対しては『見合わせ』という用語を使用し、合意された事項は何時でも撤回・修正できること」を強調し、「患者の救命・治療に医療チームは献身的な支援を行うことを基調」としたものであった(4頁 「2014年版 維持血液透析の開始と継続に関する意思決定のプロセスについての提言作成の経緯」より)。これは、公立福生病院の透析中止死亡事件では、患者が透析を復活してほしいと訴えているのに無視して死亡させたことを容認する態度を表明していることと矛盾している。そこで、貴学会は、公立福生病院の透析中止行為、あるいは、同様の医療行為を正当化するために、今回、新たな提言を作成・発表したものと考えられる。   しかし、透析医療には、全国腎臓病協議会のモットー「いつでも、どこでも、誰もが安心して透析を受けられる」よう、「患者の救命・治療に献身的な支援」を行うことが求められている。私たちは、強く再考を求めるものである。 第2.個別的な部分に対する批判  前提として、その本質的内容を理解しようと検討すると、この「考え方、提言」は、福生病院事件を擁護するための提言になっていると考える。私達は、「死に向かう本人意思はそのまま認めてはならず、生命尊重の立場から力を尽くして説得すべきだし、認めてはならない」と考えている。  以下、実質的内容を述べている「考え方」「提言」「解説」について批判的見解を提示する。 1.「透析をしない」=「死」に直結するCKMの選択を、本人の責任にしている 【考え方3】ESKDの治療選択 従来、医療側が腎不全の治療選択肢として提示するのは、腹膜透析、血液透析、腎移植の3つであり、CKM(保存的腎臓療法)は含まれていなかった。しかし、本提言では、透析等の選択をしなかった場合、CKM(保存的腎臓療法)すなわち、透析の見合わせを提示するとしている。 【提言2】患者との共同意思決定 4)RRT(腎代替療法=腎移植・腹膜透析・血液透析)の情報を十分提供する、としながら、 5)RRTを選択しなかった場合、CKM(保存的腎臓療法)について話し合う。 (3)CKMを選択した場合、透析見合わせに関する確認書を必要に応じて取得するとしている。 【批判】透析の見合わせについては、現実に存在することは否定できない。すぐに患者がRRTを選択しない場合が多いのも事実だろう。悩みを聞きながら寄り添い続けることが必要だ。しかし、治療の経過の中でやむを得ずCKMの時期があったとしても、医療者はRRTについての展望を見出しながら患者と接していく。 しかし、現実にはRRTとCKMを同等の選択肢として扱うことになる。CKMを選択した場合、「透析見合わせに関する確認書を必要に応じて取得する」となっているが、それこそが問題だ。患者は苦痛を逃れたい一心で「透析見合わせ」確認書にサインをするが、同時に苦しくなったら助けてほしい、助けてくれると信じている。この相矛盾した気持ちは一枚の透析見合わせ確認書では表示できないのだが、確認書は独り歩きしていく。 これは、「透析をしない」=「死」に直結する提案を医療者が行い、本人意思に責任をすり替えてしまうことになりかねない。 また、【解説】には「撤回書を必要に応じて取得する」とは書いているが、提言の中には書いていない。撤回できることが同等な条件ではないと言わざるを得ない。 これらは、福生病院が「通常の医療行為」として、医療者側から「透析治療」と「透析の中止」を二者択一的に提案し、患者がいったん「透析離脱」に同意した後は、緩和ケアに移行し、同意を撤回し、透析再開を求めた患者の求めに応じなかった一連の流れを正当化するものではないか。 2.透析の見合わせは許容されても、撤回できることの説明はない。 【考え方9】「透析の見合わせ」  2)3行目「透析見合わせを申し出ても、その後再開することもある」  2)8行目「意思決定能力を有する患者には・・・見時からの意思に基づき医療を受ける権利と拒否する権利がある。・・・人の尊厳の中では・・・自分のことは自分で決めることが最も重要な要素であり・・・CKM選択の合意を尊重すべきである」 【批判】再開を書いているが、福生病院事件の場合は、患者や家族が「透析再開」を何度も訴えたにもかかわらず無視された。透析離脱の撤回書が提示されることもなかった。重要な透析の再開については述べられていない。 