2002平和のための戦争展 証言日程(予定)
主な証言者の方のプロフィール
【中国での軍隊・加害の体験:中国帰還者連絡会】
◎湯浅 謙さん
1916(大正5)年、埼玉県生まれ。東京慈恵医大卒業後、都内の病院の勤務を経て旭川歩兵第28連隊入隊後、軍医中尉に任命される。1932(昭和17)年、山西省@安(ろあん)陸軍病院に配属。そこでの「生体解剖」実験を中心に、現在証言活動を続けている。
◎金子安次さん
1920(大正9)年、千葉県生まれ。1940(昭和15)年徴兵される。1942(昭和17)年、第59師団53旅団44大隊の重機関銃中隊に配属される。部隊の掃討作戦での略奪、強かんや「慰安婦」問題についても証言を行っている。
◎小山一郎さん
1920(大正9)年生まれ。1940(昭和15)年徴兵され、59師団53旅団独立歩兵第43大隊に所属。華北地方で中国人強制連行作戦などの作戦に関わる。
◎金井貞直さん
1919(大正8)年、山梨県生まれ。1940(昭和15)年甲府49連隊入隊。1945(昭和20)年第59師団110大隊機関銃中隊長。八路軍(共産党軍)の掃討作戦の中で、いわゆる「三光作戦(殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす)」を展開する。
◎篠塚良雄さん
1923(大正12)年、千葉県生まれ。1939(昭和14)年、16歳の実業学校在学中に石井部隊(731部隊)の入隊試験を受け合格、少年隊として入隊する。731部隊での菌の培養やノミの増殖など細菌兵器の生産に関わった体験を証言する。
中国帰還者連絡会とは:中国侵略の一端を担った元兵士たちが、対中国戦犯容疑者として撫順(969名)と太源(140名)の戦犯管理所に収容され、そこで自らの過ちを反省し、許されて帰国。帰国後1957年に組織を結成し、戦争加害の証言活動を続けている。また、若い世代により撫順の奇跡を受け継ぐ会が結成され継承された。
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/
【広島・長崎での被爆の体験:東友会】
◎田代啓子さん
16歳の時に、爆心地から1.2qの広島市千田町、広島大学前のビルの中にいて被爆。外出中のことだった。細かなガラスの破片が頭から足の先まで突き刺さる。未だに体の中にはガラスの破片が残っており、ときおり出てくる。
◎出島艶子さん
18歳の時に、爆心地から600mの広島市紙屋町、電話局のビルの中にいて被爆。仕事中だった。
◎米田チヨノさん
19歳の時、爆心地から1qの長崎市油木町で被爆。爆心地から500メートルのところにあった姉一家は7人全員が死亡している。
◎眞實井房子さん
23歳の時に、爆心地から1.7kmの広島市打越町の自宅で2歳の子どもとともに被爆。庭で洗濯物を干し終え家に入ろうとしたときだった。
◎山下久代さん
21歳の時に、爆心地から1.6qの広島市平塚町で被爆。建物疎開のあとかたづけのために町内会の人たちと出かけ、警戒警報が解除になり、ほっとして作業を開始した時だった。
◎山田玲子さん
小学生の時に、爆心地から2.8qの広島市己斐町の小学校で手旗信号練習の休憩中に運動場の砂場で被爆。
東友会とは:広島・長崎で原爆の被害を受け現在東京に住んでいる被爆者の組織。1958年に結成され、核兵器廃絶を目指す運動、被爆者援護法の活用と改善、国家補償の法律への改正に向けた運動を進めている。
http://www4.ocn.ne.jp/~t-hibaku/
【日赤従軍看護婦・病院船と広島での救護の体験】
◎守屋ミサさん
1921(大正10)年、新潟県佐渡生まれ。高等女学校を卒業後、日本赤十字社の看護婦養成所に。1942(昭和17)年から1943(昭和18)年の1年10ヶ月の病院船に勤務の間に22回の航海に出る。3回目の招集で広島陸軍病院大野分院に配属となり、被爆者の救護にあたる。