教育関係の書籍

書籍の紹介です。但し、工事中です。

前のページに戻ります。
【目   次】
[“ろくさん”はしゃべくる《シリーズ》](編・著ろくさん)
      第1集『指導者(えらいひと)なんか いらんわい』(1974年)
      第2集『教育されて たまるかい』(1975年11月25日第1刷発行)
      第3集『福祉社会の いやらしさ』(1976年)
      第4集『女の開放・男の開放』(1978年)
      第5集『管理することが教育か』(1979年12月03日初版発行)
[戦争と教育](山住正己著)
[アダルト・チルドレン](ジャネット・G・ウォイティッツ著)
その他/簡単な紹介

【書   籍】
【“ろくさん”はしゃべくる《シリーズ》】
残念ですが、20年ほど前の本なので、私は第2集の『教育されて たまるかい』
と第5集の『管理することが教育か』しか読んでいません。
いじめ問題をはじめ、今日でも充分読み応えのある内容です。と同時に、20年前
から問題視されていたことが今日もなお解決されていないばかりか、当時以上に問
題であるということについて、ショックを受けます。
この20年間は何だったのか。

  “ろくさん”はしゃべくる《シリーズ》 編・著ろくさん
  ろくさん―――初期の六三制義務教育で育った男女8人のグループ。サラリーマ
      ン、小企業経営者、主婦など、神戸市在住のごくふつうの市民。
      1971年よりミニコミ“ろくさん”を発行。
  発行者:山本林太郎
  発行所:ぱいぽ出版株式会社
      〒654 神戸市須磨区潮見台1ー3ー5
      電話078(575)0920
  --------------------------
第1集『指導者(えらいひと)なんか いらんわい』(1974年)
   現代社会の病理をえぐり、指導者にたよることの愚かしさを、あざやかに浮か
   びあがらせてみせる。
  ●松田道雄氏(毎日新聞)―――名言をちりばめた、この上方漫才式のややエッ
    チな座談は、「弱者の倫理」を追求した試みとして、えがたいものと思う。
  ●神戸新聞―――問題認識の焦点はこわい程も見すえられている。
  ●久野収氏―――底ゆれの世界の中の市民の立場が、これほど日常に即してみご
    とに語られている例を知らない。
  ●田辺聖子氏(週刊文春)―――井戸端会議風にしゃべっていて、たいへんおも
    しろい。
  --------------------------
第2集『教育されて たまるかい』(1975年)
   公教育への信仰をうちくだき、“ろくさん”ならではのユニークな“教育性悪
   説”の議論を展開。
  ●読売新聞―――人間が自立するのに教育は役に立つのか、といった問題意識に
    立ち、現代の教育を徹底的に批判。
  ●共同通信―――庶民のホンネが今日の教育の病理をみごとにとらえている。
  ●のびのび誌―――教育の仮面をむしりとることに成功。まさしく公教育とは国
    家の最もすぐれた暴力装置であることをあばきたてた一冊である。
  ●朝日新聞―――神戸弁まるだしの少しエッチな会話に妙味があって面白く読ま
    せる。
   1975.11.25第1刷発行
   1984.11.01第5刷発行
  --------------------------
第3集『福祉社会の いやらしさ』(1976年)
   福祉国家とは収容所国家の別名だ。その欺瞞をあばき、庶民にとっての真の幸
   せとは何かを考える。
  ●暮らしと健康誌―――自分たちの言葉をもち市民の日常感覚を土台にしたその
    発想は「福祉問題専門家」が語るどんな意見よりも生き生きしている。
  ●野坂昭如氏(面白半分誌)―――福祉様について、さめた眼で見すえている。
  ●名取弘文氏(図書新聞)―――読者をすなおにうなづかせる所が多い。したた
    かなホンネの持つ力であろう。
  ●神戸新聞―――福祉という言葉の持つあいまいさを指摘。随所で考え込ませる。
  --------------------------
第4集『女の開放・男の開放』(1978年)
   家庭、家事、育児、性、仕事などを通して男と女の“開放”を語り合う。異色
   の男女同時開放論。
  ●出版ニュース―――やわらかな関西弁で、しかし確かな“革命”が語られてい
    る。
  ●わいふ誌―――したたかな思考に裏付けられた言葉が全くつっぱったところが
    なく、笑いに包まれながら溢れている。
  ●図書新聞―――すべてホンネでしゃべっているのが小気味よい。肩ひじ張らな
    い庶民の自己開放理論書である。
  ●新文化誌―――日頃感じてもそのまま深く考えようとしないことが日常の言葉
    で語られ、改めて考えさせられる。
  --------------------------
第5集『管理することが教育か』(1979年12月03日初版発行)
   規則づくめの管理に毒された教育を告発し、子どもの生活を破壊した数々の愚
   行の根元を追求。
  ●朝日新聞―――子どもの段階から始る管理至上主義を批判。
  ●出版ニュース―――確かな手応えのある教育論を展開する。
  ●中野好夫氏(読売新聞)―――管理社会の大浪が教育まで急激に巻き込みつつ
    あることに痛憤。管理のない教育、それが真の教育だと彼らは一斉に主張す
    る。大賛成。
  ●小中陽太郎氏(教育の森)―――八方破れともいえるしゃべり口の野放図さと
    自由な思考に魅力。スタイルもユニークだ。
[目次へ戻る]
【戦争と教育】
岩波書店(岩波セミナーブックス66)
山住正己著
¥2100−
1997.11.26第1刷発行

