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「日出生台から平和を考える」

 

ご確認ください。


 

 

 

<過去の日出生台での米軍演習の記録>

2015年冬の米軍移転訓練


2012年夏の日米共同訓練



2012年冬の米軍移転訓練

記録(演習開始まで)

記録(演習開始以後


2011年の米軍移転訓練


2010年の米軍移転訓練


2006年の米軍移転訓練


 

 

 

 

<演習初日の夜に毎回行っているピースキャンドル>

2006年1月30日、日出生台での6回目の米軍演習開始初日。
演習場を見下ろす高台の畑に、約30人の周辺住民たちによって
Peace on 9(憲法9条によって平和を守ろう)の
火文字が描かれた。

日出生台監視センターからカウントした

過去の米軍演習砲撃数

1999年 8日間 448発(夜間 5日間 135発)

2000年 8日間 477発(夜間 7日間 121発)

2001年 8日間 343発(夜間 4日間 24発)
     (*2日目の公開訓練で民間人砲撃事件が起きた) 

2002年 8日間 343発(夜間 4日間 69発)

2003年 なし

2004年 9日間 333発 (夜間 2日間 38発)

2005年 中止(スマトラ沖地震派遣)

2006年 8日間 570発 (夜間 3日間 54発)

2007年
 米軍の要請を受けて、「日出生台米軍使用協定」改定!155ミリりゅう弾砲ただ1種類だけしか訓練できなかった米軍は、小銃、機関銃など複数の武器が使えるように。

2010年 10日間 607発

(白リン弾39発、照明弾35発、火災3件(公式は2件)

2011年 490発 (夜間 122発)

2012年 693発 (夜間 176)

2015年1070発(夜間228発)いずれも過去最多

(白リン弾、照明弾、林野火災発生)

*各年度ごとの詳細はこちら

私たちは、これまで日出生台の米軍指揮官に、私たち演習に反対する住民との直接会見の場を求め、過去4回、それは実現しています

1回目:1999年 ケリー中佐
2回目:2000年 ケリー中佐
3回目:2004年 ラングレー中佐
4回目:2006年 スタッダード中佐


<参考資料>

日出生台米軍使用に関する協定

日出生台米軍使用協定(新)

 

 

この問題に取り組むときに
励まされる素敵な言葉たちです

どんな運動にも、共通するかと思います


キング牧師の言葉より

「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である。」



ガンジーの言葉より
「あなたの行う行動が、ほとんど無意味だとしても、それでも、あなたは、それをやらなければなりません。それは、世界を変えるためにではなく、あなたが世界によって、変えられないようにする為です。」

「見たいと思う世界の変化に、あなた自身がなりなさい」 

「自分が行動したこと。すべては取るに足らないことかもしれない。しかし、行動したという、そのこと自体が重要なのである」


 

「ニーバーの祈り」より

「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」


映画「ヒトラー最期の12日間」より:

「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは、平然と「国民の自業自得(自己責任)」だとうそぶく。「(ドイツ)国民が地獄を味わうのは当然の義務。われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ」


ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった。私はユダヤ人などではなかったから。

そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、もはや誰一人残っていなかった。

(*この詩は、いろんな国で、いろんな方が引用して、たくさんのバージョンがあるようです)

 


ある一部の地域、人々に対して
人権侵害がなされるとき、
実はその他のすべてに対しても、
次の人権侵害への地ならしが始まっている。


知ることのできる人間は、
真っ先に行動しなければならない

 

 

 

「愛国心」の本質

ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング

1983年1月12日~1946年10月15日

ドイツの政治家、軍人。国家元帥。
ナチ党政権下のドイツにおけるヒトラーに次ぐ実力者。ナチス・ドイツのNo.2。ゲシュタポの創設者。

彼は第2次大戦後のニュルンベルク裁判において以下のように主張した。彼の言葉は、いわゆる「愛国心」というものがどういうふうに利用されてきたかをよく言い表している。


「……もちろん、国民は戦争を望みませんよ。運がよくてもせいぜい無傷で帰ってくるぐらいしかない戦争に、貧しい農民が命を賭けようなんて思うはずがありません。一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも同じことです。政策を決めるのはその国の指導者です。……そして国民はつねに指導者のいいなりになるように仕向けられます。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやりかたはどんな国でも有効ですよ」



