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Maintaind by Seiji Osafune

Lastmodified 2004/ 11/ 11




ザ・コスミック

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岸辺にて ・ジオ村 in UK

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桧森孝雄の自死に反対する会・<泥縄式> ・ジオ村i n Japanは終了しました。

それ以前<残された人々のための、> ・ジオ村i n Japan

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資 アーカイブから 

20049.10 .11

運動論

さっぽろどらふとわん

違憲訴訟の会・東京

乞食

こいずみさんと呼びかけた香田証生くんは正しい

小樽から

ローマの休日

屋根のないフォークリフト

3日間を終えて

連続2日目から帰って

3日間連続抗議行動への招待状」

アンルワ・プレスリリースから

見せてあげてもいいよ

池の沢登山小屋

市民としてというスタンスじゃ

たいしたことないけど

このページの背景色は

仕事から帰って

ゆうの会から帰って

ある対談から帰って

朝、深い夢から

サイードの命日に

土地の略奪について

C5

<ぱれけん>レポート

この間の自己レス

SETI 閑談

ひさしぶりに

じん帯の代りに


 20041111日(木)

運動としては、たしかに、3日めの抗議行動は中途半端に終わったと思う。

日曜日で人通りがないとか大使館の窓の灯りが全部消えているとか、そんなこと

はたしかに、言い訳にもならない。

運動としては、呼びかけ文は公開しているのだから、もしかしたら誰かが直接、大使館前

に来たかも知れない。

市ヶ谷駅前でビラをまきながら、背中の袋からアルトサックスを出そうか迷っていたら、

たったひとりの横浜から2時間かけて来た仲間が「 きょうは大使館に行ってもしょうが

ない 」と言って、私はその時、その仲間とは違った意味で計画通りだけど、これじゃ

なんだか度胸だめしみたいだなあ 、でもやるしかないと思っていたら、もうひとりの

仲間が現れて、「 あかねに( 飲みに )行きませんか 」と誘うので、ついふらふら

っと、楽な方途を選択したのだった。

旗竿とパレスチナ旗とわれわれの仲間を殺すな!という横断幕とビラと肩かけの付いた

中型拡声器とアルトサックスを全部持って、なんだかこれじゃ、肩の荷が重過ぎるなあ

と思った。

おとといの日比谷のかもめの噴水前では、桧森さんらがここでやった3日間のハンガー

ストライキからちょうど3年目だなあ 、と松田さんがいつもになくえらくおだやかな

顔で茫々と話しかける。

わたしは、彼が代々木八幡のYOUの会でもっと詳しく話してもっと問題提起すべきだった

と思い出していた。

なんでかと言うと、私は、3日間のあいだ毎日、仲間にメールで知らせたり、電話で

場所の案内をしていて、たった2人の、桧森さんとわたしの間ですらこんなにも

互いの情報が不足していたなんて、そのために、出会うべき人たちが、そこですれ違

ったのだが、今となってはもう遅いのだが。

そうだったのか。

 

 2004117日(日)

さっぽろどらふとわんって言うのはのどごしが良いですね 。

500ml缶が4本も落ちていたので拾って帰って飲んだのであるが、いや、道ばた

じゃなくて川越のヤードで今年の夏、ベトナム人のなんつったかなあ?

名前は忘れたけどそのひとに買って来たのだけど、敬虔なクリスチャンは皆、酒は

あんまり飲まないみたいだった。

なんだっけ?

ああそうだ、全共闘運動ってあったわけだけど、それはさ、影響は受けたと思うよ。

都市の論理とか、自己否定の論理とか、あと八派連合とか、ノンセクトラジカルとか、

しかし、われわれの大学闘争って、1969年のことだけど、いやあ 、ここに来て、

振り返ると、さすがに遠くまで来たというか、全然、当時と変わらないみたいと

言うか、あの1年間は、パレスチナに比べても世界の縮図だったと言ってもいい。

結局、われわれは、運動をやったわけではなかった。

ただ単に、突っ込んだだけのことなんだけど、それだけのことなんだけど、ある1線を

越えたのだった。

誰もが越えることが出来たのに、実際にその空間を越えたのは、可笑しいよね、

15人だけなんだ。

おそらく、大菩薩峠の50人も越えたのだろう。

それから、東大安田講堂にろう城した人や、それから、○○や、××の人たちも、

分かったと思う。

われわれは、ドロップアウトしたのだと言うことが。

だけど、われわれは、多くのわれわれは、秋の陽射しや、郷里の縁側の庭先の日溜まり

の中に、うなだれて、帰ったのだった。

そうして、10年が経ち、20年が経ったのだった。

そうして、30年が経ち、35年が経ったのだった。

だけど、われわれは、今でも傀儡政権の、同じ穴のむじなや、首のすげ替えの日本の

首相という輩ののど仏に、匕首を突き付けたまま、どうしたものかと迷っているのだ。

日本共産党あたりじゃ、水に落ちた犬を打てとか言うのであろうが、我等の共同幻想

じゃ、迷うことなんか、本当はしないのだろう。

敵が敵であることを認めたのだから。

それで、たぶん、小金井の遊撃手っていうミニコミを出している人なんか、詩を

書いて震えているのだと思う。

それで、たぶん、ぼくなんかは、アルトサックスなんかも、もう気の遠くなる位長い間

壁にかけたまんまなのだが、どうすんでしょうかねえ 。

ただ、2度も突っ込むと言うのは、どうなんでしょうかねえ 。

本当に突っ込めたら、いいなあ。

あとはどうなってもいい。

 

 2004115日(金)

違憲訴訟の会・東京って言うのは運動だろう?

ぼくは運動をやろうとかさ、思っていないんだな。

なんかと言うのも変なので、具体的に言うとパレ献に主体的に参加していてさ、

こないだ、どっかの普通のおばさんみたいな人じゃないなあ?

なんかさ、ちょっと浮いた感じのおばさんがさ、市ヶ谷駅構内のいつものはじっこで

横浜のKさんと立ち話なんかして時間が来るのを待っていた時に、なんかさっきから

ずっとこっちを見ている感じだったので、もしかしたらパレ献に来た人かなあと

思っていたら案の定、時間が来たのでパレスチナ旗を横断歩道の信号機にしばっていたら

その人が話し掛けてきたので、ああ、やっぱしそうだったんだと思って、インターネット

で見たの?って聞いたら、違うって言うんだな。

何を見て来たの?ってまた聞いたら、どこかでもらったビラに書いてあったと言う

んだね。

なんか集会慣れした感じの人で、準備を手伝いながら、しばらくしたら、あっ!

わったんさんだとかうれしそうに叫んだので、なあ んだ知り合いなの?って聞いた

のだった。

あとで、わったんに聞いたのだが、その人は、昔、テレビのアナウンサーだったんだって。

そう言われればそういう感じだったよね 。

ああそれでさ、運動ってことだけども、ぼくは、やっぱし、レジスタンスとか言っては

いるのだけど、もちろん、抵抗運動っていう意味でね。

でも、なんて言うか、実際には難しいところがあるじゃない?

レジスタンスって言うには、われわれのパレ献のことだけど。

もちろん、意識の問題であるわけさ。

結論をさきに言ったほうがいいと思うので言いますが、ぼくはパレ献が運動になる以前

の、あるかなきかの危ういところでかろうじて成立しては、すぐにかき消えてただの

市民にたとえば戻って行くという安直さやいっしゅんの閃光のような自由な共闘空間

にある種の想念をさらけだしてみたときに、ああそうだったのかという思いをくり返し

くり返して内向させることができるのだという事だけで、十分なのではないかと、いまは

そう思っています。

つまり、外見的には、たぶん君の言った予定調和でいいのではないかと思っています。

 

 2004112日(火)

青梅の生協のトイレの鏡を見てビックリした。

まるで乞食でホームレスで浮浪者のようだと先刻、レイ子さんが言ったのが

よく分かった。

若いころ、フーテンでヒッピーにあこがれた頃とは全然違う。

もうまるで本物そっくりで、自分でもなぜか気持ち悪くなるほどなのだ。

さて、ところで見つけたのかい?

お前の真実とやらを!

とでも言っておあげ。

 

私が昨日総理宛に送った文章はやはりかなりはしょったものだったと思います。

もしかしたら、もう気が付かれているかもしれませんが、日本のナショナリズム

に包摂されそうなあやういものだったとすら思っています。

ご指摘のところはPMNへの投稿の冒頭部分ですがやはりすこしはしょっていた

と思います。

自分でもメール送信ボタンを押した後すぐに気が付いたのですが、気が急いて

いたためについまあいいかとそのままにしてしまいました。

たしかにこれでは、おたるの市民集会に参加した全員のみなさんに申し訳ない

なと思います。

こういうところは、やはり、いちにち遅れても、せめて集れる者だけでも集ま

って緊急のパレ献会議のテーブルでみんなの客観に耐える抗議文にしたほうが

良かったかなと思いました。

実はあの文を書きはじめる6時間くらいまえに、仙川駅まえでA氏と意見を交換

していて、佐藤正人さんら小樽からの要求書のようにパレ献の名で抗議文を

出したいなあと互いに一応の希望的なものはあったのですが、パレ献メンバーに

呼びかけるべきであったといま強く反省しています。

それから、ご指摘のとうり、以下の文章には集会で話し合われたことがとくに

重要なナイーブなものだったことからも、大兄ら集会実行委員会の名で要求書を

送ったことをもっと正確にPMNに書くべきでした。

 

> た、さらにこの集会が、「ヒノマル・キミガヨ」強制に反対し、憲法改悪を許さない

> 市民集会であること、の意味も大きいと思います。日本軍のイラク侵略は、「ヒノマ

> ル・キミガヨ」問題、憲法問題とむすびついているからです。

>  この集会では、メ「ヒノマル・キミガヨ」強制に反対モする運動と、メ「ヒノマル

> ・キミガヨ」に反対モする運動の本質的な違いについて話し合われました。「強制」

> にではなく、「ヒノマル・キミガヨ」そのものに反対していく運動をこれからどうつ

> くっていくのかが、問われています。また、護憲運動が天皇制(憲法1条 8条)擁

> 護という内実をもっていることをどう民衆運動のなかで総括・克服していったらいい

> のかも話し合われました。

 

