第9章 デプロミング対脱会カウンセリング
この場のどこかほかの場所にいたいと思いながらも、君はホテルの一室に座っ ている。隣に座っているのは君の母親であり、昨日までの3日間の緊張は、顔 のしわに明らかであり、27歳の兄はそこにいる。選んだ道ではなく(ある程 度分かっていたが)『塔』組織への信仰に挑戦するために計画された3日間の 話し合いの一部である。
初めの日、彼は信仰の防御に自信を持ち、断言調であり、傲慢でさえあった。今日、彼はもはや、ニューヨーク市のエホバの証人統治体の教えに従っている400万人以上の人々の組織について考えることに確信か持てなくなった。
数日間も座っていることの苦しみのせいで、答えを待ちながら30代の見知らぬ人が若者に鋭い質問をしている。口からことばを発するよりもむしろ、彼は5分以上にわたる沈黙の中で待つことを喜んでいる。若者自身の反応した質問に答えるためである。あなたは悪意をもって金切り声を上げる用意があると言うことを彼に伝えようとしている。なぜ彼はそれが分からないのか。母親は彼が彼自身であるかどうか答えるために助けることはないだろう。
若者は誘拐されたのだろうか。意志に反して拘束されているのだろうか。
いや、彼は、通常、インターベンション(ディプログラミングの感情的演出の類)と呼ばれるものを経験しているのだ。
ディプログラミングはテッド・パトリックのような人物を通して、70年代に評判を得た。彼は人を欺く組織の支配に捕われた若者を自由にするため、カルト宗教の暗黒世界を証明する仕事についた小柄でがっしりした黒人である。ロナルド・リーガン知事から、カルフォルニァ州のサンチャゴとインペリアル郡の社会関係の長として正式に指名された。パトリックの息子ミカエルが「神の子」と呼ばれる福音伝道の集団に関係を持つ10代の若者たちと小競り合いを起こしたとき、パトリックはそれに関与した。パトリックは、彼らのことについて知るためだけに、その集団に侵入しようとつとめた。絶え間ない宣伝の爆撃、睡眠不足、それに聖句の朗読と結びついた衝撃的な刺激を通して、若者(そしてパトリックのような中年層も)の自然の防御を奪い去るよう、計画された激しい教義を発見した。思いがけないことに、パトリック自身、まるで催眠術師の呪文にかかったかのように、現実感の理解力を喪失しているよう、感じるようになった。
集団を抜け出たあと、パトリックはデプログラミングと知られる救出作業の新しい類に導いた宗教的カルトの調査を始めた。彼の無意味な接近法は、カルトからは「黒い光」のように知られる。彼は、親やデプログラミングされた子供たちからは救い主としてみられ、統一教会、「神の子」、クリシュナなどからは「人間の顔をした悪魔」と見られた。
パトリックはデプログラミングの分野に入った多くの者のうちの一人だった。そうした者にはカルトの元信者のような者たちがいた。カルトの犠牲者たちと長く会話する必要があるから、カルト集団から引き離すために犠牲者を誘拐する必要に迫られ、もしデプログラミングが不成功に終わったりカルトの犠牲者が告訴を請求したなら、時には(カルトの強要のため)刑務所で時間を過ごした。しかし少数の例では、警官は犠牲者の両親の監督の元、しばしば誘拐を手伝った。
<<<<<<<<<<<< 脱会カウンセリング >>>>>>>>>>>>
デプログラミングがまだ小さな規模にとどまっていたとき、「マインド・コントロールの実態」(スティーブン・ハッサン)が説明しているように、近年もっと好ましい接近法が役だっている。スティーブ自身、統一教会の高い地位の元信者である。極度の疲労から睡眠に落ちたあと、資金調達のバンを運転中、衝突しデプログラミングされた。ユダヤ人の母親は彼の足を砕くよう、神に祈り、デプログラミマーを雇う好機を家族に与えた出来事である。話し合いは成功した。スティーブは今や、脱出カウンセラーと知られる新しい血統の多くの声の一人である。これは単にデプログラミングという洗練された呼び方であるのか。あるいは違いはあるのか。
デプログラミングは通常、カルトからの誘拐と隔離を伴っている。最近のテレビ番組、「48時間」によると、アリゾナ州のデプログラマ、リック・ロシスは、信者にマインド・コントリール技術を用いることを意図していた地方の伝統的教会の支配からある若者を救出する手助けを援助するため、アラスカ州に流れ着いた。その若者は、家族の手で誘拐され数日間の質問と論議のためにホテルの部屋に連れて行かれた。若者の集団離脱の終わった後、何人かの第3者は、デプログラミング自体、マインド・コントロールの一形態だと感じた。正道を踏み外す集団から人を抜け出すために、マインド・コントロールが逆用されたと感じた。
