TKOPEACENEWS
 1面 NO.146 2016.5.30

復帰44年 第39回5.15平和行進
行進に延べ4500人
県民集会に2500人
東京・三多摩平和運動センターから78名参加

 「復帰44年 第39回5.15平和行進」が5月13日朝、東、西、南各コースにわかれて出発式を行い、3日間の平和行進が始まり、県内各地を行進してきた各コースの平和行進団は、最終日の15日新都心公園(那覇市内)で一同に会し、「復帰44年 5・15平和とくらしを守る県民大会」を行なわれ2500人が参加しました。集会では、米軍基地強化に反対し、日米地位協定の抜本的改定、脱原発社会の実現、戦争法制の廃止と憲法改悪を阻止するため闘い抜くことを基調とする大会宣言を全体で確認し、3日間の平和行進(のべ参加者4500人)の締めくくりを行いました。
 東京平和運動センターは、14日に沖縄に入り、南部戦跡をめぐり、15日に南部コースに合流、奥武山公園から新都心公園まで約6キロを行進、「復帰44年 5・15平和とくらしを守る県民大会」に参加しました。
 翌16日は早朝、那覇を出発しキャンプシュワブ前の「辺野古新基地建設阻止」行動に参加、途中から豪雨となる中、最後まで参加者全員で行動し帰京しました。

南部戦跡をめぐる(14日)
 東京平和運動センターは、昨年から沖縄バス労働組合の協力を得て、沖縄バスをチャーター。初日には、労組執行委員でガイドの宮平るり子さんの案内をいただきました。戦跡に思いを込め想像することの意義、沖縄の人々の戦争を忘れぬ思いと反戦の意思を強く訴えられました。


平和行進・県民集会に参加(15日)

 朝9時から那覇市・奥武山公園で開かれる、南コース最終日出発式に参加。すでに2日間の行進に参加してきた皆さんの真っ黒(真っ赤)な姿に圧倒されつつ隊に加わる。沖縄平和運動センターの山城議長が全行程を歩き続けてあいさつ。病と闘ってきたことを忘れさせる元気な様子で、この日も行進の先頭に立った。
 県民集会が開催されたのは、1987年に全面返還された米軍牧港住宅地区の跡地に造成され、2001年に開園した、那覇市新都心公園である。まさに、基地のない平和な沖縄の在り方を指し示す新都心の象徴である。行進の疲れをいやしつつ、県民集会で語られる、「基地はいらない」を実感する。

新基地建設反対!キャンプシュワブ前行動
(16日)
 最終日となる16日は、ホテル前8時出発。沖縄バスの運転手は初日と同じ平良さん。「昨日は平和行進に宮平さんたちと参加でした」と明るい声。一気に、辺野古へとバスは向かう。
 キャンプシュワブ前には、すでに100人近い人々が集まっている。陣頭指揮をとる山城議長が、「東京の皆さんが駆け付けました」とマイクで紹介。東京平和運動センターから佐藤議長、三多摩からも田中議長がそれぞれ連帯と決意表明を行った。その後集会参加者全員でゲート前に結集。「新基地建設反対」のシュプレヒコールとデモ、「座りめここへ」を歌って気勢を上げた。3日間の密度の濃い行動を終えた。

