集会アピール 「脳死」から「尊厳死」、生命の格差に至る医療の変質に抗議し、 何人も分け隔てなく生命を全うしうる医療を訴える 2016年2月20日 やめて!!家族同意だけの「脳死」臓器摘出!市民の会 結成5周年シンポジウム 医療費削減と「尊厳死」−変質する現場の今を問う− 参加者一同  私たちは、「脳死」は今の医療技術で脳の不可逆的機能停止でもって「人の死」と決めつけて、そしてその人から臓器を摘出することを目的として作りだされた医療政策であり、生かされる生命と殺される生命の差別の上に成り立っていること、そして「尊厳死」もまた、社会的弱者に尊厳死という美しい形容詞をつけて早く死なせる医療政策であること、そして何よりも立場の弱い人たちに対する抜きがたい差別意識を根底にしていることから、いずれも強く反対の意思を表明してまいりました。  ところで、本日のシンポジウムにおいて明らかにされた事実から、医療側において終末期にあると判断された患者について、医療費削減のために、これまで普通に必要とされていた治療も打ち切り、患者側がより積極的な治療を望めば「患者を苦しめることになる」という一種の「おどし」を使ったり、あるいは、「もうなすべき治療はない」として、より劣悪な他院へ転送したり、無理に在宅治療を押し付けたり、治療を望む家族に対し「死体を治療するようなものである」という言葉をまさに平然と述べる医師の姿を見ました。  各病院は厚生労働省で定められた細かい規則に縛られ、例えば、入院60日以上になるとその保険点数が極端に減額され、その時点から病院が自腹で治療する損失を負う形にされるなど、上に述べた医療の実態は、実は厚生労働省の政策で推進されていることが明らかとなりました。病院や医師を責めても彼らもまた被害者であります。  だとすれば、私たちは一体何を求め、何をすることができるのでしょうか。大きく言えば、国のこの医療政策を転換させなければなりません。厚生労働省に抗議の声を届けましょう。しかし、大きな政党も団体もどこも動こうとしていません。私たちには大きな志はありますが小さな力しかありません。  しかし、私たちには権利があります。「健康で文化的な最低限の生活を営む権利」があります。生命を全うするのに、最低限の権利です。この権利に攻撃がかけられているということは、放置すればより大きな社会保障全体がきりくずされていくでしょう。 安倍政権の軍事予算は初めて5兆円を超えました。そのほんのわずかでも医療費にまわせば、今回報告された事例の、早々と病院から追い出される人々や、苦しい呼吸を改善する人工呼吸器すら使用されずに死んでいく人たちは助かることができます。  人の生命を助けるというこの当然の医療行為を制限している考え方は、いわゆる「費用対効果」論です。「効果」の対象は生命ですから、不治の病で近く、あるいは遠からず死ぬであろう生命には金は使うなという思想ですが、病院や医療関係者はこれを認めるのでしょうか。いかに政府の命令とはいえ自らその実行者になることに対し、少なくとも抵抗の姿勢は示すべきではないでしょうか。私たちも微力ながら政府ならびに国会に、この変質した医療の実態を通告し改善を求めます。  そして、改善されないまま社会的弱者の生命をないがしろにする政策により、被害を受けた人たちが当然の権利の回復を訴えるなら、私たちは喜んで支援し、被害者の声を広く大きくすることによって、生命の最後の砦としての医療をこの手にとりもどしましょう。  「脳死」「尊厳死」と続く生命の選別、差別が医療費抑制政策の名のもとで現実の医療行為として実行されることに抗議し、生命こそ万人平等の保障がなされるべきことを訴え、「尊厳死」の法制化並びに治療打ち切りの強制に反対します。