エホバの証人を説得する

 ものみの塔の目的と不朽の価値

 飛び込みのセールスマンと同じく、エホバの証人は「商品」(ものみの塔のたより)を正当化する達人です。エホバの証人は戸別伝道では訪問先の人の宗教を知りませんから、世のすべての宗教を理解するように求められます。
  家の人がキリスト教か、仏教か、モルモン教か、イスラム教かにかかわらず、家の人を「ものみの塔の方舟」に収容しようとして効果的な伝道を演技するよう、証人は徹底的な訓練を受けます。
  証人は戸別伝道を支援するために一連の稽古を重ねます。世の人をものみの塔の宗教に入信させる方法を訓練します。「ものみの塔」や「目ざめよ!」のほかに玄関先で遭遇する議論に上手に対応する用意をしています。雑誌以外の書籍をカバンに入れているときもあります。
  それは「聖書から論じる」、「永遠の命に導く知識」、「聖書は実際に何を教えてますか」です。「論じる」は神学・政治・祝祭日・輪廻転生・進化論のような種々雑多な反論意見や疑問に反論するために用います。世の時事的な問題を扱っている本です。
  「知識」と「聖書は実際に何を教えてますか」は教義の本です。改宗させようとしている人を教えるために使われます。エホバの証人は家の人の宗教に闘いを挑みます。ものみの塔協会は本物の神の組識(本物の宗教)と説得させるように企画されています。それは、輝かしい成果を見れば分かります。
  ものみの塔の神学に挑戦するために使用される聖書的な話をすれば、彼らにすれば侮辱されていると見なされます。反抗する人の話は「異教に由来」しているからです。エホバの証人は席を外すかもしれません。たたずんで自分の話を続けるかもしれません。論争が始まると有能な証人はたいてい、姿を消します。
  忘れてはなりません――「真理」を手にしていると信じていますし、改宗の対象者にそれ教えます。その逆はありません。十分な訓練を受けています。それも完全に管理された訓練です。
  これらの3冊の本を使い、接触する相手に備えてものみの塔協会の答えで十分に準備をしています。それでも出版物には権威がないと分かるとエホバの証人は無力です。意のままになります。
  敵はものみの塔の出版物の権威です。エホバの証人ではありません。エホバの証人に効果的に証しするためにはそれを理解することが大事です。ものみの塔の文書への信頼がエホバの証人の脆さになります。

ものみの塔の訓練方法

「どんなことを話し,どんなことをすればいいのですか」と私は質問しました。
「そこに全部そろっているんだよ。レコードをかけ,質問を読み,家の人に答えを読んでもらい,それから聖書を読めばいいんだ」と,父が答えました。(「ものみの塔」1998/3/1 P.21)

 昔々、聖書研究生(昔のエホバの証人の呼び方)は携帯型のレコードプレイヤーを手にして戸別伝道に行かされました。ビニール製のレコードでものみの塔のたよりを流していました。そのレコードにはものみの塔の小さなカードに書かれたような、家の人向けの一連の質問が含まれていました。
  引用した記事から分かるように、答えは聖書を読む前から与えられています。ものみの塔協会は、聖書を読む前から答えの形式ですでに聖書解釈を決めていました。それを読者に与えます。
  古風なマインドコントロールです。改宗される人は何が起きているか、分かりません。
  この技術は今日でも王国会館の集会で使われています。「ものみの塔」誌から質問を読み上げ、「ものみの塔」誌の答えの欄を読んですでに協会の与えている答えを言います。
  エホバの証人は自分で読んだ理解に基づいて質問に答えることは許されていません。盲従すると「ものみの塔」誌に与えられている字句をそのまま答えます。
  エホバの証人にとって「ものみの塔」誌はどれほど重要なのでしょうか。エホバの証人の救いは「真理」に基づいています。それは、協会の解釈のレンズを通して聖書を理解した上での「真理」です。
  このような動機で改宗のツールとして使える出版物を作っています。


