TKOPEACENEWS
 3面 NO.52/05.2.17発行

狭山東京実行委員会第10回総会

・総評会館2F会議室
・2004年12月24日

(1)弁護団は事実調べと証拠開示求めて精力的に活動
 2002年1月23日、東京高等裁判所第5刑事部・高橋省吾裁判長は、狭山事件の異議申し立てに対して不当な「棄却決定」を出しました。
   この間、狭山弁護団は決定的な意味をもつ「斉藤指紋鑑定」などの新たな証拠を提出し、1999年の高木決定や現判決の誤りを立証してきました。また、東京高等検察庁に対して不当な証拠隠しをやめるよう強く要請してきました。
 しかし、高橋裁判長は、これらを一切無視し、十分な証拠調べも、検察に対する証拠開示命令も行なうことなく、棄却決定を強行したのです。このような決定はありません。私たちは「高橋決定」を糾弾するとともに、真実が認められるまで徹底的に闘うことを決意し、最高裁の闘いに入りました。
 狭山弁護団は本年10月末、特別抗告申立書を補充書・鑑定書を最高裁に提出しました。この補充書において弁護団は、斉藤鑑定などこれまでに提出してきた数々の新証拠を補強するとともに、石川さんの自白が捜査官による誘導と「拷問的取り調べ」の結果引き出された事実を指摘し、新証拠の事実調べと現判決の破棄をつよく求めました。また、検察が石川さんの無実の証拠を隠していることについて「日本の司法への国際的信頼回復のためにも、ぜひ証拠開示命令を出してほしい」と訴えました。
(2)反動の流れ強める最近の司法
 今年に入ってから、「袴田事件」の再審請求が棄却され、京都の「アジ化ナトリウム事件」では逆転有罪判決が出るなど、再審裁判・えん罪事件をめぐる情勢は厳しいものがあります。いわゆる司法制度改革においても、多くの人々が「証拠開示の義務化」を強く求めたにもかかわらず、完全な実現には至っていません。
 このような中で狭山事件においても、露骨な反動攻勢が強まっています。2002年政府は、最高裁て狭山事件を担当する第1小法定の裁判官人事において、当時現職の東京高検検事長であった甲斐中判事を任命しました。また検察は、隠し持つ狭山事件の証拠について、国内はもとより国際社会からの強い批判にも関わらず、かたくなに開示しようとしません。
 証拠を隠し、そのうえ直前まで有罪立証をしていた検察官が裁判官になって、いったいどんな事件で無実が証明できるのでしょうか。もともと日本の最高裁は「高裁の決定が、手続き上憲法に違反していたかどうか」だけしか審理してきませんでした。裁判所の手続きが憲法違反であることなどないのが当たり前であって、こんな審理で高裁の過ちが正されることなど期待できません。こんな司法状況で、どうして「日本では公平な裁判が保証されている民主社会だ」などといえるでしょうか。
 あきらかに市民常識に反するこのような司法の反動性、不公平性をいまこそ根底から変えなければ、狭山の勝利はありえません。私たちは具体的な狭山再審闘争を通じて、司法反動を打ち破り、司法の民主化を求める闘いをおこなっていきます。

