TKOPEACENEWS
 1面 NO.104 2011.8.25

さようなら原発1000万人アクションの取り組み
−脱原発・持続可能で平和な社会をめざしてー

第66回原水禁世界大会(福島〜広島〜長崎〜沖縄)からつなげよう!

            
 第66回原水禁世界大会は、7月31日の福島大会をスタートに広島、長崎大会を経て、8月11日の沖縄大会まで半月に及ぶ長丁場で開催されました。
3月11日の東日本大震災とこれに伴う福島第一原子力発電所事故を受け、「核と人類は共存できない」ことを改めて確認し、あわせて、国策に基づく住民の犠牲によって成り立つ社会の変革を求め、フクシマ〜ヒロシマ〜ナガサキ〜オキナワを結ぶ大会となったものです。
        (詳細 別掲)
本年の特徴はこうした状況の中で、核兵器廃絶とともに、原子力発電のあり方を含む「核と人類は共存できない」というテーゼそのものを問うものとなったことです。
各地の自治体から「脱原発」「エネルギー政策の転換」の声が上がる中、広島・長崎両市長とも平和宣言の中で、「日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。」(広島)、「より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。」(長崎)と、信頼を失った原子力発電への厳しい見直しを突きつけました。
一方、菅首相は広島追悼式典で「原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指していきます。」と表明しましたが、混迷する政局の中で、その方向性や道筋も不透明のままです。

このような状況の中でこそ問われるのは、私たち働くもの、生活者、市民の力です。
 連合、原水禁、核禁会議三団体共催の広島・長崎における世界大会でも原発問題での意思統一には至っていません。長崎大会で開会挨拶に立った大山副議長(核禁会議)は原発問題に一切言及しませんでした。
主催者代表として立った古賀連合会長は、「原子力に関する聖域なき検証とともに、現在のエネルギー政策をゼロベースから再構築していくことが求められています。」と、広島大会での南雲連合事務局長より一歩踏み込んだものの、そこにとどまっています。
 原水禁国民会議の川野議長は「原子力発電についての考え方は、3団体いろいろあるかと思いますが、本大会がこの問題を避けて通ることが許されるとは私は思いません。今日の集会に参加の皆さん、一人ひとりがわが国のこれからの、原発のあり方とエネルギー政策をどうして行くのか、真剣に考えていこうではありませんか。」と閉会挨拶でまとめました。
 私たち、原水禁・平和フォーラムは「人類と核は共存できない」という視点から、核兵器廃絶とともに、脱原発社会の実現に向けた、地域・職場からの地道な活動と世論づくりを、引き続き進めていく必要性を改めて確認していかなければなりません。
 「脱原発『さようなら原発』一千万署名 市民の会」の9.19大集会、1000万署名の成功をなんとしても勝ち取りましょう。

「福島へ、線量計を送ろう!」全国カンパ
全国アクションの一環として、「福島へ、線量計を送ろう!」全国カンパを実施します。
カンパは街頭カンパを主にして、署名行動と結びつけて、運動の広がりを求める。
線量計は、福島平和フォーラムで管理しそれぞれ要請に応じて貸与して活用します。

★署名・カンパ街頭宣伝行動
 東京平和運動センター統一行動日(9月)
  9月9日(金)18:00〜
  新橋駅 機関車広場前
 その他各地の行動
  行動日・場所など問い合わせください

★当面の日程
9月8日 講演会 18:30〜 日本青年館大ホール
      詩の朗読 落合恵子
      お話し 内橋克人、大江健三郎、
鎌田慧、澤地久枝
   主催:「さようなら原発」1000万人署名市民の会
9月10日   署名第1次集約
9月19日   「原発にさようなら全国集会」
           (明治公園)



第66回原水禁世界大会特別報告

本年の原水禁世界大会には、東京平和運動センターから、広島に293名、長崎に50名、福島、沖縄には代表2名ずつを派遣しました。暑い日が続く中、お疲れ様でした。
以下、4大会の概要を原発のあり方をめぐる主な発言を中心に報告します。