透析をするのが嫌だという患者の命を救うためには、医療者は患者が撤回するのを待ち望むべきであるし、早く透析ができるように心を込めて患者の気持ちに寄り添い説明し透析再開を勧める べきである。患者の透析再開の意思表示は、口頭であろうと身振りであろうとただちに受けとめ て緊急対応すべきである。 「福生病院事件では、本人が透析見合わせに書面で合意しているので、医療者側には責任はない、むしろ患者を尊重した」とするための内容ではないかと考える。 【提言4】医療チームによる人生の最終段階における透析見合わせの提案   3)CKMを選択して透析を見合わせた後も適切に緩和ケアを行う [考え方7]「人生の最終段階」    14行目「医学的には人生の最終段階ではないが生命維持に必要な患者が透析を見合わせた場合は、数日から数週で死亡する可能性が高い。透析見合わせた場合には、・・・ESDKと判断した時点から人生の最終段階となる。」 3。透析を見合わせた時点で「死」への道しか残されていないことを原則として認めている。 【批判】これは、福生病院事件に当てはめれば、透析すればまだまだ生きられたはずの患者が透析を見合わせた時点から「人生の最終段階」だと規定され、「看取り目的の入院」として、透析再開どころか、緩和ケアとして致死量の鎮静剤を投与されたことを擁護するために書かれている。「最終段階」だという規程は、「撤回」が可能だということともはっきりと矛盾する。「本人意思」次第で「人生の最終段階」であったりなかったりするのは不合理の極みであるが、なぜ、「人生の最終段階」に固執するのかを考えれば、その段階から消極的安楽死が可能とする説にくみする予定と考えられる。 透析拒否したらその時点から「死」に向かう。再三強調されている「本人意思」で『死』を選んだから仕方ない、という論理になる。「死に向かう本人意思」「死を選択する本人意思」に対しては、そのような気持ちになる事情をこそ深く理解すべきで、直ちに「尊重する」など全く間違っている。死ぬことを選ばないですむように心を尽くして話し合いをすべきである。ましてや、医療者が、医師が、患者に対して、生きることより死ぬことを選んだことを「本人意思」などとして死なせることを容認する内容を提言とするとは、許されないことである。 4.緩和ケアにおける鎮静の問題は、福生病院事件で大量使用で死につながっている可能性から争点をずらしている。 【提言4】 [考え方11]「緩和ケアとエンドオブライフケア」    「厚生省のガイドラインでは、・・・・できる限り早期から身体的な苦痛等を緩和するためのケアが行われることが重要と記載」    「尿毒症による呼吸困難等は辛苦に耐えがたい苦痛であり、緩和ケア内容について患者の意思を確認することが重要・・・なお、持続的鎮静を行う場合は、事前に患者・家族等から同意を取得することが望ましい」  福生病院事件の場合、腎不全の患者であるにもかかわらず、大量の鎮静剤が投与されている。許されるレベルではない。直接死に追いやった可能性も考えられる。この点についても、「患者の意思確認、患者・家族等から同意を取得すること」など、本人意思の責任に転嫁し、医学会として、医療者として許しがたいと考える。 [考え方10]「患者・家族への説明」  「患者の意思決定を尊重し、患者に対して病状を適切に説明したのであれば、意思決定能力に問題がない限り、さらに家族等に必ずしも説明する義務はない。」 5.ACPを強調する一方で、家族に説明する義務はないと、矛盾している。 【批判】福生病院事件の場合に当てはめると、本人に説明しているから、家族に説明する義務はない、として、家族がきちんと説明してほしいと裁判で訴えたことに対しての逃げ道を提言したものであると考える。 6.「確認書」のみ重視で、実際の患者の訴えが書かれた診療録を無視している。 [考え方14]「同意書と確認書」    「・・・診療録は患者・家族等が同意した証明にはならないことに注意が必要」 【批判】全体を通して、「同意書、確認書」の形式をとった書面をかなり重視しているのは、法的効力をつけようとしている目的と考えられる。 福生病院事件の裁判では、診療録から患者等の訴えや家族の気持ちを抽出して、透析再開を訴え た内容を訴状に書いているが、これは、証明にはならないとして、裁判を有利に展開するための 項目ではないかと考えられる。診療録の軽視・無視は過去に類例のない異常な提言である。 以上