TKOPEACENEWS
 2面 NO.47/04.7.30発行


特集 反原発の闘い 1



原子力資料情報室
西 尾  漠



◆プルサーマル計画のゆくえ

 東京電力の不正が発覚し、同電力および電力会社を助けるだけの行政に、不信感は大きく募りました。結果として、1999年から福島第一原発3号炉と高浜4号炉で、2000年から柏崎刈羽原発3号炉と高浜3号炉で実施が計画されていたプルサーマルは、2002年にも実現することなく、頓挫しました。
 プルトニウム利用の中心はいま、プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料をふつうの原発で燃やす「プルサーマル」に移っています。このプルサーマル計画こそ、核燃料サイクル路線の行き詰まりの産物であり、プルトニウムがやっかいなごみであることの象徴に他なりません。
 プルトニウム利用の“本命”であった高速増殖炉の開発は、世界のどの国でも頓挫し、余剰プルトニウムを焼却処分するために高速炉を用いる方向への転換が行われました。高速増殖炉は本来プルトニウムを増やす原子炉ですが、その前に、運転を開始するための燃料としてプルトニウムを必要とします。高速増殖炉の開発計画が次々と中止されたり延期されたりするようになって、燃料に使われるはずだったプルトニウムが余ってしまっているのです。プルトニウムは、核兵器の材料であり、また、きわめて放射能毒性が高いために、余ったらためておけばよいというわけにはいきません。
 フランスでは、高速増殖炉「スーパーフェニックス」を、プルトニウム増殖用から焼却用に変更することになりました。日本の「もんじゅ」も、増殖の性能が確認された後は、焼却用に変えることが表明されていました。ところが、その「スーパーフェニックス」も「もんじゅ」も事故のために閉鎖に追い込まれたり、長期の運転停止を強いられたりして、高速炉でプルトニウムを減らす計画まで潰れてしまったのです。 
 「もんじゅ」の運転を再開しようと、2001年6月6日、核燃料サイクル開発機構は、同炉の改造のための設置変更許可を経済産業相に申請しました。2002年5月には経済産業省による第一次の安全審査をパスし、同月8日、原子力安全委員会に第二次審査が諮問されました。とはいえ、メンツのためだけに再開を強行したところで、以後の高速増殖炉開発計画はすでに白紙に戻ってしまっています。
 余ったプルトニウムは、とうとう普通の原発で燃やすしかなくなりました。それが、プルサーマル計画です。政府や電力会社は、ふつうの原発でも燃料の中に生まれたプルトニウムの一部は燃えているのだから問題はない、といいます。しかし、はじめから燃料として燃やすのとではプルトニウムの量もばらつきの度合いもケタ違いに違います。当然、危険性が大きくなります。
そうした懸念や燃料製造にかかわるデーター捏造で、プルサーマル計画には「待った」がかかっていました。そして東京電力の不正事件によって、さらに実現は遠のいたのです。