米軍普天間基地の移設先として
日出生台が挙がっている問題

 


福岡の西山監督とともに
一つの映画を作りました。

 

韓国の米軍基地問題と住民の暮らしを記録したドキュメンタリー
映画「梅香里」


西山監督と作成した2作目

 
「ぬちどぅ魂の声」

韓国・沖縄・日出生台2001〜2004

安全保障に名を借りたすべての軍事暴力に抗議する人々の記録


元アメリカ海兵隊員
アレン・ネルソンさん

講演録(日本語)

講演録(英語)

ダウンロード用写真(336K


「有事法制ち、何なん?」 
岡本篤尚氏 <講演要旨>
(2002年5月3日 大分文化会館)


「いまなぜ有事法制か」
渡辺治氏 <講演要旨>
(2002年5月6日 湯布院中央公民館)


高橋哲哉さん

「心と戦争

〜今私たちはどんな時代に生きているのか」

講演録


アメリカで起きた同時多発テロとその後の日米両政府の
対応について、
2001年9月20日、
ローカルネットから声明
発表しました。


 

 

日出生台演習場について

日出生台ってどんなところ?

 

 私たちは、故郷大分の安心で安全な暮らしを守っていきたいと、
日出生台演習場での米軍演習の縮小・廃止を求めている市民グループです。

日出生台の周辺住民を中心に、県内の様々な人たちの支援と協力の輪に支えられて活動しています。

私たちは、99年の日出生台での1回目の米軍訓練の時から、
日出生台を見下ろす高台に監視小屋を設置、
米軍演習が、国の事前説明や「協定」に定められた通りに本当に行われているかどうか、
周辺住民の暮らしを脅かすような危険なこと、あるいはそれにつながる事態が起きていないかどうか、
をチェックする活動に取り組んできました。


 しかしながら、これまで行われてきた米軍演習を振り返ると、
事実は、大分県や地元1市二町が求め続けてきた米軍演習の「縮小廃止」とは逆の、
「拡大、恒常化」の方向にあるといわざるをえない現実が見えてきました。


 これまであまりよく知らなかった皆さんにも、
あらためて一緒に考えてみていただけたらと思い、このページを作りました。

私たちの暮らしが知らないうちに危険にされされ、
大きな犠牲を払う事態となって初めて気づくいうようなことにならないように、
どうか一緒にこの問題について考えてみてもらえると嬉しいです。

 

 


日出生台(ひじゅうだい)演習場では、
通算11回目となるアメリカ海兵隊による実弾砲撃演習が、
2月中旬より強行されようとしています。

前回の米軍演習では、155ミリりゅう弾砲の発射弾数が過去最多の1070発。
過去9回の平均の2倍にも相当する激しい演習となりました。

 

 

 

 

 

また、米軍は20分間に30連射を3回、
約90発を連続して撃ちまくるという、
集中的な砲撃が実施されました。

 

 

 

白リン弾や照明弾の実弾砲撃も行われ、林野火災が発生。

消火ヘリが出動する事態となりました。

 
 

 

また、自衛隊は
この「米軍演習のために、自衛隊は演習場での訓練ができなくなった」として
米軍演習が始まる直前の2015年2月26日、
湯布院町の盆地のど真ん中にある湯布院駐屯地を使って
203ミリりゅう弾砲の空砲の砲撃訓練を実施しました。

 

 

このような米軍演習の質、量のなし崩し的拡大だけでなく、
10回目の米軍訓練では、演習についての情報開示が、
これまでと比してあきれるほど大きく後退してしまいました。

前回までは必ず実施してきた演習開始前の事前説明会を米軍は省略。
さらに、これまで地元自治体関係者、地元住民、自衛隊関係者、
報道関係者を入れて行っていた公開訓練において、
報道関係者をシャットアウトするという暴挙に出ました。


