福生病院透析中止死亡事件を問う 死に向かって進む 「本人意思尊重」列車を 止めるために 私たちができることは何か     2019/11/23 --- 簡単な経過 患者は44歳女性:夫と2人暮らし、最近孫が生まれた     末期腎不全で2013年ごろから血液透析導入    (血液透析は近所の診療所に通院していた) 2018/08/09シャントが閉塞し福生病院腎センターに受診  首からカテーテルを入れるか、透析中止か  という二つの選択肢を提案され、透析中止を選択 08/14呼吸困難で緊急入院 08/15透析中止を撤回したいと訴える 08/16鎮静剤を投与され死亡 --- この事件の本質は何だったのか? ? この事件の本質?  これは治療法の選択肢の問題か? いや、本質はそうではないのでは…? 透析中止=死 死ぬことを選ぶのか? 生きることを選ぶのか? という選択肢の問題ではないでしょうか。 次の3つの疑問を手がかりにこの事件を具体的に考えましょう --- 3つの疑問 ? 1.「本人意思の尊重」って? ? @厚労省や医学会、病院などで推し進められている「本人意思の尊重」は、「死ぬ方向」への意思だけを尊重するものではないか?「生きる方向」への意思は尊重されないのではないか? ? A「DNR」を承諾すると、「死ぬ」というレールしか残されないのではないのか?鎮静剤もどんなに大量投与しても「DNR」だからかまわないのか? ? 2.「終末期」の拡大・乱用? ? 「終末期」という曖昧な概念は、透析患者にも適応されるのか?   「終末期」の拡大?乱用か?身勝手な歪曲なのか? ? 3.最も尊重されるべきは生命では? ? 仮に「本人意思」が揺るがずに「絶対透析しない」の場合でもその「本人意思」を安易に受け入れていいものだろうか?本人の生きづらさに寄り添いながら「生きる」の大切さを語り続けることが必要なのでは? --- 1.「本人意思の尊重」って? ? 厚労省の政策により、治療の選択には、本人意思が尊重されるべきだと、ことあるごとに流布されている    …ACP・事前指示書・DNR… 等々  受診に行っても「本人意思」や「家族の意思」  が必ず問題になる この事件では「本人意思」は果たして尊重されたのか?「本人意思の尊重」とはいったいどういうことをさしているのか? --- 1ー @-a 血液透析のためのシャントが閉塞その治療のために受診したこの女性は、担当医師から… ☆カテーテルを首から入れるか、 ☆または透析を中止するか の二択を提案された 透析を中止するという選択は死に直結する しかし、女性は「透析中止」を選んでしまう 同意のサインもした (シャント:血液透析を行う際、充分な血液量を確保するために、 動脈と静脈を体内または体外で直接つなぎ合わせた血管のことをさす) 「本人意思が尊重」されて「透析中止」…? --- 1ー @-b この女性は、透析中止を決めて以降、何度も「透析中止と決めたけれど撤回したい」と発言 入院後、亡くなるまで何度も何度も何度も何度も「透析してほしい」と訴えた しかし医師も看護師も「透析中止の撤回」については取り合わず、 最初の「透析中止」が本人の意思だとして亡くなるまでの対応を一貫させた 一般的に考えても、「本人の意思」  は状況によって変化する。         この場合は 「本人意思が尊重された」と言える? --- 1ー @-c「透析中止を撤回したい」の訴えを無視したことについて、医師の「言い訳」 ──「正気」な時の本人の意思を優先した !? この発言には問題が…     ひとつ目の問題 認知症があったり、精神疾患があったり、 はっきり意思表示できない状態だったりすると、 意思を尊重してもらえないということなのか? --- 1ー ふたつ目の問題 苦しくて息ができないと感じたときは、混乱しているので「正気」じゃないとこの医師は発言 看護記録にも「呼吸困難によって本人の意思は揺らいだ」とある 「正気」な時の意思が「透析をする」で、 「正気ではない」時の意思が「透析中止」なら、 医師は同じ「言い訳」をしただろうか? --- 1ー A-a 入院目的は「看取り」となっており、 「急変してもDNR」と看護師の記載がある そして、鎮静剤を大量投与され、亡くなってしまう さらに、看護師は亡くなった後以下のように記録している 「呼吸困難を緩和するには、鎮静以外の方法では困難。長男がそばにいてケアを行えたことは本人にとって一番の安楽であった」 えっ? 「本人意思が尊重」されて「安楽」だったのか?この時の本人意思は透析再開だったのに。。。 --- 1ー A-b カルテには「急変時はDNR」とある。 