事前了解白紙撤回
 地元自治体が与えていたプルサーマル計画の事前了解の白紙撤回に向けて真っ先に動いたのが、それまでむしろ積極的に計画の実施を訴えてきた福島県大熊町の議員たちだったことは興味深いものがあります。2002年9月2日、同議会は全員協議会で全会一致により事前了解の白紙撤回を求めたのです。プルサーマル計画に慎重な姿勢を示していた福島県知事が県議会で白紙撤回の意向を正式に表明するのは9月26日のこと。県議会は10月11日、プルサーマル計画を実施しないことを国に求める意見書を採択しました。
 新潟県では、前年の2001年5月27日に行われた刈羽村の村民投票でプルサーマル反対が過半数を占めた結果を守ろうとする住民と、これをひっくり返そうとする国・東京電力や自治体首長との攻防が、一年くらいから活発化していました。6月1日から2日にかけて、柏崎市で「住民投票一周年プルサーマル中止を求める全国集会」が開かれました。刈羽村長、柏崎市長は相次いでベルギーのベルゴニュークリア社を訪問し、燃料製造に問題はなかったと帰国報告をしました。そして、住民投票後の村民の意識変化をみるとして、刈羽村長が村民との「対話集会」を続けていた最終日の8月29日に、東京電力の不正が発覚したのです。
 辞任に追い込まれた同電力の榎本聡明副社長・原子力開発本部長は、地元自治体のゴーサイン前に不正の発表をする必要があった、と原子力業界の仲間内の座談会で舞台裏を語っています。東京電力ではむしろ、地元自治体がプルサーマル実施に動くのを何として止めなくてはならなったのです。8月22日に福島第一の3号炉で制御棒駆動系、翌23日に柏崎刈羽3号炉でシュラウドに損傷、とプルサーマル予定炉のトラブルが相次いで発表されたのも、偶然とは信じられません。
 不正発覚をうけて柏崎市議会が9月6日、刈羽村議会が11日に事前了解の撤回を求める決議。翌12日、新潟県知事・柏崎市長・刈羽村長が会談して了解取り消しで合意、それぞれが東京電力に取り消しを文書で通知しました。
 福島県知事の白紙撤回の正式表明は9月26日でしたが、それに先立つ19日に、知事を会長とする福島県エネルギー政策検討会の「中間とりまとめ」が発表されました。核燃料サイクル政策の見直しを強く求めるものです。発表後の記者会見で知事は、事前了解は誤りだったと反省し、「了解を撤回した新潟県以上」と心情を吐露していました。
 なお、品質管理データの不正が見つかっていた関西電力高浜4号の燃料は、7月4日、イギリスの核燃料公社BNFLに返品のため、同原発の専用港を出港しました。

行き詰まる核燃料サイクル
 原子炉で燃やされる核燃料は、ながい工程を経て作られています。この工程と、あと始末の工程を合わせて「核燃料サイクル」と呼びます。核燃料サイクルは、ウラン鉱石を掘るところから始まります。鉱石を精練して取り出された8酸化3ウランというウラン酸化物は、黄色い粉末なので「イエローケーキ」と呼ばれています。日本の原発でつかっているウランは100%輸入で、カナダやオーストラリア、ナミビア、南アフリカなどで採掘されています。
 精練で取り出された天然のウランの中には、原子炉で燃えるウランと燃えないウランがあり、ウラン−235と名づけられている燃えるウランは、わずか0.7%です。この燃えるウランの割合を3〜5%にまで高めて、燃料にします。燃えるウランの割合を高めるのが、すなわち濃縮です。
 濃縮しやすいように、いったん6フッ化ウランに転換します。この状態で濃縮をおこないます。濃縮工場は、日本では青森県六か所村に、徐々に施設を増やし濃縮能力を増やしていくやり方でつくられています。とはいえ、それが計画通りに完成しても、せいぜい原発数基分で、大部分は、今もこれからも濃縮されたものを輸入することになります。いま日本の原発で使われている核燃料用ウランは、主にアメリカ、それにフランスで濃縮されたものです。
 濃縮のあと6フッ化ウランを、今度は2酸化ウランという酸化物に変えます。これを再転換と呼びます。JCOと三菱原子燃料が、茨城県東海村に工場をもっていましたが、JCOは1999年9月の臨界事故のため、事業許可を取り消されました。海外から濃縮ウランを輸入する場合は、6フッ化ウランの形で国内の再転換工場に運ぶか、再転換済みの2酸化ウランを核燃料成型工場に直接に運び込むことになります。
 成型工場では、2酸化ウランを小さな円筒形のペレットに焼き固め、金属のさやの中に詰めます。この燃料棒をたばねた燃料集合体が、核燃料の完成品です。成型加工工場は、茨城県東海村、神奈川県横須賀市、大阪市熊取町にあります。それらの工場から核燃料が各原発に運ばれます。海外から燃料集合体を輸入するケースもあります。