カルフォルニァ州立大学バークレー校の心理学教授であり、カルトのマインド・コントロールの分野のエキスパートである、マーガレット・T・シンガは、それが一つの事例ではないと説明した。
私は、カルトに入るのもプログラミングも極めて異なった心理学的異常現象 として見ている。カルトに入れるには、思考過程を停止するため、カルトの用 語と概念だけを考えるため、過去を考えることを止め、あるいは思考の(狭い) 枠組みを与えるために、新しい伝授をするようなカルト新人採用から成る。デ プログラミングの過程はもう一度、再び自分の心を用いて、自分の経験を信頼 するため、人間をより自由にすることだ。1979年テレビショー「汝は為さ れる」
私たちの多くは、愛する者に「重装備」の戦略を用いる考え方に尻込みする。何人かは(極端なカルトにひきこまれた子どもの親はふつう、そうだが)カルトが正当な理由の誘拐や肯定的拘束のような危険なものと感じている。インターベンション(脱会カウンセリングをふくむ出来事)の考えにより近いものは、より訴えるものがある。強制やごまかし行為がふくまれていないからだ。どのようにしてインターベンションが続くのか。脱カウンセラに値する者はどんな人か。
あるインターベンションは、電話相談で始まることもある。カルト犠牲者の親族や友人が脱カウンセラに相談する。人がカルトにまきこまれた過程や、家族がそれにどう反応し、犠牲者の関係を抜け出すためにどんな取り組みが行なわれたかなどを記述して、事例評価書式が完璧な形で郵送される。その事例は脱カウンセラから見直される。戦略と料金が議論される(料金は旅費などが配慮されるとしばしば数千ドルになる)。双方とも同意が成ると、行動の初期の計画が公然と、あるいは非公然に用意される。公然な計画は直接の接近法を用いることもふくむ。典型的なものは、カルト犠牲者との3日間の話し合いである。公然的カウンセリングや議論に同意を得られそうもない人たちとは、隠密の計画が話し合われる。カルト犠牲者に偶然「ばったり会う」多様な元カルト信者(ふつう、他の宗派の元成員)といきあたりばったりの遭遇を取り決めるなどして、さまざまな準備作業がふくまれている。カルトと犠牲者自身の関係に関連する批判的考え方の種を植えるように望んで、カルト成員とのわずかな証を分け与えることを含んでいる。そうした遭遇はバス停や、商店や職場や家庭でさえも行れるかもしれない。「見知らぬ者」は、ほかの家族から食事に誘われるかもしれない。概念は次の通りである。エホバの証人は元統一協会の信者と話し合って脅かされるとは感じていない。しかし教会のマインド・コントロール技術が話し合われるとき、エホバの証人は、マインド・コントロール技術が極めて似ている組織の間の類似性に(教義ではひどくかけ離れているけれども)脅威を覚え始めるかもしれない。
隠密の調停に向けて、満足すべき地歩が固められると、脱会カウンセラがカルトの元成員といっしょに付いてくる。
インターベンション(調停)は、典型的には3日間で終わる。カルト成員が受け入れられ、家族や友人が少なくとも3日間利用できるときに計画されれる。配置はふつう、ホテルの一室か娯楽物が会話を妨げない場所であろう。たぶんカルト信者が巻き込まれた組織について十分知らせることを最初の日の朝にカルト犠牲者に知らせるだろう。カルトの元信者の一面だけの知識よりも十分知る余地があると家族が十分な保証をする。もし、カルト犠牲者が後に組織にとどまると望んだとしても、それは自分の決心だと家族が説明する。家族は組織を離れることおを強制市内だろう。犠牲者が正しいことをしているのを確かめたいだけだ。カウンセラーは限定されるというけれども、この形式の接近法はカルト犠牲者にとっては次のような改良点がある。
・カルトの犠牲者はそれ以上の統制を受ける。そしていつでも歩き回れる
・カルト組織やその指導者はけなされることはないだろう。
・カウンセラは攻撃的でなく、議論が好きでもない。
・家族は出席するだろうが犠牲者を批判しないよう命じられる。
・カウンセラは自己表現と質問の過程を奨励する。
<<<<<<<<<< 対決 >>>>>>>>>>>
