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お祭りを記録すること、公開すること


7年祭とはその名の通り、数えで7年に一度行われるお祭りです。参加する多くの神社は、、一部を除いて、この大祭時にだけ御神輿を出す習わしです。よって、大祭の年以外には、地元の人間でさえも祭りのことは忘れてしまっています。

自分も、物覚えがついてから、このお祭りを体験したのは4回目位といったところでしょうか。それぞれに、断片的ではありますが、記憶を辿ることができます。それは、遠く夢の中での出来事のようでした。

今回このお祭りについてのページを立ち上げようと思ったのは、自分の地元で行われる、ささやかながら伝統もあり、文化的にも特色のある一イベントを広く紹介し、また学問的な方法をとって調査することで自分の学問の糧になればと考えたからでした。

具体的には、のべつ幕無しに資料を集め、村の識者達から話を聞くなどして集めた材料を、体系的に整理し、それに、学問的解釈を加え、公開するといった手順を踏めばよいと考えていました。

さて、祭りの規模に対して、文献として残っている文章は、非常にわずかなものでした。それでも、その中には、綿密な調査に基づいた十分とも言えるほどの内容のあるものがありました。

それは、ちょうど高度成長期に当たる時代の、祭りにとっては一番の存続の難しい時期の記録でした。その記録からは、もし、ここで祭りが途絶えても、後世になにがしかの痕跡を残したいという気持ちが読み取れました。

が、しかし、一方でそこには、有形、無形のあらゆることを含んだ「祭り」という複合体が、一つの平面に押しやられていく悲しさも感じられるような気がしました。それは、調査記録に特有のものとしてではなく、純粋な形での「祭り」の継承、表現といった手段を失いつつあった時代の悲しみだと思いました。

「祭りの記録などは残すものではない。」われわれの祖父くらいの世代からはよくいわれることです。このようなことが言われる背景には、もちろん、実利的な面としての理由も多くあります。しかしそれ以上に、この言葉には祭りが「祭り」であるための重要な何かを示唆しているかと思います。

もし、祭りがある特定機関によって詳細に記録され、以降その「伝統」によって、しめやかにとり行われたとき、それは「祭り」でしょうか。完成されたイベントとしての、観光客の目を楽しませるための祭りや、御みこしを舁ぐことを一種のリラクゼーションとして提供している祭りと「祭り」は別のものでしょう。

私自身はあくまでこの「祭り」に参加する人間であり、「祭り」の内にある人間であります。年をとり、また「祭り」が近づいてくると、夢の中の記憶がだんだんと現実の世界のものとなり、またその中で今の自分を探すことになります。

自分が自分を語り得るのか、といえば哲学の話になってしまいますが、まだまだこのページに関しては、「祭り」はもちろん私自身についても語るところまではいっていません。いってみれば、情報の垂れ流しといったものに近い状態ではあります。それでも、インターネットを通して「活動」をしているという点において、まだ「祭り」の範疇にあるのではないかとも思っています。

全くまとまりの無い文章ではありますが、以上が現段階でのこのページの制作方針ということにさせていただきたいと思います。どうかよろしく御願いいたします。

平成9年10月26日 田久保 崇士


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制作 千葉大学文学部哲学専攻 
田久保 崇士 E-mail:ttakubo@alles.or.jp