改めて運動のもつ歴史的な意味が短絡的なものとしてではなく、繊細で緻密な行動の

積み重ねの結果であることに、生まれてはじめて刮目させられた気持ちです。

 

 2004111日(月)

1008981

東京都千代田区永田町221

衆議院第一議員会館327

内閣総理大臣

小泉 純一郎 様

「 私人としての小泉純一郎さんに訴える!」

こいずみさんと呼びかけた香田証生くんは正しい。

じつにすがすがしく何ものにも束縛されない自由なそして対等なひとりの人間と

してバックパッカーの、そしてアナクロな奴らにフーテンとかヒッピーと呼ばれた

Tシャツに半ズボンの、自分探しの旅にイラクに来た、イラクの人々の平和のために

何か自分にできる事はないかとそう思っていたという、ノンポリの、パスポートに

イスラエルのスタンプが押してあるのでスパイと思われた、肩までの長髪の、橙色

の捕虜服を着せられた彼の呼びかけに、小泉首相は、対等なひとりの人間としてで

はなく、伝統的な歴代の首相がとった、ハイジャックの超法規や、浅間山荘や、東

大安田講堂での決断とはまったく異なる、テロには屈しないという米国のブッシュ

大統領と同じ猿にも劣るブタにも劣るおよそ脳味噌を通過しない言葉をくり返すだ

けでした。

我々は、首相と言えどもたとえ天皇と言えどもひとりの人間としては対等であると

考えます。

どうしてあなたは、こいずみさんは、咄嗟に、その若者を殺さないでと言えなかった

のか?

自衛隊なんか何回でも撤退すればいいではないか?

その人質となった若者を火の玉となったイラク人民の、対米レジスタンスの過激派か

ら解放することこそもっとも優先されることではなかったか?

自衛隊は、小泉首相の判断を待たずただちに自力で日本に帰れ!

それこそが、もう遅いのだけれども、その殺された若者へのせめてもの弔いとなり

はしないか?

もういちど日本に帰りたいですと言ったその若者のあまりにも愚直で素直なことばは

今くりかえし、われわれのお茶の間に無惨にたれながされている。

この若者だけはぜったいに殺させてはいけないと、どうしてあなたは思わなかった

のか?

何度でも訴える!

日本政府はただちに日本軍(自衛隊)をイラクとペルシャ湾沖から撤退させよ! 

おおくの何の罪もないイラク民衆とりわけ多くの女性・子供を殺害した米英帝国の

イラク侵略戦争に加担した小泉首相は、いますぐ辞任せよ! 

 

2004 111日(月)

<パレスチナに献花を!>対イスラエル大使館抗議行動(111日の声)

1970023

東京都福生郵便局

P.BOX 63

長船青治

 

 20041031日(日)

 今日、憲法問題を考える小樽市民の会、米空母に反対する市民の会の呼びかけで開

かれたメ「ヒノマル・キミガヨ」強制に反対し、憲法改悪を許さないオタル市民集

会モの参加者全員がそろって、つぎのことを日本政府に要求しました。この要求書

は、集会実行委員会が小泉首相に送りました。

 佐藤正人

 

日本政府は、日本軍(自衛隊)を、ただちにイラクから撤兵させよ

 

 事実を見ようとして、イラクにいった香田証生さんが、日本軍(自衛隊)のイラク

からの撤兵を要求する組織によって殺されました

 アメリカ合州国をふくむ世界各地の民衆の反対にもかかわらず、アメリカ合州国政

府は、イラク侵略戦争を開始し、アメリカ合州国軍は、バクダット、ファルージャ、

サマッラなどイラク各地を空と陸から襲撃し、10万人を超える人々を殺害し、おおく

の人々を拘禁し虐待しています。

 ジョンズ・ホプキンス大学、コロンビア大学、アル・ムスタンシリア大学(バグ

ダッド)の研究者たちは、アメリカのイラク侵略と占領によって殺されたイラク人の

ほとんどが、女性と子どもであったと、1028日に公表した論文で報告しています。

 この論文には、

 「イラクの人口は約2500万人である。この大虐殺がアメリカ合州国で同じ規模で行

われたとすれば、死者100万人に相当することになる。もっとも弱い嬰児さえ、見逃

されることはなかった。イラクの民衆に対するアメリカの戦争の結果、乳児死亡率は

戦前の出生1000人あたり29人から現在の1000人あたり57人に増加している」

とも書かれています。

 日本政府は、人道支援のためといいつつ、アメリカ合州国のイラク侵略を支えるた

めにイギリス政府やイタリア政府などとともに正規軍をイラクに出兵させ、イラク民

衆殺戮に加担しています。

 小泉日本首相は、香田証生さんが監禁されたことが明らかになった直後に、「自衛

隊は撤退させない」と言い、香田証生さんのいのちを救う道をとざしてしまいまし

た。

 大量破壊兵器がなかったことが完全に確認されて以後も、小泉日本首相は、「大量

破壊兵器は、いつかはみつかる」というたぐいの詭弁をつかったことを謝罪すること

なく、アメリカ合州国のイラク侵略と占領を支え、日本軍(自衛隊)派兵を続けてい

ます。

 

 日本政府は、12月のイラク派兵「期限終了」をまたず、ただちに日本軍(自衛

隊)をイラクとペルシャ湾沖から撤兵させよ! 

 おおくの民衆の殺害に加担した小泉首相は、辞任せよ!

 

 20041031

 

「ヒノマル・キミガヨ」強制に反対し、憲法改悪を許さないオタル市民集会

参加者一同

 

 20041030日(土)

最初、PMNで福岡のどんこ舟というハンドルを使っていた人で、市役所の職員か

なんかだったと記憶しているけれど、その人の投稿を見て、

「 なんというバカなマネを 、しかし、こうなったら救出するしかない。 」

というのだけど、

「 ふ ん。変な感性だなあ。 」

と思っていたら、すぐに、今井恭平氏の

「 私は、なんとバカな真似をとはけっして思いません。<中略>現実をこの目で見たい

という欲求は無条件に正当なものです。 」というレスが載ってまた

「 う む。 」

と感心したのだが、

あと他には、パレ献のMLに何故かほとんど独白的なわったんからの投稿ばかり続いていて、

やはり、「 う む。」と唸るしかないと言うか、ただちには仕事を打ち捨てて

国会前に行くというWPNの高田氏の呼びかけに応える気にはならないのだった。

それではと思って、ムキンポ君のBBSに行って見ると、何か変な投稿が続いていて

つまらなかった。

それではと思って反戦自衛官・米兵人権ホットラインのBBSに行くと、こちらも

さらに変な投稿が続いていて読むに耐えないというのではないが、つまらないので

よしと思って浅田久仁臣氏のサイトに飛んだのだが、やはり、う むと唸ってしまう

というか、正論過ぎて納得できないと言うか、

それで、木曜日の朝5時に起きてもっと下らない仕事というものに行ったのだが、品川の

陸事に行く途中、調布のA氏の店に寄って、WPNのケータイの番号なんか教えてもらって

それで国会前( 正確に言うと衆議院会館前 )に帰りにあわや寄りそうになったのだが、

結局、車を止めるところがなかったし、もし本当に行く気があったら、日比谷公園の市政

会館の駐車場に入れて置けばそこからタクシーで行けば良かったのに、行かなかったのだ。

本当は、所沢に早く帰りたかったのかも知れない。

それでも、本郷のルオーで九百円のカレーを食べて、3時間半しか寝なかった性で頭が

全然だったのだが、春日通りで254経由で谷原に出れると思ってしまったのだから

仕方ない。

どっちでもいいのだ、そんなこと。

本当は、早く帰って、幾らかの日銭を稼ぐという生活にもう終止符を打とうと考えて

いたのだ。

ああ、ゆうべレイ子と見たローマの休日は良かった。

安物の葡萄酒とウイスキーのチャンポンで、ストーブの前で、ひじ掛け椅子に足を乗せ

て全身が何か自身から少しだけずれた感じが実に良かった。

 

 20041024日(日)

屋根のないフォークリフトに大雨が続いて、95Dのバッテリーを2個、マレーシアヤード

からもらって来て交換しても、予熱は真っ赤になっているのに、ウンともスンとも言わない

からスターターに検針器の針を当てて見たら、夕暮れの群青色の空の下でポッと明かり

が点ったので電気は来ているのだから、スターターを外して電装屋に出せばリビルト品と

交換してはくれるのだが、おそらく5万円くらいは取るのだろう。

そんなカネはないので、持って帰って分解してブラシを研いただけで、完全に焼き付いて

いなかった性で何とか回り出したのだった、昨日は。

2メーター以上ありそうな屈強そうな分厚い鉄の長い爪が2本ある小松のやつさ。

こいつにどんな屋根を付けてやろうかとあれこれ考えてまだ未完成の1300坪のヤードの

中を見回していたら、トラックの耐水幌が落ちていた。

隅にタイヤのチューブを均等に切った板ゴムが何本かくっ付いている。

夜になって、オートローンの申し込み用紙がそっちにあるかと言うから、あると言ったら

10万円の車検ローンだけど、そっちに向かわせると言うので、疲れて全身がジンジン

していたけど、玄関を片付けて待っていたら、レイ子さんや24才の子供がどかどか

帰って来たので、どうしようかと思って、その客が来たらその客の車の中で申し込み

用紙に記入してもらおうと思っていたら、なんとか10万円どこかで借りることが

出来たらしいとまた電話があった。

もう身体の疲れのピークは過ぎたような気がする。

たぶんどこか肩のあたりに凝固されて私の延髄辺りから堂々回りの思索は、もう始まって

いるようだ。

 

 20041019日(火)

3日目になって、この抗議行動はいったいなんなのだろうか?とか、私は、この

抗議行動でいったい何をしているのだろうか?とか、イスラエル大使館の前の路上に

毎日のようにくり返される暴力の連鎖に、自爆テロやまるで旧ナチス軍による

謂われなきユダヤ人の虐殺のようなパレスチナ人へのそれに、ただ一輪の花を

ささげるといういう献花行動とはいったい私にとって如何なる意味を持つ行動なの

だろうか?という風に極めて初源的な疑問が何度も脳裏をかすめた。

それに1日目の2次会のときに誰かが、おれのことを運動のしろうとだとか

言ったのだが、おれが今襲われている考えは、そんなことなんかじゃなくて、

昔、長野高のSくんが言ったのだが、この闘争と向き合っているおれ自身の

ことを考えていたのだ。

それは、個人的な闘争のことを言うのではない。

闘争と向き合っている個人のことを言うのだ。

そう考えると、11の団体・個人に呼びかけたのに(YWCA福岡のかたから問

い合わせがあった他には)誰も返事もくれなかったことも、参加するものが

身内の2人の老闘士とわたしの3人だけだったことも、なにも問題はないのだ。

そんなメール一本で参加してくる訳ないよと言うが、そうだろうか?

