医療援助

医療援助

1. パキスタン国クエッタ市の「ヌール小児科クリニック」開院(1987年~)

1)支援活動をはじめる経緯

アフガン難民救援活動の発端は、中川夫妻の強い要望で実現しました。夫妻は留学生としてまた看護師として長くカブール市に住んでいたので、多くのアフガン人と交流を持っていました。

しかし、1979年12月のソ連軍のアフガニスタンヘの侵攻により生命の危険にさらされ、夫妻は幼い長女を連れカブールを脱出しました。

その後、夫妻はパキスタンに350万人ものアフガン難民がいることを知り、リーフワーカーとしてパキスタンに入国しました。クエッタ市郊外で夫妻がアフガン難民の多くの子どもの墓を目にし、大きな衝撃を受けました。

子ども達の犠牲をくい止める方策として、子どものための診療所の必要性を考え、二人はその開設を決意したのです。

子ども達の墓が目立つ
子ども達の墓が目立つ

しかし、パキスタン政府は許可を出すための条件として、日本の医療機関による保証を求めてきました。そこで南福音診療所が担うことになり、現地での活動「ヌール小児科クリニック」が開始されたのです。

このような経緯でNGO(民間援助団体)として、『燈台』アフガン難民救援協力会は設立され、1987年12月26日に第1回の理事会を開催しました。理事会は、日本人の善意の献金を募り「ヌール小児科クリニック」の医療費、現地スタッフの給与を得るための活動を開始しました。

埼玉県北本市にある南福音診療所
埼玉県北本市にある南福音診療所

2)ヌール小児科クリニックの活動

医療費を全額無料としたため、治療希望者がたくさん来院しました。その結果、患者を制限しなければなりませんでした。当時、医療費と現地スタッフ給与の合計は、わずか月25万円でした。

医師も難民
医師も難民

中川夫妻は、アフガン難民である医師・看護師・検査技師・事務長などの協力を得て治療を開始。1995年3月に完全閉鎖するまで、8年間に亘り13万人以上の子どもたちを治療し、救命に力を尽くしました。

診療待ちの患者たち 治療中の子ども
診療待ちの患者たち
治療中の子ども
患者数


2. パキスタン国クエッタとカラチとモーリスタンでの支援活動(1989年〜1995年)


1989年12月から、パキスタンのカラチ市に於いて、アフガン難民のための内科・小児科・歯科の「ローシャン・クリニック」を開始しました。開設に必要な費用は、1989年11月7日開催された「カラチ日本婦人会チャリティー・バザー」の純益の50%に当たる30万円の献金によるものでした。

ほぼ時を同じくして、アフガン難民の小・中学校「ローシャン難民学校」も開設されました。いずれの職員も、アフガン難民から採用されました。

また、1990年7月からアフガニスタンのモーリスタン郡で内科診療所を開院し、1993年には女子校を併設して5年間運営しました。

その後、1995年3月にクエッタとカラチのクリニックのいずれの活動も閉鎖。同時期、モーリスタンのクリニックと難民学校も終了しました。



3. アフガニスタン国カブールとジャグリーでの支援活動(1995年~2014年)

1)「マラリア・リーシュマニア
クリニック」の診療を開始

1995年8月、アフガニスタン国の首都カブール市において、「マラリア・リーシュマニア クリニック」の診療を開始しました。このクリニックは、外国のクリニックとして貴重な役割を果たし、WHOや外国のNGOからも高い評価を受けました。

マラリア・リーシュマニア クリニック クリニックの看板 クリニックの受付
マラリア・リーシュマニア クリニック
クリニックの看板
クリニックの受付
リーシュマニア症の子ども 破壊されたカブールの街並み① 破壊されたカブールの街並み②
リーシュマニア症の子ども
破壊されたカブールの街並み①
破壊されたカブールの街並み②

リーシュマニア症とは

蚊より小さいサシチョウバエ(下の写真)によって媒介される寄生虫疾患です。皮膚リーシュマニア症/皮膚粘膜リ-シュマニア症/内臓リーシュマニア症/の3種類に分類され、WHOの試算によれば88か国1,200万人がリーシュマニアに感染しています。

皮膚リーシュマニア症は、アフガニスタンでよく見られ、サシチョウバエに刺された箇所から広がって鼻や口腔、喉頭の粘膜にまで転移し、進行すると顔の外観を損なうほどに悪化します。その場合、患部へ21日間続けて治療薬を注射することにより完治します。

皮膚粘膜リーシュマニア症は、原発性皮膚潰瘍からはじまり、皮膚病変は自然治癒しますが,原虫が鼻咽頭組織に転移することがあります。

内臓リーシュマニア症は、脾臓の肥大などが特徴的で、放置すれば死に至る場合があります。

予防の手段としては、サシチョウバエに刺されないために、薬を染み込ませた蚊帳の配布(WHOが実施)や公衆衛生の向上と衛生教育の充実(燈台クリニックが実施)が大切です。

サシチョウバエ リーシュマニアの症状
出典:CDC/Frank Collins
リーシュマニアの症状
リーシュマニアの治療① リーシュマニアの治療②
リーシュマニアの治療①
リーシュマニアの治療②