結局、米軍が滞在する約1ヶ月の間、
報道の前での米軍指揮官による正式の会見は一度も行われず。
彼がマスコミの前でしゃべったのは、
演習開始前に地元自治体表敬訪問に来たところをつかまえて
ぶらさがりでインタビューした12分間だけという前代未聞の事態となりました。


演習に関する具体的な説明や情報が出てこなければ、
演習場の中でなにが行われているのか、誰もチェックできません。

「歯止め」と説明されてきた「米軍使用協定」も
それが本当に守られているのかどうか確認できなくなります。

もっとも、彼らにしてみれば、何の説明もしないままに、
やりたい訓練をやりたいようにやれる場にしていきたいというのが本音なのかもしれません。

しかし、私たちの故郷の大地をそんな場にさせるわけにはいきません。

 

最後に、前回の訓練で、米軍の対応で、大きく注目されたことがあります。
米軍はこれまで毎回、午後9時まで実弾砲撃演習を実施してきました。

しかし、10回目となる前回からこの砲撃を午後8時までとするという覚書が、
地元自治体と防衛局の間で交わされ、防衛局は「米軍にも了承を得ている」と回答。

米軍が本当にこの約束を守るのかどうかが注目されました。


しかし、米軍は、演習初日からあっさりとこの約束を破り捨て、
午後8時を過ぎても撃ちまくりました。

 

 

現地周辺住民への配慮などより、
自らの訓練を最優先するのが 米軍なのだとあらためて思い知らされました。

 

だが、2日目以降、さらに意外な展開となりました。

初日からいきなり約束を反故にした以上、
もはや2日目以降も覚書を守らせることなどムリなのでは…とあきらめムードが漂う中、
米軍は、2日目以降、残りの8日間、午後8時を超えて撃つことは一度も起きませんでした。

 

いったい、なにが起きたのでしょうか。


約束やぶりの初日の演習が終了した翌日、
大分県は防衛局に、私たち住民や、米軍演習に反対をしてきた各種団体は米軍に対して、
次々と抗議声明を発表。地元マスコミも大々的にこれを報じました。

ここからは、憶測にすぎませんが、おそらくは、その地元での予想外に強い反発を見て、
米軍指揮官は、日出生台でこのまま地元や覚書を無視し続けることは得策ではないと
判断したのではないかと思います。

このことは、2つのことを教えてくれます。

一つは米軍は、地元への配慮より自軍の訓練優先であるということ。

もうひとつは、それにも関わらず、地元がしっかりと反応し、強く意思表示すれば、
米軍であっても無視できないということです。


というわけで、今年も日出生台演習場を見下ろす高台に、監視小屋を設置。

沖縄煮も日出生台にも、日本のどこにも米軍基地や演習場はいらないことを
そこに暮らす住民として、意思表示します!

This is what democracy looks like!


 

2015年3月に実施された
日出生台での10回目の 米軍実弾演習と
それに対する私たちの取り組みの報告

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらためて、

<日出生台(ひじゅうだい)ってどんなところ?>

〜これまでの米軍演習移転問題の経緯〜

 









              

 

上の写真は初夏の日出生台です。

「日出生台」と書いてひじゅうだい と読みます。

下の地図の真ん中の赤いところ

「日出生台演習場」とあるのが見えますか?

 

1900年から旧日本軍の演習場とされ、
その後、拡張し続けて、
現在は4,900ヘクタール。

「癒しの里」と呼ばれる温泉観光地、ゆふいんの北部、
由布院駅からクルマで5分のところにある
西日本最大の陸上自衛隊の軍事演習場です。

年間約330日、(実弾演習は約230日)、
ほぼ一年中、軍事訓練が行われています。

 

○米軍演習が始まった経緯


20年前の1995年、沖縄で、米兵3名による
小学生の少女に対する集団強姦事件が起きました。
この事件は、長年、沖縄県民の米軍基地への怒りを爆発させました。
沖縄県議会、市町村議会は米軍への抗議決議を相次いで採択。
事件に抗議する県民総決起大会が開かれ、
約8万5千人もの沖縄県民が参加しました。