市ヶ谷駅に着いてパレスチナ旗を駅前の横断歩道の信号機にしばって、その前

にただひとりでビラを配ろうと立ってはいるのだが、そのビラをみずから受け

取ろうとする意志を示す通行人は、ほとんどいない。

私は、ビラを持ちただそこに立っているだけなのである。

仲間が誰かひとりでも来れば、私は拡声器のマイクのスイッチを入れ、いつも

呼びかけているようなことのほかに、これは、3日間連続抗議行動であること、

イスラエル軍は登校中の小学生の女の子の頭部に5発、全身に20発の銃弾を

打ち込んで殺したことなどを話そうと思っていた。

しかし、仲間が来て、今日の行動は駅前だけで終わろうと言ったのだ。

しかし、昨日は、2人だったが、ちゃんといつものようにイスラエル大使館の

前で献花行動も抗議文の投函もやったのだから、と言ったら、今日は日曜日

だから、大使館の前に今しがた行って見て来たのだが、大使館の建物の灯は

消えていて、人通りなんか全然ないよと言われたので、それじゃあ7時まで

ビラを撒いて帰ろうと言ったら、3人目の仲間が現れて、いっしょに早稲田の

あかねに行くことになったのだった。

あかねで数人の青年にビラを手渡していっしょに飲んだ。

そのなかの一人は、一ヶ月後に南仏のマルセイユの詩のイベントに招待された

のだがと言うのだ。

旅費は、フランスから出るのだが、詩人っていいですねえ。

ああおれの酔いどれ船よ!

おれの日輪よ!

おれのイスラエル大使館よ!

 

 20041016日(土)

全共闘は、なんでもありかと言われても困るが、( またしても、どういう

シチュエーションでというのは省いちゃいますが、)ぬけがけをしたように

受け取られても仕方ないのだが、昔、つまり、1969729日の午後2時頃の

ことだが、( 何故そんなに詳しいのかって?学生自治会執行部の当時の新聞

のスクラップブックを持っているからさ、)が、大学創立以来はじめての学外デモ

3百人くらいで甲府市内をはげしくジグザグで走ったのだが( はじめてだから

先頭で執行部が頭を押さえ込めば良かったのに、すごいマラソンデモになっち

ゃったのであるが、おれはそのデモの様子を夕方のテレビのニュースで見たのだが、)

おれは、キャンパスでさんざんみんなをアジって置いて、その頃使っていたスーパー

カブ90の後ろにレイ子を乗せてデイトナというジャズ喫茶に行くというデートの約束

があったのだが、夜、アジトに帰ったら、後輩たちが何人もレイ子を乗せたおれのバイク

を見たと言ったので、結局おれは全員に布団の簀巻きにされてみんなに蹴飛ばされる

羽目になったのだった。

いやあ 、なにをされてもいい気分だった。

だって、しようがないじゃん。

デートの時間がないんだもの。

 

 20041015日(金)

3日間連続抗議行動への招待状」に少し手を入れて、2日目と3日目

に撒くビラを作った。

************

 ガザの非常事態に訴える!

 

愚かなるイスラエル軍の今回のガザ侵攻で今月に入ってすでに

120人以上の無辜のパレスチナ市民(子供31人)が殺され400人以上

の負傷者(子供135人)が出ています。

われわれがイスラエル大使館の前に立つのは、40回になろうとして

います。

この間、なんどか事前に大使に抗議文を手渡したいので門前に出て来

て欲しいとメールで要請して来ましたが、一度も返事すらありません

でした。

しかし、彼らには、聞こえているのです。

門の向こう側に立ってこちらを見ている数人のユダヤ人やその子供た

ちも見たことがあります。

いつもになくイスラエル国旗がはためいています。

大使館内の照明が消えたり点ったりして落ち着かない時もありました。

まるで、パレスチナの子供たちを殺して不安なように。

たしかに彼らが大使館内で聞いているのが分かります。

われわれがイスラエル政府に抗議のためにここに来たことを彼らに

共に伝えようではありませんか!

今月の抗議行動を、ガザの非常事態に呼応する3日間連続抗議行動と

します。

ひろく仲間の自由な参集を呼びかけます。

 

<パレスティナに献花を! 101617日の声>

2004101617日(土・日) 6:30 p.m. JR市ヶ谷駅前集合(ビラ撒き)

7:00 p.m. イスラエル大使館へ向け出発(ピースウオークでデモではありません。)

7:30   8:00 p.m 献花およびハンドマイクで抗議アピール(有志による)

 

私たちは月に1度、第3金曜日(原則)にJR市ヶ谷駅前に集まって、イスラエル大

使館 への抗議行動をつづけています。

今月は10151617日(金土日)の3日間実施します。

ハンドマイクを用意しますので、皆さんの声をイスラエル大使館に届けませんか。

時間の都合のつく方は、プラカード等をもって、JR市ヶ谷駅前にお集まりくださ

(もちろん手ぶらで気軽に立ち寄っていただいてかまいません)。

目印にパレスティナの旗を立てています。

イスラエル大使館前に直接来ていただいてもかまいません。

8:00 pmころまで、ハンドマイクを使ったアッピール(有志による)の後、

献花行動と抗議文の投函をし、その後軽く交流会も開催しています。

 

<<パレスティナに献花を!101617日の声>>

 

長船青治

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Seiji Osafune <<Flowers for Palestine !!>>

E-Mail;shum@eagle.ocn.ne.jp

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 20041013日(水)

ハンユニスの国連の学校内で( たぶん小学生の女の子 )学童が教室で

(とあるからたぶん、狙撃されたのだろう。)イスラエル軍に殺されたと

言うアンルワのプレスリリースを見て、大阪の池田小学校の事件をすぐ思い出

した。

全然、状況は異なるのに、殺される一人の小学生の女の子のがわから見れば

殺されることに変わりがないという点では、皮肉なことであるが、世界の果て

で起こっていることが、実は我々の、おそらく極めて身近なところで起きている

という認識が恐ろしく希薄な場所としてこんにちの日本があるのだろう。

 

おそらく、いつかなんてえのは、来ないような気がするので、ええいままよと

思って、禁を破り、今日からまた、30年以前の古いミニコミを読み返して、

感じたこと、思ったことを記して行こうと思う。

( 現実に世界や身辺で起きることがあまりにもつまんないので! )

最初に眼にして驚いたのは、「 甲府市武田2丁目619、穴水方、

長船青治気付け、甲府文学会「 人間 」別冊編集部 御中 」と書かれた

封筒の中身が、1972210日 第2号「 GUI-LO 」というわら半紙1枚に

裏表4段組のガリ版刷りのもので、発行は、甲府市丸の内2丁目28 2 街路社

である。

すぐには思い出せない。

ほとんど記憶にないのだが、何か私の考えるところのミニコミらしくないところ

が厭な感じだ。

内容は、伝習館高校闘争のことなのだが、もうなんて言うか、視点がお決まりと

言うか、少し読んだだけで、何か疲れると言うか、日教組の人が書いた文章らしいね

と言うか、そうそう、思い出したぞ。

悪いけど伝習館高校闘争のことは、その頃、ピンと来なかったのは、そう言う

ことだったのかと今にして思うのである。

しかし、裏側の昭和19年生まれという岩崎氏の「 戦争を記念された赤ん坊達 」

は面白く読ませていただいた。

北山修というフォークシンガーが、彼と同年であるということで想像していた共通の

時代感覚がある時から、一つの群れから強引に切り離されたという気になるという

あたりからか、あるいは、この文章の意図がなんなのか、突然、暗い気分になって

来るのは何故なのだろう?

それは、書きはじめの「 ぼくは吉本隆明でも高橋和己でも金井美恵子でもない、その

「北山修」という名にいつの間にか興味を持っていた。 」というところにすでに

その答えが、あらわに見えているからなのだろう。

******                

UNRWA Press Release 12 October 2004

UN Relief and Works Agency for Palestine Refugees in the

Near East

website: www.unrwa.org

Press Release No. HQ/G/33/2004

12 October 2004

Israeli Gunfire Hits 11-Year Old Girl Sitting

at her Desk in an UNRWA School

 

Jerusalem - A child sitting in the classroom of an UN-flagged

school has been struck in the stomach by gunfire from an Israeli

position in the Gaza Strip. This is the fourth such incident in

under two years, last month an 11-year old girl died after being

hit at her desk in Khan Younis.

 

At 10:45hrs this morning, two shots were heard from the direction

of an Israeli army position on the border of the Gush Katif

settlement block and overlooking Khan Younis refugee camp.

One of the shots hit Ghadeer Jaber Mokheimer, a grade five

pupil at UNRWAs Co-Ed Elementary D School.

 

Ghadeer was immediately taken to hospital and into emergency

surgery. Her condition is currently reported as stable.