主要な研究の教科書

 ものみの塔協会は「聖書から論じる」ではエホバの証人を次のように定義しています。

定義: エホバ神と,人類に影響を及ぼすエホバ神の目的について活発に証しをする人々で成る世界的なキリスト教社会。エホバの証人の信条は聖書だけに基づいています。

 しかしものみの塔協会にとって聖書は唯一、ものみの塔によって解明される神秘的な書物です。この矛盾をエホバの証人に理解させるためには次のような質問が考えられます。
クリスチャン:ものみの塔の支援がなければ聖書通読にさしつかえがありますか。
  もしエホバの証人が「その通りです」と答えるなら次にように尋ねます。
クリスチャン:それは聖書解釈のためには「ものみの塔」誌を読まなければならないからですか。あるいはエホバの証人になるために「ものみの塔」誌を読む必要があるからですか。
クリスチャン:「ものみの塔」誌がなければ聖書に惑わされますか。
  1971年には人類にとって「ものみの塔」誌は研究すべき主要な教科書だと認めました。

本の中の本ともいうべき聖書が,人類の研究すべき主要な教科書であるべきなのは明白ではありませんか。特にクリスチャンはこの本を調べることに深い関心を示すべきです。それは,神のみ子が「あなたのことばは真理です」と言ったかたによって著わされているのです。(ヨハネ 17:17,新)「ものみの塔」1971/7/15 P.422

「ものみの塔」誌は研究すべき主要な教科書と書いていますが、ものみの塔協会は次のように告げます。

1982年には,「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」という本が,聖書研究を司会する際に用いられる主要な本になりました(「ものみの塔」1997/1/15 P.25)。

 「王国宣教」誌1982/10には次のようにあります。

3 「神を真とすべし」がわたしたちの主要な研究用書籍であったおよそ20年間(1946年から1960年代半ばまで)に……

 これらの記述から聖書は主要な研究の教科書ではないことが明らかになります。聖書解釈のために使われる主要な情報はものみの塔協会の出版物です。
「ものみの塔」誌をもう一度読み返してみましょう。

「どんなことを話し,どんなことをすればいいのですか」と私は質問しました。
「そこに全部そろっているんだよ。レコードをかけ,質問を読み,家の人に答えを読んでもらい,それから聖書を読めばいいんだ」と,父が答えました。(「ものみの塔」1998/3/1 P.21)

 最後に次のように聞いてみましょう。
  クリスチャン:もし「ものみの塔」誌が無ければどこから信仰が得られますか。
  信仰心がありません。この質問は大事です。次の一連の質問に入れます。

鋭い質問

1 聖書は主要な研究の教科書だとエホバの証人は信じているというのは本当ですか。それとも違いますか。
2 聖書解釈のためにものみの塔は聖書のほかの「主要な研究の助け」を使うというのは本当ですか。
3 組織の研究の助けがなければエホバの証人は聖書解釈もできないし、たよりも手に入らないというのは本当ですか。
上の質問で権威の源泉としてのものみの塔協会に対する求めからエホバの証人を引き離す計画が進むかもしれません。
これらの質問で聖書とものみの塔協会のどちらに大きな目的と価値があるかを問い続けられるかもしれません。効果的な証をする通過点に立っているのですからこれはとても重要な質問です。

ものみの塔のたよりを理解し、それに挑戦する

「ものみの塔」誌が無いとエホバの証人はたよりを手にできません。それを糸口にしてものみの塔協会の権威に闘いを挑み、その目的と不朽の価値を削ります。
  エホバの証人に質問可能で彼らが脅威に感じない質問や思考を惹起する質問を書きました。答えはものみの塔の文書には見あたりませんからどきりとさせるものではなく、相手の心の隙間に入れます。これで自分で考えられるように仕向けられます。
  エホバの証人は論争の「発火点」を回避しますから、これらの質問はとても重要です。忘れてはなりません。聖書の聖句を論じることは意味がありません。エホバの証人はものみの塔の聖書解釈に依存しているからです。これらの質問は本格的な論争を回避する一助となります。疑いの種を蒔き、ものみの塔協会の権威の足下を掘り崩す助けになります。


