戦争を記憶する旅ー日本編

少し作業をため込んでしまいました。詳細を順次書き加えていきます。



広島平和記念資料館
何度も行っているのに資料が・・・どこだ!ッタク!!                                                       


世界平和記念聖堂(幟町カトリック教会)
〒730-0016 広島市中区幟町4番29号、tel.(082)221-0621
路面電車 銀山町下車。エリザベト音楽大学の隣。
1954年8月6日に5年の歳月をかけて建てられた。原爆犠牲者の追憶と慰霊、世界中の人々の友情と平和のシンボルとしてフーゴー・ラッサール神父によって計画された。祈りの場でもある。

祭壇、聖櫃、説教台、洗礼盤、玄関扉、パイプオルガン、ステンドグラス、彫刻、モザイクなど、ドイツ、ベルギー、スペインからの寄贈による。

パイプオルガン定期演奏会―毎月第一日曜日16時(入場無料)


高知市ー平和資料館 草の家
〒780-0861 高知市升形9-11、
tel.(0888)75-1275&21-0263,fax.(0888)21-0586
開館時間:10:00〜18:00(日曜休館)
西森茂夫さんが自宅を改築して個人で開設している。平和博物館の国際的な交流も活発だ。

1999年5月にオランダのハーグで平和市民会議があったが、マザーアース主催の、NATOによるコソボ空爆に抗議と核軍縮を訴えて、5月16日〜30日までハーグからNATO本部のあるブリュッセルまで歩きデモが行われた。私はハーグからデルフトまでの初日ルートを参加したが、その時日本から参加していたのがこの「草の家」の息子さんとお友達だったのだ。そんな奇遇で日本へ行く時はぜひとも高知に、と思っていたのだ。

西森さんに資料館建築中の写真を見せてもらった。家を真っ二つに切り、片方に4階建てを建てて、1,2階を資料館に3,4階を賃貸マンションにしてローンの返済にあてているとのこと。

草の家ブックレットもでていて、No.4は「第3回中国・平和の旅報告集 −憲法九条の旅 −中国の友からの手紙」である。何号まで出版されたか聞くのを忘れた。

地道な活動の成果が徐々に現れているようだ。今回初めて平和博物館の横の連帯(日本外国ともに)なるものがあることを知った。心強い。


高知市立自由民権記念館
〒780 高知市桟橋通4丁目14-3、
tel.(0888)31-3336,fax.(0888)31-3306
観覧時間:午前9時半〜午後5時
休館:月曜、祝日の翌日、12月27日〜1月4日
高知市制100周年記念施設として1990年に開設。

植木枝盛によって「自由は土佐の山間より」と高らかに謳われた。坂本龍馬、中江兆民、板垣退助ら、土佐出身の自由民権家によってこそ近代日本の夜明けはあった、と高知の人々は誇りに思っている。

ウーンたしかにそうなんだよね。うかつにも忘れていた。東京からの視点で見ていることに気付き、しばし反省。

コンピューター検索が出来るようになっていて、郷土歴史教育のために一役かっている。


原爆の図 丸木美術館

埼玉県東松山市下唐子1401、
tel.(0493)22-3266,fax(0493)24-8371
開館時間:9〜17時 (12月〜2月は9:30〜16:30)
池袋から東武東上線で森林公園まで約1時間(運賃700円)。タクシーで10分ほど。(タクシー料金、駅前から行きは1360円であったが、帰りは電話で来てもらったら1840円もした。不可解。)森林公園からレンタサイクルという手もあるようだ。

この美術館は画家である丸木夫妻が描いた「原爆の図」が収められている。何組もの大作で、原爆の受難と悲惨、残酷、その中の母子の愛が見て取れる。 目の前にぐんぐん迫ってくるものすごい迫力の絵だ。 

丸木美術館関連インターネットURL

丸木美術館ホームページ
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/

丸木美術館友の会ホームページ
http://www.comp.metro-u.ac.jp/~okanoi

丸木美術館友の会掲示板
http://ca.sakurane.jp/~cuc/marutomo/minibbs.cgi

佐喜真美術館ホームページ
http://www.imicom.or.jp/~knaka/sakima/sakima.htm



長野市松代ー松代大本営跡
戦後、昭和天皇が長野を訪れたとき展望台で、「戦時中、無駄な穴を掘ったのはどこか」と聞いたそうだ。 案内役は松代の方角を指差した。その方角で、穴を掘るために地元日本人は家屋を取り上げられ、立ち退きさせられ、朝鮮人は強制連行の上、穴掘り労働を強制されていたのだ。

時期的には沖縄では地上戦に突入していた。 沖縄で日本軍が民間人に自決を強要していたころ、本土では天皇皇后や自分たち軍幹部が逃げる巨大な穴を掘っていたのだ。

日本の軍隊がいったい誰のために、何のためにあったかわかろうと言うもの。 国民を守るのではなくて殺すためにあった、それが軍隊であった。 「満州」ではいち早く開拓民、民間人を捨てて逃げたのも軍隊であった。 逃げるのに足手間な弱った人に青酸カリで自決させたのも軍隊であった。


「もうひとつの歴史館・松代」  松代大本営・「慰安所」
大本営跡入り口近くの民有地に「もうひとつの歴史館・松代」建設実行委員会の展示場がある。これは現存していた従軍慰安婦の家が道路拡張工事で取り壊されることになり、保存運動が展開されているのだ。しかし、近所の家に「慰安婦の家建設反対」という建て看板が立てられていた。ウーーン。


民俗資料館「時代の館」
松代大本営跡は長野市が管理しているが、松代観光のひとつという位置付けなので、戦争への反省といった視点はない。それを補う形で、近くに「大本営資料館 時代の館」がある。

