ジオ日記・「 ぐりいんえあっ 」  

2000年10月27日 15時02分29秒

新宿でLPレコードを入れる観音開きの戸棚をもらった帰りに

「 あっ、てんごくえのななつの階段みたい。 」

中央高速の下り線で黄色の沃素球が等間隔にカーブしていて

くにたちの出口の深緑色の標識が見えた。

「 ななつの入り口かしらん。それとも、段段がななつなのかしら? 」

どうでもいいようなことを心の中でつぶやき、ふっと、暗い西の空を見上げて

天国にいる祖母と父のことを、その後、つまり、死んだあとのことだが、つまり

なんていうか、月並みな言いかたで恐縮ですがかみさまあっ、僕は、やはり、なんというか、

なっとくがゆかないのです。

ほんとうに、火葬場で父が灰になり、2千度くらいの高温だったにも拘らず背骨や骨盤をたしかに僕もわりばしで

骨壷に入れたのだけれども、なあんかねえ、ハイ、わかりましたという風に誰もそれはなっとくしないでしょう?

たぶん、この3次元の世界では、肉体は、たしか消滅するのだけれども、最近じゃあ、

この宇宙論では証明不可能なことくらい小学生だって知っているんだなあ。

唐突だけれど、しげ子さんとこのサイトどうにかしたのかしら?

もう4日も更新してないぜ。

おまけに、なんか6ヶ月くらい前までのログが消えているしい〜、

アンテナ系の「 きのひんが 」さんとこも同じ時期に消えてるしい〜、

関係ないけど、僕の海賊版のほうの掲示板は、自分で消したんだあ〜、

このジオ日記は、どっかの国の首相をマークして書いてんだ、

自分にとって一番気になることしか書かないという点では、巷の日記サイトと同じさ、

はやと君、見てる?

でも皮相だよね、自分で言うのもなんだけど・・・。

でも、みらんちゃんの3日坊主日記って、皮相が3日続くと結構、想像力をかきたたせてくれて、

おもしろいというよい子の見本じゃないかしら?

