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前回、町内に配付された七年祭りについての説明を引用しました。


私たちのまち藤崎と七年祭について

 三山の七年祭は、丑(うし)と未(ひつじ)の年を祭年として7年に1回行われ、 9月13・15日(今年は休日の関係で9月13日は神事(式典)だけとし、渡御は 9月15日に行われる)の三山、藤崎、田喜野井が参加する小祭(湯立祭)、11 月3・4日の船橋、習志野、千葉、八千代各市の神社で9社が参加する安産御祭礼と 2市4社が参加する磯出式(安産神事)の大祭から成っている。 (注)以前は、勤労感謝の日の前後であったが、最近は、文化の日を中心に行う。

由来は古く、室町時代、文安二年(1455年)馬加(まか)城(幕 張)の城主千葉康胤(やすたね)の奥方が懐妊をしたが、11ヵ月を 迎えても出産の気配がなく、いたく心配した康胤は近隣の神社に安産 加持祈祷を命じた。間もなく無事男子を出産したため、領地の村々に 触を廻し盛大な祭礼を行ったことから、この祭が起こったと伝えられ ている。現在のように7年毎に行われるようになったのは、亨保12 年(1727年)からとされている。

 この大祭は、現在4市にまたがる広域で行われているが、以前は、遠くは茨城、竜 ヶ崎、埼玉の旧村からも参加したという。口伝による一例として、治承5年(118 1年)藤原の師経が左遷され、東国にのがれたとき海が荒れたため一行は離ればなれ になり、一部は姉が崎(市原市)に、一部は久々田浦(旧津田沼海岸)に漂着し、仲 間に無事を知らせるため、大きな焚火をたいたとされている。これが起こりで、以前 は姉が崎神社(二宮神社の姉君とも言われる)も参加し、海岸で互いに狼煙を上げ挨 拶したと言うが、今では代表者が大祭に臨席しており神の台(久々田浦付近)の神事 の際、二宮神社の宮司が姉が崎方向に向かって一礼する。  藤崎はこのような歴史と規模をもった七年祭で、二宮神社の御輿を神揃い場(三 山)、磯出式(幕張)、神の台(津田沼)等への渡御を行い祭を進行させる。 大祭参加神社
二宮神社 船橋市 三山町 三山 父君・夫
八王子神社  〃 古和釜町 古和釜 王子・息子
菊田神社 習志野市 津田沼 久々田 叔父君
大原神社  〃 実籾町 実籾 叔母・姫宮・仲人
子安神社 千葉市 畑 町 母君・妻
子守神社  〃 幕張町 馬加 伝子役・子守役
三代王神社  〃 武石町 武石 産婆役
高津比メ神社 八千代市 高津町 高津 姫君・娘
時平神社  〃 大和田 大和田 息子・長男・仲人
 〃 萱田町
 藤崎に何年も住んでいる方には当然御理解されていることを書きましたが、新し く、藤崎の住民となられた方が、この伝統ある七年祭を一日でも早く理解し、真の藤 崎の住民となられることを願い、本年の七年祭には、より多くの参加を望み、祭典関 係者として、この印刷物をお届け致します。また、近日中に祭典参加の為の祭礼用品 の注文御受け致しますので、よろしくお願い致します。

二宮神社七年祭藤崎地区祭典委員会


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制作 千葉大学文学部哲学専攻 
田久保 崇士 E-mail:ttakubo@alles.or.jp