「家族のゆくえ」 あとがき

 大学の仕事にも忙殺されながら、そして、原稿を書いているパソコンの周りを駆け回り、遊んでとせがむ娘にイライラしたり、開き直って息抜きしながら、やめるわけにもいかない父親業を続け、そしてメンズセンターの世話人としての講演会のあいまをぬって、いままで書きためた原稿を集め、修正をくわえ、新たに書き下ろし、なんとか一つのものとして編み上げるための一夏を過ごした。

 そして、この夏はまた特別な事件の連続でもあった。神戸市須磨区で発生した事件は小学六年生が被害者だったし、遺体の首を切断して校門前に置くという事件の猟奇的な性絡も背筋を凍らせた。

奈良県でも中学二年生の女子が、福岡県では小学二年生の女子が、首都圏では高齢者や子どもや女性ばかりをねらった通り魔事件が頻発していた。

 メンズセンターで男性研究を行ない、家庭内暴力、アルコール依存、学習された無表情、攻撃的行動、中年期の生きがい問題、父親の家庭参加などいろいろ考えることの多い男性問題に取り組み、彩り豊かな生活をどうすれば送れるものかと思案していた者としてやはり気になることがある。当然のこととして世間はあまり注目しないし、未だ容疑者・被疑者段階の事件ばかりではあるが、裁きを受ける彼らがすべて男性であることに、やはりひっかかる。年少の場合であれば、少年、つまりは男の子ということだ。「むかつくから」、「イライラしたから」、「カッとなって」、「騒がれて恐くなったから」とその瞬間の気持ちを語る若い男性の、そして未成年の男の子たちのその表現の仕方に、すでに男らしい感情表出と感情処理の仕方がすり込まれている。

 メンズセンターでの活動を、賽の河原の石積みのような終わりなき努力のように感じさせてしまう、こうした男たちの攻撃性、暴力、虐待の重たい現実である。

 しかし他方では、これまでの男性役割から自由に生きる肩の力の抜けた男たちも多い。そんな男たちに励まされながら、ようやく編集者との約束を果たすことができた。

 その編集者のお一人は、人文書院の北山裕美子さんだ。私の友人であるカウンセラーに紹介されたといってある日突然研究室にあらわれ、長時間話し込んでいかれた。それがきっかけで、今までに書いたものを是非一つに編んでみてはとすすめられたのがこの本の端緒である。

 そしてもう一人の、友人でもある編集者の青田茂くんは、本書のもとになっている連載記事を依頼してきた人物だ。当時彼はその雑誌の編集をしていた。いまは別の出版社に移り、わたしたちのメンズセソターに理解を示して、数冊の本をだしてくれている。記して印す二人への感謝の意である。

 なお、本書のもとになった原稿の原理は、以下のような具合であった。

 1の「人格崇拝社会の病理」は、立命館大学産業社会字会の機関誌に掲載した論文「1994」。2は、『どの子も伸びる』(同和教育における授業と教材研究会編)に連載した「家族とコミュニケーション」という12回の論文「1993年4月から1994年3月までの連載」。3は『思想と現代』「柏書房、39号、1995年1月」に掲載した論文をもとに、大幅な加筆と修正を加えたものである。

1997年盛夏、京都  中村正

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