JCO臨界事故 1999/10/15 -緊急集会で学んだ事、思った事 

○JCOの施設と背景
 JOCは、核燃料の転換加工を主な事業としており、主に軽水炉用のウラン235の富化度が約3%の軽水炉用の二酸化ウラン粉末を精製している工場であった。事故は、富化度が約18.8%である常陽マークV用の二酸化ウラン精製中に起こった。
 二酸化ウランの工程は、@ウラン濃縮工場からの六弗化ウランに硝酸アルミニウムと水を加えて硝酸ウラニルを得る。A硝酸ウラニルを燐酸トリブチルに移行後、水を加えて硝酸ウラン水溶液を得るB硝酸ウラン水溶液にアンモニアガスを噴きこんで重ウラン酸アンモニウムに転換し、沈殿させる(これが沈殿槽にあたる)。C重ウラン酸アンモニウムを焙焼し、水素で還元して二酸化ウランを得る。の手順で行われ、今回の事故はC→Bの違法工程で起こった。

 この施設は軽水炉用の低濃縮ウラン燃料を目的としている為、臨界が起こるはずのない施設とされていた。ホウ酸が用意されていなかった事、中性子線測定器が用意されていなかった事が如実に物語っている。実際低濃縮ウランのプラントのみで行っていれば、臨界は起こらなかっただろう。ただし、中濃縮ウランとなると事情は変わってくる。約20%の中濃縮ウランでは最も良い条件ではウラン235が1.3kgで臨界を迎えるとされる。今回の事故は16kgの溶液が入れていた為、ウラン235は約3kgあったわけだ。ウラン235が1.3kgである4杯目からはいつ臨界を迎えるかの不安定な状態であった。

○事故の背景
 本来の目的である低濃度ウランのプラントで、危険な中濃度ウランの工程を行ったのは大きく@技術者の知識の低下と現場作業員の低下A原子力産業の無理な低コスト化が上げられる。
 @原子力発電所は今や魅力のない職場で、大学の原子力工学科には学生が集まらなくなってしまった。国立大学では原子力工学科を廃止して他の学科に分散吸収する動きが始まっている。原子力産業に携わる専門化がどんどん減少しているのだ。
また、例え原子力工学を学んだ学生が原子力産業に就職したとしても、彼らは危険な職場にはつかない。危険な作業は下請け、孫請けの労働者が行うのが実態である。動燃アスファルト固化処理施設での火災爆発事故の際は、作業員として動燃の正職員は一人もいなかった。これは責任を取る人が現場にいない事をも意味する。今回の事故では作業員に基礎的知識の教育さえ行っていなかった事も判明した。知識を与えると危険な作業をさせ辛い事が最大の理由だと思われる。
 そして、事故はいつも作業者の単なるミスにかたずけられ責任者は知らぬ存ぜぬを決め込む。責任を取らない責任者は、同じ過ちをまた繰り返す。彼らは「安全」とオウム返しに繰り返す事で自分自信にマインドコントロールをしているようにさえ見える。
 今回JCOの若い社員が、決死隊として臨界を止めるべく突入したが、責任者こそが、安全であると宣言した役人達が突入すべきだ。また、広瀬さんが指摘されるように中性子を吸収するホウ素(ベニヤにでも塗れば良い)の盾を何故作製・使用しなかったのか。
 突入した社員は被爆者としては考えられない、計画被曝と呼ばれるそうだ。事故自体が計画的であったわけではなかろうに馬鹿馬鹿しい…彼らも被爆者として扱うべきある。

 原子力開発は1950年代までは科学技術の改良を行ってきたが、設計変更による失敗が許されない為技術は進歩が出来ない。実際大学で教えている原子力工学の教科書は1960年代のものから殆ど変わっていない。
 A原子力は非常にお金がかかる。米国では原発の費用が大幅に上がったためエルパソ電力は破産し、原発の発電量が全体の70%を超える原発大国フランス(余った電力を他国に輸出している)は採算割れで国家財政を脅かしている。
原子力を強引に推進してきた日本は今や世界一の電気料金が高い国となり、米国との電気料金の差は2倍である。電気料金は家庭・企業を圧迫し、電気料金の引き下げの声が最近高くなってきた。この為、電力産業は原発の無理なコストダウンをはかって来ている。今回の違法作業も「核燃料開発機構」からのコスト削減の申し入れに対しJCOが、専用のプラントを作るのではなく、違法の作業を行った理由であるだろう。当然「核燃料開発機構」はこの事実を知っていただろうし、黙認をしていたはずだ。
 