――――四つの戦後と三つの戦前――――
日清戦争の四年前、近代学校教育の転換点となった教育勅語(1890)の問題
を発端として、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦の四つの
戦争と教育のかかわりを論ずる。次の戦争に向けての教育を強化する時期となっ
たそれぞれの戦後の教育政策(歴史教科書の記述等)に焦点をあてて、具体的な
問題に即しながら明快に説く。

      ---------------------------------------------------
 尚、今回の所沢高校における「卒業記念祭」「入学を祝う会」の問題で、校長が
「PTAは学校のことに口出しするな」という趣旨の発言をしております。このこ
とに関して「あくまで教師が親の委託を受けて直接に責任を負って行うのだ、間接
ではない」とこの本にあるように、保護者は学校(或いは教育委員会、文部省)に
白紙委任状を渡しているわけではないと思っています。まして、所高の教育方針に
賛同して入学した生徒、あるいは入学させた保護者にはその教育方針が変更される
ことに関して、異議申立てするのは当然のことと思っております。
 また、校長は「日の丸掲揚・君が代斉唱」は学習指導要領に「指導するものとす
る」とあるので実施しなければならないとも発言し、実行しました。これに関して
も下記のように「教育行政が担当しているのは外的事項であって内的事項に関与し
てはいけない」という立場をとるものとして異議申立てすることは、これも当然の
ことであると思います。校長が独断で「日の丸掲揚・君が代斉唱」を実施したとい
うことに関しては、所高独自のことになるかも知れませんが、生徒総会決議、職員
会議承認という民主的なシステムを校長一人の考えで壊すという問題点もあります。
 今回のこととは別のことですが、1995年の「単位制導入白紙撤回への道」の
中で、「教育とはなんだろう」ということが問題になり、このときの「単位制問題
特別委員会」では「人格形成である」という結論に至りました。
 これらの件に関して、この書籍にはまとまった文章で記載されておりますので、
引用させていただきます。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(引用開始)−−−
p164
 教育基本法は、憲法のめざす理想は根本においては教育の力によって実現される
ものだといっております。この「根本において」という文字がきわめて印象的です。
そして教育の目的は「人格の完成」とされます。教育というとすべて国のためとい
われていた時代が長くつづいていたので、これは、国民の眼に新鮮なものに映りま
した。第一条では、「人格の完成を目指し、平和的な国家および社会の形成者とし
て、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神
に充ちた心身ともに健康な国民の育成」を教育の目的とする、としています。教育
の目的の大転換です。
 そして第十条までありますが、この第十条に「教育は、不当な支配に服すること
なく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」という。ここ
で「直接に」というところが重要であり、ここが教育関係の裁判でもたびたび争点
になっています。
 もっともはっきりした判断を示したのが一九七〇年七月の教科書裁判の杉本判決
です。「直接に」というのであるから、教育のことは多数決に親しまない、という
のです。国民によって選ばれた代表、つまりは国会で多数決だからといって、それ
でいいことにはならない、あくまで教師が親の委託を受けて直接に責任を負って行
うのだ、間接ではない、ということです。これが教育基本法の中で重要なことの一
つです。
 そのうえで、教育行政は教育の条件整備にあたらなければならない、といわれて
います。教育基本法第十条の「直接に」ということと、教育行政は条件整備にあた
る、という、その「条件」とはなんであるかがまた繰り返し争点とされてきました。
これはあくまで外的条件である、つまり施設、設備など、教育行政は外的条件を整
えるという役割を負っているのであって、教育課程、教育内容という教育の内側に
入ってはいけない。教育行政が担当しているのは外的事項であって内的事項に関与
してはいけないという考え方が教育法学者の間で確立されていきますが、なかには
内的事項もまた条件整備の対象に入るという考え方をとる人もあり、ここも争点と
なります。
           (省略)
 そして六・三の上の三年制の高等学校は一九四八年の四月、さらにその上の四年
制の大学は一九四九年の五月につくられて、最初の卒業生が一九五三年の三月に出
ます。もう一つ、この年の五月から大学院が発足します。大学院が学校制度のなか
にはっきりと位置づけられたのは、このときが最初です。新しい学校体制がここで
整うことになります。
 現在は、六・三・三・四のほかに別の学校、たとえば高等専門学校が入っていま
す。これは一九六〇年代の初頭に、経済界の強い要求によってつくられたのです。
一九五〇年代の終わりから六〇年代にかけて、日経連、経団連、その他、経済団体
が繰り返し、新時代、というのは技術革新のすすむ時代ということですが、その時
代にふさわしい教育に向けて要求を出し始めます。
 そして一九六〇年の安保条約改定後、池田勇人内閣が所得倍増計画をすすめ、こ
の計画の中で一九六三年に経済審議会が発表した「経済発展における人的能力開発
の課題と対策」というレポートの中に「能力主義」という言葉がはっきりと書きこ
まれ、三%のハイタレントと残りは反復労働にみあう労働力、その間に中堅技術者
といった構造がだされて、そのときに六・三制の単線型を崩して、五年制の高等専
門学校がおかれました。ですから現在の学校体系は敗戦直後の教育改革そのままの
形ではなくなっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(引用終了)−−−
[目次へ戻る]
【アダルト・チルドレン】
金剛出版
ジャネット・G・ウォイティッツ著
\2000- 1997.10.10 発行