 

On September 7 this year, 10-year old Raghda Adnan Al-Assar was

struck in the head by an Israeli bullet while sitting at her desk in

UNRWAs Elementary C Girls School in Khan Younis camp. She

never regained consciousness and died on 22 September.

 

On June 1 this year, two ten-year old boys in UNRWAs Al-Umariye

Elementary Boys School in Rafah were hit by a bullet and ricochets

from a Israeli tank stationed on the sand dunes opposite the school.

 

In March 2003, 12-year old Hoda Darwish was sitting at her desk when

she was hit in the head by a bullet fired from an Israeli observation

post on the outskirts of Khan Younis. The bullet struck her head and

left her blind.

 

UNRWA has repeatedly called on the Israeli authorities to stop firing

at schools. Israel routinely denies that its soldiers have been involved,

or invokes the security requirements of its positions. Peter Hansen,

UNRWAs Commissioner-General has demanded that such shootings

must stop.

 

 20041012日(火)

見せてあげてもいいよ。

毎月毎月、なんであんなにくり返し「 家 」について、何年ももう

このテーマの向井さんの論考は、どうして終わらないのだろうかと思う

くらいそれは続いたのだった。

ぼくがついに家出をする前から、姫路の向井さんの古びた一軒家の玄関の

ガラス戸をガラガラっと開けて入るのだが、するとすでに先客の履物が

ずらりと並んでいるのだが、毎月の座談会で毎回全員が自己紹介をして

始まるのだが、ここでもテーマは、長い間「家」であったような気がする。

西成のサル トンに向井さんのお母さんもいっしょに住んでいたのだが、

自分専用の小さなアルミ製のお茶の急須を大事そうに持っていた。

ぼくの母も上京していっしょに暮らせばいいのになあ。

代々幡葬儀場で、向井さんといっしょに棺のなかの桧森さんに最後のお別れを

した時、ぼくが言葉を失ってただ、何か、向井さんが言うのを待っていたら、

ふっと、「 なかなかええ顔してたな、綺麗に焼けて、カラス天狗のお面み

たいだったね。 」と黒く焦げた彼の顔に何度も感心していた。

後になって、「 しもたあ、デスマスクをとって置けば良かったなあ、

長船くん! 」と言っていたほど、たしかに、彫像のようになった姿は

もう見ることは出来ない。

しかし、少し開いた口元からは、白い歯が23本見え、ぼくにはとても

お面などとは思えなく、いまわの際に何か叫んだような気がして、それが

何と言っているのかが想像できなくて、ただ、無性にぼくにはそれが情け

なかった。

 

 20041010日(日)

なぜおれが、池の沢登山小屋の管理人だったかって?

それは、誰かが、やんないかって誘ってくれたからさ。

では、なぜ一度は帰郷した岡山を飛び出したかって?

なんか耐えられなかったからじゃないかな。

でも、阿佐ヶ谷なんかより、良かったと思えるのは、矢張り恵まれた家庭

環境にいたせいなのだろう。

阿佐ヶ谷のころ大隈講堂の前でボロボロのたこやきの屋台を出していたのだが

思い出すと、恥ずかしくなるね。

ヒモリ氏が大阪で運動のためにやったといういか焼きの思想と何か接点があるの

だろうか?

やはり、行き着くところは、なぜ大学解体闘争のあと帰省して就職したのかと

いうところだろう。

後輩たちが怒っただろうことは想像にしくはない。

それでも、すぐに姫路の向井孝を訪ねて行き、おれは小説の原稿を持って毎月

通ったのだった。

28才までは、そんな感じでいい季節だった、人生の早春賦と言ってもいい。

さあ、これから「 緊急!3日間連続抗議行動への呼びかけ 」をあちこちの

団体に送るのだ。

910月に頂いたもののお礼をここに記して置きます。

ジャガイモ・玉葱・桃のお裾分け一箱

饅頭一箱、

エンジンオイル・4リットル缶×60本、

新米2キロと単一乾電池×10本、

ありがとうございました。

 

 2004108日(金)

市民としてというスタンスじゃ、駄目なんじゃない?

パレスチナの難民の子供達の生活を写したテレビの報道特集や、イスラエル

兵に至近距離から撃たれて死んだたくさんの青年たちの破壊された頭部の写真や

、自爆テロで死んだ女子高校生の決行前夜の写真やなんかをインターネット

で見て、かわいそうだと思って、この戦争は間違っているとか思って、それで

われわれはISMの非暴力トレーニングやなんかに20万円とか払って参加する

わけではない。

いや別に暇な人は行ってもいい。

おれももし暇ならそうする。

しかし、この国のわれわれの生き血を吸っている、日々、交通違反だのとテキ

トウナ言いがかりを付けて、罰金という名の年貢を徴集して回っている白バイ

やパトカーに乗っているいかれた野郎どもの後ろで別に糸を引いている訳でも

ないのだが、訳もなくほくそ笑んだり、またはたぶん暇なのだろう苦々しく思って

いるはずの悪徳代官役の東京都知事の石原慎太郎みたいなすかした奴らのこと

だが、そんな奴らに何か石でもぶつけてやろうとか言っているのではない。

いや、おれもYOUの会の誰かさんみたいに地下鉄を降りて階段を登って地上の

出口に出たらたまたま警官がいたので、なんとなく蒸し暑かったし、理由もなく

殴ってしまったと言う感じなんだ。

いや あ、このフィーリングはよく分かる。

たしかに、イスラエル大使館前の警官が警護し守ろうとしているものは、ただの

人殺しで、それも飛び切りの残忍なやり口で、とても奴らときたら人間とは思えない

ようなことを平気でやるのだが、そんな奴らを何故守っているのか、柔道や剣道を

われわれよりも日常的にやっている警官諸君にしては、お前ら、恥を知れと

言われても仕方のないことなのだろう。

しかし、本題に戻ろう。

われわれは、イスラエル大使館の前で警護にあたっている警官に会いに来ている

のではない。

たしかに、われわれの行く手を邪魔するものとして、彼らはそこに立たされている

のではあるが、翻って、われわれは、本当に抗議文をイスラエル大使に手渡したい

のだろうか?

否である。

もし彼が出て来るとしよう。

今、虐殺されているパレスチナの家族が、彼に抗議文など手渡すであろうか?

否である。

 

 2004107日(木)

神通力なんかさ、なんつうか、たいしたことないのだけど、でもすごいことだよな。

世界の七不思議なんつうのも、なんか、たいしたことないような感じだけど、昔とか

少林寺拳法の道場で聞いたことあるのだが、しかし、現実に親父殿の両方の足の裏に打ち

込んでいるのだけど、直径6センチ、長さ20センチくらいの金属製の注射器なんてはじめて

見たけど、ただもんじゃないと言うか、こりゃもう駄目だと思ったなあ、機械的な油圧式で

モルヒネを終末期の癌患者の親父殿に24時間注射し続けているって訳さ。

苦しいのか、喘ぎながらもおれに「 あとをたのむ! 」と言い残して夢の中の死に神との

最後の闘いに戻って行ったのだった。

なん日かたって、親父の会社の事務所を整理するために母と姉とおれの3人で行ったのだが、

正面のドアも裏口のドアも正しい鍵を差し込んでいるのに頑として開かないのだ。

これは一体どうしたと言うのだろうと、母も姉もいぶかしがり、2人はついに「 南無妙法蓮華経 」

を唱えているではないか。

おれもそんなバカなと、何度か鍵を差し込んで、ステンレスのノブを回したが、駄目だった。

それで、鍵を壊してでも開けてもらおうと業者に電話をすることになったのだが、

その前にもう一度、おれにやって見ろと姉がうながして、お前ならお父さんも開けてくれる

はずだと言うのである。

それで、もう一度、心の中で「 お父さん!おれだよ、開けるよ。 」

と言って鍵をそっと回したのだった。

そしたら、姉が、「 ああ、やっぱり、お父さんだったのね。 」と言って

クスクスッと笑ったのだった。

親父殿が死ぬ前に一番気掛かりだった自分の会社の事務所のなかのいろんな書類や

親父にとっては、とても大事だったものがいっぱい詰まった事務所にきっと神通力で心のなか

で鍵をかけたんだなって、その時、おれは、そう思ったのだった。

小樽から来たメールについて、考えた。

もしおれなら、海南島からこのメールを出すだろう。

おれにとっての海南島は、東京に他ならないという意味では、彼の海南島には及ばない。

それは分かっている。

 

******

 紀州鉱山の真実を明らかにする会からの「韓国での展示会のお知らせ」です。

 佐藤正人

 

 展示会『海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』(主催:

民族問題研究所、独立紀念館。後援:紀州鉱山の真実を明らかにする会)が、101

日から10日まで、ソウルの西大門刑務所歴史館で開かれています。つづいて、1015

日から1120日まで、天安の独立紀念館で開かれます。

 この展示会とほぼ同じ内容の企画展が、今年721日から815日まで、大阪人権博

物館(リバティ大阪)で、開催されることになっており、今年春から、大阪人権博物

館は、「催し物のご案内」などで、この企画展の趣旨や期日を公表していました。

紀州鉱山の真実を明らかにする会は、200211月から、この展示会内容にかんする綿

密な打ち合わせ会議を人権博物館とおこなっていました。

ところが、とつぜん、今年5月13日に、大阪人権博物館は、紀州鉱山の真実を明らか

にする会に、『海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』とい

う表題では「右翼」から展示が妨害されるおそれがあるので変更してほしいと、申し

入れました。

 展示内容は変えないというので、わたしたちは、企画表題を『海南島とアジア太平

洋戦争 占領下で何がおこったか』とすることに合意しました。しかし、さらに、5

30日に、大阪人権博物館は、展示そのものを延期すると通知してきました。

 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、これとは別個に、韓国での展示の準備を、昨

年秋からすすめ、今回、西大門刑務所歴史館と独立紀念館で開催することになりまし

た。この期間に韓国に行ったときには、ぜひ見てください。

 これとは別に、11月に、ナヌムの家の日本軍メ慰安婦モ歴史館で、「日本軍性奴隷

制」にかんするパネル展が開かれますが、そのとき海南島における日本軍性奴隷制の

パネルも展示されます。

また、12月に清州博物館で、来年にかけて民族問題研究所の各地方支部で展示会『海

南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』が開かれることになっ

ています。くわしい日程は、あらためてお伝えします。

 大阪人権博物館は今年夏から改装のため長期に休館し、来年12月に開館します。

わたしたちは、新装開館する大阪人権博物館で展示会を開くための準備をこれからす

すめていきます。また、アイヌモシリ、日本、ウルマネシアの各地で展示会を、ド

キュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年前はきのうのこと』の上映会とと

もに開きたいと思っています。みなさんのご協力をお願いします。

 200410

 紀州鉱山の真実を明らかにする会

http://members.at.infoseek.co.jp/kisyukouzan/

 2004106日(水)