 私たちは、1995年に狭山東京実行委員会を結成して以来、都内の闘うなかまたちとともに全力で再審を求める闘いを東京の地で展開してきました。
(1)狭山東京実行委員会の結成の経緯と、幅広い共同闘争の進展
 1993年から95年までの3年間、毎年2月7日に「狭山事件の再審を求める東京集会」が、部落解放同盟東京都連合会、平和・民主主義東京労働組合会議、東京平和運動センター3者の呼びかけで、幅広い実行委員会によって取り組まれてきました。この間、集会実行委員会では、集会だけでなく、毎回ビラまき街頭宣伝行動をおこなったほか、再審を求める団体署名の活動、そして集会決議と団体署名を提出する高裁への要請行動なども取り組んできました。こうした活動の中で、集会参加者も毎回増加し、署名も2,000を越える数を集めることができました。
 実行委員会への参加も、最初の年の19団体から、2年目には29団体、そして3年目95年は39団体に増え、その内実も部落解放同盟、労働組合などだけではなく、多くの宗教団体、民主団体・解放運動体にまで広がってきました。またこの実行委員会への参加をきっかけに、「同和問題」に取り組む宗教教団東京地区連帯会議(東京同宗連)も結成されました。
 95年2月7日の「狭山事件の再審を求める東京集会」(95.2・7狭山東京集会)の総括会議の中で、こうした3年間の活動の積み上げをあらためて確認しました。また、石川さんが仮出獄して棄却策動も一定後退させることができたこと、しかし一方で新証拠の「事実調べ」がおこなわれておらず、依然裁判の状況は緊張を要することなどもあわせて確認しました。そして、こうした新しい段階に入った闘いに対応して、東京でも恒常的な取り組みの体制をつくって行くことが了承されました。こうして集会実行委員会を解散せずに、狭山東京実行委員会として発展継承することになったのです。(参加団体は40団体です)
(2)4万人署名の達成と、のべ10,000団体をこえる団体署名の獲得
「事実調べを求める新100万人署名」は、当初部落解放中央共闘会議から東京に割り当てのあった20,000人をはるかにこえる46,000人を集めることに成功しました。また、毎年2・7東京集会にむけて取り組んできた「再審開始を求める団体署名」「全証拠開示を求める団体署名」も、結成以来の9年間でのべ10,000団体をこえる数となっています。これらの署名はいずれも狭山東京実行委員会として取り組んできたものです。狭山東京実行委員会の繰り広げてきた幅広い共同闘争がこうした成果をあげてきたことをここでも確認できます。
(3)全国・関東のなかまと連携した闘い
 部落解放中央共闘会議や部落解放同盟中央本部が主催する全国的な取り組みにも狭山東京実行委員会として積極的に取り組んできました。また、解放同盟関東ブロックの呼びかけをうけて結成された部落解放共闘関東ブロック連絡会議(解放共闘関東ブロック)にもオブとして参加していきます。こうした活動によって、各地のなかまとの連係が強化されてきました。
(4)2004年の狭山東京実行委員会の取り組み
 2004年2月9日、「狭山事件の再審を求める東京集会」を千代田区公会堂において取り組みました。集会には各団体から500人が参加し、特別抗告審に全力で取り組むことを確認しました。
 またこの集会では、焦点となっている斉藤鑑定について、斉藤保鑑定人自身をお招して詳しく報告していただきました。斉藤さんは豊富な経験と、科学的鑑定結果から、「事実調べさえしてくれれば真実は明らかになる」「石川さんは犯人ではない」と訴えられました。
 集会に向けて実行委員会として最高裁・最高検に再審開始と全証拠開示を求めて団体署名の活動をおこないました。今年は直接最高裁・最高検への提出活動は取り組めませんでしたが、最高裁宛571通、最高検559通の団体署名を集約し、それぞれ当該庁に郵送提出しました。
 この他、5月25日の「石川一雄不当逮捕41カ年糾弾!狭山再審要求!特別抗告審闘争勝利!中央総決起集会」(日比谷野音)、10月29日の「寺尾差別判決30カ年糾弾!狭山再審要求!特別抗告審闘争勝利!中央総決起集会」(日比谷野音)に参加しました。
 また、東京の青年による狭山再審を求める共同の取り組みが3年目を迎え、引き続き自主的に取り組まれています。狭山東京実行委員会し今後も、この自主的な取り組みを支持・支援していきます。
 実行委員会は現在、2005年2月9日の「狭山事件の再審を求める東京集会」にむけて準備を進めています。

 司法反動の流れに抗し、狭山事件の事実調べと「原決定破棄、東京高裁への差し戻し」を求めて取り組みを強めて行かなくてはなりません。また、誰がどう考えてもおかしい「証拠隠し」をやめさせなくてはなりません。狭山東京実行委員会は、当面2月9日の集会にむけた取り組みを進め、その中で同時に最高裁、最高検にたいしてはたらきかけをおこなっていきます。
  具体的には、今後の実行委員会の活動を次のように推進していきます。
 (1)2005年2月9日の東京集会を全力で取り組みます。
 (2)最高裁に「原決定破棄、東京高裁への差し戻し」を求める団体署名、最高検に「全証拠開示」を求める団体署名を取り組みます。
 (3)特別抗告審について何らかの「決定」が出されたときは、緊急行動を取り組みます。
 (4)石川さんが逮捕された日に毎年全国闘争として取り組まれる「5・23中央集会」、東京高裁で「確定判決」が出された日におこなわれている「10・31中央集会」など中央・関東レベルの取り組みへの、各団体からの積極的な参加を呼びかけます。
 (5)関東各地の部落解放地方共闘によって結成された部落解放関東ブロック共闘連絡会議に、当面オブとして参加し、中央・関東各地の運動との連絡と情報交換を進めます。
 また、実行委員会の会議は、これまでとおり各集会・取り組みの1カ月前をめどにひらきます。引き続き実行委員会の拡大に向けて、まだ参加していない各団体に参加呼びかけをおこないます。


 議 長  遠藤 幹夫(平和センター議長・自治労東京都本部委員長)
 副議長  江口 貫正(東京同宗連議長)
  〃   花輪不二夫(社民党東京都民運動局長)
  〃   福田 耕作(解放同盟都連委員長)
 事務局長 森本 一雄(平和センター事務局長)
 事務局次長 飯塚 康浩(解放同盟都連政治共闘部長)
 幹  事 加盟各団体から一名

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