保里:どうもありがとうございました。今お話しいただきましたけれども、時間の関係もあって、それ以外のこともおいおいお話していただきたいと思うんですけれど、今のお話をうかがって、何かお聞きになりたいことがあれば、この機会ですので是非補っていただきたいと思います。ご質問でもよろしいかと思うし、またご意見でもいいんですけれど、今の証言とか七三一などにかかわって日頃考えているとがありましたら、ここで出していただけたらと思うんですが。
篠塚:ちょっと私、追加を。先程申し上げて、証言しておいて、もしその現場を見ていただけたらと思いまして、あえて発言させていただきますけれど。私が七三一に入った時期について申し上げましたけれども、まだ建物が完全にできていないとお話したはずでありますけれど。1939年の6月頃だったと思いますけれども、私たちは第一棟の一番最初の建物なんですが、そこの一番左側に内務班を作って生活して追った訳で、夜中にです、非常な騒動が起こった訳です。騒動というより、私たちの寝ているところへライトをまともに当てられて、帯剣の音と鎖を擦る音が非常にしました。私たちは何事かと思って、まだそういうあれを知らない時期ですから、それで皆、目を覚まして音のする方に行こうとしたんです。そしたら、2階の方に下士官が生活してました。それと憲兵が来まして、「マルタ」を運搬中だと、出るなと、こういうことを聞いて、初めて聞いたのが「マルタ」という言葉です。その時に、今思うと、一番大勢の人を連行して来たのではないかと思います。
ちょうどこのロ号棟の中の七棟、八棟が完成した時点です。その時に、今ハルビンの奮闘街という所、今児童公園になってその近くに、七三一の白樺寮という寮がありました。今、簡易ホテルになっていますけれども、その地下が監獄であったということです。で、上は憲兵だとか特別班の班員の宿舎になっていました。そこに監禁しておった人たちを、ロ号棟の中の建物が完成したので運び込んだのではないだろうかと、このように思っています。それ以外にも何回か、そういうのには遭遇していますが、その時が一番多くの人たちが連行されました。もしハルビンに行かれて時間がありましたら、その簡易ホテルになっているその地下はそのままに残っています。ぜひ一度その辺も見て、犯罪、日本の侵略軍七三一部隊の犯罪の一面を刻んでいただければと思います。ま、あえて発言させていただきました。
保里:いかがでしょう。ご質問、あるいはご感想でもいいんですけれど、どなたか。
(質問):今お話されたことなんですけれど、地下にあった所というのは旧日本領事館の地下のことですか。
篠塚:いや、そうじゃないんです。領事館の地下にもそういうのがあったと言うんですが、七三一の1つは吉林街分室というのがあったんです。これはもう1つは白桃寮、白樺寮というのがあって、その白樺寮というのが主として憲兵だとか、特務機関じゃないかと。特別班の班員の宿舎になっている。だからそこに、監獄作って収容して、それで監視の役もした。それでロ号棟が完成したので、こちらに運んだ。それでその前は、前にあったのは五常県の背陰河に中馬部隊というのが最初にあった訳ですが、それからあとは、浜江駅の近くの香房から来まして、そこは後に七三一部隊の三部になっています。私たちは当時、南棟と言っていたんですが、これは後に防疫給水部の三部になったところなんですが、そこでもその前はそういう実験をしたのではないかと言われておりますが、その確証は私にはありません。背陰河時代というのがありまして、背陰河から南棟と言ってた場所に来て、そこに来たときはすでに平房の建物の準備、準備って言うより工事を初めていたんじゃないかと思います。13年(1938年)、12年(1937年)の終わりか13年、14年には完成していますんで。昭和で申し上げましたけれども。
(質問):先程のお話、私の聞き違いかもわかりませんが、七三一部隊の犯罪性がまだ明確になっていないということで、いずれ明確にされるであろうというお話がありましたけれども、これだけいろいろ物証があるように私には思えるんですが、それでもその犯罪性は明確になっていないのかどうか、それから、なっていないとしたら、いずれ明確になるであろうではなくて、だんだん風化する前、今日現在です。まあ、どういう人たちが明確にするために努力をしているのか、今やらないと、風化してなくなっちゃうんじゃないかと心配するんですが、その点についてはどうですか。