このページの背景色はうすきみどりなんだ、Winでは反映されない。

どっちでもいいことだ。

昨日、鴎の噴水前に集まった。

秋田からお米を送ってくれたひとの分もと思って、車に戻って袋のまま抱えてまた

走って行って、缶ちゅうはいと線香のそばに手のひら一杯だけ、さらさらっと供えた。

それを誰かが黙って見ていた。

2人しかいなかったのだが。

だいじょうぶさ、おれは日本山妙法寺でワールドピースナウで、子供のキャンペーンで

え っと、あとなんだっけ?

アンルワでアイエスエムで、アムネステイーでウリなんだ。

来週の金曜日はもう献花行動の日かと思っていたら、誰かが、緊急3日間連続抗議行動を

やろうと言った。

それで、おれももうその時は、ビール2本くらい飲んでいたので、よし、3日間やろうと

いうことになったのだった。

それで、そろそろおれは帰ると言ったら、誰かが、「 だ、だいじょうぶかあ? 」と、

心配そうに言ってくれた。

3人しかいなかったのだが。

このあいだのジャパックは、80人も集まったらしい。

おれは朝からパソコンに向かって、ムキンポのはじめたML・「 パレスチナに献花を! 」の

招待状にレスしたり、夜、誰かに手渡すためにガザからの緊急メールをプリントしたりして

いた。

雨が、朝からけっこうはげしく降っていた。

おれが、イスラエル国旗を燃やすという話しが、筒抜けだったって言うのだが、そんなこと

どっちでもいいことだ。

 2004101日(金)

クリーニング屋が夜使うからあと15分でやってくれとかほざいていやがるのだが、

懐中電気じゃなく、もっと明るい50W位のはないのか?と言ったらタイコを引っ張

って来て建設現場なんかの赤い照明を持って来た。

なかなか俺の思っていることがよく解る奴なのだが、若い中国人だが。

薄暗くなったころ20万キロ走ったキャラバンのダイナモの交換を頼まれたのだが、

ストックの輸出用のキャラバンのエンジンはターボで、クリーニング屋のはノン

ターボだった。

最近のダイナモはジーゼルなのに、エンジンオイルでダイナモ自体を冷やすのである

が、なんか厭な予感がしたのだが、ターボのダイナモにくっ付いているオイルクーラーの

配管がノンターボのと違うのでオイルクーラーだけ取り外して付けたのだが、案の定、

セットしてエンジンをかけるとオイルがだだ洩れだったので、また取り外してオイル

クーラーのとこだけ分解してもともと付いていた配管のホースの位置なんか違うのだけど、

無理矢理改造してもう一度セットし直したのだった。

これらの脱着に結構時間がかかるのであるが、コンデンサーを止めるビスを落としたり、

ステーの下側の見えないところで、14ミリのボルトを入れるのに両手でまさぐりながら

やるのだが、急いでいる時に限ってなかなかボルトが入らないのだ。

しかし、今日はエンジンの下にもぐってやる脱着でなくて良かった。

 2004930日(木)

日特金闘争が、1966年とは知らなかった。

そう言えば、和くんはその頃、高校生だったのか?

後で本を調べて見よう。

しかし、東アジア反日 と桧森氏らが中東に渡ってやろうとした日本赤軍の

根本思想は同じではないのか?

と聞いたら、違うと言うのだが、

母体はブントだし、片方はアナキズムだって言うのだ。

人は、党のためや思想のために殉じたりするらしいけど、

われわれがこの闘争をはじめたのは、もっと簡単なことで、もっと個人的な感性

の問題だったり、もっと身近な生活や、学校や、仕事のなかで、実に解りやすく、

われわれの前に、行き手を邪魔をするもの等として、現出していたに過ぎなかった

のではないだろうか?。

大菩薩峠にもたくさん高校生がいたらしい。

京都パルチをノンセクトって言うのは一致したが、

山本義隆や秋田明大の全国全共闘について、東大闘争と日大闘争という個別では

2人はすごかったけど、196911月にセクト連合代表にまつりあげられた時には

もう全然だったって言うのだが、

帰りがけにふっと、デイア・アングリッフと叫ぶサイトを立ち上げた人を思い出し

た。その気持ちがよくわかる。

その人が、去年、「 覚醒せよ!」という本を送ってくれたのだけど、

著者が宗教家でなかったら、ぼくも彼らの決死隊に参加したに違いない。

しかし、小平のNが、

「 キリスト、イスラム、仏教、あらゆる宗教が「オカルト宗教」に思えてきた。

科学文明もそうなのかもしれない。」

と書く時、

もう覚醒に意味がないことを告げているのだろう。

では、われわれは無意味な闘争をやっているのだろうか?

なぐりたければなぐればいい。

80才の仲間に反撃などできるわけがないよ。

武人として、やるなら、眼前の相手はシオニストたちやイスラエル軍くらいしか

ないだろう。

中東では、日本の柔術や空手の師範が珍重されていると言うのだが、ほんとう

だろうか?

たぶん、本当なのだろう。

日本国内では国際格闘技大会が、テレビ番組としてめじろ押しの状況だしね。

結局のところ、遠くない昔にコロシアムという格闘技場では、人が互いに殺しあうのを

観戦していたというのだが、何が変わったと言っても、何も変わっていないような

妙な気になるのだが。

絶対に人の心の中で何かが変わっているはずなのだが。

 2004929日(水)

「 このあいだの「黒」の編集会議のとき

向井さんから君の事、何かしでかそうな、

何か尋常でない眼をしていたので

おさふねくん、きみ、彼を止めてくれへんかって

頼まれたのだけど、イスラエル大使館前で、

こんな状況で

( 型にはめられた、無気力な日本の民衆をさして

そう言ったのだが、)われわれにもはやこれ

以上何もできる訳ないじゃんねえ、」と

彼に言ったら、いつもになく

まったく反応がないので、私はあれっと思って

もう一回おなじことを、いくぶん

大きな声で彼の耳もとで伝えたのだったが、

その時、市ヶ谷駅から歩き出したばかりだったが、

イスラエル大使館前に着くまで、

ずっと一緒に歩いていたのだが、

彼は、2回目もなにも返事がないまま、

ややくちびるをかみしめた感じで、

何か返答に困るという風でもなく、

もう決心していたかのように、

うつむくと言うより、いつもの彼らしい

と言ったほうがいいな、いくぶん遠くの前方を

凝視したまま

向井さんにもらった作務衣を着て、

一歩一歩ゆっくりと

坂道を登っていた。

だって、おさふね君は一度もおいらの誘いに

( 最後の1年間毎月のようにバスで犬山に

命の洗濯にいっしょに行こうと誘ってくれたのに、

1度もそれに応えなかったこと、)

応えてくれなかったじゃないか、

とでも言いたかったのか、

私にとっては、すこし気まずいような

沈黙が15分くらい続いたのだった。

 

以上に訂正をお願いします。

 

あともう一ケ所、津田大では

彼はビラを百枚くらい作って

来てくれたこと、

大和から電車を2時間くらい乗り継いで来て、

最後の

恋が窪駅からは私との約束の時間にすこし

遅れたのでタクシーで津田大正門前に

乗り付けて来たこと、

ビラは正門前で夕方薄暗くなっていましたが、

講演会実行委員会の女子学生らと

配ったのですが

みんな必ず受け取ってくれたこと、

講演会がはじまるまでの

間に百まいすべて撒き終えたこと、

聴衆は300人以上いたこと、

などを付け加えておきます。

 

 2004927日(月)

朝、深い夢から目覚めて、嗚呼!従弟のAが、黄泉の国でおだやかに暮らしていた。

ぼくがたずねて来たので部屋に案内してくれる場面だった。

小さな茅葺きの家のようだったが、そのおだやかさは、ぼく自身にも伝わって

来てほんとうに二人ともおだやかな気持ちになったのだった。

しかし、目覚めて、ぼくは、あのはげしくフリージャズの演奏に明け暮れして

いた頃、どうして天才ドラマーのAを東京に呼ぶことを思い付かなかったかと悔やんだ。

どうせ死ぬなら、食えなくとも好きなドラムをたたいて、ぼくのバンドでたった1年でも

一緒に演りたかったなあ。

どのみちバンドは、解散したのだし、

どうせみんな行き詰まって、誰かが死ぬんじゃないかという雰囲気だった。

阿部薫と間章が死んだ。

嗚呼!ひでちゃん、最高だったと、最高の人生だったよと言って死んで欲しかったなあ。

Aのドラムスは、本物だった。

Aのドラムスは、天才的だった。

Aを呼ぶべきだった。

Aは、ぼくより4つ年下のファミリーだった。

お彼岸の性だったのか、みんな身近な人が出て来てキツネにつままれたみたいな

ことを言っている。

おかしいよね。

*************

パレスチナ・フォーラムに広島の野間氏が投稿されたアムネステイー・インターナ

ショナルのオファ、イスラエルの行政拘禁についての和訳を以下に転載します。

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行政拘禁

                              翻訳:田代史子

最新更新日:2004/9/14

 

