FGMとは
FGMのタイプ
FGMが行われている地域
FGMを受けている女性数
FGMを受ける年齢
切除者(FGMを施す人)
FGMが行われる主な理由
FGMの影響・後遺症 
アフリカ発FGM廃絶運運動
アフリカ当事国の取り組み
FGMは宗教上の儀式とい う誤解 
FGMという呼び名 
法律は有効?
FGMを法律で禁止している国々
WAAFの立ち上げ

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女性性器切除(Female Genital Mutilation=FGM)とは、女性の外性器を全部もしくは部分的に取り去るものです。主にアフリカ地域で古くから行なわれてきた女児の通過儀礼・慣習です。歴史的な記録が何も残されていないので、その起源は明らかではありませんが、おおよそ2000年以上も前にエジプトからアフリカ大陸に広まった慣習であるという説もあります。

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FGMは、以前そして今でも「(女子)割礼」と呼ばれることがありますが、その内容は次のようなもので、男子の割礼とは全く違います。

1)タイプ1:クリトリス包皮への切り込み、あるいはクリトリスの一 部もしくは全部分の切除。(スンナ式とも呼ばれる)


2)タイプ2:クリトリス全部と小陰唇の一部あるいは全部の切除。(クリトリデクトミーもしくは切除方式)


3)タイプ3:クリトリス、小陰唇を切除し、大陰唇を切り開き、尿と月経のための小さな穴一つを残して縫い合わせる。子どもの両足をしっかりしばって数週間、傷が治るまで固定する。地域によっては、自然に閉じてしまうよう縫合はしない。(外性器縫合)


4)タイプ4・未分類:ヤンケ・ギシリ切除(長時間分娩の場合伝統的に行われてきた恥骨結合切開術)、あるいはアンギュリャ切除(赤ん坊の処女膜の環を切り取る)、クリトリスや陰唇を突き刺す、あるいは穴を開けるなど。

国連機関の報告によれば、タイプ1が行われることは少なく(全体の5%)、タイプ2が最も多く行われている(全体の80%)ということです。一番深刻なタイプ3(外性器縫合)はFGM全体の15%で、ジブチ、ソマリア、スーダン北部など行われているFGMは主にこのタイプです。

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アフリカでは少なくとも28カ国で、またオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、ヨーロッパ、アメリカに住むアフリカ系移民の間でも行われています。アジアと中東のいくつかの国々でも行われています。

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国連機関の発表によると、アフリカだけでも現在、1億3千万人以上の女性たちがFGMを受けています。毎年約200万人、毎日約6000人の少女たちが、この慣習を受けていると推測されます。

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地域によって、また国の中でも地方によって様々です。生後1週間から初潮前という場合が多く報告されていますが、結婚直前に、あるいは第一子が生まれる前に行われる地域もあります。

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切除者の多くは、伝統的助産婦といわれる女性です。大抵の場合、麻酔なしで、ガラスの破片、かみそりの刃、ナイフ、缶詰の蓋、鋭利な石、アカシアのトゲなどを使って少女の性器を切り取り、時にはカラタチのトゲなどで大陰唇を縫い合わせます。止血や傷を癒すために、植物樹脂、砂糖、灰、植物の溶液、ハーブなどを混ぜ合わせたものが使われることもあります。なお、切除者は地域によっては、床屋の男性、医師や看護師という場合もあります。FGMを施すことによって、こうした切除者は報酬を得ることができます。

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・伝統的慣習だから

・宗教的な儀式だから

・女性の処女性と貞節を守るため(FGMを受けていないと結婚できない)

・クリトリスは男性的特徴(ペニス)だから

・女性の外性器は不潔で見苦しいから

・多産と安全な出産のため・・・・・等々

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・短期的な影響:切除時の激しい痛みと出血によるショック、尿道の閉鎖、破傷風や敗血症などの感染、HIV/エイズ感染の危険。

・長期的な影響:貧血、腎障害、月経困難症、失禁、傷跡(ケロイド)による難産、膣狭さく及び陰唇裂傷、ろうこう(膣と膀胱、膣と直腸の間に穴が開いてつながってしまう疾病)、尿路感染、感染による不感症及び不妊症。性行時の激痛、性行為への恐怖、鬱症状など。

