法廷における嘘と宗教:
エホバの証人の神権的戦いの教義の分析(2)



教義の歴史と発達

 

 

 神権的戦いの教義に言及しているもっとも古い公式のものみの塔の出版物は、「Rich(富)」と題する1936年以降に発行された書物である。

 

 

 嘘とは、真理を聞いたり、知る資格がある人になされる虚偽の陳述である。虚偽の陳述は他人を傷つけるように働きがちである。他人を騙し、傷つける目的でなされた虚偽の陳述は、故意の嘘、悪意のある嘘である(「富」177頁)。

 

レーヌは次のような結論を下す。

 

上に引いた引用は、真理を知る「資格」のない人々がいるし、他人を「傷つける」つもりはないのに嘘をつくならば、それは嘘ではなく、グッドリッチが言っているような、「ラハブの手法」である。他方、ラザフォードはなぜそれをわざと嘘と言わなかったのか。それで終わりか……。グッドリッチはそういうふうに考え、協会が嘘と「神権的な戦略」を対比して定義したからだと考えた。

 

 1940年代初めには、証人同士が神権的な戦いを用いるといった古い事例が起きた。昔、理科の教師をしていて、長年、会衆の監督をしていたロイ・グッドリッチが関与していた。グッドリッチは病気を治療するためにERA機械をものみの塔が使用していることを憂慮して、本部にいるホーレット氏に手紙を書いた。ERAはアブラム博士が発明した「発振器」で、インチキ科学の歴史家にとってはよく知られていた悪評高い代物であった。ERAの技術には悪魔信仰が込められているという結論を持っていたから、グッドリッチはそれを心配していた。そのため、グッドリッチはホーレットに手紙を出し、まだベテルでERAを使っていると言う噂は本当か判断しようとした。

 ホーレットはグッドリッチにこう、答えていた。「一つはっきりしていることは、私とERAとの関係について君は誤った情報を知らされていることだ。ERAについては、何も知らないし、それを使ってもいない。ベテルには、そんな代物はない」。グッドリッチはホーレットの主張は間違っていると分かった。ホーレットがERA機械を使ってチェスター・ニコルソンを「治療」をしたことは直接、知っていたからだ。1922年以来、ワーク「博士」がERAを使ってきたことも知っていた。ホーレットは1922年以前からベテルで働き始めたからだし、ホーレットはベテルの医師なのに、「ERAなんて聞いたことさえない」と言っている主張には合理性がないと分かっていた。結局、「だからグッドリッチはホーレットが嘘をついていると信じ込んだ」)。

 ホーレットの手紙を受け取ってから、グッドリッチはものみの塔の指導部とものみの塔会長ネイザン・ノアへ長い手紙を書いた。グッドリッチは優れた地位にあった証人だったが、特に、ホーレットが神権的戦略を誤用していると信じていると書いた。(1940年代にはその教義はラハブの手法と呼ばれた。スパイを守るために嘘をついたラハブに因んでいる)。虚偽の情報で誰かを「誤導する」手法であり、「ほとんどの人が嘘つきと呼ぶ」応答だと、レーヌが注意を促している。グッドリッチは途方に暮れてしまった。グッドリッチがホーレットにこう、説明していたからだ。

(ホーレットからの)返答での大事な点のひとつは、私が彼に対していだいていた基本的な事実とはまったく反対の印象を受けたからだ。しかし私は君がそれを書いた動機はとても立派――エホバの名を誉め称える願望だと信じるほかない。ラハブが義認を受け、「富」の177ページの冒頭にある記述を思い起こすと、見たところ、君は自分で考えて(嘘をついているのは)はっきりしているし、それを正当化しているに違いない。

 

 グッドリッチが心配していたのは、「真理を知る資格のない者に対してだけ」の嘘を正当化している教義であった。一人の証人として、また数年間、主宰監督をしていたから、この事件の真実を知る権利があると思った。レーヌは、次のような意見を述べている。

「神権戦略」は、真理を知る「資格」のない者がいる、もし他人を「傷つける」つもりがなくて嘘をつくなら、それは嘘ではなく「ラハブの手法」であると示唆している。他方、嘘は故意による虚言であると、ラザフォードは分かりやすく言わなかったのか。期限切れなのか。グッドリッチはそれについてはこういうふうに考えていた。それは、ものみの塔が「神権戦略」教義に従って嘘を定義してきた理由である。

 

