アメリカ合衆国憲法大事典より

Encyclopedia of the American Constitution

Edited by L.W.Levy with K.L.Karst and D.J.Mahoney


  • 残虐かつ異常な刑罰
    (Sheldon Krantz)
  • 死刑
    (Robert Weisberg)

犯罪学理論の部屋

残虐かつ異常な刑罰


 修正8条は次のように規定してる。

「過大な額の保釈金を要求してはならない。...残酷で異常な刑罰を科してはならない。」

現在、これと同様の規定がすべての州憲法に事実上存在している。仮に明記されていなくとも、同規定については、修正14条のデュープロセス条項にもとづき、州に対する合衆国憲法上の禁止が1962年のRobinson対California事件で認められている。

 残酷で異常な刑罰に対する法的な禁止は、1688年英国の「権利の章典」に始まる。その目的は、当時普通におこなわれていた残忍きわまりない刑罰を縮小することにあった。

 この禁止規定が、価値も法システムも異なるアメリカ社会に対して、どのように適用されるべきかということについては、アメリカ権利の章典の成立後1世紀を経てもなお、はっきりしないままだった。19世紀後半から20世紀前半にかけて、連邦最高裁は、この残酷で異常な刑罰という言葉について、まれに、主に死刑の執行方法との関連で解釈していただけだった。連邦最高裁がこの禁止規定を、死刑から離れ、より広い意味と範囲を持つものとして解釈し始めたのは、1970年代に入ってからである。たとえば、連邦最高裁は、この「残酷で異常な刑罰の禁止」条項が、刑事事件で有罪の宣告を受けた者以外に対して適用されるかどうかという問題につき、1977年まで態度を決定していなかった。1977年のIngraham対Wright事件では、学校生徒に対する体罰が、残酷で異常な刑罰にあたるかどうかが争点となった。連邦最高裁はこれに対し、修正8条の規定は刑事事件にもとづき有罪の宣告を受けて拘禁された者のみに適用されるのであって、この事件はそれにあたらないと判示した。連邦最高裁としては、公共施設についてはすでに他の保障措置が機能しているのだから、子どもたちの保護にとってこの禁止規定は必要ないと考えたのである。このIngraham事件後、連邦最高裁はまた、治療目的で身柄を拘束された者や、刑罰以外の目的で身柄を拘束された者に対しては修正8条の適用はないと判示した。たとえば、精神病院入院者(Young-blood対Romero事件、1982年)や公判前の身柄拘束(Bell対Wolfish事件、1979年)の場合などである。こうした状況下での不適当な罰に対する保障はデュープロセス条項にもとづくのであって、修正8条の残酷で異常な刑罰に対する禁止条項が適用される場面ではない。

 1970年代末以降、連邦最高裁は、死刑事件以外や受刑者の処遇などいくつかの事件で、一般的に残酷で異常な刑罰の条項を狭く解釈している。

 この問題についての連邦最高裁の判断に先立ち、いくつかの州裁判所や連邦裁判所が、宣告刑の刑期が犯罪行為と均衡しない場合、残酷で異常な刑罰に該当し得ると判示していた。どのような刑罰が修正8条違反となるかを決定するために、裁判所はさまざまな方法を用いた。犯罪の性質とくに暴力を伴ったかどうか、ある裁判所の個々の宣告刑や量刑表と他の裁判所の同程度の犯罪に対する宣告刑や量刑表との比較、あるいは同一裁判所管轄内でのある犯罪に対する宣告刑や量刑表と同程度の犯罪ないしさらに重大な犯罪に対する宣告刑や量刑表との比較などである。ある連邦控訴裁判所は、三度別々の機会に重罪を犯した者に対しては終身刑を宣告できるとするテキサス州法にもとづいた終身刑判決を棄却した。この事件の場合、三つの重罪事件とは、9年の間に、クレジットカード支払いを利用した80ドル相当の詐欺、28ドル36セントの偽造有価証券の行使、120ドル75セントの詐欺を犯したというものだった。このRummel対Estelle事件で、連邦最高裁は控訴裁判所の判決をくつがえした。5対4の評決で下位裁判所で用いられていた比較方法の採用が否定されたのである。この判決は、刑事事件の判決に関する立法判断や常習犯罪者への威嚇に対して、非常に大きな影響を及ぼした。この事件の被告人Rummelが早期仮釈放となる可能性があったという事実が、多数意見の形成を容易にしたのはあきらかである。このRummel事件の後も、常習犯罪者とは無関係な事件で、残酷で異常な刑罰の問題に対して司法手続の介入が正当化されるのはどのような場合なのかは判然としなかった。1982年のHutto対Davis事件では、連邦最高裁は「裁判所による意見」(訳注:per curiam opinion、匿名で出される裁判所の意見)により、3票の反対があったものの、9オンスのマリファナの購入で40年の刑を宣告することは、残酷で異常な刑罰にはあたらないと判示した。Rummel事件の多数意見は、連邦裁判所は「立法で規定されている自由刑の期間を見直すことには慎重でなければなら」ず、「個々の判決が罪刑の均衡がとれていないとすることは」「きわめてまれ」でなければならないとしているが、最高裁は意見の中で何度もこれに触れている。

