TKOPEACENEWS
  1面 NO.23/01.12.18発行

狭山東京実行委員会第7回総会報告

・2001年12月4日
・総評会館2F会議室

写真▲「斉藤指紋鑑定」は無罪確信すると石川一雄さん

1.大づめを迎える異議申立審
(1)不当な棄却決定から2年、新たな決定が近い緊迫した状況に

 1999年7月8日に東京高等裁判所刑事第4部(高木俊夫裁判長)が、狭山事件の再審請求に対して不当な「棄却決定」を出してから、すでに2年が経過しています。
 この間、狭山弁護団は「斉藤指紋鑑定」などの新たな有力な証拠を提出し、高木決定や原判決の誤りを立証してきました。また、東京高等検察庁に対して不当な証拠隠しをやめるよう強く要請してきました。こうした中で東京高等裁判所刑事第5部(高橋省吾裁判長)は、いよいよ異議申立に対する最終的な検討に入った模様です。狭山弁護団も一連の立証活動に区切りをつけ、「事実調べ開始」もしくは「再審開始」の決定をだすよう求めています。

(2)有罪認定の矛盾を明白にする客観的新証拠
 この間、狭山弁護団が提出してきた新証拠は、確定判決や高木決定の有罪認定のあやまりを客観的に立証したものです。
 特に4次にわたって提出した「斉藤指紋鑑定」は決定的な意味をもちます。斉藤鑑定は、@「自白」通りに脅迫状を作成した場合、脅迫状や封筒に石川さんの指紋が付着するはずであるのに、実物から石川さんの指紋がまったく検出されていない。A脅迫状封筒の「あて名」が、石川さんが「犯行前に入手不可能」だったはずの万年筆もしくはペンによって書かれていることが判明した。B脅迫状封筒などから「消された文字」が発見されたが「自白」にはまったくそんなことは出てこない、ということを明らかにしました。
 脅迫状については、主に筆跡の面から、これまでも石川さんが書いたものではない事実が立証されてきましたが、今回の斉藤鑑定によって、石川さんと脅迫状のつながりが客観的に断たれたことになります。
 狭山事件の「容疑者」として石川さんが逮捕されたのは、「脅迫状を石川さんが書いた」との疑いをもたれたからです。「自白」も脅迫状を書いた事実からスタートしています。また、狭山事件において真犯人とつながる明確な物証は、結局脅迫状以外に存在しません。こうしたことから歴代の裁判官は、「石川さんが脅迫状を書いた」ということを最大の根拠にして有罪認定を維持してきました。
 有罪認定の基礎は、大きく揺らいでいるといえます。

(3)検察庁は、依然証拠隠しを続けている
 東京高等検察庁は、事件発生から38年だった今日も、狭山事件の多くの証拠を裁判所にも提出せずに隠し持っています。これらの証拠には、@確定判決が「犯行現場」と認定している雑木林の血痕反応検査報告書、A真犯人が現れた畑から収集された足跡の写真、B証拠全体のリストなど、開示されていないこと自体に驚かざるを得ない重要証拠が多数含まれます。日本の検察が狭山事件について取っているこの不当な態度については、国際人権規約委員会も問題し、正式な改善勧告をおこなっていますが、依然検察庁は「証拠の開示はできない」と主張しています。
「すべての証拠を法廷に」は、刑事裁判の基本原則です。公正な裁判を保障するために最低限守られなければならないことです。ところが狭山事件では、この原則が守られていません。その上で有罪判決が出され、再審請求が何度も棄却されているのです。
 私たちは、今後もこうした検察の不当な姿勢を内外にアピールし、証拠の開示を強く求めていかなくてはなりません。

2.これまでの狭山東京実行委員会の取組み
(1)狭山東京実行委員会の結成の経緯と、幅広い共同闘争の進展

 私たちは、1995年に東京実行委員会を結成していらい、都内の闘う仲間たちとともに全力で再審を求める闘いを東京の地で展開してきました。
 1993年から95年までの3年間、毎年2月7日に「狭山事件の再審を求める東京集会」が、部落解放同盟東京都連合会、東京労組会議、東京平和運動センターの3者の呼びかけで、はば広い集会実行委員会によって取り組まれてきました。この間集会実行委員会では、集会だけではなく、毎回ビラまき街頭宣伝行動をおこなったほか、再審を求める団体署名の活動、そして集会決議と団体署名を提出する高裁への要請行動なども取り組んできました。こうした活動の中で、集会参加者も毎回増加し、署名も2,000を越える数を集めることができました。
 東京実行委員会への参加も、最初の年の19団体から、2年目には29団体、そして3年目となった95年は39団体に増え、その内実も部落解放同盟、労働組合などだけでなく、多くの宗教団体、民主団体・解放運動体にまで広がってきました。またこの実行委員会への参加をきっかけに、「同和問題」に取り組む宗教団体東京地区連帯会議(東京同宗連)も結成されました。
 95年2月7日の「狭山事件の再審を求める東京集会」の総括会議の中で、こうした3年間の活動の積み上げをあらためて確認しました。また、石川さんが仮出獄して棄却策動も一定後退させることができたこと、しかし一方で新証拠の「事実調べ」がおこなわれておらず、依然裁判の状況は緊張を要することなどもあわせて確認しました。こうした新しい段階に入った闘いに対応して、東京でも恒常的な取れ組みの体制を作っていくことが了承されました。こうして集会実行委員会を解散せずに、狭山東京実行委員会として発展継承することになったのです。(参加団体は、11/30現在42団体)

