『燈台』の歴史

『燈台』の歴史

燈台の歴史

1979年

  • 12月24日、旧ソ連軍がアフガニスタンへ侵攻。その後、550万人ともいわれる世界最大数の難民が隣国パキスタンとイランなどに逃れる

1980年

  • アフガニスタン国力ブールに留学していた中川夫妻は、戦火を逃れるため急遽帰国
  • その後、日本に帰国していた中川夫妻は、アフガンの人々を心配し、リリーフワーカーとしてパキスタンに入り、クエッタ市のアフガン難民の小児の多くの墓を見て、その犠牲を少なくするため、クリニックの開設を決意
  • しかしパキスタン政府は許可を出さず、開設の条件として、日本の医療機関の保証を要求してきたため、その保証を南福音診療所が引き受けることになった

1987年

  • パキスタン国クエッタ市において、中川夫妻はアフガン難民の医師、看護師、検査技師、事務長などの協力を得て、小児のための診療所「ヌール・クリニック」を開院。アフガン難民の医療支援活動を開始
  • 第1回『燈台』理事会を開催(12月)

1988年

  • クリニックの庭にテントを張り、小学生32人で「ヌール難民学校」開校

1989年

  • パキスタン国カラチ市で内科・小児科・歯科のクリニック「ローシャン・クリニック」開院

1990年

  • アフガニスタン国モーリスタン郡でクリニックを開院
  • 外務省より「国際開発協力民問公益団体補助金」を、この年より3年に亘って交付される

1991年

  • 難民学校で中学生の教育を開始
  • 郵政省(当時の名称)「国際ボランティア貯金」より補助を受け、クエッタとカラチの難民学校の運営に充てる

1992年

  • ソ連軍の撒退により、アフガニスタン国は共産主義政権から暫定評議会へ政権が移行

1993年

  • モーリスタン郡のクリニックに女子校を併設

1994年

  • パキスタン国のクエッタ市(ヌール・クリニック)とカラチ市(ローシャン・クリニック)の2つのクリニック及びヌール難民学校を継続

1995年

  • クエッタ市とカラチ市の2つのクリニックを閉鎖。クエッタの「ヌール・クリニック」では、約13万人の子どもたちを無料で診療し救命に尽くした
  • クエッタの「ヌール難民学校」の生徒数は1,300人を超え、初の高校卒業生を送りだす
  • アフガニスタン国首都カブール市において、「マラリア・リーシュマニア クリニック」を開院し、診療を開始

1996年

  • タリバンはアフガニスタン全領土の4分の3を支配したが、カブールにある「マラリア・リーシュマニア クリニック」に対して、イスラム原理主義に従うことを要求

1998年

  • アフガニスタン支援グループ(AGS)第4回会合が日本で開かれ、浜田現地代表が出席

1999年

  • カブールのリーシュマニア年間患者数:6,274人、マラリア患者数:5,957人

2000年

  • 外務省「草の根無償支援」1,300万円を申請

2001年

  • バーミアンの仏像破壊(3月12日)
  • アメリカ同時多発テロ(9月11日)
  • アメリカが、アフガニスタンのタリバンへの攻撃を開始(10月8日)
  • 『燈台』は、新たに発生した難民対し、「アフガン難民緊急援助実施計画〜総額5万ドル、期間6ヶ月」を立て、直ちに援助開始(10月21日)
  • パキスタン国ペシャワール市に、臨時に『燈台』現地事務局を設立し、支援を開始
    • ペシャワール郊外難民キャンプで女医を中心にした移動クリニック運営と新難民への食料・生活物資援助を開始
    • 国際援助組織がカブールを脱出したため、『燈台』のカブール・クリニックに一般救急患者が殺到。そこで緊急医療援助をカブール・クリニックで開始

2002年

  • クエッタ難民学校はカブール大学への受験資格を獲得
  • 日本外務省の「草の根無償支援資金」を得て、3つの移動クリニックを運営

2003年

  • クエッタ難民学校から28人(男性25人、女性3人)がカブール大学を受験、全員合格、医学部3人合格、その内一人の女性がトップ合格、クエッタ難民学校は高い評価を得た
  • 埼玉県知事から特定非営利活動法人(NPO法人)として認証された

2004年

  • 埼玉県から「彩の国国際貢献賞」を受賞
  • アフガニスタン大統領選挙でカルザイ氏が大統領に選出

2005年

  • アフガニスタン国首都のカブール市に、事務所を設置
  • 難民帰還が進み、クエッタ難民学校を縮小。アフガニスタン国ガズニー州ジャグリーで中高校一貫教育を開始
  • ジャグリーの市長より、学校に500m四方の土地を無償で提供された
  • 理事会で「2006年より3年間の計画で中高一貫校の校舎建設」を決定

2006年

  • 第一期学校校舎建設:500万円
  • カブールの「マラリア・リーシュマニア クリニック」は治療薬入手困難の中、治らない他のクリニックの患者も受け入れ、高い評価を受けている

2007年

  • 第二期学校校舎建設::650万円
  • 『燈台』は2007年に設立20年を迎えた
  • 20年間の『燈台』の総収入は401,488,366円、総支出400,296,006円。そのうち助成金は121,680,837円
  • 「(財)国際開発救援財団並びにワールド・ビジョン・ジャパンを支援する会」が主催してチャリティ コンサートを開催。支援金を受ける
  • お茶の水クリスチャンセンターで、「20周年記念:燈台現地活動報告会+ユーオーディア・チャリティ コンサート」が開催され、150人を超える参加者があった
  • 北本市にてチャリティ コンサートを開催

以下に「20周年記念誌」の一部を転載する

謝辞1 謝辞2 謝辞3

2008年

  • 第三期学校校舎建設:予算400万円
  • ジャグリー学校の新校舎が完成(12月)
  • 教室・井戸・グランドを整備し、塀の一部を設置して校庭を確保
  • ジャグリーで一番立派な建物だと現地での評判はたいへん高い
  • 外務省海外安全ホームページにて、アフガニスタン全土からの退避を勧告
  • 「マラリア・リーシュマニア クリニック」では、完治者が毎月100人を超える

2009年

  • ジャグリー学校の外観塗装と教室内装が完了
  • 「国際開発救援財団」より全資金の半分の補助を受け、クリニックの資金不足を補填

2010年

  • 市内に政府の無料クリニックが開設され、国の医療体制が整いはじめた

2011年

  • ジャグリー学校の小学生用の新校舎が完成
  • クリニックは、薬の入手が困難な状況が続く

2012年

  • 『燈台』の支援活動が25周年を迎えた
  • ジャグリー学校の生徒数は、前年3割増の623名に達する
  • 政府の無料クリニックは、リーシュマニア症に関する治療の知識が低い。『燈台』のクリニックは患者からの再評価を受け評判がさらに高まる

2013年

  • 首都カブールでテロ活動が活発化し、都市内にも危険が及ぶ。近年では最悪な状況で1年間に死亡した民間人は、子どもが561人、女性が235人

2014年

  • 資金不足と現地代表への危険度が増したため、2014年9月にクリニックの閉鎖を決定
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