藤前干潟[1998/09]

[背景]
-経緯-
 名古屋駅から長島行きバスで40分。名古屋港内の一角に藤前干潟はある。面積は約約100ha。諫早干潟に次いで日本二番目の渡り鳥の渡来地であったが、諫早干潟が潰された事により、日本一の渡来地となった。愛知県は長良川河口堰、愛知万博の海上の森、そして藤前干潟と自然破壊推進県と化している。

 1964年から、藤前干潟は名古屋港港湾計画として埋立てられが予定されていた。1984頃から名古屋市議会はゴミの搬入を予定しはじめる。
 1994年1月、環境影響評価(アセス)手続きを開始。
 1996年7月、「環境への影響は小さい」とするアセス準備書の届け出、告示・縦覧
 1998年3月、アセス審査委員「環境に与える影響は明らか」などどしつつも人口干潟などの代償措置をとることを盛り込み、事実上埋立て容認の答申。
 1998年5月、環境庁が南5区(愛知県知多市)を代替地として提示
 1998年6月、知多市議会代替地受け入れ反対を決議
 1998年8月、愛知県知事、藤前干潟の埋立てを容認する意見を名古屋市に送付。これを受けて名古屋市はアセス評価書を届け出、告示。縦覧。

 1979から藤前干潟を守る会が運動を始める。守る会では、干潟の鳥やゴカイ・アナジャコなどの生物の生態調査や「生きものまつり」「干潟探検隊」など、市民と干潟のふれあいの場を作りながら、干潟の保全を求める運動を続けている。
 1998年、地元の主婦が中心になって、「ダイオキシンから子どもを守る会」という組織を作り、署名活動などをはじまる。先日(8/30)は、地元の南陽町地区会館で、ダイオキシンについての学習会も開催された。

-処分場-
 予定されている処分場は、一般廃棄物管理型処分場。1996年での計画は
 1)100haの処分場。
 2)コンクリートのついたてを海に建てて、処分場と海を隔てる。
 3)隔てられたて干潟を3.5mの深さまで掘り下げゴミを廃棄する。
 4)処分場からあふれた水を処理する
 5)処分場の底は4〜6mに粘土層があるとし、遮水シートは考えない。
  該水域には、既に水深6mの部分が有り、この部分は表面固化処理する。
という予定だった。その後1)3)が変更される
 1)環境に配慮して、100haの埋立てを46.5haに減少させる。
 3)面積が減少した分を補う為、3.5m掘り下げた上に厚さ9m以上積み上げて容量を稼ぐ。
 1998年8月の評価書で突然「遮水シート」の項目が入る。あくまで、廃棄物法の改正に伴い変更されたもので、環境に配慮したものではない。また、「遮水シート」は各地の廃棄物処分場で穴が開き、廃棄物が流れ出す事件が多発している。今や遮水シートで、遮断が出来るという話は夢物語でしかない。海水と処分場の遮断もどう考えても不可能である。

-名古屋市の問題-
 名古屋市はあくまで干潟埋立てを唯一の選択とし、他の案を全く検討していない。西5区(藤前は西1区)にはゴルフ場が予定されていたが、遊休地となっている60haの土地がある。「とりあえず遊休地を処分場にしては」市民の問いに、名古屋市は「あの土地はゴルフ場予定地です。」と言い捨て、ゴルフ場の建設を始めたという。名古屋市には自然よりもゴルフ場の方が大切なのだ。

 一方、名古屋市のゴミ行政はどうなっているのだろう。名古屋のゴミ収集は、分別が進んでいない。ビン・カンの資源ゴミの回収は16区中9区でしか実施されておらず、全市実施は2年後の2000年だという。10年ほど前から「なぜ名古屋は分別収集をしないのだろう」と言われていたそうだ。また、ゴミ袋も昔ながらの黒のビニールで違反ゴミが後を絶たないという。もし藤前干潟を埋立て場合、10年しかもたない。まず、ゴミ処理の根本的な考えを改革するべきである。

 参考文献:週刊金曜日232,永尾俊彦


[感想]
 9/7(日)藤前干潟で、「藤前干潟を守る会」による「生きものまつり」が開催された。以前から藤前の干潟を見に行きたいと思っていた私は参加してみる事にした(こうしたイベントは定期的に開催されている)。「生きものまつり」には親子連れ、学生など400人も集まる盛大な催しだ。
 名古屋駅から長島温泉行きバスで40分、南陽藤前から殺伐とした港風景の先に藤前干潟はある。干潟は工場・倉庫・一般ゴミ焼却場に囲まれた地にあり、「今までよく残ったものだ」と感じさせられた。この小さな干潟に多くの生物、渡り鳥達の生活が息づいている。