 ホーレットは実際に忠実にラハブの手法を意図していたと、グッドリッチは判断して、情け深く返事を書いた。

……情けをかけて、私に届いた君の手紙を考えると、逃げられようもない道理がある。ホーレット兄弟は次の二つのうちのどちらかに相当するはずだ。……(1)潜在的な悪意を伴った嘘。あるいは、(2)君が悪魔主義を実行し、罪のない嘘をついていたと「主」の前で告白すること。

 

 ものみの塔の注意を引こうとしたグッドリッチの努力は、結局はグッドリッチの排斥で幕を閉じた(ものみの塔からの強制的な排除、相当な立場にいるほとんどすべての信者との接触が否定される)。グッドリッチが排斥された原因となったERAについては十年後にものみの塔も同じ結論を導いていた。今となってはあまり有名でないものみの塔の教義になぜそうした変更があったのか、詳しくはフレークの研究の中で語られていた。

「狼の中の蛇のような注意」と題する日曜日の朝の講演の中で、フランズは、自分の保身のためという意味があるなら、敵に嘘をつくことをエホバは許されたということを証明するものとして、旧約聖書の特定の箇所を解釈した。嘘が部外者に向けられるなら、長い間、そうした嘘は否定されてこなかった。「新しい光」を持たらしたものみの塔の代理人に対し、司会者は感謝の念を告げた。

 シェリルは、この新しい教義が「嘘は神権戦略の一部である。エホバの証人は真理を知る資格のない者には嘘をつける」という意味があると述べている。「真理を知る権利がある者にだけ伝えられるべき」というものみの塔の教義は、ものみの塔の反対者や批判者は真理を知る権利がないという意味である。

キリストの戦士として…………(エホバの証人は)神権的な戦いのさなかにいる。エホバの証人は神の敵を相手にするときはもっと注意をしなければならない。神の目的とする利益を守るためであれば、神の敵から真理を隠すのはふさわしいと聖書は教えている。……それは「戦略」のことばに因んでいる。……狼の中にい―るときには「蛇のように注意深く」していなければならないとするイエスの忠告を保っている。クリスチャンが証人に立って、真実を伝えると誓う状況になれば、……イエスのことばを思い起こして、成熟したクリスチャンは自分よりも兄弟の利益を重んじる。……人がその友のために命を捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません――(マタイ10:16、ヨハネ15:13)(「ものみの塔」(英文)1960/6/1 352頁)。

 

 ものみの塔の批判者や反対者はすべてものみの塔への参戦を宣告した「狼」と思われており、ものみの塔の信者はすべて「羊」のレッテルを貼られている。そして、神の業の利益のため、人畜無害な羊が狼に対して戦略を用いることはふさわしい。(「ものみの塔」(英文)1956/2/1 86頁)。

 エルサ・アブトの例(「ものみの塔」(英文)1957/5/1 285頁参照)はものみの塔が真理の隠し方(文字通りの公然たる嘘)をどういうふうに教えているか、そのよい例である。ものみの塔の記事によると、警官から謄写版の道具はどこにあるか、また「手入れを受ける対象になった伝道の働きをしている指導者の身元」を尋ねられたとき、事実とは逆に答え、偽って何も知らないふりをした。ここでは証人が努力すべき良い模範として彼女のあからさまな嘘が用意されている。「正当化された嘘」の章全部で、トーマスはこう結論付けていた。

証人たちは宗教の利益のために嘘をつくよう、組織から許されている。……もちろんエホバの証人たちはそれを嘘とは呼ばない。……(ものみの塔の指導者は)この種の欺きに新しい名前を発明した。彼らはそれを「神権戦略」の実践と呼ぶ(『あざむきの名人たち』トーマス著、1972年)。

 

  トーマスはさらに「ものみの塔」(英文)1951/5/1号を引用する。そこでは「エホバの証人たちは、自分たちの利益にかなうときはいつでも、実際に嘘をつくと、はっきり示されている」と主張する。その記事では改宗のために戸別訪問をしているときにものみの塔の反対者に会ったある一人の証人を論じている。

 

次に何が起きるかが分かるとすぐに彼女はすぐ隣の家の玄関で赤のブラウスからブラウスを着た女性を見かけなかったか、尋ねてきました。知りませんと彼女は答え、通りの向こうに行きました。彼女は嘘をついていたのでしょうか。いいえ、そうではありません。彼女は嘘つきではありません。伝道のために言行をもって、真理を隠して神権戦略を用いていたのです。