ためしに、なんでも3日続けて見るとよいのだわ。  

2000年10月12日 00時48分55秒

こうやって枕を胸にあて、

ベッドでタイプしてんだわん。

もうメモ紙に何枚も走り書きして、それを見ながら、もう一度同じことを打って行くなんてだんだんやらなくなった。

背筋を鍛えておくことね。

「 どうして明日食べるお米もないのにボランテイアなんかやるのさ? ボランテイアなんかやる人ってお金持ちで

余裕のある人がやることじゃない。 」と彼女は文句をいいながらも、朝の11時に事務所に出て夕方の6時まで

忌野清志郎の出た日野高校のある街で200枚くらいポステイングをやってきたそうだ。

59才の体には余程こたえたようで、翌日は、一日中寝ていた。

でもその次の翌日には、急に銀座の試写会に行ってきますと言って一人で午前中はあれやこれや着せ替え

人形みたにひとしきりやったあと、ぷいと出かけたのだった。

ふ〜んと私は内心、どうして明日食べるお米もないのに銀座の試写会にいくのだ?と思ったもんだ。

ここ数日のことを書きとめておきたいのだけれど、この姿勢じゃもう限界だな。

久しぶりに行くことはよくあることさ、甲府に。

では、なにに驚いたんだ。

突然、むらすずめの大群が、バチバチとはげしくぶつかり合いながらギャアギャア鳴いていた街外れの

一本の大きな黒い木のそばを通ったときに、ハッとしたのだった。

こう言うときに昔の人は、何か悟ったんだろうなあと思った。

いつも帰りに通る勝沼の辺りで、いつも百万ドルの夜景だと心の中でつぶやくのだ。

甲府盆地で見る新月は、東京で見るのとはまったく違っているのだ。

それに気がついてア然としてそのキラキラとした金色の新月にしばらく見入っていた。

北口の茶房・どんぐりに入って濃いコーヒーを飲む。

午後七時だというのに他に客は誰もなく、まるで34年前にタイムスリップしたかと錯覚するほどの

しめつけるような、せつないような、恋しいような、哀しいような、狂おしいテナーサックスの曲が流れていた。

嘘だろうと思うくらいだった。

数日して小海線の野辺山に廃車のジムニ-を引き取りに行った帰りにまた甲府に降りた。

もう一度何かを確かめたくて茶房・どんぐりに行くとシャッターが下りていた。

「 たけい 」もなくなり、「 ヒュッテ 」もなくなり、平和通りの「 上高地 」もなくなっていた。

そのことを、ジャズ喫茶・アローンのカウンターで若い女の子にボヤいていた。

マスターは電話のむこうで、韮崎でバンドの審査員をやっていてまだ2時間くらいかかると笑っていた。  

2000年10月04日 19時18分28秒

てすとだぶん

この間、eメール友達の18名に一斉に同様のメールを送ったのだけれど

この中には、HPを持っていて何かそのスジの賞なんか受けた有名なサイトの管理人もいるのだけれど、中には、最近、PCを買ったばかりの人もいて彼にヤフーのオークションに自分の車<6Vルックのビンテージビートル>を出品してくれとたのまれて、その夜、出品しておいたので見ておいてくれ!!と言っておいたら、一週間くらいして何かの電話の時に見たか?と聞いたら、「 まだ見れない 」と言う。どうして?と聞いたら、「 そのヤフーを検索エンジンで探したけれど見つからなかった。」という返事で驚いた。

30万円もしたダイナブックのノートでAOLのメルアドを持っていったい何をしているのかな?10年前は、ある業界で先進的な仕事をしていて格好良かったのに何処かで人生は狂っちゃうもんだな。この日記は、クラリスで打っているんだ。Macからジオに流し込んでいるんだけれど、Winで見ると<おおさか>は、やはりただのMSゴシックになるんだろうなあ。  

2000年09月27日 23時13分56秒

きょうまでにわかったこと

Macぱほーま・588と5247と5430の3台いじって見て、

たぶんおれは、あのおおさかという一種どうしょうもない文化に

またぞろここで惹かれたのだと思う。

そのおおさか文字が、Macでしか見れないとは・・・。

先ほど、やっと再インストールが安定したFMVで今一番俺がほしいなと

思っている< i−book >を検索してどっかのおばちゃんたちの

< i−bookなさ−くる >を見てどこかなんか大阪っぽいような気がする

文字だし、ほんまのところどうなんやろ?と、5340をつないで

アドレスを同じのを入れてみたら、なんやえらい貧相な字いになってしもうたなあ。

おばはんたちは、かっこええアイ・ブック持ってこれでは、なあ・・・。

ううん。

ウインドウズのほうで、そのおおさか文字をサポートはしてないけれども

ゴシックでなんとなくおおさかっぽく、Macで見るよりもしっかりしてて他人に見せるのなら こっちの方が、説得力があると思う。

ううん。最初はなんかもっと期待してたのになあ。

メールもMacから打ったら可愛らしい字で、ほっとするしなあとか思っていたのにい。

でもいつかFMVで見たページは、たしかにおおさか文字だったのだ。

なんか、おおさかのおんなって感じで良かったんだわあ。  

2000年09月16日 01時38分18秒

赤くて大きなキレイなお月様

いつだったかなあ。

最近はもうキレイな丸い赤い月が出ているなあと思うくらいなのだが、

あれは、いつだったかと思いださなければいけないくらい遠い昔の日のキレイな丸い赤い大きな月のことを

今日はきっと書こうと一日中ずっと思っていた。

22才のやけにまぶしい夏だった。

黒平か観音峠から帰って甲府の穴水という家の二階に間借りしていた頃、

窓をあけると東の空に今出たばかりですといった体で

ものすごく大きな赤い丸いキレイな月が浮かんでいるのが、見えて

思わずなんと思ったのか、

こんちくしょうと思ったのだろうか?