潮が満ちている状態の藤前干潟。

 到着時は、干潟は海で覆われており、サギが沖で海をつついていた。サギは浅瀬の魚をねらっているようで、大体20cm位の深さで餌をついばむ。
 最初にカニの探索にくわわる。カニを探しているうちに潮がひいて、潮のひきに応じてサギも移動して餌をついばんでいる。さぁ干潟に入れる時間だ。本当はグループに分かれて干潟探検隊コースなのだが、週刊金曜日(No.232)でも取り上げられた、アナジャコ取り具「お気楽5号」を担いだ小嶌さんがいたので、くっ付いて干潟に入っていった。


干潟が出現。さぁ探索だ。

 干潟は予想以上に足を取られ、ボーとしていると、ずぶずぶ沈んでいく。当初サンダルを履いていた私だが、足を取られてうまく歩けないので、はだしで歩く事にした(最初からはだしにすればよかった)。
 小嶌さんは慣れた手つきで、「お気楽5号」を地面に打ち込む。「お気楽5号」は写真でも確認出来るだろうが、塩ビパイプで出来ている。原理はストローと同じで、1)ストローを水の中につける2)ストローの口の部分を指で押さえて上に上げる3)ストローに水が残る、この泥版。私も何回か採取してみたが、なかなか大変(特に泥地は力がいる)。「今は暖かいから良いけど、冬に採取している時は辛いですよ。冬は夜の干潮の方がよくひきますから(秋冬は、1日二回の干潮のうち、潮がよくひくのは夜の干潮である)。」小嶌さんは笑いながら語る。

      
アナジャコを採る小嶌さん          採取された泥。アナジャコがいないか確認する。



アナジャコのスケッチ(小嶌健仁さん作)



 アナジャコは巣穴で水流を起こして、水中から有機物やプランクトンを漉して食べる為、泥の中の成分が酸化される。また、壁を叩く事により粒子の小さな粘土質が壁をコーティングする為、固く丈夫で、アナジャコが去っても巣穴が残っているという。粘土質がないと巣が出来ない為、泥質の干潟に多く、砂質の潟土には少ないそうだ。実際に採取された泥のなかの巣穴の酸化部分に触ってみる。なかなか硬い。
 巣穴が幾つも開いている地点で、採取すると大抵アナジャコを捕まえる事が出来る。この時期に採れるアナジャコの殆どは3cm程の大きさで、半年程成長した状態だという。このアナジャコも4年で10cmもの大きさに育つ。3cm程の幼いアナジャコは、0.5m位の深さに住んでいて、それ以上のものは更に奥深く穴を掘っているそうだ。1998年4月に巣穴の中にポリエステル樹脂を流し込ませて固めたところ、2.5mもの巣穴の深さだった。このポリエステル樹脂の掘り出しは非常に苦労し、6m平方の大穴を開けて命懸けで掘り出したそうだ。小嶌さんの採取から多いところでは、幼いアナジャコが1600[匹/1平方メートル]も生息しているという(新規個体(今3cm位の連中)は、特に波が静かで泥の多いところが好きなようだが、大きくなるにつれて、次第に砂質の方にも引っ越して行くが、やはり泥質の部分の方が個体数が多い。大型の個体は、多いところで30〜80[匹/1平方メートル]位の密度だそうだ。
 ゴカイなどを採取していたので、そちらも手伝う。ゴカイだけで120[g/1平方メートル]もの生息が観測されたという。


アナジャコの巣穴にポリエステル樹脂を流し込んで得られた巣穴の形。左が最下部、真ん中中間、右が最上部で、合わせると2.5mもの長さになる。巣穴の模型図(小嶌健仁さん作)はこちらを参照して下さい。

 藤前干潟は想像していたより狭く感じた。伊勢湾の広大な干潟の95%が埋められ、(それまで日本一だった)諫早のたった1/30の面積でしかない藤前干潟が今や日本一の渡り鳥の渡来地なのだ。いかにこの国が開発の名の下、干潟を破壊してきたのか物語っている。小さく豊かな藤前干潟を目の色を変えて、ゴミで埋立てようとするほどこの国の人々の心は凍り付いてしまったのだろうか。藤前干潟をいつまでも守りたいものだ。


藤前干潟のすぐ横に、一般廃棄物焼却所である南陽工場。廃棄物場が作られた場合、ダイオキシンを多く含んだ焼却灰が藤前に投棄される事になる。

 「藤前干潟を守る会」は非常に活気が有り、なんだかこちらが元気付けられた。「生きものまつり」は非常に楽しく、近いうちにまた参加したいと考えている。


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