第17回口頭審理

意 見 書

竹永 公一

2000年12月13日(水)


(Web管理者記)
 口頭での陳述は、この「最終意見陳述」と同じではありませんでした。
 後日掲載予定の第17回口頭審理調書をお読みください。

               最終意見陳述                                  竹永 公一 〇 はじめに  人事委員会に処分の不服審査請求をしてから約二年半が経とうとしています。そし て今回の公開口頭審理を持って17回に及ぶ審理が終了し人事委員の皆様の裁定を待 つことになります。そして私に与えられた最後の意見陳述となります。最後にあたっ て私の所沢高校での9年間を教育に携わるものとして振り返りながら私の説明会での 発言について再度皆様に考えていただきたいと考えています。 ○ 卒業式、入学式について  そもそも、卒業生が卒業式に出席することは卒業生を含む誰にとっても当たり前の ことです。同様に新入生が入学式に出席することも当たり前のことです。卒業生や新 入生本人にとっても、それは希望や期待に胸を膨らませる節目の華やかな学校行事で あるはずです。その卒業式に出たくない、卒業式に替わるものを自らの手で作り上げ なければならないようにしてしまったのはいったい誰なのか。  内田校長赴任までの所高生は卒業式とそれに続く門出式をとても楽しみにしていま した。それを赴任したばかりの校長に踏みにじられるような扱いをされ苦しみながら 自分たちの手で今までの卒業式と門出式の主旨を存続させようと必死に努力しそれを 果たしていった生徒たちは本当に立派だったと思います。あわせて内田校長の振る舞 いは教育に携わるものとして、そして人として決して許すことは出来ません。 〇  所沢高校での9年間  私が県立狭山高校から所沢高校に転勤してきたときの校長は田中校長でした。田中 校長は生徒からも教職員からも信頼されていました。文化祭などでは生徒からの依頼 でいくつかの催しに参加したりして生徒との距離を置くことをしませんでした。職員 会議でも、校長としての意見ははっきり述べますが、職員会議での決定を大切なもの と考え、常に会議の決定は尊重していました。  次が栗田校長で、教科は体育で専門がバスケットボールでした。私がバスケットボ ール部の顧問をしていた関係で、公私ともいろいろお世話になりました。栗田校長も 職員会議での決定を尊重していました。また、自分の考えを生徒に押しつけるような こともなく、生徒との意見が異なるときには生徒とよく話し合いをしていました。場 合によっては、学年集会で生徒との話し合いを行ったこともありました。生徒たちの 話し合いを大切にする気風を校長自身も大切に考えていました。自分の意見や考えは 持っていてもそれを生徒や教職員に押しつけるようなことはありませんでした。ただ、 一度だけ1995年1月に起きた単位制問題だけは例外でした。94年の秋に県教委 から所沢高校を全日制単位制高校にしてはどうかとの打診がありました。そもそも単 位制とは何かという十分な知識を持っていませんでしたから関係する係から数名の教 員を選んで手分けをして単位制高校への視察なども行いました。私もその一人でした ので兵庫県の単位制高校へ視察に行きました。また教育局からも、担当者を招いて研 修会を二度ほど持ちました。年が明けて最終決定をする職員会議の様子は今も鮮明に 記憶に残っています。様々な観点から意見がたくさん出されとても内容の濃い審議が 続きました。もっとも印象に残っているのはある担任の教員が入学して一年が終わる ときに生徒に学校生活についてアンケートをとったと所ほとんど全員と言っていいく らいの生徒が学校が楽しいと言っている。そういう学校を敢えて単位制高校に変えな くてもいいのではないかと。生徒にとって所沢高校とはそういう学校でした。もちろ んその他にも予算の裏付けの問題や施設、設備また教職員増の可能性など多面的に検 討しました。最終的には採決の結果、現状のまま行こうということになり、校長もそ れを認めました。しかし栗田校長は後日県教委に呼ばれ校長の権限で単位制高校への 移行を承諾させられてしまいました。新聞報道でその事実を知った私たちは臨時に職 員会議を開き事実確認を行いました。栗田校長は内密に単位制移行を承諾してしまっ たのは校長としての判断の誤りだったと認め、教職員に謝罪をし、教育長宛にことの 顛末と謝罪と単位制高校移行は出来ない旨の文書を職員会議で校長ともども作成し提 出しました。栗田校長もこの事以外では職員会議の決定を尊重しなかったことは一度 もありませんでした。  このような歴代の校長と教職員による学校運営の中で、民主的学校運営を大切にす る気風が受け継がれていたのだと思います。また、生徒たちに対しても校長を含めた 教職員が生徒たちの自主自立の校風をバックアップしながら、日々の教育活動に当た っていました。  長い間所沢高校ではあることがらを決定するのに、校長を含めて職員会議で十分審 議し合意を得るという方法で学校運営がなされてきました。また、生徒たちは各クラ スでの話し合いを基に生徒総会で自分たちの活動を決定してきました。生徒総会での 決定は職員会議で審議され、問題がなければ職員会議で承認して初めて正式の決定と なることになっています。  そういった中に、97年4月に内田校長が赴任してきました。職員会議で十分話し あうこともせず、生徒とも話し合おうという姿勢も見せず、管理職三人で入学式を行 い大混乱を招いてしまったのです。私たち教職員は職員会議を通して校長との話し合 いを行い、生徒たちは生徒会本部やHR委員会を中心に校長との話し合いを行いまし た。また保護者もPTA組織で正式に校長との話し合いに取り組みましたが内田校長 は保護者に学校のことは口を出してほしくない旨の発言までして顰蹙を買っていまし た。生徒たちの校長との話し合いの取り組みはあくまで紳士的でしたが、内田校長は それまでの校長とは違い生徒は従うものだとの教育観を持っていましたので、生徒た ちも話し合いさえ出来ない状況が続きました。生徒たち特に三年生が自分たちの卒業 式に不安を持ったのも当然の成り行きです。  教職員も生徒も内田校長が赴任してから特別な方法を採ってきたわけではありませ ん。先程述べましたように、それまでに培われてきた所沢高校での民主的な運営を行 ったにすぎません。卒業式に替わる卒業記念祭も入学式に替わる入学を祝う会の決定 も今までと同じ方法で検討され審議決定されていきました。  以上述べたような状況の中で、入学説明会で私は何を話せばよかったのでしょうか。 卒業式に替わる卒業記念祭、入学式に替わる入学を祝う会を行うという生徒総会の決 定を生徒たちの考えとして説明会で新入生や保護者に伝えてはいけなかったのでしょ うか。職員会議の決定や直前の学年会議での事実を事実のまま伝えることがよいとい う合意の基に職員会議の決定に基ずく教職員の考えを伝えてはいけなかったのでしょ うか。学校全体の合意事項でないことでも、校長が説明会の場面で入学式の後に入学 を祝う会を行いますと云ったら、生徒総会や職員会議や学年会議の合意を無視して、 私も校長と同じことを言わなければならなかったのでしょうか。  最近開かれた学校という言葉をよく聞きます。生徒に対しても、保護者に対しても 最終結果だけではなくその過程も含めて十分納得のいくように説明し、場合によって は生徒や保護者の意見も十分聞きながら物事を進めていくことが大切だと言われてい ます。私が説明会に至るまでの半年近くの生徒の動きや教職員の意向を説明すること がなぜ罰せられなければいけないのでしょうか。  人事委員の皆様の公正な判断を切にお願いして意見陳述を終わります。
(Web管理者記)
前のページ(所高資料)に戻る
前のページ(経過)に戻る