DNRとは<心肺停止時に挿管しないこと> ところが医療現場では…   <死に際して何もしないこと>と拡大解釈されることが多い この事件でも、酸素吸入以外の何も対応されていない 緊急透析していれば助かった可能性が高い …!!この事件の女性も家族も、DNRについての同意書は書いていない…透析中止の同意が「看取り」として「DNR」とされた!?? ここでひとつはっきりしたことは… 「本人意思の尊重」は「死ぬ方向」への意思だけ これは、「自己責任で死ね」ということでは? 生きる方向への本人意思は尊重されない?! --- 1ー 「本人意思尊重」列車の 行き先はただひとつ その行き先は<死> 乗車してしまえば「意思」が変わっても 停車することも引き返すこともない 片道切符 --- 1⇒2 「本人意思尊重」列車… 「本人意思」というときの本当の狙いについて考えてきたが… もっと大事な問題がある。 「終末期」という言葉の乱用である。 え?? って思うほどに拡大されている… --- 2.「終末期」の拡大・乱用・歪曲? 「終末期」という概念はもともと曖昧なもので、「終末期」についてどう定義するのか どの医学会も厚労省も、私たちが理解できるような定義を示していない。 「終末期」のイメージとして、多くの人が抱いているのは、 「近い将来に死に至るかもしれない状態」 …というようなものではないか? しかし、この事件では… 透析を受けて普通に生活している患者にまで 対象を拡大している。 --- 2ー シャント閉塞で受診した当日(8月9日)に 担当医師が説明した内容・・・ ・血液透析は治療ではない 腎不全というものによる死期を遠ざけているだけ ・延命を図るのであれば(カテーテルの)造設を行うが、継続を望まないのであれば手術は行う必要はない ・その際2〜3週間程度の寿命となることが予想できる ・繰り返すが、どうするかの選択は本人意思である、最も大事なのは自己意思である --- 2⇒3 さて、ここで改めて… ごく当たり前のこと、 以前なら議論の余地さえなかったことについて、 あえて話しておきたい <生命>のこと、生命は何よりも大切である ということである --- 3.最も尊重されるべきは生命では? 1ー@ 8/9に医師から二択を提案されて、透析中止と返事してしまった場面を再度考えてみる 透析中止は死に直結する この時にどう対応するべきなのか 本人意思尊重が最優先なら「死」 本人意思は大切だが生きるための方法を支援することが医療の本来の責務 医療者でなくてもひとりの人間として… どうするべきなのか --- 3ー さらに、仮定として… もしも、亡くなるまで「透析中止」の意思表明が続いた場合、私たちはどう考えるだろうか? ・本人意思が尊重されたと考える?? ・透析を継続できれば生きることができる  何とか生きる方向に支えることを考える? 改めて、「本人意思の尊重」とは何か? ・・・尊重すれば死に至らしめる「意思」を そのまま尊重していいのだろうか・・・ --- 3ー 本人意思の尊重は大切である が、しかし! 最も大切なものは 「生命」 なぜ「死」の方向に意思表示してしまうのか、 社会的背景・家族のこと・経済的な負担etc… 「本人意思」の内に秘められた、深い気持ちにより添って、一緒に考えることが必要ではないか 〜一緒に生きようよ、支えあって生きよう〜 --- まとめ ・「本人意思」は死に向かう時にだけ「尊重」される ・「終末期」の概念は、勝手に乱用され、歪曲・拡大される ・死に向かう「本人意思」は「尊重」してはならない、その奥に秘められた訳を説き明かそう ・死にたい気持ちに秘められた訳は、社会の矛盾から生じている ・「本人意思の尊重」と「自己責任」は、今私たちが生きる社会においてコインの裏と表である ・つまり死に向かう「本人意思」は、個人的な「自己責任」ではなく、社会の問題なのである --- 生きよう、支えあって! ある男性患者の実話  87歳で大手術が必要になる   病気が見つかった男性 この年になって こんな大きな手術を受けるって… …とても不安やなぁ 手術 したくないなぁ   A医師からの説明は、 「平均年齢をもうこえて生きたんだし」 「血管がぼろぼろ」「脳梗塞の危険性」等々… 家族も手術を諦めかけていた ところが!年度が替わりA医師が転勤…すると… --- ☆ B医師に代わった カルテやさまざまな検査結果を調べて… 次のように説明した 「今まで、適した手術を提案できていない」 「手術を受けて、生きましょう!」 「あなたは生きなきゃ、   生きること!  あなた一人の命ではない」