これを受けて、日米両政府は、普天間基地の返還などとともに、
沖縄の県道104号線を越えて行われていた
155ミリりゅう弾砲の実弾砲撃演習を
本土5ヶ所(北海道矢臼別、宮城県王城寺原、山梨県北富士、
静岡県東富士、そして、大分県日出生台)に
移転する案を提示しました。


名指しされた場所ではどこも大きな反対の声があがりました。
大分県でも、日出生台の地元、湯布院、玖珠、九重の
3つの町の町長を代表とする
官民一体の反対運動が立ち上がり、
玖珠川原の反対集会では、
16000人が受け入れ反対の声を上げました。

 


(真ん中に当時の湯布院町長を始め、町の代表が全員そろって反対のデモに)

 


国は当初、「地元の理解なしに移転はしない」と、
地元意志を尊重するかのように言っていましたが、
地元が最後まで受け入れる気配がないとみるや、
「国の責任でやらせていただく」として、
日出生台への米軍演習移転をむりやり決定しました。


その後、1999年より、日出生台での米軍演習は、
大分県民の大きな反対の声の中、開始され、これまでに合計9回。
今回で10回目の米軍訓練か行われようとしています。
その米軍訓練の実際はどのようなものであったのでしょうか。

 

 


 

<これまでの米軍演習から見えてきた問題点>

 

7回目の2010年の訓練では、
国際的に使用が批判されている白リン弾を日出生台では初めて使用。

夜間の照明弾も初めて使用され、
3件の林野火災(野火)が発生する事態となりました。

 

白リン弾
2010年の米軍訓練の際、日出生台で初めて撃たれた白リン弾。

白リン弾7連射
白リン弾7連射。この後、火災発生。

照明弾
日出生台の夜空を2分間かけてゆらゆらと落ちていく照明弾。
これも米軍訓練では2010年、初めて日出生台で使われた。

 

拡大はあきらか

 

 

○「155ミリりゅう弾砲の演習」
        だけだったはずが…


当初、米軍が行うのは「155ミリりゅう弾砲の演習」であると
国は説明し、「米軍使用協定」にもそう記されていました。
しかし、2006年、米軍はその他の武器も使用したいと言い始め、
翌年、協定はあっさり書き換えられ、
米軍は、小銃、機関銃など様々な武器を使用できるようになりました。


「米軍演習の歯止め」とされていたはずの協定は、
米軍が望めば、いくらでも書き換え可能であることが明らかになりました。

 

○深夜、完全武装した米軍車列が 
 演習場外の住民の生活道へ

 

2012年の前回の訓練では、あろうことか、
深夜、155ミリりゅう弾砲を牽引した完全武装の米軍車列が、
演習場の外の、住民の生活道である県道に出てくるという、
前代未聞の事件が起きました。
米軍は「道を間違えた」と弁解しましたが、
現場は道を間違えるような場所ではありませんでした。
過去8回一度も起きなかったことが起きたのは、
あわよくば訓練の使用範囲を拡大したいと米軍が
意図したからではないでしょうか。

 

○演習終了後の米兵の集団外出。
 飲酒でハメ外すトラブル多発

日出生台での実弾演習終了後には、
毎回、米兵ら約200人の集団外出が行われています。
これまでの外出では、
お酒を飲んだ米兵どうしのグループのケンガが別府市の町中で起きたり、
酔った米兵が町を歩く若い女性に誘いの声をかけたり、
公園のトイレで泥酔状態で動けなくなり抱え出されたり、
泥酔してバーの入り口をふさいで倒れ動けなくなり、
周囲を不安にさせるというような状況が見られました。


 米軍という存在は、「日米地位協定」によって
特権的に保護されています。
公務中の米兵が事件、事故を起こしても、
通常、行われるような日本の警察の捜査、逮捕、
取り調べ、裁判ができません。
米軍基地に逃げ込んだ容疑者がアメリカに逃げ帰り、
被害車は、泣き寝入りになるというようなことも起きています。


