jw.orgでは言及してませんが

ラッセルはイエスを礼拝し、イエスに祈っていました

 現代のエホバの証人は、イエスは最初の被造物であり、神が生んだ子である、従ってイエスは神ではないと言う。だからイエスを崇拝できない。
 ところが、初代会長C・T・ラッセルは、神であるイエスを礼拝し、イエスに祈るようにと教えていた。

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 彼(イエス)は天から下ってきたと繰り返し言っているし、人として試練と悲哀を経験したのだから、神の権威を有し、神の権威を行使した。赤子の時(生まれたばかりの王を見に来た賢人からは)でさえ、咎められないで礼拝される対象だった(マタイ2:2-11)。天使さえ喜んで彼(イエス)を褒め称え、崇めた。「さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。『神の御使いはみな、彼を拝め』」(ヘブル1:6)。
 彼(イエス)は自分に礼拝しようとする者を一度もとがめなかった。コルネリアがペテロ(使徒のリーダー)に同じ態度を取ろうとするとこう言われた。「お立ちなさい。私も同じ人間です」(使徒10:25)。初期の異邦人へのキリスト教伝道者はいけにえを捧げる人々の偶像崇拝をめったには、とがめなかった。「私たちもみなさんと同じ人間です」(使徒行伝14:15)。だからそういう道理では、キリストが人間であったなら、礼拝を受ければそれを拒んだであろう。("Zion's Watch Tower " 1880/10)

 


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 救い主、中保者に祈りを捧げることはふさわしい。私たちを愛し、私たちのために身を捧げたことは間違いない。今でも私たちを気遣い、私たちを愛している。……私たちは誰からも彼(イエス)に祈り捧げるようにとは、強制されないが、それは適切であろうし、妨げられてはいない。弟子はイエスを礼拝した(マタイ28:9-,17)。("Zion's Watch Tower"1892/5/15)


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