行政拘禁とは、被拘禁者が罪状も裁判もなく監禁される処置である。刑事上の罪状は

提出されず、被拘禁者を裁判にかける意図もない。拘禁命令によって、被拘禁者は具

体的な拘留期間を言い渡される。この刑期の終了日もしくは直前に、拘禁命令がしば

しば更新される。この過程は際限なく続く可能性がある。 

 

2000年9月に「インティファーダ」が始まって以来、徐々に行政拘禁される人の数が

増えている。2001年11月の約30人から、2002年12月終わりの1,000人以上へと人

数が跳ね上がった。2004年8月終わりには行政拘禁されているのは約750人のパレス

チナ人で、最近では人数は減っている。被拘禁者の大部分は、オフェル軍キャンプ

(西岸地区)とナジェブ砂漠にあるアンサール第3ケツィオット刑務所に収容されて

いる。これらの刑務所は待遇が非常に苛酷なことで知られている。

 

アムネスティ・インターナショナルは、行政拘禁に反対し、この処置の廃止を要請

しています。

 

*アピール・ケース: ターリ・ファヒマさん

 

イスラエル人でユダヤ人女性のターリ・ファヒマさん(28歳)は、2004年8月9日西

岸地区の検問所で逮捕された。95日に彼女は、4ヶ月間(200514日まで)行政

拘禁下に置かれることになり、この拘禁は更新される可能性がある。

 

逮捕後、ファヒマさんはイスラエル諜報機関(ISA、以前はGSSという総合諜報部とし

て知られていた)により28日間尋問を受けたが、その間中狭い窓のない牢屋に入れら

れ、床の上に敷いたマットレスで寝ることを強いられ、照明がずっと灯ったままの部

屋で家族の面会も許されず、筆記用具も読み物も与えられなかった。そして両手を後

ろに縛られ、不自然な姿勢で座らせられたまま、一日に15時間から18時間尋問を受け

た。

 

イスラエル当局は、ジェニンのパレスチナ人武装グループのリーダーの一人と接触が

あったという理由で、彼女が国の安全を脅かしていると主張している。しかし当局は

ファヒマさんにも彼女の弁護士にもこの主張を裏づける証拠を提供しておらず、彼女

はいかなる罪でも告発されていない。

 

ファヒマさんは、去年からジェニン難民キャンプを訪れるようになり、友人達と寄付

を集めて難民キャンプ内の子どもたちのためのセンターの再開を手助けするなど、パ

レスチナ難民の援助を行うようになった。彼女はまた、パレスチナ戦闘員であること

を知られているか、その疑いを持たれた人を裁判を経ずに処刑するイスラエル政府の

政策に異議を唱え、アルアクサ殉教者団というパレスチナ人武装グループのリーダー

のために、人間の盾になる用意があることを公の場で表明した。このリーダーは、イ

スラエル治安部隊により幾度も暗殺が試みられており、ファヒマさんがジェニンで友

人になった人物でもある。

 

しかし、ターリ・ファヒマさんは、いかなる暴力的行為にも関与していないことを主

張している。今年になって彼女が拘束されたのは今回で2度目である:5月にも逮捕

され、6日間拘束された後、告発されないまま釈放されている。

 

 

*アピール・ケース:アブドゥラティフ・ギースさん  

 

アブドゥラティフ・ギースさん、63歳の人権擁護活動家は、2004年7月29日、エルサ

レムの自宅へ帰る途中、西岸地区のカランディヤのチェックポイントでイスラエル軍

に逮捕された。そして8月4日に6ヶ月間の行政拘禁を言い渡された。この命令は、

2005年1月28日に終了する予定だが、その時点で更新される可能性がある。ギースさ

んは、いかなる罪でも告発されていない。過去3年間に行政拘禁された他の何千人も

のパレスチナ人と同様、彼もイスラエル軍により「国家の安全への脅威」と見なされ

ている。ギースさんは、ラマッラー近郊のベンヤミン軍拘置所に拘禁されている。

 

アブドゥラティフ・ギースさんは、作家でありジャーナリストで、結婚して4人の成

人した子供がいる。彼は、パレスチナ人権団体評議会である「アダミールの囚人支援

及び人権協会」(http://www.addameer.org/)の議長であり、パレスチナとイスラエ

ルの市民社会に情報を提供し、また協力を推し進めているイスラエルパレスチナ団

体である「オルタナティブ・インフォメーション・センター」(AIC

http://www.alternativenews.org/)の副議長でもある。ギースさんは、人権問題

に関して活動的な運動家であり、西岸地区にイスラエルが建築したフェンス・壁に反

対して最近ハンガーストライキ運動に参加した(このフェンス・壁に関するアムネス

ティ・インターナショナルの報告を参照のこと:

http://web.amnesty.org/library/Index/ENGMDE150162004)。またギースさんは、

エルサレムにある「パレスチナ市民社会委員会」及び「政治囚のためのパレスチナ

民族高等委員会」のメンバーでもある。

 

報告によると、逮捕後ギースさんは、イスラエル諜報機関(ISA、以前はGSSという総

合諜報部として知られていた)の諜報員に尋問され、アダミール協会での仕事に関し

てや、この協会で働く他の人々について聞かれたという。彼は6日間弁護士に面会を

許されなかった。

 

アブドゥラティフ・ギースさんは、1988年と1989年にも罪の告発や裁判もなく行政拘

禁されていた。

 

 

*アピール・ケース:アドゥナン・ナイーム・アブダラーさん  

 

アドゥナン・ナイーム・アブダラーさん(31歳)は、結婚して子供はいないが、2003

年1月から19ヶ月以上イスラエル軍によって、罪の告発や裁判もなく拘禁されてい

る。この間彼の妻は一度も面会を許されなかった。

 

アドゥナン・アブダラーさんは、ジェリコ(西岸地区)近郊のアカバ難民キャンプに

ある東エルサレムYMCA職業訓練センターのスタッフだが、2003年1月2日に病気の母

親を訪ねるためにジェリコからベツレヘムへ行く途中イスラエル兵士に逮捕された。

 

逮捕後間もなく、アドゥナン・アブダラーさんは6ヶ月間の行政拘禁命令を言い渡さ

れた。この命令は、彼が「地域の安全を脅かす危険分子である」ため拘禁されたと述

べている。しかしこれにはこの主張を裏づける証拠は何も含まれていない。その後拘

禁命令は、終了期限が来るたびに更新され、アドゥナン・アブダラーさんは現在6回

目の継続した行政拘禁下にある。彼は、拘禁されて一年以上経った時に一度だけ短く

尋問されただけだった。

 

アドゥナン・アブダラーさんが現在受けている4ヶ月間の拘禁命令は2004年12月7

日に期限が来るが、再び更新される可能性がある。

 

今、行動を          

 

上記のアピール・ケースを例に挙げて、イスラエル当局者に手紙を書き、暴力を手段

としない政治的意見や活動を理由に行政拘禁されているすべての人をただちに無条件

に釈放するようにイスラエル政府に要請し、またそれ以外の被拘禁者も明確な罪で告

訴し公正な裁判としての国際的基準を満たした適切な法廷で直ちに裁判にかけるので

なければ釈放するよう促しましょう。

 

アピール・ケースの原文は以下のURLにあります。

 

http://web.amnesty.org/web/web.nsf/pages/isr-action-detention

 

 

 

(手紙の例文)

                                      

 日付

Dear Prime Minister,

 

I am writing to you to express my deep concern over the cases of Tali

Fahima, Abdullatif Gheith and Adnan Nahim Abudallah. They are under

administrative detention now. I urge you to immediately and unconditionally

release them held on account of their non-violent political opinions or

activities, and to release the others unless they are to be charged with a

recognizable criminal offence and promptly tried in a proper court of law in

accordance with internationally accepted standards for fair trial.

 

Sincerely yours,

 

拝啓

 

ターリ・ファヒマ、アブドゥラティフ・ギース、アドゥナン・ナイーム・アブダラー

のケースについて、私の深い懸念を表明したく御手紙いたします。彼らは現在、行政

拘禁されています。暴力を手段としない政治的意見や活動を理由に行政拘禁されてい

る彼らをただちに無条件に釈放するよう、またそれ以外の被拘禁者も明確な罪で告訴

して公正な裁判としての国際的基準を満たした適切な法廷で直ちに裁判にかけるので

なければ釈放してください。

 

敬具

 

 

宛先はこちらへ 

 

・首相兼移民統合大臣

Ariel Sharon

Prime Minister and

Minister of Immigration Absorption

Office of the Prime Minister

3 Kaplan Street

P O Box 187

Kiryat Ben-Gurion

Jerusalem 91919Israel

 

Fax: +972 2 651 2631

Or +972-2-5664838

Telex: 25279 MPRES IL

E-mail: pm_eng@pmo.gov.il

 

・公安大臣

Tzachi Hanegbi

Minister of Public Security

Ministry of Public Security (Police)

Kiryat Hamemshala

P O Box 18182

Jerusalem 91181Israel

 

Fax: +972 2 584 7872

 

・法務大臣

Yosef Lapid

Minister of Justice

Ministry of Justice

29 Salah al-Din Street

Jerusalem 91010Israel

 

Fax: +972 2 628 7757

E-mail: sar@justice.gov.il

 

 

・内務大臣及び副首相

Avraham Poraz

Minister of the Interior and

Deputy Prime Minister

Ministry of Interior

2 Kaplan Street

P O Box 6158

Kiryat Ben Gurion

Jerusalem 91061Israel

 

Fax: +972 2 670 1628

E-mail: sar@moin.gov.il

 

・司法長官

Menahem Mazuz

Attorney-General/Legal

Advisor to the Government

Ministry of Justice

29 Salah al-Din Street

Jerusalem 91010Israel

 

Fax: +972 2 628 5438

   +972 2 627 4481

 

 2004924日(金)