このような不平等な「地位協定」の存在が、
沖縄での度重なる米兵の犯罪、不祥事に繋がっていることは
これまでも指摘されてきたことです。
今、それは日出生台を抱える私たちにとっても同様に直面する問題です。

 


○訓練情報は年々出なくなり…

この数年、当初は出されていた米軍部隊の移動についての
情報が出なくなりつつあります。
情報が出なくなるということが進んでいくと、
米軍がいつ、どんな訓練を行っているのか、
訓練が協定や事前の説明通りに本当に実施されているのかどうか、
わからなくなります。米軍としてはそうして、
自分たちがやりたい訓練を自由にやれる場にしたいのでしょうが、
私たちにとっては、米軍訓練が、気づかないうちに、
私たちの日常生活の安心や安全を直接脅かすようになっていく
不安ぬぐいきれません。

 

 

 

 

米軍訓練は米軍だけの訓練ではない!?

有事の際の米軍への民間協力訓練!?

本土5ヶ所での移転訓練の特徴は、
米軍訓練のあらゆる場面で日本の民間業者が組み込まれていることです。



兵士たちは大分県が管理する大分空港に、
日通がチャーターした民間航空機(コンチネンタル・ミクロネシア航空)で降り立ちます。



その後、地元の民間バスに乗って日出生台演習場入り。

 


米軍車両と155ミリりゅう弾砲は、民間の貨物船に乗って
同じく大分県が管理する大在埠頭に着岸。

 


港湾労働者が米軍車両と155ミリりゅう弾砲を陸揚げします。
本来は、このような武器、兵器を触るはずのない港湾労働者が
毎年のこの作業を繰り返すことで熟練してきたのか、
年々、その時間が短縮し、速やかな作業が行われるようになってきているようです。

 



その後、155ミリりゅう弾砲は日通のトラックに乗せられて日出生台入り。

 

この先導、警備を地元警察、日通などが行います。

米軍を最優先通行

警察は、大在埠頭から高速道路の入り口までのすべての信号機に一人ずつ配置され、
信号を操作。米軍車両、155ミリりゅう弾砲の通行を最優先して通行させていきます。


弾薬輸送も、佐世保から日通の大型トラックで、
高速道路160キロを陸送し、日出生台演習場に入れられます。


実弾を撃つという訓練以外にも、米軍は負傷した兵士らの
救急搬送訓練として、演習場からヘリを飛ばして、
別府市内の病院へと毎回、搬送されます。

99年に成立した周辺事態法では、
「周辺事態」有事に対応するために、
国は、自治体・民間の協力を求めることができ、、
国民・労働者を動員する内容が盛り込まれています。

そして、日出生台をはじめとする本土5ヶ所で1997年より行われてきた米軍演習は、
まるで周辺事態法を先取りするかのように、民間や自治体を協力動員するかたちで
実施されてきました。

このような形で民間が協力すれば、それは「敵対行為」と見なされ、
本来は攻撃対象とならないはずの「民間」が
攻撃対象と見なされる危険性が指摘されています。

さらに自衛隊も米軍の後方支援に組み込まれ…


 

 

 

 

<移転補償措置問題>

 

演習場周辺に暮らす地元住民にとっては、

これこそが最も大きな問題だとも言われています。

 

日出生台演習場の周辺を歩いてまわると、
ところどころに下の写真のような赤い石柱が立っている。


よく見ると、そこには防衛省との文字が刻まれている。

これは、2000年度から国が米軍訓練に伴って打ち出した「移転補償措置」の
結果、さら地にされ、移転した後の姿だ。

 

移転補償は日出生台演習場の拡張への地ならしか!?

