TKOPEACENEWS
  1面(1) NO.10号/00.9.1発行

核も戦争もない21世紀を!被爆55周年原水爆禁止世界大会の報告(1)

広島

2000/8.4〜6

写真/平和をアピールするパキスタン子ども代表、8月4日広島開会総会


被爆55周年原水爆禁止世界大会は、核も戦争もない21世紀を!メイン・スローガンに広島大会4,000人、長崎大会2,500人が結集し、20世紀中に核兵器の廃絶は実現できなかったものの、私たちの粘り強い運動により、南半球を中心とした非核地帯の広がり、国際司法裁判所による核兵器使用の違法性の判断、包括的核実験禁止条約の締結、核不拡散条約再検討会議において、核保有国に「核兵器廃絶の明確な約束」をさせたことなどの成果を確認し、21世紀初頭の共通の要求は核兵器禁止条約の成立を目指して闘う事を誓い会いました。
 なお、東京からは広島大会24団体、労組から288人、三多摩子供代表団31人。長崎大会60人が参加しました。

1.2000年8月核をとりまく情勢について
(1)
核兵器の廃絶をねがう世界の人々の声に反して核兵器を保有したインド、パキスタンと最近においてはイスラエルの核保有についても報道されています。
 米国の上院議会のCTBT批准否決やロシア、米国によるたびかさなる未臨界核実験の強行も続いています。

(2)米国は将来「無法者国家」から米国大陸にむけて、ミサイルがぶっ放される危険があるとして、米本土ミサイル防衛構想(NMD)を明らかにしています。このことにより現行の弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約に違反しロシアとの核バランスが崩れ、中国などのミサイル能力の向上につながるといわれています。
 いずれにしろ、核ミサイルの拡散が21世紀の安全保障に重大な挑戦を投げ掛けているといわれています。     

(3)ニューヨークの国連本部で開かれていたNPT再検討会議が5月21日に終わりました。会議では@包括的核実験禁止条約の早期発効とその間の核実験凍結、A兵器用核分裂性物質(カットオフ)の生産禁止条約を5年以内に締結、B米ロの戦略兵器削減条約の早期妥結、弾道弾迎撃ミサイル制限条約の維持・強化、C安全保障における核の役割の縮小などともに核保有国による「核廃絶の明確な約束」も明記されたとして合意に達し、21世紀初頭の核軍縮と核不拡散をめぐる最終文書を採択されたとしています。

(4)しかしながら合意文書からは、具体的な筋道、期限が示されていない、法的な拘束力がない、カットオフ条約はいまだ交渉に入っていない。
 CTBTも米上院が批准を拒否している、中国も批准していない、米国はNMD構想に関連してABM制限条約の修正を目指しているなど、真に核兵器廃絶にむけての合意は第一歩にすぎないといわれています。

(5)日本政府は米国に対して、核兵器を最初に使う国にならないよう要請もしたこともなければ、米国の核の傘のもと国連の場にあっては常に米国に従属しているのが実態であり、核兵器廃絶という世界にあっては通用しない態度を取り続けています。
 さらに日本は、米国の核の持ち込みについてもこの50年間ただの一度も事前協議の場で確認することなく、米国の核兵器の持ち込みを容認しています。このことが大きな原因で「非核3原則」の法制化もされずに国民に大きな不安をつのらせています。

(6)日本政府は、高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏えい火災事故、東海再処理工場火災爆発事故や半径31キロの住民が避難し、被爆し、労働者が死亡するという事故などが多発しているのにも関わらず、原子力政策をクリーンで安全のエネルギーに変えようとはしていません。
 それどころかプルトニウム利用を中心とした核燃サイクルを強化し「もんじゅ」を再開させ将来核兵器をもつのではないかと不信と不安を世界に与えています。
 「核の安全保障」から「人間の安全保障」という世界のながれにあって、核兵器の廃絶と脱原発の筋道をつけるためにも私たちの運動を強化しなければならないと考えます。
 核も戦争もない21世紀を実現するためさらに頑張ろう!

