小田実が語る 「無意味な死」をもたらしたいきさつ(英文からの翻訳)
一九四五年八月十四日午後、日本が正式に降伏する約二十時間前、大阪はこれまで経験した中でもっとも激しい空襲のひとつを経験した。
間もなく平和がくるということを知らないまま、多くの人々が死んだ。私はそのとき大阪にいた。
不格好で粗末な防空壕で恐ろしい数時間をすごしたのち外に出てみると、地面に一枚のビラが落ちていた。私はそれを拾い上げた。
明らかにこのビラは大阪を空襲した飛行機からばらまかれたもので、日本語で書かれており、「戦争はもうおわりました。あなたの政府は降伏を申し出ました」で始まっていた。
私は目を疑った。しかし翌日戦争は本当に終わり、日本は降伏した。
私はまだ少年だったが、戦後、なぜ大阪は爆撃されたのかと思いはじめた。日本はすでにアメリカ合衆国とその連合国に降伏の用意があることを伝えていた。
それではなぜ私の町で、莫大な破壊と殺戮がおきたのか。私は色々調べて、徐々に真相がわかってきた。
天皇自身も含めて支配者層は、日本は広島と長崎に原爆が投下された直後に戦争続行は不可能だとさとり、降伏を決めていた。
かれらは天皇制存続の保証さえあればそれだけで降伏するという条件をひとつつけて、中立国を通して彼らの降伏の意思を明らかにした。
天皇自身をふくむ権力者はこの美しい口実のもとに、いのち乞いをしたのだろう。彼らはすでにそのとき、ともに戦争をはじめたナチス・ドイツとファシスト・イタリアの指導者たちの運命を知っていた。
ここでは、かれらが日本国民の安全と降伏への保証を求めなかったことも書きとめておかなければならない。
中立国を通じて降伏の意思を伝えることばをうけとり、アメリカ合衆国政府は連日おこなわれ、大きな破壊をもたらしていた日本の都市への爆撃中止を決めた。
アメリカ合衆国政府は当初日本の要求に明確に答えなかったが、彼らはすでに天皇制が彼ら自身の政治目的のために役立つと考え、日本の降伏後も天皇性を維持することに決めていた。
日本は天皇制存続が明確に保障されるのをひたすら待ち、貴重な時間を空費した。その間に多くの人々が死ぬ必要もないのに死んだ。
日本とアメリカ双方の人々に加えて、基本的にどちらにも属さないアジアの多くの人々も無駄死にしていった。
正式の降伏宣言を引き伸ばすだけとおもわれた日本の態度にしびれをきらし、アメリカ合衆国は力ずくで日本の正式な降伏をひきだそうと、日本の都市への空襲再開を決めた。
八月十五日直前の二、三日の間に、いくつかの空襲がおこなわれた。一九四五年八月十四日午後、私の町の大阪にむけておこなわれた空襲はこの最後の空襲の最大のものだった。この中で多くのの人びとが死んだ。
自分たちの死の背景、自分たちの死の意味を知らないまま、彼らは死んだ。無意味な死 ― ただそれだけの意味しかなかった。
かれらは混沌のなかで死んだ。大阪空襲の約二十時間後、天皇は玉音放送で厳粛にまた平板に、彼の国が降伏したことを告げた。
私自身が彼の声をきいた。私は泣かなかった。
この集会に寄せられたハワード・ジン(歴史家 米国)からのメッセージ
アメリカにおいて戦争に反対している私たちは、広島と長崎を残虐行為として記憶している。
そして大阪への爆撃は同じような言語道断の行為であり、戦争はそれに参加する誰をも残虐にすることを証明した。
このおそるべき記念日の集会に参加されたみなさんへ、私たちアメリカで平和運動に参加する者から友情と連帯の挨拶を送る。
戦争の惨禍を象徴するこの日を記憶することは正しい。