 しかしながら、1983年のSolem対Helm事件では、連邦最高裁は累犯規定の適用を受け有罪となり、仮釈放なしの終身刑を宣告された事件につき原判決を無効とした。主となる事件は、架空の銀行口座上の100ドルの有価証券を行使した件につき起訴されたものである。重罪に該当する彼の累犯前科は、すべて暴力を伴わない財産犯罪であった。連邦最高裁は5対4で残酷で異常な刑罰の条項の適用を認め、罪刑の均衡テストを採用した。この事件の後も、罪刑の不均衡を根拠として宣告刑の刑期に不服を申し立てるのは、少なくとも連邦裁判所については、立件が難しい。ただ、いくつかの州最高裁は、犯罪行為との均衡を極端に失した過重な刑を上告審で棄却する際に、修正8条に対応する州憲法上の規定を用いる傾向がある。

 連邦最高裁が、刑期以外の問題で原判決を棄却することも、以前に何度かあった。たとえば1958年のTrop対Dulles事件では、戦時中の脱走罪で軍法会議にかけられ国籍剥奪の処分を受けたのは、残酷で異常な刑罰にあたると判示している。また1909年のWeems対合衆国の事件では、公文書偽造の従犯が、鎖を付け重労働を伴う12年から20年の不定期刑と市民権の永久剥奪に処されるのは、正当性がないとしている。

 連邦最高裁は、単に被告人の地位や状況を理由として刑の判決を棄却する目的で、修正8条を適用することもある。1962年のRobinson対カリフォルニア州事件では、薬物中毒者を罰するのは残酷で異常な刑罰にあたると判示している。しかしながら、6年後の1968年Powell対テキサス州事件では、同じような理由による同条項の適用を否定した。この事件では、アルコール中毒者が公の飲酒で有罪となったのは無効だと主張されていた。

 要約すると、連邦最高裁が、下級審の刑事事件をくつがえすために残酷で異常な刑罰の禁止規定によることはめったにない。また、刑務所環境が劣悪であるとしばしば判断されながら、受刑者が刑務所環境が劣悪だと不服を申し立ててこの禁止規定が適用されることも、それほどあるわけではない。

 まずまちがいなく、全国のほとんどの刑務所は古く、過密で、汚れ放題、職員数が足りず、受刑者に対して作業やレクリエーション活動を提供しきれていない。現在、受刑者人口は激増を続け、それに反比例して刑務所を維持するための資源はどんどん減少し、刑務所の環境は劣化の一途をたどっている。1970年代末から1980年代初頭にかけて、連邦最高裁はいくつかの事件で、残酷で異常な刑罰の禁止規定を刑務所環境に対する不服申し立てに適用する際の基準を明確にしようとした。1981年のRhodes対Chapman事件で、連邦最高裁はこの基準を次のように要約した。 「今日修正8条は、身体的に残虐な刑罰でなくとも、不必要で理不尽な害悪の賦課となる、あるいは犯罪の程度と著しく均衡を失するような刑罰を禁止している。不必要で理不尽な害悪の賦課の中には、行刑学的な正当性のない場合も含まれる。」 連邦最高裁は、受刑者への故意による身体的虐待に対しては、まだこの基準を適用していない。しかし、この中には、受刑者をムチで打ったことが問題となった1968年のJackson対Bishop事件控訴審判決への言及があり、それを支持している。