 

 

 この場合には、「自分の肌を守るためにその証人は嘘をついた」とトーマスは結論を下している。そして

すべての証人がその宗教の利益のために人を欺き、嘘をつく行為として、この出来事を使おうとするものみの塔の大胆な試み(は非難されるべきだ)。自分が赤いブラウスを着た当のエホバの証人であるというのに、自分の良心に痛みを感じない彼女をものみの塔は賢明な行動をしたと言って喜んでいる。

 神権戦略の本来の標的は誰なのかを説明して、「ものみの塔」(英文)1957/4/15号は、特に「神の組織」(ものみの塔を意味している)の敵がだれか、真理と神の義認を切望している羊のような人たちを助ける努力を狼が妨害するために……(ものみの塔の)「教えを嫌い」、「その学びを止めさせようとしている」者を述べている。

「『狼』に会ったらクリスチャンは蛇のように賢く、鳩のように素直に戦略を使う」。言葉を変えて言えば、証人がものみの塔の働きを妨げる者に対して神権戦略を使用することは正当化されている。上に書いてグッドリッチの例が示すように、証人であっても、ものみの塔を批判する者もその中に含まれる。

 それがものみの塔の利益を守るための欺きであるなら、嘘はふさわしいと言ってものみの塔が公式に教えている事実は、マーカス・レイズの事件で証言台に立ったものみの塔の弁護士、カロリン・ワーとデュアン・マグガニの間で行われた次の応酬に示されている。

マグガニ:(証人は)神権的な戦いの中にいて神の敵を相手にするときは、慎重に行動しなければならない(と教えています)。そして、神の利益を守るために、神の敵に真理を隠すことはふさわしいと聖書は教えています。

ワー:それは敵の捕囚となった、国に忠実な軍人と違いがあると言いたいのですか。

マグガニ:その通りです。

ワー:それで。

;マグガニ:真実の隠蔽を話ししているわけだけど、そうした場合には、神権的戦いや霊的戦いに関してはエホバの証人はエホバの証人以外の者はすべてサタンの陣営に入っていて、エホバの証人はすべて神の陣営に入っていると信じています。

ワー:たとえば、あの、第二次世界大戦の戦いを言っているのか。米軍に捕らえられたドイツ兵は、二つの陣営の間で嘘をつくことには問題はなかったのでしょうか。

マグガニ:それは状況次第です。エホバの証人に関して言えば、人生において彼らの主な動機は、ものみの塔協会が表そうとすることを人に伝えることなんです。もし反対者や未信者が話題にしようとすることをその団体が言ったとしたら(私どもの経験と私どもの手にしている文書によると)協会をよく見せかけようとして隠蔽をしたり、嘘をついたり、ゆがめたりするのは、基本的にエホバの証人の義務です。

 ものみの塔の政策と実践を研究した後で弁護士のサッド・ヌゲントはこう、結論を下している。

 

真実ではないと分かっていて誓約の元に証言をする。……成文化された定義によると、それは偽証である……。ものみの塔は児童養育事件に関わったエホバの証人に指示を出しているのは明白だ。子どもには実際に何をしているか、子どもの生き方に関すること、心理的な発達・精神の発達・社会的な発達のために子どもに押しつけている締め付けをしているか、言わざるを得ない状況から逃れる方法を指示している。(この結論は)実に、はっきりしている。

 

 次の事件ははっきり言って、尋常ではない。伝えられるところによれば、裁判所が「宗教上の理由から証人に偏見を持っているおそれがある。あなたが虐待された実例を思い出せればこの事件はとても有利に運ぶだろう」と、養育権を争っている証人にものみの塔の弁護士が情報を与えたそうだ。そんなことは考えていないとその証人が答えると、ものみの塔の弁護士は次のように言って裁判所を間違った方向に導くように指導した。「(もしあなたが過去の虐待を考えられないなら)あなたがこの事件で勝つ見込みはないでしょう。必死になって考えなさい。少なくとも、あなたが夫から脅かされたと思わされた出来事を、たとえひとつでも見つけられるはずです」。この裁判の結果は、子どもの永遠の命を意味しているとその証人は説明してこの弁護士は嘘を奨励し、(反対者の側の)夫に養育権を渡すとハルマゲドンでの滅びを意味しているはずだと、強調したそうだ。次のように……