○事故発生の経緯
 作業員は手作業でバケツに入ったウラン溶液を沈殿槽に流し込んでいた。その過程で「臨界」作業員は青白い光を見る。青白い光(チュレンコフ光、空気中の水もしく作業員の目の水晶体の中で発生)を発生させた中性子は作業員を被曝させ、嘔吐物の中からNa24が検出された。この事は従業員の体が中性子により放射化されていた事を示す。診察をした医師は防御服を着ての診察であったはずだ。Na24は半減期15.02時間(β線)であり、深刻な内部被曝を引き起こす。
 どれほどの放射線を作業者が浴びたか定かではないが、7[Sv]とも14[Sv]とも報道された。急性障害は250[mSv]からおこり、全致死量は5[Sv]、半致死量は(それだけ浴びたら半数は即死)2.2〜2.5[Sv]と言われている。被曝のひどい二人に関しては助からないだろう。
 この工場は民家の中にあった。民家の中に突然、原子炉の囲いさえない原子炉が発生した事になる。幸いにも作業員がちょろちょろ溶液を流し込んだ為、最初の臨界こそ即発臨界であったが、その後は遅発臨界であったようだ。中の溶液は、臨界→臨界温度による体積の増大(密度の低下による臨界停止)→冷却され体積の減少(密度上昇臨界)を繰り返していたと思われる。臨界すれすれであり溶媒は殆ど蒸発しなかった為、固体である放射性物質はなどは外に放出されなかった。希ガスは排出されクリプトン、ヨウ素などが外に漏れ出した。排気用の煙突も無い為、低い大気に高い密度で流れた可能性も無視できない。また、中性子は周辺の環境を放射化していった。


○ 自治体の対応
 事故の経緯は大まかに次のようになる。
10:35、JCOの西2kmに位置する「原研那珂研究所」では高エネルギー中性子を観測。この中性子はJCOでの最初の臨界(即発臨界)によるものであったがノイズとして処理された。那珂研究所ではその後高エネルギー中性子を測定し続ける。JCOでは事故10分後には臨界事故を判断していたが、臨界を想定したマニュアルも中性子測定器も存在しなかった。事故30分後に事故対策本部が設置され、施設周辺のγ線を測定し始めたのは11:30だった。
10.38舟石川測定所(JCOの南2km)で通常の10倍の空間線量率を測定。
11:26、那珂町にある門別測定所(JCOの真西7km)で通常の約7倍の空間線量率を計測。臨界による希ガスが真西に小さな帯状として流れた為。
11:30、JCO敷地境界で0.84[mSv/hr]を計測。
11:35、那珂町原子力対策課「事故発生で、外出を控えるよう」街宣、幼稚園・小・中学校に窓を閉めて大気を指示。
12:15、東海村が災害対策本部を設置。12:30より屋内避難を呼びかけ始める。
13:45、ひたちなか市原子力問題連絡会を設置(対策会議は未設置)
14:00、科技庁にて安全委員会緊急技術助言組織メンバーが会議を行う。16人いる委員で臨界が理解できる唯一の専門家である住田健二が「臨界の可能性がある」と発言したが否定されたようだ。
15:00、東海村役場が現場半径350m以内の避難決定。事故が起こってから4時間半も経過していた。政府が事故対策本部を設置。
15:20、警察の判断で周辺道路の交通規制。東西方向3kmの立ち入り禁止。
16:00、茨城県が事故対策本部を設置
16:30、那珂町事故対策本部設置。
17:55、茨城県警が「JCO」玄関前の測定で中性子が上昇している」と発表。ただし、上昇ではなく「継続」であった。
18:40、那珂町、現場半径350m以内6世帯19人を近くの公民館へ避難させる事を決定。
21:00、政府が小渕恵三首相を本部長とする対策本部を設置。「再臨界が起きている可能性が高い」
22:28、JR常磐線が、水戸−日立館で上下線とも運転見合わせ。
22:50、日本道路公団が常磐道の東海パーキングエリア閉鎖。
00:50、茨城県対策本部、半径10km以内の全世帯に対し、屋内避難を指示。
02:58、沈殿槽の冷却水の抜き取り作業に着手。
06:15、事業所敷地内の中性子モニターが「0」を示す。
09:00、原子力安全委員が臨界停止を確実にするため、ホウ酸水を注入作業に入る。