篠塚:その点についてなんですが、七三一の犯罪は、なぜ今になってという疑問があろうかと思いますけれども、これについてはアメリカが非常に関与しています。これは私は当時日本にいなかったのでわからないのですが。まず、石井その一党のミドリ十字を作った内藤良一、彼が立役者だと言われていますけれども、アメリカとの取引、免罪符をもらうために、今までの生体実験を含めた細菌戦のノウハウの資料をアメリカに引き渡すことによって東京裁判から免訴されたといういきさつがあります。その資料が、明らかにはなりつつありますけれども、その点で七三一に関しては、まだまだ具体的などんな実験をやってどんな結果を得ているのかその辺の問題だけは残っていますけれど。それと、先程申し上げました防疫給水部です。これは、日本の政府が知っているはずなんです。恐らく防衛庁あたりにその資料があるはずなんです。それが公開されれば明らかになってくる。七三一に関する問題も、防衛庁に、アメリカの方では日本に渡していると言っているはずですので、日本が隠している防衛庁に多くのものが入っているのではないかと言われていますけれど。そうしますと、先程私が申し上げました防疫給水部の任務ですが、彼らはこれで逃げきるんです。第一線部隊に跟随し、水を供給するんだという逃げ口上です。だから隊員自身が、もう証言も、部分的にはあるようです。だからこの辺のところを日本の政府を問い詰めていくより他ないと思います。今でもおかしな発言が閣僚の中から出る日本ですから、必死になって隠すんだろうと思うんですが。まあ、そのように思います。私たちにも力及ばない点が多くある訳なんですけれども。
保里:まあ、七三一部隊に限ってお話をされている訳ですけれど、 僕なんかは専門では全然ありませんので詳しいことは知らないんですけれど、僕が七三一のことを知ったのは、最初は森村誠一さんの『悪魔の飽食』三部作がありますよね、あれを読んだときに、石井四郎というのをトップとして満洲のハルビンの非常に特殊な部隊が特殊なことをやっていた、こんなおかしなこともあったのかと、非常に猟奇的な意味での関心しかないというようなことが何年か前にはあったんじゃないか。その後、陸軍の予防研究所ですね、ここを通じて医学界から若い研究者を呼び込んで、日本の医学界全体がかかわってくるというあたりが次第に解明されてきたのと、この間、七三一部隊展なんかも全国的に行われて、その辺のことと戦後のミドリ十字などをはじめとする製薬会社と予防研を中心とするような国家、厚生省全部とは申しませんけれど体質とかそういった所が、日本人の問題としてある程度明らかになってきた。
最近、実際に細菌戦が各地で実戦に使われたという解明がかなり進んできているんですけれど、ただまだまだ解明していかなくちゃいけない問題点というのはまだまだあるんじゃないかと感じているところなんです。特にさっき篠塚さんもお話になりましたけれども、七三一に関係した上級の軍人ですね、この辺がソ連が侵攻してくるとなるとすぐに命令を受けて引き揚げてしまうと、そういった素早い動きの所にはかなり日本の軍隊の中央部といいますか、そういったものがかかわっていただろうし、政府がかかわっていただろうというそのあたりが解明されていないのが1つあるんじゃないかという感想を、まあただの感想なんですけれど思った次第です。
今後質問かたがたで結構なんですけれど、七三一に関係してどういうあたりを日本人の問題としてあるいは課題としていかなくちゃいけないのか、それについて戦争の真実を伝え広めていく私たちとしてはどんなところに力点を置いて運動していくのか、そんな所までいくと難しくなっちゃうんですけれど、ただの感想でいいんですけれど、日頃考えていることがありましたら、発言を継ぎ足していただきたいんですが。
(質問):ちょっとお伺いしたいんですが、私も体験者の方々のお話を聞くときに、自分がその立場だったらやめることができるかなと、非常に怖い思いをしているんですけれど。先程、死体じゃないまだ生きている人をデッキブラシで洗う時に最初、躊躇されたというお話をされたんですが、ノミの培養とかいろいろやらされているうちに、これはやはり大量に人を殺すためにやっているんだということはおわかりになったと思うんですが、どういうお気持ちでいたのかなあというのが一番知りたいのですが。たとえば、上官の命令だから従わなければという事だったのか、それとも手柄をたてて上に行きたかったのか、当時のお 気持ち、いろいろあったと思うんですが、そのあたりをお願いいたします。