◆沖縄平和行進に参加して
「現地の声を聴き、自分の目で見て基地問題の今後について考える」

   新宿区職労 今村 裕太

 私は今回、5.15平和行進に申し込んだのは、沖縄の歴史や基地問題について興味はあったものの、知識もなく、学ぶ機会もなかったため、直接自分の目で見て勉強したいという思いで申し込みをした。そして、沖縄の平和行進に参加し、いかに自分が沖縄の歴史や基地問題について、何も知らずに生きてきたかということを痛感した。
 初日はひめゆりの塔、魂魄の塔、米須海岸、平和祈念資料館を見学した。道中はバスガイドさんが、自身の祖父の戦争体験の話を生々しく語ってくれ、暗い気持ちになったものの、そのような事実があったことに驚愕した。平和祈念資料館では、当時の写真等もあり、若くして亡くなった人々の写真を見て、正直目をそらしたくなるような写真も多々あったが、戦争の恐ろしさを想像でき、繰り返してはならないということを感じた。しかし、この資料館で見た写真や資料に書かれていることは紛れもない事実であり、正確な情報として、この沖縄で何が起きたのかということを知れたことは、自分の中で大きな収穫となった。
 2日目の午前は、奥武山運動公園から新都心公園まで、平和行進を行った。先導者の「辺野古への基地移設反対。」、「オスプレイを撤去せよ。」、「基地の爆音を止めろ。」、「命どぅ宝。」などとシュプレヒコールを上げ、強い熱意を感じた。また、沿道から、手を振ってくれて応援してくれる人々や応援の声をかけてくれる人もおり、温かい気持ちになった。しかし、右翼団体の車による大音量での妨害もあり、良くも悪くも、現地の方々の、基地問題に対する関心の高さが伺えた。そのとき感じたことは、いろんな考え方や価値観がある中で、大切なことは自分の考えを持ち、この問題について自分はどう考えているかという意見を持つことだと感じた。そのためには、自分は勉強不足であり、今後、勉強していく必要があると実感した。
 2日目の午後は自由行動であり、レンタカーで沖縄を回り、沖縄の魅力を存分に感じた。沖縄は美しい自然に囲まれ、中でも世界遺産にも登録されている斎場御嶽は一見の価値があると感じた。
 3日目はキャンプシュワブ前でメッセージボードを掲げての抗議活動、座り込みを行った。反対活動をする人たちの熱意は非常に強く、熱い思いを感じた。印象に残ったのは、この問題は沖縄だけの問題ではなく、日本全体の問題であるということであった。現在の沖縄の基地問題を知り、平和について考えることは、現地の人だけでなく、東京で暮らす人でも決して他人事だと思わず、日本人として考える必要があることだと感じた。そして、今後の基地問題の解決における方向性を考えるにあたって、日本全体で考えていく必要があると感じた。
 今回の平和行進の全行程を終え、感じたこととしては、現代はインターネットやメディアなど、情報が溢れているが、その中から、いかに正確な情報を自分で判断し、自分の軸となる考えを持って生きていけるかということだと感じた。平和祈念資料館にせよ、平和行進にせよ、実際に目で見て、参加することで感じることが多くあった。また、現地の人の声を直接聴くということは現地でしかできないことでもあるため、本当に貴重な経験であった。今回得た物は、今後の自分の財産となるであろうと感じた。また、沖縄の海は透明で青く、木々や動物など、沖縄にしか存在しない生き物も多くおり、見ていて気持ちのいいものであった。また、今回関わってくれた人々も温かい人ばかりであり、素晴らしい場所だと感じ、またいつか来たいと感じた。しかし、その背後の歴史には辛いものがあったということを忘れてはならないと思った。沖縄に興味はあるが、なかなか行く機会もなく、何かきっかけがあればと思っている人は、ぜひ参加して、自分の目で見ていただけたら、必ず良い経験になると思う。