家族は朝方に、インターベンション(調停)のカルト成員に今や始める時であり、いきすぎたパラノイア(妄想症)の進捗を避けるときだと告げる。成員が脱け出られるよう話し合おうとはしない、指導者と相談する時間はないと、成員に話す。成員は正しいことをしていることを確かめるため家族が始めた出費ともめ事を知らされる。狭い心を表に出したり外面をはなしあうだけなのにそれを避けるために嘘を付く者はいない。多くの成員の社会的親切に依存する。多くの者は、彼らの利益のために大げさなもめごとや出費を経験していることを家族に知られたくはない。そして信者を拒絶する。信者を愛している友人なら、特にそうだ。おまけに脅迫が用いられない限り、彼らは自分の正当性を主張することを大概、確信している。自分の信仰を支持する機会と、一番よく知っている家族に分からせる機会としてそれも分かっている。それはマインド・コントロールの犠牲者ではない。
<<<<<<<<<<<<< 1日目 >>>>>>>>>>>
脱会カウンセラは、クライアント(顧客)を脅しつけるよりも、むしろ、元気付けるよう気を配る。彼は「洗脳された」り、ばからしい存在として責められてはならない。どちらも本当でない。
加えて、カルト犠牲者たちの特徴は、他の人たちよりも知性が足りないのではない。しばしば「農作物のクリーム」であっても、若者さ、知性、理想主義、これらのしばしば純真なものと語る。大体、生涯の過渡期に、新しく加入した。強制と操りの埒外にいた者には、比較的、攻撃を受けやすいときだ。
カルト犠牲者に対し、なぜ組織に関わりを持ったかその理由を考えさせたり、十分な集団の調査をさせないでそうした確固とした理由があったかどうかを考えさせるよう、脱会カウンセラが試してみるなどして、調停は大概、そうした対話と質問から成り立っている。脱会カウンセラの信念はというと、ひとたびカルト成員がカルトに結びつけている感情的な要素はもちろん、信仰体系とその献身の中の論理的な結果に気付いたなら、彼はその組織にとどまることを快く感じないだろうということだ。
しばしば他の宗教的、政治的あるいは心理的なマインド・コントロール集団のビデオが映し出される。カルト成員は自分たちだけが真理を持っている、神の選ばれた預言者に従っていて、地上での真の組織だと信じていた人々の証しを耳にするから、こころの中に不調和を経験するだろう。脱会カウンセラは、カルト成員に過剰のストレスを与えないよう留意する。彼は疎外感を避けるため、顧客をゆっくり歩ませる。
他の集団の元信者の証しを観察したあと、これら明白になったインタビューした相手は、「異常な」人たちかどうか、たまたま騙されただけの正常な人々かどうかが、問われる。「彼らはどんな風に組織やその指導者を思っていたのか」「ひきつけられた動機は何か」「なぜ、最終的に彼らが脱会したのか」。こうしたことばは、脱会カウンセラからの共通した質問である。結局、表面的に教義や外観は異なっていても、多くのカルトはマインド・コントロールや恐怖や成員に保たせる罪といった、同じような技巧を用いることを知るに至るかもしれない。同時に自分の組織にしばしばその証拠を見いだし、脱会カウンセラによる同一の質問を問われるかもしれない。
<<<<<<<<< 第2日目 >>>>>>>>>>
この日には、カルト成員の組織と指導に対し、もっと注目させる話合いが含まれるかも知れない。集団の性質を覆い隠すよりも、むしろ彼らの文献や他の歴史的情報、さらにたぶんそれをテーマにした評論(新聞や雑誌の文章、書籍、映画記録など)を用いて、指導者と組織の歴史がきわめて客観的に試される。脱会カウンセラは、カルト成員が批判的な証拠の有効性に挑戦することを許す。なにが語られていたかの真実性をもっと深く提出できる用意はすでにできている(彼らは大きな書類カバンを持ち運ぶ)。独善的にならないよう、注意せよ。脱会カウンセラや組織の元信者の出席は、カルト成員に言いたいことを言わせる(さらに示されているものを信じないゆえにカルト成員から出される言い訳にやさしく挑戦しながら)。テーマとなった事柄は手元のものが広い範囲に散らされるまで挑まれることはない。成員が事実に目をふさぐことがないように、論争に転じるようにはしない。
2日目の終わりになると、時にカルト信者は、「さて、もし私が去ることになれば」といったことばを語って、組織を疑う兆候を示しているかも知れない。インターベンションがここまでは成功している兆候だ。
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3日目 >>>>>>>>>>>>