エホバの証人の信条は聖書だけに基づいています

 エホバの証人との話し合いが始まってからエホバの証人は主導権を握ろうとして、「神の名はエホバ」を証明しようと、聖書から聖句を飛び飛びに繰り出してきました。
クリスチャン:神の名を知ることがなぜそれほど大事なのですか。
エホバの証人:(答えられない)
  エホバの証人は飛び飛びに聖句を引いて信仰を正当化します。しかし私は聖書から離れて証人の信仰の源泉に注目させました。
クリスチャン:どのようにして真理を知るに至ったのですか。
エホバの証人:聖書を読んでです。
クリスチャン:そのために「ものみの塔」誌の手助けを受けましたか。
エホバの証人:その通りです。
クリスチャン:聖書だけに基づいていませんし、「ものみの塔」誌の記事に基づいていると確信できました。それはほかの誰かの聖書解釈です。それは「ものみの塔」誌に賛成してではないでしょうか。ご自分で私にたよりを伝えられますか。
エホバの証人:(答えられない)
  ものみの塔協会を抜きにしたらどのようなたよりも伝えられません。計画を遂行する糸口がつかめました。効果的な質問と思考を促す質問をしてものみの塔との交わり絶たなければなりません。ものみの塔協会の権威に対する信頼を崩すことが目標です。議論ではありません。

鋭い質問

1 ものみの塔協会を抜きにしたとき、エホバの証人には伝えるたよりはありますか。
2 エホバの証人とクリスチャンの間の「発火点」は何ですか。
3 どうしてものみの塔の権威についてエホバの証人に質問しなければならないのでしょうか。
  エホバの証人に証しする戦略は難しくはありません。神学と論争を避けます。ものみの塔との交わりを絶つことに集中します。


エホバの証人にはなぜものみの塔協会が必要なのか疑いを持たせる

前の項目でものみの塔協会が書いた、エホバの証人の定義を引きました。その最後の段落には「エホバの証人の信条は聖書だけに基づいています」と書かれていますが、これは虚偽です。
  「……だけ」を広辞苑で引けば「及ぶ範囲」と定義されています。もしエホバの証人が「聖書だけに基づく」のなら、どうして「ものみの塔」誌のような参考書が必要なのか尋ねます。
  エホバの証人は嘘をついてます。証人の信条は「ものみの塔」誌の聖書解釈に基づいています。「ものみの塔」誌が無ければ聖書を解釈できませんし、たよりもありません。
  提案を示したくなるでしょうが、次の質問をして神のみ言葉の上位に「ものみの塔」協会をあがめていると示しなさい。

クリスチャン:「ものみの塔」誌が無ければその人の人生は無いのですか。
クリスチャン:イエスがいなくても生きられますか。
クリスチャン:そのどちらかないと喪失感を感じますか。
クリスチャン:ヨハネ14:6にはイエスは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と書かれています。何の資格があってものみの塔協会の解釈はみ言葉と同等だと書いているのですか。
クリスチャン:どちらから霊的確信と生きる目的を見いだせますか。イエスですか、ものみの塔協会ですか。
クリスチャン:ヨハネ14:6のイエスのみ言葉が真理なら、どうしてものみの塔協会が必要なのですか。 ゛
クリスチャン:ものみの塔協会が神の経路なら、人類にとってはどちらの賜物が大きいのですか。イエスですか、ものみの塔協会ですか。

警告
  次のような質問をしてエホバの証人を責め立ててはいけません。何が問われているかを考えさせるのです。質問に「落ち込まない」ようにしましょう。忘れてはいけないことがあります――証人が話の矛先を変えないようにします。話題を変えると相手の土俵に登ってしまい、主導権を奪われます。その点、証人は良く訓練されています。
  こころの中で証人の答えに満足出来ないと思うなら、次の質問をしてもいいでしょう。
クリスチャン:「ものみの塔」誌が無いと私の質問に答えられませんか。
クリスチャン:その答えは聖書だけに基づいていますか。あるいは「ものみの塔」誌の記事に基づいているのですか。
クリスチャン:貴方の信条は本物だとどのようして確信できましたか。自力でですか。「ものみの塔」からですか。
  このような質問をするときには自分なりにアレンジして語ってもよろしいです。エホバの証人に「ものみの塔」誌の目的と不朽の価値を疑わせ、神のみ言葉よりも「ものみの塔」誌に依存していることを認識させます。そうした質問はもっと重要な質問の基礎となります