2016年5月20日
沖縄での相次ぐ米軍関係者の
凶悪事件に対する抗議声明

フォーラム平和・人権・環境
代表 藤本 泰成

 またも、沖縄県内で米軍関係者による凶悪事件が発生し、女性の尊い命が奪われた。4月28日から沖縄県うるま市の女性が行方不明になっていた事件で、5月19日恩納村の雑木林で遺体が発見され、沖縄県警は、元海兵隊員で嘉手納基地軍属の男性を死体遺棄容疑で逮捕した。どうか無事でいてほしいという家族、友人の切ない思いは、かなうことはなかった。成人式を迎えたばかりの若い命の無念を思うと、言葉が見つからない。
 2か月前にも那覇市内のホテルで、米兵による女性暴行事件が発生したばかりだ。沖縄県内での米兵や米軍関係者による凶悪犯罪は、1972年の日本復帰以降2015年末までに、574件も発生している。米軍関係者による凶悪犯罪が、平均して毎年13件以上も一つの県で発生していることは異常と言わざるを得ない。日本国内における在日米軍専用施設面積のうち、沖縄県が占める割合は現在74.46%となっている。米軍基地の集中が凶悪犯罪を引き起こしていることは明らかだ。幾度となく繰り返される米兵や米軍関係者の凶悪犯罪に、平和フォーラムは満身に怒りをもって抗議する。
 事件の全貌が明らかになり、衝撃と悲しみ、そしてこみ上げる怒りに、沖縄県民のほとんどが打ち震えるなか、日本政府の抗議に対して、在日米軍司令官ドーラン中将は「(容疑者は)現役の軍人ではなく、米軍に雇用されている人物でもない」などと述べ、責任を回避する発言をしている。ことさら、軍人ではなく一般の事件であるかのごとく「火消し」に走る米軍当局の姿勢は許されない。
 日本政府は、事件が起こるたびに「綱紀の粛正と再発防止の徹底」を米軍当局に求めてきた。しかし、米軍は一時的な夜間外出禁止などのその場限りの対応に終始し、結局犯罪は繰り返えされ、その度に犠牲者を生むこととなっている。米軍基地がなくならない限り、犠牲者が再びでないと言い切ることは決してできない。
 1995年の少女暴行事件で、米軍基地に対する沖縄県民の怒りは頂点に達し、宜野湾海浜公園に8万5千人を集め「沖縄10.21県民総決起大会」(1995.10.21)が開催された。「基地が沖縄に来てから、ずっと加害は繰り返されてきました。基地がある故の苦悩から、私たちを解放してほしい」「今の沖縄はだれのものでもなく、沖縄の人々のものだから」当時普天間高校3年生だったの仲村清子は、高校生代表としてそう訴えた。それから20年、何も変わらない沖縄がある。
 米軍を不当に優遇する日米地位協定の改定も切り出せず、「沖縄の負担軽減」と言いながら、普天間飛行場の代替施設を沖縄県名護市辺野古に新設するとし、それが唯一の解決策とする日本政府の姿勢が、繰り返される犯罪を生み出してきた。日本政府こそが、加害者であると私たちは断言する。これまでの沖縄県民の苦悩に思いをはせるならば、日本政府は基地の縮小撤去へと舵を切らなくてはならない。
 「私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」20年前の仲村清子の声に、真摯に日本政府は耳を傾けよ。米軍基地の存在によって苦しめられてきた沖縄県民の思いを受け止めよ。
 これ以上、危険と隣り合わせに暮らし、悲しみと無念にくれる時を過ごさざるえない沖縄の現状を許すことはできない。平和フォーラムは、沖縄県民の思いに深く連帯し、更なる闘いに邁進する。


6.19 那覇市で県民集会開催
19日行動に合わせ、全国各地で一斉に
     沖縄県民集会連帯行動!
6.19総がかり行動(14:00 国会前)に総結集を!
平和といのちと人権を!
5.3憲法集会に5万人 安倍政権と対決

 憲法破壊・人権破壊・生活破壊の安倍政権の暴走に歯止めをかけようと、5月3日に東京・江東区の有明防災公園で「明日を決めるのは私たち―平和といのちと人権を!5.3憲法集会」が開かれ、5万人が参加、「憲法を守れ」「戦争法廃止」「安倍政権退陣」などと声を上げました。平和フォーラムや「戦争をさせない1000人委員会」「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委」に参加する団体・個人による実行委員会が主催、戦争・原発・貧困・差別など幅広い課題でのアピールを受け、参加者は決意を固め合いました。
 ゲストスピーチで、101歳のジャーナリストむのたけじさんは「憲法9条があればこそ、戦後70年間、他国の人も自国の人も一人も戦死させることはなかった。この道は間違っていない。今日は若い人も多く心強い。がんばろう」と力強く訴えました。また、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」の呼びかけ人の山口二郎・法政大学教授はさらに、俳優の菅原文太さんのお連れあいで「辺野古基金」の共同代表の菅原文子さんや、市民連合の浅倉むつ子さん(早稲田大学大学院教授)、核兵器の廃絶を求める署名運動に取り組んだ第17代高校生平和大使の白鳥亜美さんらが、力強く語りました。


 戦争法廃止を求める署名が1200万突破
 
最後に、戦争をさせない1000人委員会の福山真劫さん(平和フォーラム代表)が行動提起に立ち、「戦争法廃止を求める統一署名」が4月末の第一次集約で1200万筆を超えたことを報告、「さらに2000万をめざして署名を進め、国会や安倍首相に届けよう。また、6月5日には国会を包囲しよう」と訴えました。
 集会後は、参加者は思い思いのプラカードや横断幕、旗を手に、2コースに分かれてのパレード行進が夕方まで続き、「憲法を守れ!」「改憲を許すな!」などとシュプレヒコールをあげました。

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