 経緯からは350m避難勧告がなされた15:00までの4時間半が異様に見える。余りにも遅い避難勧告であった。ここでも事勿れ主義の行政の姿が浮き彫りになる。住民第一であれば、事故発生と同時に避難勧告が出来たはずだった。こうして4時間半もの間住民は中性子を浴びつづけた。
 また350m以内住民が避難した舟石川コミュニティセンターには放射線防護服、ヨウ素剤、線量計などの備品がまったく備わっていなかった。ヨウ素剤さえそなわっていないのは私にとって驚きであった。10/10に行われた京大グループの測定ではヨウ素131が測定されており、子どもの甲状腺ガンが心配される。また、汚染が予想される地域の住民が、汚染が予想される地域に避難する矛盾が大きな問題として露呈した。実際に舟石川コミュニティセンターは10:38に10倍の空間線量を測定した舟測定所の石川の40mほどの地点にある。
 国の対応があまりにも遅いのも非常に気にかかる。科技庁の安全委員会緊急技術助言組織メンバーはまったく機能していなかった。国がおこなった事は小渕恵三首相を本部長とする対策本部を設置した事ぐらいだろう。それが基点と考えられる緊急措置がその後に続いている。
 こうしてみると原子力防災計画とは意味があるものだったのかという疑問が起こる。結局机上の空論のみの防災計画であり、今回の事故ではまったく機能しなかった。原子力防災は「安全である」事が前提であるようだ。また、国と地方自治との連携の悪さも目立っている。防災の権限は国ではなく地方自治に与えるべきであるだろう。わけのわからない委員会が会議を開いても何も解決しない。


○住民避難の基準とは?
 臨界事故で一番恐ろしいのは中性子の被曝である。この場合屋内避難はまったく意味がなく、早く遠くに逃げなくてはならない。350m以内住民退去避難が誰によって、どんな根拠で決められたのかわからないがJCOは東海村に500mの住民の避難を要請したが、東海村の判断で350mになったという。350mの理由は@人数的な制限A500mにすると那珂町にまたぐためと言われている。
 ある市民団体の試算によると中性子線量は1km地点でも1[μSv/hr]であった(放射線量はバックグラウンドで0.05〜0.1[μSv/hr]程度)。私はせめて1km圏内は退去避難すべきであったと思っている(本当は10km退去避難ぐらいはして欲しい)。
 実際350メートル圏内を500メートル圏内に広げる為、避難用のバスの手配を行い始めていたそうだ。屋内避難住民は、臨界が終了した翌6:15までの20時間もの間、中性子を被曝し続ける事になった。これらの地帯の人々の健康が今後特に心配される。ただし、屋内避難の住民でも多くの人々は親族を頼って退去避難をしたそうだ。
 また、JCOから100mの地点に退去避難せずにいた人が二人いたが、「ホールボディーカウントにて2分で汚染無し」と診断されたらしい。血液の測定は1週間必要だし、体内被曝が心配されるので排出物の放射線測定も行わなければホールボディカウントとは言えないのだが・・・・・・・・・・・。今のところホールボディカウントを行ったのはこの二人だけと言われている。せめて1km以内の住民はホールボディカウントを行うべきだし、東海村には原研などその設備は整っている。

○原子力災害
 今回の事故により、列車等の交通機関は停止した。住民は家に閉じ込められ、電話も普通となり、郵便・新聞は停止した。もし電気が停止したらテレビ・ラジオの情報も入らなくなる。もし事故が阪神・淡路地震のような震災によって引き起こされたとしたら・・・・・・・・・・。
 今回の事故で最もはっきりしたのは、事故がもし起こっても行政は的確な判断能力が無い事だ。行政はパニックを恐れずに情報を公開し、杞憂だとしても住民を非難させる勇気が求められる。だが残念な事にその事を期待するのは高望みのようだ。我が身を守るには、自分自身しかない。そして、原発を止める事が皆の身を守る方法である。


事故の起きたJCO正門。警察による検問がおこなわれていた。


西側の国道からJCO事故現場を望む。水色のシートの下に土嚢が詰まれている。事故から2週間たってからJCO周辺でγ線の測定を行った所、西側県道で0.22[μSv/hr]の測定値を得た。これはバックグラウンドに較べて2〜4倍高い値である。臨界をおこした溶液が原因と考えられる。西側には住宅があり、仮に一年間0.22[μSv/hr]浴びるとして計算すると外部線量(食物起因などによる内部線量被曝は含まれない)で1.97[mSv]となり一般の許容量とされる1[mSV]を超えてしまう。1[mSV]余分に放射線を浴びるとガン発症率は2倍になると言う。土嚢を積み上げた作業員の健康も多いに心配される。


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