福島大会 7月31日
「被爆66周年原水爆禁止世界大会」が、今年は3月11日の福島第一原発事故を受けて、福島市でスタートし、辰巳屋ホテル・ホールを会場に開催されました。また、大会に先立って、市内「街なか広場」では県民集会が行われ、約1,700人の参加者を得て、「原発はいらない」「放射能のない未来を」と訴え、デモ行進を行いました。
主催者あいさつに立った福島県平和フォーラムの竹中柳一代表は、「3月11日以来、福島の多くの人々は不安と苦しみの中に立たされている。私たちの責任は原発のない福島を取り戻すことだ」と、力強く訴えました。
 最後に「『ノーモア・フクシマ』を胸に刻み、私たちは新たな時代を福島の地で切り開きます。世界の先駆けとなる福島をつくります。そのために、みんなの力を結集しましょう」と集会アピールを確認しました。

広島大会 8月4〜6日
 8月4日、15時に平和記念公園から2800人が参加して折鶴行進を行い、県立総合体育館の「核兵器廃絶2011平和ヒロシマ大会(3団体共催)」に参加しました。

核兵器廃絶2011平和ヒロシマ大会
 
開会挨拶に立った川野・原水禁議長は原発事故との関連して
「今、国民の多くが原発の安全性に疑問を持ち、今後のわが国のエネルギー政策をどうすべきか真剣に考えているとき、私たちが原発問題を避けて通ることが許されるでしょうか。今、われわれに求められているのは、一人ひとりがどうフクシマという現実に向き合うかということではないでしょうか。」と原発と真正面に取り組むことを訴えました。
 主催者代表として、南雲連合事務局長は
「福島第一原子力発電所の事故については、いまだに収束に至っておらず、放射性物質の放出、汚染等などにより、多くの被害が生まれ、そして周辺住民は集団避難を余儀なくされています。国内外の英知を結集し、一日、一刻も早い収束に、国・事業者は全力を挙げていかなくてはなりません。
 また、これまで安全といわれてきた、わが国の原子力発電の信頼は失墜し、原子力利用を含むエネルギーのあり方が根本から問われています。」と表明するにとどまりました。 

菅首相挨拶
「我が国のエネルギー政策についても、白紙からの見直しを進めています。私は、原子力については、これまでの「安全神話」を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、「原発に依存しない社会」を目指していきます。今回の事故を、人類にとっての新たな教訓と受け止め、そこから学んだことを世界の人々や将来の世代に伝えていくこと、それが我々の責務であると考えています。」

山田広島市長(平和宣言)
「東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。
日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。また、被爆者の高齢化は年々進んでいます。日本政府には、「黒い雨降雨地域」を早期に拡大するとともに、国の内外を問わず、きめ細かく温かい援護策を充実するよう強く求めます。」

長崎大会 8月7〜9日
本年は、7日13:30からの「さようなら原発1000万人アクション」の一環として爆心地公園で開催された『ノーモアフクシマ・ノーモアナガサキ』集会を行った後、デモ行進で「核兵器廃絶2011平和ナガサキ大会」(三団体共催)に参加しました。
 
「核兵器廃絶2011平和ナガサキ大会」

主催者代表としてたった古賀・連合会長は広島大会の南雲事務局長挨拶に加えて、
「これまで安全といわれてきた、わが国の原子力発電の信頼は失墜し、原子力利用を含むエネルギーのあり方が根本から問われています。原子力に関する聖域なき検証とともに、現在のエネルギー政策をゼロベースから再構築していくことが求められています。」と、若干ながら一歩踏み込んだ表明を行いました。
 閉会挨拶に立った、川野・原水禁議長は
「原子力発電についての考え方は、3団体いろいろあるかと思いますが、本大会がこの問題を避けて通ることが許されるとは私は思いません。今、われわれに求められているのは、一人ひとりがどうフクシマという現実に向き合うかということではないでしょうか。
 今日の集会に参加の皆さん、一人ひとりがわが国のこれからの、原発のあり方とエネルギー政策をどうして行くのか、真剣に考えていこうではありませんか。」
と訴え、開会挨拶で核禁会議代表が原発問題にまったく触れなかったのと対照的なものとなりました。