 

ものみの塔は神の霊感を受けていますか


……さらに「ものみの塔」誌は,ある人々がエホバの霊を持っているからといって,「現在エホバの証人として仕えている人々が霊感を受けているわけではない。また,この『ものみの塔』誌の記事は,霊感を受けた,絶対に正しい,誤りのないものであるというわけでもない」とも述べています(「目ざめよ!」1998/3/22 P.4)。

「そうした出版物の準備に携わる兄弟たちに決して誤りがないというのではありません。その書物は,パウロや他の聖書筆記者たちの書き記した書物とは違って霊感によるものではありません。(テモテ第二 3:16)(「目ざめよ!」1998/3/22 P.4)。

「『ものみの塔』誌は霊感を受けて記事を書いているとは主張しない,また教条主義的でもない」。(1950年8月15日号[英文],263ページ)

 これから明らかなように、ものみの塔は霊感を受けていません。記事を書いた者もそうです。これは重大な問題です。
  証人は家から家の伝道をしていますが、そのときには決してこの霊感の問題を持ち出しません。家の人がその話をするとは予想していません。これを利用しない手はありません。霊感の問題はものみの塔の出版物では取り上げてません(事前に答えが与えられていません)。
  しかしこの問題を持ち出さなければなりません。証人は虚をつかれます。そのときに上の記事を利用します。証人は八方塞がりです。
  ここでエホバの証人には聖書は神の霊感を受けていることを思い出してもらいます(テモト第二3:16)。
  このテーマから次の三つの質問を提起されます。
1 聖書は神のみ言葉なのですが、証人にとっての目的と不朽の価値は何ですか。
2 「ものみの塔」誌は聖書のように霊感を受けていないものでしたら、「ものみの塔」誌の目的と不朽の価値は何ですか。
3 「ものみの塔」誌がエホバの霊感を受けていないのなら、証人は権威者として求めているものは何ですか。

「ものみの塔」誌はエホバの霊感を受けていないのですから、神のことばや神の権威者を代理できません。永遠の目的も不朽の価値もありません。口では、地獄から守るとか、罪を赦すとか、天国の用意をすると言ってますが何も出来ません。
注記
  用意周到に準備するためには質問を書き留めて、研究してみなさい。遠慮しないで自分のことばで書いてみなさい。相手にはあたかもおうむ返ししているようには聞こえません。自分でその質問をアレンジできるのなら、結局、準備が出来ているのであり、証しに自信が持てます。

目ざめよ


ものみの塔の偽預言

「ものみの塔」誌の偽預言はエホバ神の霊感を受けていない証拠になります し、そのことばには威力があります。

エホバの証人がイエスの二度目の到来を切望するあまり日付を示唆し,あとで間違いであることが分かったことが何度かあります。

しかし,これらの出来事のうち,証人たちがあえて『エホバの名において』予言したことは一度もありません。また,『これはエホバの言葉である』と言ったことも一度もありません。(「目ざめよ!」1993/3/22 P.4)。

 協会が創作を認めた預言はエホバ神の承認を得てません。言い換えるならば、協会は霊感を受けていません。ものみの塔協会は間違いをしただけではなく、初めから霊感を受けてませんでした。

要約
・ 「洞察」第2巻によると霊感を次のように定義しています。
 超人間の源から発する霊によって動かされている,もしくはその霊の指示のもとに生み出されている特質や状態(P.1213)。
・聖書は霊感を受けてますか。その通りです(テモテ第二3:16)。
・「ものみの塔」誌は霊感を受けてますか。
・「ものみの塔」誌は霊感を受けていないなら、超人間の源から発する霊によって動かされている,もしくはその霊の指示のもとに生み出されている特質や状態ではありませんね。そうした出版物の準備に携わる兄弟たちはエホバの霊感を受けてませんね。
・ものみの塔協会は『これはエホバの言葉である』と言ったことも一度もありませんと書いているのですから、ものみの塔協会が語る預言はエホバの霊感を受けてませんね。
・予告した出来事が起きないなら、霊感を受けてない、「ものみの塔」誌のような出版物の目的は何ですか。不朽の価値はありますか。

 

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