篠塚:当時の私が最初に七三一に入ったその経緯については先程申し上げましたけれども、最初から知ってて入った訳ではありませんでした。しかし、さっき申し上げましたように、秘密があればあるほど何か、やりがいのあることが待っているんじゃないだろうかという幻想です。これはやはり、その秘密の中に食い込んでいければ何か自分が得取るんじゃないだろうかと、こういうことと結びついています。だから口では国のためだなんだと言っていますけれど、やはり自分の出世という問題、これは給料を少しでも良くなろうということ、これと密接にかかわります。
今、私自身もこんな人間だったのかと思うのはです、結局、特別班出入許可というのが出たときに、私がどんなことを思ったのか、当時はもう特別班に入れば人体実験の下働きをやるんだということがわかっていながら、やはりそこに幻想があるんです。やはりその中にいれば、エリート、そう全員が入れないところに入れるようになったという何とも言えない心理が働いています。これはやはり、ずるずる、ずるずると悪の中に入っていって、最初はだんだんはこういうことをやることによって少しでも残っている良心の疼きがあったんですが、それがだんだんなくなっていく。確かにそれがある訳なんです。
それから七三一の部隊訓というのがある訳なんです。石井が作ったのです。「科学に国境なし、科学者に祖国あり」という言葉。それが、特別班の入り口に貼ってあったんです。それと「自分のおる所を深く掘れ」とかですね、そんなのが部隊訓としてありましたし、また、私は常に、ABCDの包囲の中にあるということで、やらねばならないと、この連発です。
このような教育の中、また私たちが細菌学だといって教育を受けたのは、最初から生きた菌で実験をすると、また、動物解剖実験を主としてやらされると、この残忍性です。まず動物を殺すことから平気になっていく。
もう1つあるのは、アジアの人たちに対するいわれのない蔑視観です。これらのものがグルグル巻きになってやってきたと、そのように私自身は反省しておりますけれども。
(質問):どうも長い間ありがとうございました。七三一部隊にかかわった人たちは、秘密は墓場まで持っていけということを言われてなかなか証言していないということもあると思うんですけれど、篠塚さんはもう10年以上も前から証言活動をされているというふうに伺っているんですけれど、証言されるんきっかけとなった事柄と言いますか、それから右翼の妨害とか、証言した後そんなの嘘だということを言われたこともあったとか聞いたんですけれど。証言をするきっかけと、それから七三一部隊展というのをすでに全国的にやったと思うんですけれど、その中で一番大きな収穫っていうのは、七三一部隊展にかかわった 人たちが新たに証言者として証言したという、その中でそれこそ秘密に七三一部隊展の人たちに電話をかけて来てこれは絶対に名前を出さないとか、非常に神経を使いながら証言者が出たという話を聞いているんですが。篠塚さんの体験を通して、今回私たちにの中にもちろん戦後ずいぶんたってから生まれた若い人たちも多いんですが、そういうご自分の体験を通しての若い人たちへのメッセージをお聞きしたいなと思うんですけれど。あともう1つ、時間があればそのようなだんだん平気になっていって鬼のような状態になった篠塚さんが撫順の戦犯管理所でご自分の罪に気づかれて人間性を回復されてた個人的なきっかけ、向こうの方々の対応などについて何かあればお願いしたいなと思うのですけれど。
篠塚:どうお答えしていいのか。私自身、私たちって言った方がいいかもわかりませんけれど。中帰連の仲間たちが証言する。これはやはり撫順または太原の戦犯管理所、ここで本当に人道的な扱いを受けましたし、また人間としてはどうあるべきなんだろうかと、これを教えられたというより、その中で自分自身がくみ取ってきたと、こういうことに尽きると思います。本当に人間ってこうあるべきなんだと言うことを確かに教えられました。