会報第19号

最後の「悲劇」- 離婚という自由

         林俊宏

 さる1月下旬、離婚届に署名、捺印し、20年以上に及ぶエホバの証人の妻との結婚
生活にピリオドを打った。争うことでの泥仕合をおそれ、子供たちの親権は妻にゆだ
ねた。ここ数年、私が妻との家庭内宗教戦争の体験に基づき、「エホバの証人の悲劇
」(97年刊)を上梓し、反ものみの塔のジャーナリストとして活発な著出活動を展開
して以来、日々感情的な亀裂は、深まることはあっても、修復できる道筋はつゆぞ見
いだすことができなかった。
 人生に”もし”が許されるなら、妻がエホバの証人と出会うことがなかったら、私
たちの結婚生活も、家庭生活も、全く異なった道を歩んでいただろうと言う痛恨の想
いを終生、胸に秘めて生きてゆくことになる。
 離婚が決まって、結婚生活を記録した写真を整理しながら、妻がエホバの証人にな
る前の笑顔に包まれた夫婦を友達が撮ってくれた写真を見て、不意に流れる涙が止ま
らなかった。離婚してはいけない、という建前に耐えることにも、私たち夫婦は疲れ
てしまっていた。これ以上、互いに傷つけあうことも、多感な年齢になっている子供
たちに不毛な夫婦のいさかいも、これ以上見せたくなかった。(不思議と、私たちは
そのことでは、合意できた)
 互いに50歳代を間近にした私たちにとって「耐え続ける」ことに耐えられなかった
。私はこれからの残された人生、「エホバの証人」から自由でありたかった。妻がエ
ホバの証人であったが故に、苦しく辛いことが多い結婚生活だった。人並みに夫婦と
しての生活感情を共有することの少ない暮らしだった。そうした苦しみや、辛さから
、私はいつも自由でありたいと願い続けてきた。その自由を分かち合える選択が、私
たち夫婦は離婚であった。こうした結末によって、子供たちも家庭の宗教戦争から解
放されることになった。
 21世紀を迎えあらゆる社会体制が疲弊し、生活が、精神が、よりどころとする価値
観も見いだせず、未来の展望も閉ざされた閉塞した時代にあって、オウム真理教を頂
点とするカルト問題も峠を越えたかに見える。だが、果たしてそうだろうか。批判を
許さない硬直した価値観、排他性で自己を正当化する論理性という、宗教的カルトに
顕著な風潮は、リストラ時代や長寿社会を迎え、多くの人々が人生の方向感覚を喪い
つつある中で、これからもはびこることはあっても、消えることはないであろう。エ
ホバの証人を持つ家族たちが捕らわれた、ものみの塔による人間支配から逃れること
がいけないことなのか、私にはわからない。
 「エホバの証人の悲劇」を上梓してから、三年半がたつ。今でも週十冊前後は出版
社に注文が絶えず、この一月、六度目の重版を決めたという連絡が出版社からあっ
た。そして、月一度は、証人を家族に持つ読者から深刻な相談が寄せられる。
 できれば「離婚」を回避することはできないものか、妻から、離婚手続きを求めら
れるたびに思案した。が、別居直後、妻はこの間の著述に使った本と資料を、すぐに
破棄してしまったのだ。こうした精神的苦痛にこれからも耐える人生の意味が、私に
は見いだせなくなっていた。その最後の「悲劇」を見届けた私は、ためらうことなく
、エホバの証人の妻との決別を決意した。そのために、夫婦で、家族で、笑顔に包ま
れた写真を永遠に撮ることができなくなったとしても、である。


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