広島大会 8月3日〜6日

(1)国際会議
 核兵器廃絶にむけて世界で活躍している活動家を今年もアメリカ、ベルギー、フランス、ロシア、インド、韓国などの国々から13人招待し、国際会議、シンポジウム、分科会などにおいて貴重な経験にもとずいての発言と提言をいただいた。

(2)東京独自集会
 東京平和運動センターは、午後4時30分から始まる「折り鶴平和行進」のまえに参加者全員で東京独自集会を開催し、本郷議長、三多摩平和運動センター川村議長からそれぞれ核兵器廃絶と原水禁大会を成功させようと力強いあいさつをうけ平和行進に出発しました。

(3)開会総会
 開会のあいさつのあと今年一年間に5,021人があらたに原爆で亡くなりました。この方々を含めて、広島での被爆の犠牲者217,317人の冥福を祈って一分間の黙祷をしたのち、核も戦争もない21世紀を実現するためにさらに全力で闘いぬこうと大会実行委員会を代表して岩松繁俊さんからの挨拶の後、佐藤康英大会事務局長から「被爆55周年原水爆禁止世界大会の基調」が次のように提案されました。
 20世紀において最後の開催となる今年の被爆55周年原水爆禁止世界大会と、21世紀最初の開催となる来年の大会を、一体のものとして位置ずけ、まさに、20世紀をしめくくり21世紀を展望し得る歴史的な大会とするため、今大会から来年の大会までの一年間の主要課題と行動計画を大会参加者全員で認識し運動の活性化をはかることを確認したいと考えます。
 その第一は「運動の国際化」です。21世紀の世界は、グローバル化がますます進行し、人間の安全保障を追求する活動ともあいまって、これまでの「国益重視」から「人類益重視」へと転換していかなければなりません。
 したがって、核廃絶にむけた国際的世論の高揚をはかり、世界の反核・平和勢力としっかり結び合い活動することが重要です。
 特に北東アジアの非核化については、南北関係や日朝関係の前進にむけて民間レベルでの平和国際会議などの開催に努力することが必要です。
 第二には、「21世紀の運動を担う若者や子どもたちへの運動の継承」です。
 そのため、2001年にはインターネットを最大限活用するなどによって、世界の子どもたちをつなぐ「子ども原水禁大会」の開催を提起し支援することとします。こうした行動を通じて運動継承を確かなものにしていきます。
 第三には、「被爆体験の継承」です。被爆から55年を経た今日、運動は世界的なひろがりをみせています。しかし、一方で被爆者の高齢化や被爆体験の風化もまた避けては通れません。
 21世紀に何お継承するのか、また、国内外に向けて何お発信し続けるのかを論議し、被爆体験を土台とした21世紀の運動をさらに拡充発展させるため、継承プロジェクトチームを設置し本格的な継承活動を行うことが必要です。

●子どもからの平和アピール
 開会総会が一番盛り上がり拍手の多いのが子どもたちが壇上に登場したときです、今年も北海道、埼玉、神奈川など全国から400人とインド、パキスタンの子ども代表も広島に学ぶため参加し、日本の子どもたちとともに平和アピールが発表された。
 東京からは「三多摩ひろしま子供派遣団」として今年で19回の派遣になり子ども24人世話役7人参加しました。子どもたちは、広島において全国の子どもたちとの交流、原爆資料館の見学、被爆者との交流、被爆電車の乗車や灯籠流しなど平和について学習をし、地域の人や友達にこの体験を話し平和についての活動に参加していくという力強い決意を表明し会場の参加者4,000人から盛大な拍手をうけました。

 (4)分科会とフィールドワーク
 大会二日目は広島市内8会場において、「核廃絶にむけた日本の役割」「世界のヒバクシャとの連帯を求めて」「北東アジアの非核化をめざして」「日本の戦争責任と核廃絶」「東海臨界事故と原子力政策」「高レベル放 射性廃棄物の問題点」「脱原発のエネルギー政策を求めて」「女性の広場」などの分科会が開催され、大会参加者はそれぞれ参加し議論に加わりました。フィードワークについては、全水道・東水労、部落解放同盟都連、都職労など42人が竹原市忠海町の沖合3キロに位置する「大久野島」での、 世界で唯一の毒ガス資料館を見学しました。この島においては戦争中日本軍がジュネーブ平和会議で、人道上の理由から使用が強く禁止されていた毒ガスが秘密で製造されていました。島には現在も毒ガス製造工場に電力を供給した発電場跡、米軍の空襲に備えての非常通信をおこなった通信壕跡、イペリット、ルイサイトなどの液体毒ガスを鉄製タンクにいれて保存していた毒ガス貯蔵庫跡、弾薬庫跡、毒ガス検査工室跡などがあります。
 被爆56周年原水禁大会に参加されたら是非一度毒ガス資料館にいかれる事を進めます。
 この他、「ヒロシマの実相に学ぶ」「慰霊碑めぐり」なども取り組まれました。
 広島大会まとめ集会で発表された「ヒロシマ・アピール」は、別項にあります。

(5)広島被爆55周年平和記念式典
   6日午前8時〜平和公園・市主催
 核なき新世紀誓うとして開催された記念式典には被爆者、市民、原水禁世界大会参加者など5万人が参列しました。

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