2)タリバン時代の困難だった医療活動

タリバンの進出

タリバンが国土の3分の1を支配した当時、女性職員が主体のカブールクリニックに厳しいイスラム原理主義を要求してきました。女性に自由はなく、希望はまったくありませんでした。女性はブルカ(テント状の布で全身を覆う)を被りますが、そうしないと外出することができない状況でした。

内戦により様々なシステムが破壊された結果、アフガニスタンに多くの病気が発生してきました。そのような時に『燈台』は、女性と子どもたちのために、医療支援活動を継続しました。

医療支援活動 『燈台』の医師と看護師達
医療支援活動
女性医師と看護師達
衛生教育を指導
衛生教育を指導

『燈台』の働きが直接なされたということは、カブールにいる女性たちにとってたいへんな希望になりました。特にタリバンの時代になってからは、どの病院においても女性のための治療活動は、完全に止まっていたからです。

タリバンの政権下において、『燈台クリニック』の女性スタッフたちは、たびたび脅迫されましたが、それでも彼らは、治療活動を続けました。

2001年3月、タリバンがバーミアンの仏像を破壊し、国境は閉鎖。リーシュマニア症の治療薬の値段は2倍に跳ね上がりました。アフガニスタン援助団体のメンバーがタリバン政府に逮捕されたり、外国人の国外追放などアフガニスタンで支援活動することの危険が増していきました。

3)アメリカ同時多発テロと
その後の支援活動

2001年9月11日テロ
世界貿易センタービル
出典:criff1066TM

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが起こりました。この報復として10月8日、アメリカがアフガニスタンのタリバン攻撃を開始したため、新しい多くの難民が出ました。

『燈台』は、パキスタン国ペシャワールで医療と食料の緊急援助およびアフガニスタン国カブールで緊急医療援助を行うことにしました。また、クエッタの「ヌール難民学校」は、新難民の増加のため、300人の生徒と9人の教員の増員をしました。

『燈台』ホームページへのアクセスは一気に増え、『燈台』とアフガニスタンへの関心は急激に拡大しました。その結果、2001年9月11日から2002年1月31日までの『燈台』への献金は612件、24,560,788円でした。



①パキスタン国ペシャワール市での緊急救援活動

『燈台』は、10月21日に総額5万ドル(約600万円)、期間6ヶ月の「アフガン難民緊急援助実施計画」を作成し、ペシャワール郊外の難民キャンプで女医を中心とした移動クリニックと食料と生活物資支援を、新難民を対象に行いました。

『燈台』現地事務局が雇用するローカルスタッフとボランティアにより、食糧と物資配給チームを編成して実施しました。(米、油,砂糖、茶、豆、石鹸、キルト、毛布、枕、衣服等を配布)

その上、子どもと女性を優先的に診療し、2002年9月までの患者数は26,451人、食料と生活物資支援をした新難民の延家族数は28,770世帯でした。

テロ後にできた難民キャンプ① テロ後にできた難民キャンプ②
テロ後にできた難民キャンプ①
テロ後にできた難民キャンプ②
食糧配布を待つ難民たち 食糧と生活用品の配布
食糧配布を待つ難民たち
食糧と生活用品の配布


②アフガニスタン国カブール市での緊急救援活動

活動地域

2001年のテロ以降、『燈台』が運営するカブールの「マラリア・リーシュマニア クリニック」は、空爆中も従来と変わりなく診療を続けました。しかし、多数の患者が来院したので医薬品が著しく不足しました。




また、一般疾患の患者が多数押しかけたため、リーシュマニア症とマラリアの患者以外も受け入れる医療援助活動を展開しました。

以下は、当時のニュースレターです。

テロ直後のニュースレター

4)移動クリニックを実施

外務省から「草の根無償支援」を受け、2002年5月から2004年4月までの2年間、3つのカブール移動クリニックを運営し、医療支援を行いました。

カブールの燈台クリニックと合わせた患者数は、リーシュマニア症28,739人(2002年度)、27,274人(2003年度)でした。

外務省による草の根無償支援提供式典 移動クリニックによる治療
外務省による草の根無償支援提供式典
移動クリニックによる治療

5)カブールに於ける医療支援の継続

ハーミド・カイザル大統領
ハーミド・カイザル大統領
(出典:Wikipedia)

2004年10月の民主化に向けて大統領直接選挙が行われ、カルザイ大統領が選出されました。戦争からの復興と共に民主化への道が次第に整えられていきました。しかし、その後も国内は不安定で危険な情勢が続きました。とは言え、難民の帰国が期待される頃でした。

2004年、カブールの「マラリア・リーシュマニア クリニック」は新しい女医に変わりました。外来患者数は多い時は1日90人で、1人を治療するのに21日間の局所注射継続が必要ですが、薬の入手に苦労しました。

クリニックの庭 リーシュマニアの症状
クリニックの庭
リーシュマニアの症状
リーシュマニアの症状 リーシュマニアの治療
リーシュマニアの症状
リーシュマニアの治療