 2000年10月27日、福岡防衛施設局は、日出生台演習場周辺の
移転補償対象家屋145戸と住宅防音工事の対象家屋836戸を発表。
「強制ではなく、あくまで希望者のみ」というものの、この措置は
「結果として日出生台周辺地域の過疎化に拍車をかけ、地域をつぶ
すもの」と、住民から国の頭越しの発表に対する怒りの声と地域の
将来に対する不安の声が噴き出た。

移転補償に対する日出生台住民の声

■「これまでは、新たに畑を拡大して作物を植えたいときには、 
 隣の人に頼んで安く借りることができたが、これからは人に貸 す
 よりは国に売る方が金になるからと、今までのようには土地を借
 りられなくなるかもしれない」

■「わしらは生まれ育った日出生台が好きなんじゃ。
  本当に好き好んで出ていきたいもんは誰もおりゃせん」

■「演習場周辺からわしらがおらんなってしまえば、
  苦情を言う者も反対する者もいなくなって好都合なんじゃろう」

■「米軍が一年に1ヶ月だけ来て演習をするちいう問題と
  思っちょったら、いつのまにか自分の暮らす地域が
  のうなるち言う問題になっちょる」

■「これを機会に、逆に住みいい日出生台をつくるんじゃ」

米軍演習を強行決定したとき、国は「国の責任でやらせていただく」と
言ったはず。

であれば、国は、米軍の演習のために住民を立ち退かせていくのではなく、
過疎高齢化している地域の中で、住民の暮らしがより暮らしやすくなり、
多くの人がさらにそこに住み続けなるような方向の措置をとるべきではないか。  

 

 

 

 

2012年夏の日米共同訓練

2012年冬の米軍移転訓練

記録(演習開始まで)

記録(演習開始以後

2011年の米軍移転訓練

2010年の米軍移転訓練

2006年の米軍移転訓練

.

 


 

 

 

○私たちの故郷の自然と
 安心の暮らしを守るために
 

 


 

私たち市民運動のモットーは

そのときに
できる人が
できることを
できる分だけやる

よく言われる表現ですが、

私たちの力は微力であっても、無力ではありません。

アリが開けた1つの穴が巨象を倒す例えがあります。
そして、アリだからこそできることもあると考えています。

平和で他の国々の民衆と
ともに生きる社会づくりに向けて
ムリをせず、
かといって何もしないのでもなく、
自分のできることを見つけて、
取り組んでいきたいと考えています。

 

下の映像は、日出生台でいつも一緒に声をあげてきた
故 松下竜一さんのスピーチです。

 



 

私たちは、米軍の実弾演習が実施されている期間中、

その訓練が事前の説明の枠を超えて実施されていないか、

住民の暮らしに危険が及ぶようなことがおこなわれていないか、などをチェックするために、

日出生台演習場を見下ろす高台に毎回、監視小屋を設置、住民や周辺の市民の方々と協力して監視活動を行っています。


Google マップ へのリンク

JR由布院駅から日出生台演習場のゲート前
〜監視小屋(米軍演習監視情報センター)までの
道を上記地図上の赤線で示してあります。

JR由布院駅からゲート前まで約4キロ。
JR由布院駅から監視小屋までは約16キロあります。


<湯布院〜日出生台上空・米軍機の低空飛行問題>


<米軍艦船寄港問題>

7月19日10時

大分市大在埠頭にミサイルフリゲート艦ゲイリーが入港

大分を米軍の戦争に巻き込むな!と抗議の声をあげました。

続きを読む


<日出生台演習場での陸自203ミリりゅう弾砲の破片飛散事故>

 

<自衛隊員らとともに生きるために>


------------------------------Information From SOML------------------------------
                            
       「市民ネットワークおおいたML」について
                           
 この「市民ネットワークおおいたML」(以下、SOML)は、
 大分とその近県エリアでの様々な市民活動の垣根を越えた 
  情報交換、情報共有を目的にしています。ML参加者の皆様には、
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ローカルNET大分・日出生台 事務局

大分県大分郡湯布院町川上1525-12


電話とFAX 0977-84-2621

私たちの運動は、皆さんのカンパによって成り立っています。

協力支援カンパを随時募集しています。

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【郵便振替口座  01780-3-56320 ローカルネット大分・日出生台】