われわれが、パレスチナに関わる本当の理由(わけ)について少しだけ書いてから

寝ようと思う。

それは、昨日来たナブルス通信でサイードのことを書いたエレクトリック・インテイ

ファーダというページを訳したものを読んだり、JAPACのページの第2次インテイ

ファーダ4周年記念集会(於・925中央大)のところで、「連帯」とか「支援」とか

という言葉にサイードの言葉を借りて言うとつまり彼は、権力者や偽善者たちのことを

そう呼ぶのだが、「 モラルの代行者 」って言うのだけど、驚きもしないがシャロンや

シオニストやイスラエル軍やアラファト議長ですらそうなのであるが、しかし、被抑圧者の

側にいるわれわれの中にさえ、何故か正義の側であると確信している人々のなかにさえ

同じものが見えるのであるが、まあ、それは今はどうでもいいのだが、今は、彼が

( ヒモリ氏らが )北朝鮮ではなく、ましてインドやフランスでなく、ましてアメリカなど

さらさらなく、パレスチナに行こうと思ったことに、そのことに、われわれのそれ以前が、

全ての端を発しているのだから。

分かりにくいかなあ 。

 

 2004923日(木)

明け方、浅い夢を見た。

1階が台所と食堂で、2階が居間で、3階が寝室の棟割り長屋で軽量鉄骨

モルタル造りの都営アパートが抽選であたった夢だった。

「 もういい加減かんべんしてくれよって感じだよ、」って妻が言うと、

ぼくとしては本当にし んとなってしまって、男としてひどく情けない

気持ちになるのでした。

「 まいつきまいつき、もう何十年も家賃を払っていて、まだ搾取する気

かよ 、ああ、もう家賃など払う必要のない何処か、ただで貸してくれる家

がないものだろうか? 」って妻が僕に向かって言うのではない、

誰かもっと高邁な存在者に向かってほとほと疲れたって感じで半ば阿呆

らしいような微笑でもってそう言うとき本当にぼくとしては、情けないと

言うかふがいないと言おうか、まったく奴隷たちを解放してやれって言った

人に、まだなんか言うことがあるんじゃないですかいってね、まだ市民の

なかに市民でいて家賃を払っている人がいますがどうするんですかって言い

たいね。どうしてあの人たちは、家賃を搾取するのですかって元老院の

政治家に聞きたい。

人々が平等に住むことのできる家をと言っているのではない。

こんなに朽ちかけたあばら家で下水管は目の前まで来ているというのに、いじわる

地主が判子を押さないから市役所は仕様がないって言うし、台所の配水

も水洗トイレも、雨漏りのする屋根も腐った風呂釜も自分達で直して、

それで、23年住んでいるというのに、大家は今度、マンションを建てるので

出て行って欲しいと言うんだ。

普通より以下の家にまだ住んでいたいと言うのではない。

数日前に小平のN君の「 PCと日記 」1029日「 土地は誰のものか 」を

読んだのを思い出したのだ。

搾取されているという感じは、じつは、彼の言うところの土地の略奪の

歴史にその根本的な原因があると思う。

 2004922日(水)

C5が目の前を走っている

おれはミラ・ウオークスルーをふんわかふんわかと操縦している

どことなく、メアリイに似た乗り心地だ

ハブベアリングのいかれたやつだが、見た目よりも高価なのだ、

オートマだし、2人乗りだし、何と言ったって、バスみたいに立ったまま乗れるのだ

550CCだけど、なんかいいんじゃないの?

という感じなんだ。

タイミングベルトも代えているし、でも、ラジオは鳴らない、

エアコンも効かない(ガスがないだけかも知れない!)

ファンベルトが焦げ臭いので代えたほうがいい

気をつけて読んで

くそリアリズムという手法はとっていないんだ

でも象徴主義に敵対しているつもりなんか全然ないんだ

優しさだけじゃだめだってことは知ってる

むちゃくちゃ優しいアナキストだっているけど、むちゃくちゃ優しい左翼だって

いるけど、

優しさだけじゃだめだってことは知ってる

たださ、

孤独なわけ?

おれの全共闘の総括とかさ、やっぱ、

どうして、したくないかって言うと、みんなの考えているようなものと違うしね

この場合のみんなって、またしても

せいぜい、4 5人だけど

だから、

孤独だって言ってるでしょ

夕方から2時間くらいさ、

半袖のブルーのナッパ服がぐしょ濡れのまま滝のような豪雨の中で

懐中電灯の明かりだけで、4駆のバッテリーの100アンペアの隠しヒューズをからかって

いた

それで、帰りに裸になって下着を絞って、ちょうど吊るしてあったガ ナ人のでかい

ジーパンとポロシャツに着替えた。

ひどい悪臭のするやつだったが、風邪を引くよりましだと思ったのさ

 

 2004919日(日)

みなさんへ

以下の文は同日の公式レポートではありません。

 

拡声器の音量がボリュームを上げてもさほどには変わらなくなったので、次回には

単一乾電池10本全部を入れ替えること

拡声器の足が片方折れていたのを直そうとしていて、もう一方の足も外れてしまった

それで、なすすべもなく黒ペンキを塗っただけで来たのだが、缶コーヒーの熱いのを

飲んだあとこれを足で踏んで拡声器の台座にしたら、ちょうど治まった

 

9282次インテイファーダ連帯4周年について考えたこと

関西での集会が中止になったことも、JAPAC925に中央大学でやるという

ことも詳しいことは何も知らない。

 

横断幕の3周年を4周年に書き変えることなど意味があるのだろうか

 

市ヶ谷駅でビラ( ISMからその日出されたプレスリリース・公式見解の抄訳 )を

配っていて、高校生がビラのなかの漢字が当て字だと言って来たこと

 

朝、鰍沢のAから電話があったこと

ハルの会々報・国境のない騎士団の最近号に絵入りで載っていたのを真似して、ハッタ

をコマンド縛りで顔を覆ってパレスチナ旗を持ってイスラエル大使館前に仁王立ちに

なっていた

 

家の庭の朝顔の写真を葉書にプリントして

Don't Kill the Palestinian people !!

とだけ2回刷りしたものも大使館の郵便受けに入れた

( 5枚くらい余ったので、ご希望のかたが居れば、その旨メールを下されば、差し

上げます。

〆切りは、930日で、送り先と氏名も忘れずに書いて置いてください。)

 

あとは何も変わらない

いつものとうりさ

 

その日配ったビラには、数日前に日本国内の大新聞なんかでは、

「 イスラエル軍は、アラファト議長の元PLOの軍事部門であるアル・アクサ殉教者

軍団と銃撃戦になりパレスチナの5人が死亡した。」と報道されたが、

イスラエル軍は誰も死ななかったとは書いていなかったが、それもそのはずで、

銃撃戦などなかったし、拷問したあげく至近距離から殺したただのいかれ野郎の

ことなのだが、その記事に対する( 誰かさんは国際的な監視団体と言うけれど、

しかし、アムネステイーとも違うのだし、)ISMの公式プレスリリースの抄訳を

ビラに無断で引用したものもここへ貼り付けて置きます。

 

*+*+*+*+*+

 

緊急リリース:私たちは調査を要求する!」 ISM(国際連帯運動)

 

医療団調査によればイスラエル軍は5人を「処刑」

子ども1人が殺され、さらに3人重体

 

午前1時、イスラエル軍はナブルス旧市街の西、オールド・ナジャフ通

りで5人の若者と11歳の少女1人を殺害した。医療団の検死では5人が処刑さ

れた証拠が示されている。

 

これらは戦争犯罪である

 

ISM(国際連帯運動)の活動家は5人の男性と少女が運び込まれたラフィディア

病院長のドクター・サミール・アル・スルールにインタビューをした。

 

ドクター・スルールによると、5人の男性のうち、4人は頭部を至近距離から撃たれ

ている。銃弾が頭蓋骨を貫通せず、そのかわりに若者たちの頭部を破裂さていること

が彼らが至近距離で撃たれたことを示している。

 

ひとりの男性の胸には(兵士の)ブーツの足跡が残っていて、これもさらにこの男性が

撃たれる前に拘束されていたことを示している。

さらには、別の男性は首から銃弾が入った跡があり、(遺体の)上方が破裂していたの

だが、血の跡は壁の高いところに飛んでいた。この角度と証拠も撃たれる前に拘束され

ていたことを、またかなりの至近距離で撃たれていることを示している。

 

もうひとりの男性は腕をナイフで切られた跡が残っていた。5人(の遺体)は互いに

近い場所で発見されている。

 

11歳の少女は近くの家を占拠していた兵士によって、家にいて頬を撃たれた。

 

べつの11歳の少年は至近距離からラバーコートメタル弾(通称「ゴム弾」)を頭部に

うけて、脳の一部が飛び出し、重体となっている。また、35歳の知的障害を持つ男性は

頭部を、33歳の男性は大腿骨を撃たれ、二人とも集中治療を受けている。

 

死者の数は増える可能性がある。このようなことは戦争犯罪だ!