あなたの子どもがハルマゲドンで恐ろしい死を迎えてもいいのですか。一緒に「新しい世界」に住みたくはないのですか。子どもの命はあなたの手の中にあるのです。子どもの親権を手にする確かなものにするためなら何でもしなければなりません。口から泡を吹いている狂人があなたのお母さんを尋ねてきてドアの前にいるとしたら、お母さんなら2階にいますと正直に答えて、狂人を招き入れ、2階に上げて傷を負わせるまねをすでしょうか。もちろん、そんなことはありませんね。狂人に間違った情報を与えるでしょう。つまり、狂人には真理の権利はないのです。同じように、そうした状況では、裁判所には真理の権利はないのです(元エホバの証人との録音テープから原稿を起こした。クライアントの秘密を守るために情報源は明かさない。筆者はこの事件の相談役だった)。

 

 

 著者が相談に乗ったほかの例では、夫がエホバの証人である妻を傷つるつもりがあると「出まかに言った」にすぎないと主張したが、法廷では妻の主張とは全く逆に夫は身体的な虐待で告訴された。ものみの塔の弁護士がそうした戦略を使って法廷で神権的戦略を用いるよう、クライアントを説き伏せる可能性がある。こうした種の事件で証言をする人たちに対し全く誤った証拠を示して、ものみの塔が平気で悪質な対人攻撃をするのは何ら異常ではない。

 ものみの塔が神権的戦略を用いた古い例は、スェーデンのものみの塔の幹部、ヨハン・ヘンリック・エネロスが与えてくれた。彼は第二次世界大戦において「占領地と連絡を保つために神権的戦略を使うことが必要となった」と述べている。そして政府をだまさなければならなかったし、ビザを取得するために使用目的を誤って伝えたと説明した。特に自分を「腸詰めの卸証人」と故意に誤って伝えた(「ものみの塔」(英文)1965/2/1 94頁)。彼は禁輸になっていたものみの塔の文書をノルウェーに密輸するために再び神権的な戦略を使った。何冊かの雑誌「ものみの塔」の紙を使って卵を一つずつ包装して食料品を発送している。「とうとう、ドイツ人にそれが見つかってしまうとほかの方法を取った」(「ものみの塔」(英文)1965/2/1 94頁)。「ノルウェーへ向かうヒトラーの飛行機によって空輸される」ためにデンマークのアルボルグの軍事飛行場へ運ばれる食品の荷物の中に雑誌「ものみの塔」を詰め込む方法もふくまれていた(「ものみの塔」1965/2/1 95頁)。この著者は、ほかにも他の国へ禁輸された文書を密輸するために取られた似たような方法を書いている。

 ロベルト・A・ウィンクルがオランダで行われた別な例を語っていた。尋問で脅かされたとき、「……王国の働きとクリスチャンの兄弟を守るために神権的な戦略を用いる意味だなと分かった(「ものみの塔」(英文)1967/5/15 188頁)。この言葉からはどれほど神権的戦いの教義がものみの塔の神学と密接に関係しているか示されている。

 神権的戦いの重要性はこのほかにも「ものみの塔」の記事でも何度も繰り返された(「ものみの塔」1988/5/15 20頁)。ウィンクルは証人の仲間を守るために神権的な戦略を使った。証人はものみの塔を守るために、時にはこの手法を使うべきだと語られている。「王国の働きとクリスチャン兄弟を守るため」神権的戦いを用いた表現は、ここではものみの塔とその活動を守るために真理を差し控えることも指している。この教義には嘘だけではなく、欺きも含まれている。「ものみの塔」には次のように書かれている。

差し迫った脅威をかわすために、ヒゼキアはセナケリブへの貢物の支払いに同意しました。その支払いに充てるためにエホバの神殿から張り付けられた扉やその柱をはぎ取りました(2列王18:13-16)。確かにそれは時間を稼ぐてための行動であり、敵と格闘するためによい位置を手にするためでした。同じように現在でもエホバの証人は真の崇拝をする神の与えられた権利を維持するために注意をもって行動しなけらばならない場合があります(英文1968/3/15 170頁)

 

 この文章は、エホバの証人だけは法律の抜け道を探したり、法律を避けて国の法に違反できると、教えている。どこの教会もそうなんだが、悪法と思える法を合法的に変更するように働きかけようとはしない。ものみの塔にはこうした抜け道に注意を引かせようとする。



この続きはこちらをクリックしてください

論文の冒頭に戻る