   ――アルコール問題家族で育った子供たち――

    ---------------------------------------------------
 「子供のときに何が起きたのか」ということで、アルコール依存症の親と一緒に
暮らす子どものことを記載している。
そして、「アダルト・チルドレンは、」ではじまる次の13の項目に分けて、「今
何が起きているのか」・「繰り返しを断つ」・「あなた自身の子供はどうか」とい
うことが記載してあり、最後に「回復のためのヒント」でしめくくっている。
 188頁には、アルコール依存症の親と一緒に暮らす子どもだけではなく、「他
の機能不全システムの中で成長した人々もまたアダルト・チルドレンなのである」
としている。
 う〜む、どれかしらの項目は自分にもあてはまってしまう・・・(^^;)ゞ
    ---------------------------------------------------
アダルト・チルドレンは、
 (01) 何が正常化を推測する。
 (02) 物事を最初から最後までやり遂げることが困難である。
 (03) 本当のことを言ったほうが楽なときでも嘘をつく。
 (04) 情け容赦なく自分に批判を下す。
 (05) 楽しむことがなかなかできない。
 (06) 真面目すぎる。
 (07) 人と親密な関係を築きにくい。
 (08) 自分がコントロールできない変化に過剰反応する。
 (09) 他人からの肯定や承認を常に求める。
 (10) 自分は他の人たちと違っていると感じる。
 (11) 責任をとりすぎるか、責任をとらなさすぎるかどちらかである。
 (12) 過剰に忠実で、たとえ無価値な人間関係であってもそれにしがみつく。
 (13) 衝動的である。他の行動が可能であると考えずに一つの行動に突っ走る。
   そのため、混乱、コントロールの喪失、自己嫌悪を招きやすい。
   その上、不祥事の後始末に過大なエネルギーを使う。
[目次へ戻る]

その他/簡単な紹介
『日本の教育と企業社会』
    大月書店
    乾 彰夫著
    1990.2.23発行
『憲法と教育人権』
    勁草書房
    山崎真秀著
    1994.5.20
[目次へ戻る]
teru-iriの雑多ページに戻ります。