 

殺戮を止めさせ、5人の男性の死について調査するよう声をあげてください。

 

ISM(国際連帯運動)

<Flowers for Palestine !!>917日の声

ビラ配付;長船

 

 2004918日(土)

この間の自己レスです、ひまなかただけ読んでください。

 

けいはんなのSさんにレスポンス頂きましたが、

そのまえにやはり、私宛てのメールの転送のし方に問題ありと反省しました。

どういう風に反省したかというと、ちゃんと私の友人で、N氏のサイト

<私のPCと無線>のアドレスは下記ですと書くべきでした。

 

http://homepage3.nifty.com/amatuchi2/

 

実際に彼はSETIから送って来たデーターを

解析してSETIへまた送り返すという作業を

一ヶ月やって電気代がいっきに跳ね上がったので

止めたというのですが、

私の場合は、PCをはじめた1997当時に登録したのですが、

なぜか解析依頼のデーターは送られて来ませんでした。

たしかに会員登録に問題はなかったはずなのですが。

で、N氏のことを少しご紹介して置くべきでしたので、

少しだけご紹介しますと、

現在の小型家庭用電算機(通称PCですが、)が出るかなり以前から

10年か20年くらい以前から)

いわゆる大手銀行や大手国立大などの200畳くらいの部屋に何台も繋げた

いわゆる大型コンピューターの修理なんかを配線図を追っかけながら

何日も徹夜などもして頭が朦朧となるまで

やっていた富士通のデイーラ の技師だった人で、

まあ、なんというか我々一般人よりは、PCだけでなく、

いわゆる科学的な考え方というと語弊がありそうですが、

物理や数学にかんしてもまあ、すくなくとも私よりも

理解していることだけは解るので、私よりはその辺りに

関しては専門家だなあと思っているひとなのです。

それでよく彼と宇宙人のことや、タイムマシンのことや

もちろんPCのことやなんかを時を忘れて話しているのです。

ちなみに、N氏のサイトのカウンター(Niftyのもの)は

訪問しただけではカウントせずしばらく(5分くらい)

滞在しているとカウントするはずだと言うのですが、

私は壊れていると思うのですが、しかし、

そんなことにまるっきり関係ないといった感じの

N氏のPC日記は、別の角度から自身を開陳して見せてくれて

私にはとても興味深く、読ませてもらっています。

せめてこれくらいは、書いてから送信するべきでした。

 

長船でした。

======================================

<<Flowers for Palestine !!>>

Osafune Seiji

http://www.geocities.co.jp/Milano/8578/

======================================

 2004913日(月)

「 SETI 閑談 」という標題でNからのメールをPMNに転送したら、けいはんなの

S氏からレスが来たのであるが、非公開の場なので、残念だけど、そのレスを N

回し、Nがそれに答えたものをここに載せて置きます。

+*+*+*+*

SETIは話題つくりの可能性が高いですね自分達の行為を長く続ける為に話題がないと

みんなから注目されず予算が集まらない

なぜなら

1,4GHzでしょうか

ちょうど水素原子の出す波長とぴったし一致します(細かい数字まで)

なんらかの原因でランダムに宇宙から飛んでくるのでしょう

もし、交信信号とするならそんな水素原子振動数と紛らわしい周波数を使うわけが

ありませんから

1GHzから10GHzまでは「電波の窓」といわれて一番宇宙雑音が

少ないので各国争奪戦が激しい

アマチュアバンドもかなり奪われています

1,2G、2,4G、5G、10Gと割り当てられて

いるにもかかわらずひどいものです

特に問題になっているのは

2,4GHzと5Gは無線LANで削られ方が激しい

こちらは国家試験を受けて免許を受けているので、一応「アマチュア業務」

なので「試験」を受けない一般人より使用権が優先とは、総務省の考えのようですが

「第一級アマチュア無線技士」の資格があり宇宙通信に限り1KW出力が認められ

ています

(実際には500W)位まででしょうが(第二級は200Wまでしか認められてない)

月面に電波をぶつけてその反射で交信する「月面反射通信」を行なっている局も

あります

ただし、人体に当たらないよう、アンテナを水平にしてはいけない

常に水平よりビーム方向を上方(月面方向)にさせなければいけないと言う規則が

あります

電子レンジを向けているようなものですから

(一般家庭用の電子レンジは500W)前方を鳥が横切ると「焼き鳥」になるら

しいです

 

SETIの信号が完全に違うとは言い切れませんが(例えば太陽のような水素で出来

た巨大な恒星の爆発を制御して交信に使うというのであれば)

それはちと疑問としか、言いようがありません。

話題つくりの可能性のほうが高いでしょう

そういえば「宇宙のインフレーション理論」が崩壊の危機のようです

ビッグバン理論も最近は疑問視される

傾向が出てきているようです

日本のトウダイの佐藤文隆教授(宇宙天文学の権威者)も矛盾が多いので困っている

ようです

同じく佐藤隆行教授もアインシュタインの相対論の矛盾が次々と出てくる(光速度一

定の法則)に困っているようです。

量子力学も理論と一致しない現象が最近多く観測されているので大きく修正され

るでしょう

我々は結局なにも知らないと言ってよいのかもしれません。

(ほんの一部しか解っていない)

自分の推測ですが「空間」を徹底的に解明すればある程度解ると思うのですが。

(なぜならば空間は物質と反物質が絶えず生成しては対消滅しているので)

 

では

Nより

+*+*+*+*+*

▽ 以下は、Nが、S氏の突っ込みに対して答えたもの。

*+*+*+*+*

失礼しました

専門家先生にご批評いただけるとは有り難い限りです

 

ご指摘の通り先生のお名前は私の所有している本(岩波)を調べた結果間違いでした

 

トウダイは勝彦教授(岩波基礎物理9)2001年4月4版

 

キョウダイは文隆教授(現代物理学厳書2000年6月版によると)

 

そして文隆教授は65歳定年とすると昨年あたり退官されているのでしょう。

 

あと

量子力学の矛盾のご指摘はその通りだと思いますが

新しい現象が検出されたとしても過去からそれを説明してきたのも

やはり相対論と量子論ではなかったかと思ったのであのような意見を書いたわけです

他に解決法があるのでしたらご指摘して下さい

量子論も矛盾の理論ではと思っておりますので

 

無線LANの使用周波数はいつももめるところで

電子レンジで(2.45GMHz)は感電と外部放射の基準が激しいのですが

一般無線LANでは緩やかです

ある方向に放射するのでなく指向性がなく電波をばらまくので困るわけです

この場合、方式はあまり関係ないのではと思っております。

(使用周波数の問題なので)

只、LAN使用周波数の見解は日本アマチュア無線連盟の総会議事録(今年)で

総務省からの回答としてされたものだったと記憶しております

総務省もそのような回答しか出来なかったのが真実ではないでしょうか

 

無線LANの周波数使用権争奪戦問題を取り上げたと思って下さい

現実にアマチュアバンドは削られているのです。

アマチュアの立場からの意見として捕らえていただきたいと思っております

ご指摘感謝します

Nより

+*+*+*+*+*+*

 

 2004912日(日)

ひさしぶりに道場に立った。

逆立ちや熊の呼吸法をひとりで15分くらいやっていたが、基本の突き蹴りを

何十本かやったところで、号令と気合いを出すのが苦しくなって、東海大拳法部の

Kに交代して椅子に座った。

こんなことは、はじめてなのだが。

やはり、着替えた瞬間に感じた通り、腰のじん帯、頭、胸などがおかしい。

トイレに行き水道の蛇口の下に頭を突っ込んで冷やして見たが、なにも変わらない。

腰と胸にタイガーバームを塗ると大分楽になる。

しかし、胸は一体なんなんだろう?

3ヶ月前に仕事で2週間、中国深洲に滞在して毎朝、お粥とニワトリの足なんかばかり

食べた性だろうか?

すぐに気を取り直して、2人ずつ組ませて、義和拳第一、竜王拳第一、天地拳第一など

やらせたが、中1のRはやる気があるのだろうか?

もう1年もやっているというのに、いまだに腹が決まらない。

それでまた自護体をやらせたのだった。

本当にそのまま自護体ばかし2時間やって終わりにしてやろうかと思った。

猫足立ちや、十字足下がりや蟹足など運歩法なんかもやりながら、結局のところ

自護体を教えているのである。

まあ概して、我々は教え過ぎてはいけないのであるが。

ついつい、いろいろとやって見せ過ぎる傾向が大なのである。

一本の逆突きに対して、内受けや、上受けや、外受けの練習をやらせた。

詰まるところ自護体の訓練をやっていることに、まあ、気付けと言うほうが無理なの

であるが、いつかお前たちも必ずこの練習に明け暮れした日々を思い出す時が来るの

だから、その時に気が付けばいい。

開祖の言われた身体を整えるとは、こう言うことなのかと今、この年令になって見て

自然に理解せざるを得ない。

私の予感した通り、練習を終えて帰宅して自室に入った時、全身に何かが拡散していて

身体の中でフワフワしているのが分かった。

月並みな言い方をするならば、体内の中心に溜っていた疲れがどっと表面に出たと

言うことなのであるが。

 

 2004911日(土)

じん帯の代りに5センチ角のたる木を折って持って行った。

積載車といったって、アトラスの一台積みの最低なやつだけど、ギア比を落とし

ているために力があるのだが、ウインチも付いているし、昔みたいにアルミの

階段からタイヤがずり落ちる心配もないやつなのだが、後ろのあおりが鉄板で

出来ているのだが、二千クラスのを載せると斜にするのだが、固定のシステムが

壊れているために、これを鎖やロープを使って人力でやるわけなのだが、それで

皆腰をやられるって訳なのだが、なにもじん帯を傷めるまでそんなに重たいものを

持ち続けていることもないのにということになかなか気付かないのであるが、最近

65デイーくらいの大きさのバッテリー一個を運ぶ時ですら、軽トラで運ぶことに

している。

昨夜の夕方から今日の昼までかけて、3台運んだ。

ひと晩に3台なんて重なる時には重なるものですねえ。

先日、ウインダム3千のサーモスタットを外すのにダイナモベルトが邪魔なので

緩めるのだけどこのときに左の中指を二ケ所切ったので、バンドエイドを巻いて

いたら、次の日にハンドルを切る時にやけに、中指を意識してなるほどと

思った。

でも思っただけです。

人間の身体なんてこんなものかってね、別にヨガをやったからと言って空を飛べる

訳でもないのだけれど、ああ、地を這いずりまわるしか能がないのか?

たで食う虫も好き好きと言うけれど、

虫さんが歩いているので、土を残して置いて下さいという小学生の投書を新聞に載せ

たって、アスファルトやセメントだらけの道路行政のありかたが少しでも変わる

だろうか?

変わって欲しいという哀れな願いに過ぎないのではないだろうか?

地球外知的生命体からの電波ではなかったらしいが、今の状態では恥ずかしくないか?

資本主義っておかしいんじゃないのか?

たる木?

たる木は、つっかえ棒に使うのさ。



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