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長い間、伝統的慣習として、また秘密の儀式として行われてきたFGMですが、アフリカでは1970年〜1980年代にかけて、FGMを廃止しようとする動きが徐々に現れてきました。当時、ほとんどの人々がFGMを守ろうとする中で立ち上がった少数の人々は、「FGMは女児や女性の身体を傷つけ、最悪の場合は死をもたらすこともある有害な慣習である」と主張しました。こうしたアフリカの人々や国際機関、様々なNGOによる努力の結果、FGMは少しずつ廃絶の方向に進んでいます。1990年代に入るとこの問題は世界的にも知られるようになり、法律でFGMを禁止する国も増えてきました。国連の世界女性会議などでは『FGMは女性への暴力、健康破壊、人権侵害、女児への悪習である』と繰り返し認識されるようになりました。そして、今、FGM廃絶のために当事国の取組みと、国際的支援・協力が強く求められています。

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アフリカでは数々のNGOや国連機関、各国政府がFGMを廃絶するための努力をしています。例えば、1984年に設立されたNGO、「インター・アフリカン・コミッテイ(IAC)−女性と子どもの健康に影響を与える慣習に取り組むアフリカ委員会−」の取組みを見てみましょう。

IACが重点を置くのは、正しい情報や知識を人々に伝え、問題を共に話し合うという地域に密着した活動です。外部からの圧力で一方的にFGMを禁止する法律を定めても、人々が禁止される理由を十分理解しないままではこの慣習は続いてしまうからです。また、FGMを行うことで収入を得ている切除者には、保健衛生の専門的知識や技能訓練を提供して、別の職業に就く手助けをします。こうした訓練を受けた切除者たちはFGMを止めるだけでなく、正しい知識を地域の人々に教え広めるようになります。

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特に、イスラム圏で多く行われていることから、多くの人々がイスラムの儀式であると考えているようですが、実際にはカトリックやプロテスタント、コプトの信者でもFGMを行っています。イスラム圏でも実施している地域と実施していない地域があります。FGMは非常に古い伝統で、宗教が生まれる以前から通過儀礼として行われてきたのです。

こうした宗教にまつわる誤解や、聖典の誤った解釈を正そうと立ち上がっている宗教指導者たちもいます。IACが1998年7月にガンビアで、宗教指導者と医療関係者を集めて主催したシンポジウムでは、『FGMは暴力の一形態であり、宗教とは無関係である』という宣言文を発表しています。

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この慣習を「女子割礼」ではなく、「女性性器切除=FGM」と呼ぶよう提唱したのもIACです。クリトリス包皮の切除だけならば、女子の場合も男子割礼と同様のものとみなされるかも知れません。しかし、女子の場合にクリトリス包皮の切除だけが行われることはあまりありません。少女に施されるこの慣習の90%以上は「割礼」以上のものです。そこで、問題を正しく認識するという意味で「FGM」と呼ぶことになりました。1990年以降は国際文書などでも「女子割礼」ではなくて、「女性性器切除」もしくは略称の「FGM」が公式に採用されるようになりました。

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アフリカでは法律によってFGMを禁止している国々もありますが、法律だけでFGMを廃絶することは難しいと言われています。IACを始めとする現地NGOから聞かれるのは、「なぜ法律が必要なのか」「なぜそのような法律が人々のためになるのか」を知ってもらう教育キャンペーンが必要だということです。また、法律が制定されなくても、教育が行き渡ることでFGM廃止を決めた地域もあります。法律さえ整えればよいというアプローチでは、FGMは地下に潜ってしまい、かえって問題が深刻化してしまう恐れもあります。しかし一方で、「法律によってFGMを行えば刑務所に入れられたり、罰金を支払うことになると人々が知っていれば、怖くてFGMを行うことはできなくなる。だから法律は必要だ」という意見もあります。ある活動家は、「私たちが草の根レベルの教育キャンペーンを行い、法律がそれを後押ししてくれる形が理想的」と言っています。

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現在、FGM禁止法を有する国々は、ギニア、ガーナ、ブルキナファソ、ジブチ、コートジボワール、エジプト、タンザニア、トーゴ、セネガル、エチオピア、ケニア、モーリタニア、マリ、ニジェール、中央アフリカ共和国、ベニンです。

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1996年1月、私たちはFGM廃絶支援を求めるアフリカの女性たちの声に応えて、会を立ち上げました。私たちの目的は、アフリカの人々と手をつなぎ、FGMを廃止するための活動に協力・支援することです。そのために情報提供、支援呼びかけ、「反FGM基金(WAAF Fund)」などを通した財政支援を行なっています。

私たちは、FGMが何よりも女性の人権を侵害する暴力行為であると考えています。FGMでなくても、女性への暴力は国や民族を問わず世界中に見られます。日本でも様々な性産業、女性を狙った暴行・殺人事件、夫・恋人からの暴力(DV)、強かん、児童さえも対象にした買春、強制売春などの深刻な性暴力が問題になっています。女性が安全に生きる権利や性差別を受けない権利は、地球のどこに生まれ住もうと、誰にとっても重要でかけがえのないものであると私たちは考えます。

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