 連邦最高裁は、1978年のHolt対Finney事件ではじめて、修正8条を刑務所環境への不服申し立てに適用する問題に迫られた。下級審はアーカンサス州刑務所システムの一般的な環境が、残酷で異常な刑罰にあたると宣言していた。問題となった劣悪な環境とは、次のようなものである。刑務所の活動のほとんどが委託を受けた受刑者によって運営されていたこと、危険な営舎、独房や収容房の人口過密状態や不潔さ、さらにそうした収容房内の受刑者の食料の不足、改善・社会復帰プログラムの不在。下級審は、刑務所の抜本的な改善を要求する一掃命令を発した。この改善策には次のようなものが含まれる。独房に入室する受刑者の数の制限、各収容房に寝台を備え付けること、「恐怖」のダイエットを中止させること、独房滞在を30日に制限することなどである。州はこの30日の制限について上告した。次のような慎重な意見ではあったが、連邦最高裁は下級審の判断を維持した。懲罰として独房に閉じこめることは、それ自体としては修正8条違反にあたらないが、独房の状態如何によっては修正8条違反となることもあり得る。もし違反が生じた場合には、独房に滞在する時間の制限等によって事態を改善することになる。この場合、下級審による30日という期間制限の設定は、支持し得るものである。連邦最高裁はこのように判示した。

 オハイオ州刑務所の過剰拘禁状態に対する不服申し立ての場合には、連邦最高裁は違う立場をとっている。1981年のRhodes対チャップマン事件では、もともと定員一人の収容房に二つの寝台を入れ二人を収容していることが問題となった。下級審は、こうした実務が、以下の理由から見て修正8条違反にあたると判断した。収容者たちは長期の刑に服しており、刑務所は38%の過剰拘禁状態にあったこと、最低限の生活のためにはもっと居住空間が必要であること、受刑者はほとんどの時間を収容房で過ごしていること、二つの寝台を入れるのは通常の慣例であって何ら一時的な措置ではなかったことなど。

 連邦最高裁はこの判断を取り消し、本事件のように二つの寝台を入れることが「不必要で理不尽な害悪の賦課となる、あるいは犯罪の程度と著しく均衡を失するような刑罰」であるとの証拠はないとした。連邦最高裁は、二つの寝台を入れることで、「最低限の食料、医療、衛生の不足」ないし収容者間の暴力沙汰が起きたわけではないと判断したのである。連邦最高裁としては、憲法は「住み心地のよい刑務所を要求しているわけではなく」判事たちも刑務所の環境という問題に介入することについては、それが「あまりに惨めな場合」とか「あまりに汚らしい場合」以外は、慎重になるべきである、と考えているのである。「(州の立法機関や刑務所職員の)ミスの責任を追求しつつも、連邦裁判所としては、州の立法機関や刑務所職員が、憲法的要請や、どうすれば刑事司法システムの中で刑罰の機能をもっともよく達成することができるかという社会学的な難問を意識していないと憶測することはできない。」

 1976年のEstelle対Gamble事件では、連邦最高裁は刑務所内医療の規定に関する最低限要請事項を打ち立てた。身柄拘束により刑の執行を受けている対象者に対して政府は医療措置を講じなければならないとしつつ、連邦裁判所は次のように判示した。「真剣な医療措置を必要としている収容者に対して故意に医療を与えないのは、修正8条で禁じられている不必要で理不尽な害悪の賦課にあたる。」しかしながら、連邦最高裁は有効な請求について、いくつかの制限を設けている。たとえば、過失により適切な医療を与えなかった場合は「不必要で理不尽な害悪の賦課」にはあたらない。事故や単に忘れていたというような場合、さらに治療措置について意見が違う場合なども、これにあたらない。

 このように、連邦最高裁は、修正8条が劣悪な環境から刑務所収容者を保護する、と指示したにも関わらず、連邦最高裁の大部分としては、何をもって刑務所環境が劣悪だとするのかについて、下位裁判所や刑務所についての専門家とは意見を異にするのである。

 連邦最高裁は、依然として、他にも重要な問題をいくつか抱えている。たとえば、刑務所全体の環境の問題に対する不服申し立てを評価する際に検討するべき要素について、薬物利用プログラムなど行動変容プログラムについての憲法的制限、刑務所収容者の安全を確保する環境に関する最低限要請事項の設定など。これまでの判例から考えると、連邦最高裁は、こうしたことやその他の刑務所環境に関する問題について、それ以外の残酷で異常な刑罰の賦課の問題についてよりも、発言に慎重になっているように思われる。

翻訳 寺中 誠