人権だより

No9

発行日 1998年6月 日

発行 人権教育係


人権だより

                       NO・9 1998・6    人権係 狭山事件は終わっていない。          なぜ再審は開かれないのか  部落問題は寝た子を起こすようなもので、もう学習する必要はないという考えを持 つ人もいることでしょう。しかし、まだ部落差別を感じて生活している人たちは実際 に多くいますし、また私たちの地元狭山で起こった「狭山事件」を考えるにつけても、 まだまだ部落問題に取り組んでゆかなくてはならない、と強く思います。  1963年の事件発生からすでに35年が経ち、容疑者として逮捕された被差別部 落の青年石川一男さん(当時24歳)は、無実を訴え続けてもう60歳になられよう としています。けれども、いっこうに再審が開かれる様子はありません。(1) 脅迫状 の筆跡と当時の石川さんの筆記能力との違い、(2) 自白の内容と犯行現場との矛盾、 (3) 石川さん宅の鴨居にあったとされる万年筆は「ニ回にわたる捜査では、まちがい なくなかった」と刑事たちが証言をしていること。また、押収された万年筆にはいっ ていたインクはブルーブラックだったが、善枝さんの使っていたインクはライトブルー だったこと、等々石川さんの無実を証明する証拠が各専門家、文化人、当時の刑事の 方々から提出されており、事実調べを求める署名も118万人以上に達しています。 このように冤罪であると殆ど確証される事件であるにもかかわらず、依然として再審 が開始されないということ、このことはいったい何を物語っているのでしょうか。改 めて私たちは、国家権力の恐ろしさ、部落問題と表裏一体として天皇制があるのでは ないかということについて、考えてみる必要があります。  所沢高校では、98年1月に講演会を行い、狭山事件について考える機会を持ちま した。その時のアンケート結果を右に報告しますので、参考にしてください。 狭山事件とは−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  1963年5月1日、川越高校人間川分校1年生の中田善枝さんが、下校後、行方不明 になり、同夜、中田さん宅に20万円を要求する脅迫状が届けられました。家族から連 絡を受けた埼玉県警は、翌2日深夜、身代金の受け渡し場所に指定された佐野屋とい う雑貨店周辺に警察官40人を張り込ませましたが、あらわれた犯人を取り逃がしてし まったのです。3日早朝から警察は山狩り捜査を行い、翌4日午前10時、農道に埋め られていた善枝さんの死体が発見されました。一ヵ月前に東京で起きた吉展ちゃん事 件でも犯人を取り逃がしていた警察は、世論の厳しい非難を受け、おいつめられた警 察は、住民の差別意識に乗じて、市内の被差別部落に捜査を集中し、石川一雄さんを 別件逮捕したのです。1977年、最高裁は上告を棄却し、無期懲役刑が確定されました。 以来、弁護団は再審請求を提出し続けています。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 人権教育講演会('98 1.9)    「狭山事件から部落問題を考える」                     アンケート 集計結果                                  人権教育係  回答数 715(1年生 356 2年生 267 3年生 92) 1.狭山事件についてどの程度知っていましたか。    a 知っていた             51( 7.1%)    b ほぼ知っていた          178(24.9%)    c ほとんど知らなかった(名前だけ) 216(30.2%)    d 全く知らなかった         270(37.8%) 2.知っていた人は、何によって知りましたか。    a 中学時代の同和教育によって         140    b 家族や近所の人の議から            54    c 新聞、テレビの報道で             43    d 本やマンガで                 44    e 高校での「人権だより」や「人権LHR」で  111    f その他(中学、高校での社会の授業等で)    80 3.今日の講演を聞いての、感想や疑問や意見を書いてください。  ・「狭山」の名がついた事件ということで名前ぐらいは一応知っていたが、肝心の   内容までは知らなかった。今回の講演を聞いて様々な事がわかったので、機会が   あれば他の事も色々と調べてみたいと思う。それ以前にこのあたりでこのような   部落問題があるとは知らなかった。他人事ではないので、この事についてもいろ   いろと考えてみたい。  ・自分にとって部落問題は本当に遠いことのように思っていました。でも部落問題   からそのほかの沢山の問題につながっていると気づいたときあまりに近い問題だっ   たのでおどろいた。  ・冤罪、再審については社会の時間によく勉強したので、その恐ろしさ、強引さは   知っていた。身近な事となるとより真剣に考えなくてはいけない。小学校からずっ   と部落差別を学んできて、いろいろと作文を書いて考えてきているので、これか   らもずっと忘れずに、ただの同情ではないように、その人になりきって考えなけ   ればならないと思った。  ・部落差別がどれほど大変な問題であったかがよくわかった。「差別されてきた   人々、地域」と思うのではなく、「差別と戦ってきた人たち」と思って欲しいと   いう講師の方の言葉が印象的でした。  ・部落差別をする人の気持ちはわからないが、こんなに堂々と、公の場で部落差別   が行われていたということは、すごいショックである。それはつまり警察、裁判   官とも差別をしていたということなんだろうか? 恐ろしいことだ。こんなこと   がこれから二度と起こらないようにも同和教育はやはり必要なのだと思う。  ・「国」の責任といっても、結局国の行方を決めるのは選ばれたエリー卜の人達。   エリー卜の人々は自分達を守るために差別を止めようとしない。だから私達一人   一人がそういう人達と戦わなくてはと思った。戦う権利があると思った。自分達   を守るために。学歴も年齢もなく地球で生きている。それだけで資格は十分ある   はずだと思った。  ・権力の恐ろしさがすごくよく伝わる講演でした。そして一人一人が平等ではない   ことをかくしてきた日本社会は最悪なんだと思います。  ・警察の人はなぜそんな無罪の人を有罪にしたかったのかよくわからない。今まで   にも部落差別についての授業は受けてきたけど、やっぱり体験したわけではない   ので、こんなに大変で深刻だとは思わなかった。今日の講演で少しは理解ができ   たような気がする。  ・部落差別は知っていたが、それは昔のことで、今はもう差別はないと思っていた。   でもたしかに面接とかで家族のこととか聞かれたりしたことがある。身近にも同   和、部落問題があると思った。  ・事件の内容をきいて、身近にこんな事が起きていたなんて知らなかった。とても   驚いた。みんなが平等という、一見簡単なことのようだけど、本当は果てしなく   難しいことだということがよくわかった。どうしたらそれが実現するかを考えて   みると、とても大変だけど、でもそういうことを考えることはとても大切だと思   う。
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