信者が良心に従って、考えているものが正しいか、邪悪かの議論に中心を置いてもいいかもしれない。もし、すべてがうまくいけば、好奇心が進んで信者は疑問を持つだろう。信者が聖書に基づくカルト(エホバの証人のような)の中にいるなら、聖書が論じられる。出席していた元カルト信者の熟練が有用な場面だ。たいてい、彼はクリスチャンになっていて、聖書解釈と聖書の歴史に関しては広い範囲の背景を持っていた。現代の預言者の言うところではなく、初期の歴史上の文脈の中で理解されるべき教義をともなう歴史的な宗教としてクリスチャニティを提示するかもしれない。インターベンション(調停)は神秘なものではなく、選ばれた少数の者のために限られたものでもないことが説明される。脱会カウンセラは組織の外にも生活があることをも、指摘する。元信者の出席はその証明であり、彼は幸福で満たされた生活を過ごしている。
3日目の終わりになると、十分な情報が論議され、十分な対話から信者は組織の自分の理解の中に多くの間違いを認めるだろうことが確実になるだろう。組織を理解するにあたり、何をしようとしているのかが問われる。彼が真理を語っていないとき、または見えすいた嘘やそのほかの困惑している事柄を発見したとき、かれは良心に基づいて組織にとどまることができるか。少なくとも片寄っていてそれが嘘であると知りながら、組織の中にいるほかの者に正直に伝道することができたのか。そうしたことを指摘した質問は、少なくともしばしの間、集団を離れる決定をしばしば作り出している。適当なフォローアップが行れるのであれば、脱会のための無条件の意見は必要ではないだろう。信者はすでに自分の結論に近づいた。自分の考えをまとめる時間が必要なだけだ。しばしの間、彼はカルトから離れるか質問される。それは考えをはっきりさせる手助けとなるだろう。もし信者が3日間でそれを行えば、彼が学んだことをほかの人にも分からせようとする試みを除いては、おそらく組織に戻ることはないだろう。
<<<<<<<<< フォローアップ(継続) >>>>>>>>>
フォローアップ(継続)するにはいくつかのわけがある。
・この段階では組織(友人たち)との感情的結びつきはまだ非常に強力だ。
・孤独感と幻滅感はカルトに戻る望みを生じる重要な要素だ。
・新しい決断についてのためらいは、しばらく残る。
・未来についての迷いと方向錯乱はつきまとう。
フォローアップ(継続)は、元成員はもちろんのこと、脱会カウンセラとの接触の継続から成る。質問に答え、道徳的な支援と耳からの理解を与え、新しい挑戦として残りの生涯にわたって励ますためである。その活動は、スポーツやレクリェーション、家族との触れ合いを持つように、インターベンションの間、受けたストレスを減少するためにとりきめられるかもしれない。正常な人たちとの交わりが重要だ。結局、彼は自分の証言を分け与えるよう励まされるべきだ。それ自体、効果的な治療である。彼は孤独ではないことを知らせましょう。支援している集団に招くことだ。回復は時間がかかる。家族や友人たちは回復を急がないよう、知らせるべきだ。彼のカルトへの関与に先在していた感情的問題と心理的問題はたぶんカウンセリングを通して取り扱われるのがよい。脱カルトの癒しは、継続する過程である。ときには数年も時間がかかる。本当に愛した者が関わった時、彼らはそのくらい年月を費やした年齢になっていたのだ。
<<<<<<<<<<<<<<< 私にできること >>>>>>>>>>>
エホバの証人の場合でも、多くの人はカルトに巻き込まれた愛する者のための脱会カウンセリングの選択を調査したいと望むかもしれない。彼らは祈ることを含め、ほとんどのことを試してきたかも知れない。しかし成功しない。祈りは継続されることだ。あなたにもできることがもっとある。あなたがもっと学びたいことを助けるものは何があるか。
テーマにした本を多く読みなさい(「マインド・コントロールの実態」など)。多様な集団の元カルト成員の手になる本を読みなさい。カルト・アウェネス・ネットワークやカルトに対する地元の教会のような組織が主催するセミナに出席しなさい。十分に準備をしすぎることはない。私はまた、「閉ざされた心を開く」というトラクトを書いた。切手を貼って自分の住所を書いた封筒を同封すれば無料で送ることが出来る。
脱会カウンセラは困難な場合には特別の金銭尺度で働くけれども、インターベンションのコストはこうしたルートを選ばない理由となる。もしこのルートを選ばないにしても、脱会カウンセラーの経験から学ぶことの出来る賢明な原則がある。
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