十字架の塔
福岡県水巻町古賀272
折尾駅東口から北九州バスで80番向田営業所行き古賀下車(200円)

オランダ兵捕虜の慰霊碑。

十字架の塔のいわれ

この十字架の塔は、先の大戦において日本の捕虜となり、再び故郷の土を踏むことなく、この地で亡くなった外国人の方を祭ったものです。

まだ日本が勝利を得ていた昭和18年(1943年)捕虜となった外国人は、日本に連行され各地の炭鉱などで働かされました。水巻町の高松炭鉱にもアメリカ人約70人、イギリス人約250人、オランダ人約800人が4回にわたって送られてきました。それは主としてシンガポールに篭っていた連合軍でした。

高松炭鉱では、古賀地区にあった豆炭工場の脇に収容所を作り、坑内で採炭に従事させました。坑内での労働は厳しく、食事習慣の相違から病気でたおれる者、収容所でも生活に耐えかねて脱走し処罰された者など、多くの方が再び故郷の土を踏むことなく、この地で亡くなりました。 その後、日本の敗戦をむかえましたが、捕虜に対して統率の意味から厳しく監督していた日本炭鉱は、亡くなった方々の遺体処理に苦慮し、連合軍の戦犯調査員到着前に慌ててこの十字架の塔を造りました。

戦後40年、水巻町から炭鉱の面影も消え、この地で戦争による痛ましい歴史があったことも忘れられていました。しかし、1986年7月、オランダ兵捕虜として高松炭鉱に収容されていたドルフ・ウインクラー氏の来町により、かつての町の歴史の1ページを思い起こすができました。

この十字架の塔が、再び不幸な戦争を繰り返すことのないよう、平和を求める私達の願いとして後世に伝えていきます。

1987年4月1日 水巻町
The origin of the Tower with cross

The tower was built to consol foreigners who were captured by the Japanese army during the second world-war and died here without being able to return to their homeland.

Foreigners who were captured in 1943 (18th year of Showa) were brought to Japan and forced to work in variouss places, for instance, in mine. In Mizumaki town too, 70 American, 250 British and 800 Dutch prisoners were sent to Takamatsu Coal Mine on four occasions.

They were mainly soldiers of the Allies in Indonesia.
A camp was built next to an oval-briquette factory of Takamatsu Caol Mine in Koga Word and the prisoners were forced to work in the mine. Many died there without seeing their homeland again, because of the hardship in the coal mine, or because of diseases caused by different eating habits and prison life. Others were punished trying to escape the unbearable camplife.

After the surrender of Japan, Nihon Coal Mine, which had been in carge of the administration of these prisoners of war, had trouble to decide on the treatment of the dead, and hurriedly made a tower before the arrival of the war criminal investigation officer.

Forty years have passed since the end of the war, the mine has disappeared and the people have forgotten the tragic story. A visit to this town in July 1986 by Mr. Dolf Winkler, who had been imprisoned in the mine as a Dutch prisoner of war, reminded us of this episodo of our town's histry.
We will maintain this tower with cross in the future as a token of our everlasting wish for peace and our wish not to repeat a tragic war.

April 1, 1987 Mizumaki Town


岡まさはる記念長崎平和資料館
長崎市西坂9-4、
tel.(095)820-5600,
開館時間:9:00〜5:00(月曜休館)
岡正治はキリスト教会牧師であった人で、長年、長崎で日本の戦争責任を告発してきた人だ。
記念館には公立では制約がある朝鮮半島から強制連行、強制労働されてきた人々の手記や従軍慰安婦問題などの展示も充実していた。
小さな会館だが、全部見て回るのに半日はたっぷりかかる。一つ一つ読み始めると1日ではすまない。ざっと見て回るには惜しいくらいだ。
日本二十六聖人記念館の近くにある


長崎原爆資料館
長崎市平野町7-8、
tel.(095)844-1231
開館時間:8:30〜17:30(12/29〜31休館)                                                          


兵士庶民の戦争資料館(福岡県小竹町)
皇軍兵士武富さんが丹念に集めた戦争時代の証拠の品々を プレハブに展示してある。 犬猫まで兵隊の外套の毛皮に供出させられた証拠にびっくり。


名護屋城博物館(佐賀立)
日本史上の日朝通交史を展示。 鎖国時代も日朝に友好関係があったことがわかる。                                   


松涛園ー御馳走一番館(広島県下蒲刈町)
                                                                                      

リバティおおさか(大阪人権博物館)
水平社の流れをくむ民間博物館。規模が大きい。                                                        


ピース大阪(大阪国際平和センター)

〒540-0002大阪市中央区大阪城2番1号
tel.(06)947-7208,fax.(06)943-6080
開館時間:9:30〜17:00(入場16:30まで)
過去に右翼の攻撃で日本のアジアへの加害歴史の陳列を撤去。                                               


平和人権子どもセンター・教科書資料館(大阪)
教員を退職した方が退職金を注ぎ込んで住宅を購入して開設。 戦前の教科書から、アジアの歴史教科書も収集。                   


立命館大学国際平和ミュージアム

(075)465-8151、9:30〜16:30(月曜休館)
戦争における人権侵害、戦時犯罪など分析的です。 教育機関としては良い働きをしていると思った。                        


アウシュビッツ平和博物館
栃木県塩谷町tel.0287-45-2811
ワシントンDCのホロコーストミュージアムについで2番目に アウシュビッツから資料、物品の貸し出しが許可された。 地元の高校生やボランティアが建設に協力しています。


 大久野島 毒ガス資料館 

  杉原千畝記念館 
岐阜県八百津町



第五福竜丸展示場
 東京都江東区夢の島3−2、
(03)3521-8494、9:30〜16:00(月曜休館)




今後の予定


沖縄(ひめゆり平和博物館)



[戦争を記憶する旅]
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