法廷における嘘と宗教:

エホバの証人の神権戦争教義の分析(6)


 

ふつうの証人が使用する教義なのだろうか
 証人の宗教運動を歴史から見た多くの研究には、ふつうの証人が
神権的な戦いを用いている例が記録されている。カナダで違法活動
をする団体のメンバーであるという罪で有罪にするには、会員証や
自白書といった文書で記録した証拠が必要である。カナダでものみ
の塔が禁止された後、エホバの証人は、一般的にものみの塔の「一
員であるとは認めるなかった」ことがクプランによって発見された。
それでもなお、「告訴されたエホバの証人のほとんど全員が有罪と
なった」。
 
 文書配布中に捕らえられたエホバの証人はたいていこう主張した。
「自宅の玄関で小冊子の小包を見つけました。その内容にひどく引
きつけられましたので、出ていって資料を分けて上げようといても
たってもいられませんでした」。この説明は容易には信じられなか
ったようだ。エホバの証人を捜索するときに証人と見られる者をし
ばしば尋問をしたが、それには、ものみの塔の考えに同調した者も
含まれていた。証人ではないとの主張はたいてい、信じられなかっ
た。信者なのかどうかについておびただしい数の証人が嘘をついて
いてために、法廷がエホバの証人と断じた人々がしたすべての証言
に非常に懐疑的になってしまったせいもある。
 ものみの塔の利益を守るために大規模に広まった嘘の実践は現在
では不幸な影響を与えていた。それは法廷では、特に児童養育事件
や輸血に関係した不法な死亡の事件では、今でも当たり前に見られ
る。エホバの証人は輸血が足りないために子どもを死なせることを
承認しないと、証人と証人の弁護士は何度も公言してきた。
 コットウォールは「おおぜいのエホバの証人は、嘘をつくように
とものみの塔が奨励している事実に気がついていない」。どれくら
いの証人がこの教義に気がついてどういうふうに当てはめているか
を評価しようと、著者は92人のアメリカ人と39人のイタリア人を調
査した。大部分が元証人で、自発的に調査に記入した。二つの群は
反応が類似しているから合併した。回答者は雑誌とインターネット
での多様な広告からを調査を知った。3頁からなる質問には「神権
的な戦略の教義」が含まれていた。次のような回答が得られた。
次の質問……あなたなら神権的な戦略の教義をどのようにうまく語
れますか、の答えは次の通り(複数の回答ができないから、合計は1
33を上回らない)。

回答

信者 開拓者 奉仕の僕

長老

巡回監督
A. 聞いたことがない 37 7 3 0
B 漠然と知っている 19 2 3 0
C よく知っている 11 3 7 1
D かなり、よく知っている 7 5 7 2
E かなりよく知っている。状況次第で使った 2 1 4 2
F かなりよく知っている。どんな場合でも使った 0 1 6 3
合計 74 19 30 8
 
 これらのデータから大多数の証人がこの教義に気がついているこ
とが分かる。ものみの塔の活動のレベルと教義の認識レベルの間に
は、明らかに相関関係があることも分かる。元巡回監督は全員、そ
の教義に十分に気がついていて、大半がそれを用いたことを認めた。
37人(全体の28%)の人がその教義を聞いていないと主張したけれ
ども、3人(2%)の人が間違った教義の定義を選んだ。回答のうち
のAに当たる。

回答

信者 開拓者 奉仕の僕

長老

巡回監督
A. 法廷による真実の定義「真実そのもの、真理のみを伝えなければ
ならない」には厳格に従わなければならない
3 1 0 0
B 私たちがその規則に従うはずがない。真理を知る権利がない者から真理を差し控えられる 38 10 14 4
C ものみの塔の利益、神の組織の利益を守るために、世が下そうとする結論は悪意のない嘘だと伝えるのはふさわしい 38 10 11 4
D 世の人にとっては嘘を意味しているとしても、神の組織を守るためにそうした方法でことばを使わなければならない 23 8 10 4
 その教義に気がついていないと言っている人の質問を点検すると
ものみの塔に深い影響を受けていないことが分かる。家族が強制し
たためにしばしば集会に出席していた名ばかりの証人もいた。管理
的な立場に着いていた献身した証人は、一人の例外を除いてその教
義とその意味をよく知っていた(長老と巡回監督)。ほとんど(98%)
がその実践を知っていたり、それを定義できたが、適当なことばで
それを認識できなかった証人もいた。まだ「ラハブの技巧」といっ
た古いことばでその教義を考えている者もいた。今では公式に「神
権的」のことばが使われるのはまれで、通俗的であるから、その言
葉に気がつかない人もいるかもしれない。集会で使われる公式の歌
集「エホバに誉れを歌う」がその例で、「神権的な戦い」の題の下
に13の歌が上げられている。

 


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