長崎平和祈念式典

田上長崎市長(平和宣言)
「今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然(がくぜん)としました。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住民の姿はありません。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰ることができるのかもわかりません。
 「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅(おび)えることになってしまったのでしょうか。
 自然への畏(おそ)れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか……、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。
 たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。」

沖縄大会 8月11日
被爆66周年原水禁世界大会の最後となる沖縄大会が宜野湾市・沖縄コンベンションセンターで、約320人が参加して開催されました。この大会では、地域での原発が推進と、沖縄での基地の問題が、「命の危険を地域に押し付けて、国策の名の下に政策が進められる点では同じ」であるとして、命を大切にする社会や政治の実現を目指すことが訴えられ、7月31日に福島からスタートした原水禁世界大会を閉幕しました。



被爆66周年原水爆禁止世界大会/ヒロシマアピール


2011年08月06日
 世界最初の原子爆弾が炸裂したあの日から66年のこの夏、私たちはここ広島の地に集まり「核と人類は共存できない」ことを改めて確信し、核廃絶の流れを大きく前進させるための誓いを新たにしました。
 3月11日、東日本一帯を襲った巨大地震は、多くの命と生活基盤を根こそぎ奪い取る未曾有の被害をもたらしました。この震災によって、とくに福島第一原発の事故は、電源喪失、メルトダウン、水素爆発などを通して莫大な放射性物質を世界中にばらまきました。事故はいまも収束に至っていません。脱原発の運動に取り組んできた私たちは、今回の事態をふせげなかったことに、強い責任と憤りを感じざるをえません。
 福島第一原発事故は、チェルノブイリ原発事故と並ぶ原発史上最大級の事故となりました。ヒロシマ・ナガサキから66年、チェルノブイリ原発事故から25年、いま改めて被爆30周年(1975年)の原水禁大会の森瀧市郎さんの基調演説を思い起こさなければなりません。
 「私たちは今日まで核の軍事利用を絶対に否定し続けて来ましたが、いまや核の平和利用と呼ばれる核分裂エネルギーの利用をも否定しなければならぬ核時代に突入したのであります。しょせん、核は軍事利用であれ平和利用であれ、地球上の人間の生存を否定するものである、とことわらざるをえないのであります。結局、核と人類は共存できないのであります。
 共存できないということは、人類が核を否定するか、核が人類を否定するかよりほかないのであります。われわれは、あくまで核を否定して生き延びなければなりません。
 人類は未来を失ってはなりません。未来の偉大な可能性を確保しなければなりません。私は被爆30周年のこの大会で、全世界に訴えます。
 人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されてはいないのであります。」
 森瀧市郎さんの訴えは、福島原発事故の発生により、先見性が示されました。それは、私たちの運動の原点となるものです。
 米国をはじめとする核兵器保有国の政策を注視し、核軍縮に向けた動きを確実なものにする運動を作らねばなりません。具体的な核兵器廃絶への動きや核保有国の核軍縮状況を検証し、今後の私たちの運動を展望することが必要です。日本政府は、核兵器廃絶を主張する一方で、米国の核の傘に依存するという矛盾した政策を継続してきました。核の抑止力に依存し続ける中で、世界に向けて核廃絶を訴えることは、説得力を欠くものです。被爆国の政府として、このような曖昧な姿勢しか持てないことは問題です。
 私たちは、広島、長崎の原爆投下にはじまった核時代に生きています。ヒロシマは、人類が生き残るために核兵器を廃絶するしかないことを教えています。そして、今こそ、「核と人類は共存できない」ことを強く訴えなければなりません。
 私たちは、66年前のあの暑い夏のヒロシマの経験を原点に、さらにフクシマを胸に刻み、次のことを強く訴え、核も戦争もない平和な21世紀を子どもたちに贈るとりくみを全力で進めます。
再生可能なエネルギーによる脱原発社会をめざそう
「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定し、東北アジアの非核地帯化を実現しよう
臨界前核実験などすべての核実験を完全になくそう

被爆者援護法に国家補償を明記させ、世界のヒバクシャと連帯しよう
ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノーモア フクシマ、ノー モア ヒバクシャ


2011年8月6日
被爆66周年原水爆禁止世界大会・広島大会

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