あとがき−ジェンダーとしての男に気づく

 

 私は、ジェンダーやセクシャリティという領域で、男性がいかにして当事者になることができるのか、ということを考えてきました。たとえば、「女性問題は男性問題である」とよく言われていますが、単に裏返してみればいいという具合にはいきません。こうした表現にはいくつかの難点があります。

 一つめは、女性と男性の関係の質を見失うことになります。なぜなら、女と男は相補う関係だとはいえ、それは非対称に、だからです。もう少しいえば、集団としての男性と集団としての女性に配分されているパワー(権力や社会的な支配力)のバランスが異なるからです。メダルの裏表という具合にはぴったりと重ならないということです。ですから、女性問題はやはり女性問題として明確に定義して、女性たちの生き方の選択肢が多くなるように工夫していくべきなのです。男性はこうした女性問題を学ぶ必要があります。ここでのポイントは、女性を男性なみに社会参加させるということではなくて、あくまでも生き方の選択肢を増やしていくということです。男性も女性も、これまでの役割パターンや相互の関係の仕方とは異なる着地点をどのように見いだしていくかということです。女性問題は男性問題であるという言い方の二つめの問題点は、集団としての男性と女性がにらみ合う形になってしまうということです。女性問題の内容は、家族、仕事、出産、育児、自立などにかかわる具体的な問題なのですから、社会的な制度を媒介にして考える必要があります。思いこみや感情論を排して、社会的な問題として位置づけていくことが大切です。男性と女性の対立に先鋭化させずに問題をとらえることが大切だと思います。

 三つめの問題点は、女性問題は男性問題であるという言い方は、男と女が違うことを前提としているということです。私はこれを「再生産論的関心」と呼んでいます。男性問題の歴史の中では、まず、家事と育児の領域に男性がどのようにかかわるかということが主題化されてきたことをみればよくわかります。最近はこれに介護や看護も付け加わつてきています。たしかに「男性の家族的費任」(大黒柱となって稼いでこいという意味での責任とはちがい、家事、育児、介護、看護などの「支払われない労働」に対して無関心ではいられないという意味での責任)は大事です。男女双方の生き方の選択肢を多くしていくためにも、この再生産論的関心からみた男性問題の意味するところはとても大きいのです。

 しかし、こうした関心からの男性問題の意味づけにはおさまりきらない事柄が多くあります。たとえば、男らしさ鋭敏の抑圧性に関すること、独身男性(シングル志向)と一人前規範のこと、男性同士の関係にかかわること、個人の内面にかかわること(特にセクシャリティに関して)などです。こうしたことに応えるためには「再生産的関心」だけでは間に合いません。

 いま、男性問題はこの「間に合わない領域」に向けて広がりの途上にあります。男性問題とは何かというのは、これから構築していく課題です。ですから、いまがとても面白いのです。女性と男性とでは置かれた位置と役割が異なるのですから、ジェンダーへの気づきの過程は性によつて異なります。男性には相当意識的なとりくみが必要です。でも、ひとたび、これまでの社会的経験や思い込みを、男性問題として再構成することの必要性と面白さに気づけば、ずいぶんと話がつながってくるはずです。労働問題、家族病理、夫婦コミュニケーションのズレ、暴走や自殺などハイリスクな行動、アルコールや仕事など多様な形態での依存症、アイデンティティのゆらぎなどの諸現象を、男性問題というフィルターをとおしてながめてみると、実にいろいろな事柄がつながってきます。男性問題はやはり男性問題なのです。しかも男性たち自身が考えるべき問題なのです。

 こうした立場にたって、イデオロギーが先行するような問題定義は避けて、とりあえず男性問題の領域で活動する人たちを集め、その内容を交流し、意見をぶつけあうことからスタートすることとなりました。幸い、メンズグループが各地に誕生しています。同性愛者のグループ、育児、性、売買春、家庭内暴力問題、父子家庭、教育における男性問題、男性保育者グループ、親父の会、男性ボランティアの活動、男のための料理教室や介護実習、新米パパ教室や両親教室、男の自己表現とコミュニケーションの改善など、男性のことを主題にしたいろんな活動があります。男性問題もずいぶんと広がる主題をもっていることがうかがえます。だから、とりあえずは男たちの社会的経験をジエンダーの視点から交流することが大切だと考えました。

 このフェスティバル風の男性会議で見えてきたことをまとめると、次の三点になると思っています。

 一つは、男性が自らをジェンダー的な存在としてとらえていくことの重要な意味が改めて確認できたことです。

 二つは、再生産領域での問題の広がりがみえてきたことです。「家事・育児への参加」という伝統的な男性問題の主題が、女性なみの家庭参加という水準だけではない意味をもつだろうということの発見です。つまり、男性自身の自己への気づき、他者への配慮や関心などの活動をとおして形成される共感能力こそが大切だということです。家事・育児への参加はその第一歩にしかすぎません。

 三つは、「男性中心社会」とまで言われるこの社会でメンズムーブメントをどう位置づけるのかについて交通整理の必要性を感じたということです。ジェンダーの問題にいかにして当事者として立ち現れることができるかという点では、動きはじめた男たちの自己定義とその対立を明確にしながら、男性問題論を構築していきたいと思っています。

 引き続き、こうした集まりをもっていきたいと考えています。