2005年8月26日、FIDR(公益財団法人国際開発救援財団)を支援するチャリティー・コンサートが開催され、『燈台』は400万円の支援金を受けました。このコンサートには、アフガニスタン大使夫妻も出席されました。

2006年はリーシュマニア症の治療薬が不足し、アフガニスタンの市場では入手不可能になりました。もともとWHOが大量に持ち込んだ薬でしたが、WHOにも薬が入らなくなりました。リーシュマニア症のための薬はもう一種類ありますが、かなり割高で、数も限られていたため、さらに値が高騰しました。そのため、患者の数をかなり制限せざるを得ませんでした。

せっかくクリニックに来ても、薬がないため、順番待ちの札を渡されて帰され、1か月以上先まで順番を待たなければならない患者もいました。遠くからなけなしの金をはたいてバスを乗り継いできた患者たちは、泣いたり怒り出したりし、スタッフはその対応にも追われました。

2008年1年間に診療した患者数は、前年の7割近くに落ち込みました。それでも1か月平均で100人以上の人たちの傷が治って、治療を終了していきました。

リーシュマニアの治療 リーシュマニアの症状
リーシュマニアの治療
リーシュマニアの症状
クリニックの患者数

ある青年は14年間リーシュマニア症の傷に悩まされながら、どこに行っても良くならず、塞ぎ込んでいましたが、このクリニックに来て癒され、診察中にも笑顔でスタッフと会話するようになりました。

国際社会の支援に強く依存している国は、国際機関のそれぞれの事情によって支援内容が左右され、結果的にそれにもてあそばされる事となります。それでも自立への意識は薄く、国際社会に依存し続けなければならないことは誠に残念です。

治療の前後 最終的に完治し喜ぶ患者
治療の前後
最終的に完治し喜ぶ患者

2009年のクリニックは、夏ごろから患者が減りました。理由は、薬の入手が困難で患者数を制限したこともありますが、政府のクリニックが、WHOから薬の支援を受けてリーシュマニア・クリニックの診察を開始したことがありました。

2010年に入って、政府のクリニックが少しずつ機能する兆しを見せ始めました。それは、NGO(国際支援団体)の働きが終わっていく兆しでもあり、国が少しは前に進み始めた良い兆候であるように思います。

6)「マラリア・リーシュマニア
クリニック」の閉鎖を決定

『燈台』理事会は、毎年資金不足に悩まされてきました。それに加え、2013年以降アフガニスタンでのテロ事件がカブール市内でも多発するようになり、現地代表の現地での支援活動に危険が急激に増してきました。

この様な事情を考慮し、理事会は、2014年9月をもって「マラリア・リーシュマニア クリニック」を閉鎖することを決定しました。


クリニックの患者数

2014年1月19日の理事会で、カブールの『燈台』クリニックを閉鎖することに決定いたしました。2014年3月、浜田現地代表がアフガニスタンを訪問し、クリニック職員にこのことを伝えました。今年9月末にクリニックを終了いたします。

閉鎖の理由といたしましては、本年度は約1,000万円の赤字でした。貯金していた保有金で事業を継続してきましたが、これ以上の継続は困難と判断したためです。 10年前位から、医療と教育の2つの支援を同時にするのは困難であると考えられ、理事会で討議を続けてきましたが、医療支援については国際開発救援財団が共同支援を申し出て下さり、安定した支援金をいただくことが出来るようになりました。

さらに善意のある方々が驚くほどの大金を献金して下さり、その資金で支援を継続することが出来ました。しかし、現在ジャグリーの学校は人材育成のために始めた中・高一貫校に、政府からの要請により小学生の入学も加わり、現在の生徒数は986人です。アフガニスタンの現状には人材育成は欠くことが出来ない重要な支援ですので、学校の支援を優先し、残念ですが医療支援は今年9月で終了し、教育支援を継続する決定をした次第です。

皆様に長い間支援していただき多くのアフガニスタンの人々の健康に貢献して来ることが出来ました。これは日本の善意の方々の大きな業績と考えており、私たち『燈台』の理事監事は心から感謝いたしております。

1987年4月、『燈台』はパキスタン国クエッタ市で小児のためのクリニックを開設し、アフガン難民の支援活動を開始いたしました。 1995年までに治療した患者数は13万人以上でした。 1995年8月、アフガニスタンの首都カブールにおいて「マラリア・リーシュマニア クリニック」の診療を開始し、タリバン支配の中でも女性中心の医療スタッフの働きは、当時「アフガニスタンの希望の星」といわれました。そして、アメリカ同時多発テロによりアメリカ軍がアフガニスタンのタリバン攻撃の最中も、他のNGOが撤退する中でも『燈台』クリニックは診療範囲を広げて、感染症などの生命に直結する病気の治療にも関わりました。

長年アフガニスタンの人々のために医療支援を続けられたのは、日本の善意の皆様の尊い献金でした。残念ながら、カブールのクリニックを閉鎖する決定をいたしましたが、アフガニスタンを再建するための人材育成を担っているジャグリーの学校の教育支援は継続して行きますので、今後もよろしくご支援をお願いいたします。