(2)4万人署名の達成と、のべ10,000団体をこえる団体署名の獲得
「事実調べを求める新100万人署名」は、当初部落解放中央共闘会議から東京に割り当てのあった20,000人をはるかに越える46,000人分を集めることに成功しました。また、毎年2・7東京集会に向けて取り組んできた「再審開始を求める団体署名」「全証拠開示を求める団体署名」も、結成以来7年間で延べ10,000団体をこえる数となっています。これらの署名はいずれも狭山東京実行委員会として取り組んできたものです。狭山東京実行委員会の繰り広げてきた幅広い共同闘争がこうした成果をあげてきたことをここでも確認できます。

(3)全国・関東のなかまと連携した闘い
 部落解放中央共闘会議や部落解放同盟中央本部が主催する全国的な取り組みにも狭山東京実行委員会として積極的に取り組んできました。また、解放同盟関東ブロックの呼びかけをうけて結成された部落解放共闘関東ブロック連絡会議にもオブとして参加しています。こうした活動によって各地のなかまとの連携が強化されてきました。

(4)異議審以降の狭山東京実行委員会の取り組み
 私たちは、不当な棄却決定をうけた1999年の総会において、これまでの取り組みの成果と問題点を確認し、異議審の取り組みを次のような視点で行っていくことを確認しました。
 @中期的な展望を持って、地道に闘う体制を作っていこう。
 A成果のみえる、達成感の共有できる取り組みを積み上げよう。
 B新しい取り組み、東京の特色ある狭山の闘いをつくり出そう。
 そして、毎年の2・7狭山東京集会や各種の取り組みをおこなってきました。2001年は、2月2日の街頭宣伝行動(JR有楽町駅)から活動を始めました。2月9日に「狭山事件の再審を求める東京集会」(千代田公会堂)を開きました。集会には各団体から500人が参加し、評論家の佐藤一さん から、「松川事件の体験から、証拠開示の重要性」と題する貴重な講演をうけました。集会終了後の3月28日、実行委員会として東京高裁と東京高検に再審開始と全証拠開示を求めて要請行動をおこないました。このとき高裁あて913通、高検あて907通の団体署名を提出しました。
 この他、5月23日の「石川一雄不当逮捕38カ年糾弾!狭山再審要求!異議審闘争勝利!中央総決起集会」(日比谷野音)、7月9日「狭山事件の再審棄却2カ年に抗議し、再審開始を求める緊急集会」(星陵会館)に、10月31日には「寺尾差別判決27カ年糾弾!狭山再審要求!異議審闘争勝利!中央総決起集会」(日比谷野音)に参加しました。
 10月25日〜30日には、解放同盟関東ブロックの青年による狭山キャラバン行動が取り組まれましたが、30日には狭山東京実行委員会主催の青年交流集会(日本染色会館)をおこない30人の青年が参加しました。参加した青年からは「東京でも青年レベルの狭山共同闘争を作りたい」といった意見も出されるなど、大変有意義な取組でした。
 そして現在、2002年2月6日の「狭山事件の再審を求める東京集会」(千代田公会堂)に向けて準備を進めています。

3.2002年の実行委員会の活動
 異議審が最終段階を迎えている中、私たちは2002年の闘いを次のように行っていきます。
 @2002年2月6日の東京集会を全力でとり組みます。
 A東京高裁・高検への働きかけ、マスコミなどへの働きかけなどを実行委員会として取り組みます。
 B異議審について何らかの「決定」が出されたときは、緊急行動を取り組みます。
 C石川さんが逮捕された日に毎年中央闘争として取り組まれる「5・23中央集会」、「高木棄却決定」が出された日に取り組まれる「7・8集会」、東京高裁で「確定判決」がだされた日に行われる「10・31中央集会」など中央・関東レベルの取り組みに、実行委員会の各団体から積極的に参加してもらえるよう呼びかけます。また、東京高裁・高検に要請行動がおこなわれるときには実行委員会で分担して参加します。
 D関東各地の部落開放地方共闘によって結成さた部落開放関東ブロック共闘連絡会議に、当面オブとして参加し、中央・関東各地の運動との連絡と情報交換を進めます。
   また、実行委員会の会議は、これまで通り各集会・取り組みの1カ月前をめどに開きます。
   引き続き実行委員会の拡大に向けて、まだ参加していない各団体に参加をよびかけます。

4.狭山東京実行委員会の役員選出は以下のとおりに決定されました。
◎議 長
  本郷 真一
  (東京平和運動センター議長)
◎副議長
  花輪不二男
  (社民党東京都民運動局長)
  大室 了晧
  (東京同宗連議長)
  石居 秀夫
  (部落開放同盟都連委員長)
◎事務局長
  森本 一雄
  (東京平和運動センター事務局長)
◎事務局次長
  飯塚 康浩
  (部落解放同盟都連政治共闘部長)
◎幹 事
  各団体より1名

▲ 本郷議長と握手をかわす石川さん

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