六か所再処理工場を止めよう!
 ここまでを、核燃料サイクルの「上流」と言います。原子炉で燃やされたあとが「下流」です。上流で発生したもの、原発や下流の工程自身で発生したものをふくめた放射能のごみのあと始末が、下流の大きな仕事です。やがては、原発も核燃料サイクル施設も寿命が尽きて廃炉・廃施設となり、そのあと始末もしなくてはなりません。
 下流には、二つのちがった流れがあります。原子炉で燃やされた後の使用済み燃料をそのままごみにするか、再処理するか、です。
 使用済み燃料の中には、燃料としてまたつかえるウランの燃え残りと、新しく生まれたプルトニウムの燃え残りがふくまれています。このプルトニウムとウランを取り出すのが再処理で、取り出したあとの廃液はガラスと混ぜて容器に固め、高レベルの放射能廃棄物として捨てられることになります。世界的には再処理せず、使用済み燃料をそのまま高レベルの放射能廃棄物とするほうが主流ですが、日本では、再処理を行う流れのほうが選ばれています。
 現実にはプルトニウムがたまって固まっているのですから、再処理する必要はまったくないのです。再処理をつづける限り、プルトニウムはたまりつづけます。しかも、再処理を行うことは、放射性廃棄物の種類を増やし量を増やし、それらの処理、輸送、一時貯蔵、最終処分と、あと始末をいっそう面倒にするーということがわかって、アメリカ、スェーデン、ドイツ、スイスと、再処理から手を引く国がつづいています。
 そんななかで日本ひとり、経済性さえ無視して再処理ープルトニウム利用にしがみついています。再処理をやめてこそ、日本の核疑惑は解消されるのに、それをやめないのでは、日本を見つめる世界の目が厳しいものとなるのも当然でしょう。
 青森県六ヶ所村では、大型の商業用再処理工場を、2005年7月の完成予定で建設中です。同工場の総事業費は、2002年3月には10兆円と報じられ、2003年5月の報道では16兆円にふくれあがりました。それも、設備利用率100%で40年間稼働という非現実的な仮定の上のことです。とても経済的に成り立つものではありません。電力会社も逃げ出したい、事業者の日本原燃も放り出したいにもかかわらず、国も電力会社も日本原燃も誰も責任をとれる者がないという情けない理由から、建設が続行されています。このままでは、少しでもコストを下げるためとして、いっそう乱暴な建設・無理な運転が懸念されます。ウランを使った試験を初め、放射能で汚される前に止めることが必要意です。

◆使用済み燃料の「中間貯蔵」
 再処理をしてウランの燃え残りとプルトニウムを利用しようとすれば、ウランを再び濃縮し、そのウランやプルトニウムを燃料に加工し、原子炉で燃やしてまた再処理し……と、サイクルはつづいていくわけですが、現実には、前述のようにプルトニウム利用は完全につまずいています。
 そこで、使用済み燃料を再処理するという基本政策の済し崩し的な変更である使用済み燃料の「中間貯蔵」が、2000年12月18日、東京電力から青森県むつ市への立地可能性調査の正式申し入れで具体的に動き出しました。2003年4月3日に東京電力は調査の最終報告をむつ市に提出し、同11日には施設建設の構想を発表しています。それによれば、複数の電力会社の出資による新会社を設立、まず約3,000トンを貯蔵する施設を建設、つづいて同規模の施設を増設するといいます。
 むつ市は7月23日、東京電力に正式に立地要請を行いました。住民投票できめよう、と市民が直接請求の署名活動をしている最中です。
 なお2002年12月26日には、福井県小浜市議有志による政策研究会が、「中間」貯蔵施設の誘致を「市政活性化の有効な手段の一つ」とする報告書をまとめています。2003年7月18日には市議会に原子力問題対策委員会を設置することが決められました。また、和歌山県御坊市で2003年3月3日、市議会議長が施設誘致のための調査・研究を提案しました。
 議会では勉強会の設置を見送りましたが、火種はくすぶったままです。

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