創刊にて[と言うより日々思っている事]

 
資源の大量消費、そしてその結果の大量の廃棄物。大量の汚染水は廃棄物処分場から土壌に流れ出し、地下水を伝わって我々の飲み水として戻っていくる。水道局は余りにも汚染された水をどうするのか頭を抱えている。多摩川の鯉は環境ホルモンの影響でメス化していると言う。また海に流れ込み魚介類を汚染させ、我々の食卓を彩る。
 チェルノブイリの事故で原発の恐ろしさを嫌というほど目の当たりにしたのに、地震の多いこの国にはいまだに51基もの原発が稼動している。大きな地震が原発近くで起きれば、我々の生活は崩れ去り、逃げる場所さえ存在しない。地震の対策の論議は活発に行われるが、原発に触れないのは何故だろう。
 放射性廃棄物は永久保管場所さえ決まらずに日々溜まり続けている。原発立地国で保管場所が確定している国はまだ存在しない。また、永久に保管が可能な施設など存在しない。原発解体に際して、「低レベルの放射性廃棄物」という名の放射性廃棄物はクリアランスレベルと言う謎の境界によって産業廃棄物として処分されようとしている。いずれ水道水をガイガーカウンターで調べる日が来るだろう。
 全ての川にダムを作製した結果、美しい海岸線の砂浜は消え失せ醜くテトラポットが並び、それでも日々侵食されている海岸線。コンクリートで固められた川。
 開発の名の下破壊された自然。農薬付けのゴルフ場。農薬は川を流れ、飲み水、海に流れ込む。
 水の美しかったこの国は、今や世界有数の水汚染国となってしまった。

 我々は後の世代に、「資源を使い尽くし膨大な負の遺産を残した最悪の世代」と評価される事だろう。環境ホルモンの影響や少子化している現状を考えると、我々を批判するであろう後の世代が存在するのかさえ疑問である。

 太平洋戦争を体験したお爺さんが孫に「あの戦争は本当はみんな反対だったんだよ」と言った。それに対し孫が「だったら何で、みんな反対して止めなかったの?」と子どもならではの素直な疑問をした。お爺さんは絶句して何も答えれなかった。
 私は年をとって孫にこう伝えたい「その問題は我々が止めたのだよ。私も微力ながら参加したんだよ。」と。


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