ガリ版用の鉄筆を持って、5ミリ方眼の油紙に

なんだかその頃、指の神経がものすごく痛かったのに

くそっくそっとか思いながら、その赤くて大きなキレイな丸い月のことを

今月今夜のお前のこと( その月のこと )を俺は決して忘れないと書いたのだった。

いろんな感情をいっぱい込めて書いたのだけれど、

どんな感情も書き表わされていなくて、ただ、8月何日何曜日の今夜の赤い丸いキレイな大きな月を俺は決して

忘れないぞと書いたのだった。

となりの部屋に岡山から追いかけてきた○○も間借りしていたが・・・。  

2000年09月13日 21時58分32秒

精神波の衝突する日

駐車場から車を出して見とおしの悪い道路に出るときに、2〜3回首を左右に振って

車が来ていないかよく見るのだが、車は来ていないのに、何故か今朝は眉間にしわが寄るのだ。

ものの500メートルも走れば、それは分かるのだが、信号機のない見とおしの悪い交差点などこの辺じゃ

ザラにあるのだが、あそこを左折しようと思いながら、すでに左折し終わったあとの交差点を想像してしまう。

前方から向かってくる幼児を背負った自転車に乗ったヤンママが前に小学生低学年風の長女を歩かせながらこち

らに向かっているのだ。

私は、彼女らが通過するのを用意周到に見定めて、1990年式2CVチャールストンの速度を彼女らの進む速度と同じ位にねばりのある

低回転に押さえ、ゆっくりとハンドルを切ろうとする。

そこへ突然、見とおしの悪い十字路に左からママチャリに乗った中年の主婦がブレーキをかけながら止まるかと

思えば止まらずに現れる。そのうしろに更に同様の主婦が重なって現れる。

まるで白土三平の劇画に出てくる薄幸な運命の忍者たちのように彼女たちが私に向かってくるのを更にアクセル

ワークをもってして回避する。

しかし、こういう日は不思議でもなんでもない。

最初のママチャリを見た時、その後方に軽トラックが右折の合図をしながら近付いていたのを思いだしたのだ。

すでに私の真後ろに軽トラックがくっ付いているのが目の上のバックミラーに見える。

更にこういう日は眼前をすでに小走りで横断する男だか女だか覚えていないが何だか黒い影のごとき一陣の

風が走っているのが見えるのだ。

ただの、普通の街外れのどこにでもあるような小さな十字路さ。

私は、もう車外に出ててくてくと歩きたい気分になっていた。

それなのに、まだ優に40分くらいは五日市街道を走って立川の遠藤君のところに「 マックOS8,6 」のCD

を受け取りに行かなければならないのだ。

なんとなくクリスタルというよりも、いかにも憂鬱そうな今にも泣き出しそうな今日の暗い空の色に似ていた。  

2000年09月08日 00時48分17秒

感覚の限界

はじめて池の沢小屋に行った時は、やはり河村さん(現・塩見小屋番人)と二人で、どのルートだったかというか、そういうことじゃなく、もう、薄暗くなっていて、どんどん暗くなってきて。もう、とっぷりと陽が暮れてあたりはもう本当に漆黒の闇夜でぼくらは、登山道を歩いていたはずなのに、いつのまにかゴロゴロした石ころだらけの池の沢の河原に迷い込んでいたんだ。

はじめは、河村さんも笑いながら、「 あれっ?ちがったかな。こっちだ、こっちだ 」とか言っていたが、そのうち、二人とも疲れて

このあたりで今夜は、テントを張って明日の朝、雪投沢を登ろうとか言っていた。

でも彼もテントよりも小屋のほうがいいと思っているのがなんとなく伝わってきたんだ。

「 あと少しだ、がんばれ !!」と言ったり

「 あそこだ、あそこだ、あっちのほうだ 」とどちらを向いても真っ暗な屏風のような景色のなかで、チラチラと川面の水が、月明かりもないのに少しだけ光っているような気がしたり、何か耳鳴りなのかそれとも本当にせせらぎの大合唱だったのか、だんだん小屋が近付いてきているらしいころには、完全に頭がおかしくなって、今から向かっている小屋の方角からものすごい集団の平家の落人たちの民謡というかなにかこの世のものとも思えない人々のにぎやかな歌の大合唱がものすごいリアりテイで、最後まで信じられないというか池の沢小屋のドアをこじ開けるまさにその瞬間まで絶対に小屋の中に誰かたくさんの先客がいると固く信じてもいい。「 ねえ河村さん誰かいるみたいですよ 」と何回か言ったらたしかに彼も、「 そうだなあ? 」とすこし怪訝そうな顔もしていなかったなあ。重い引き戸を開けた途端、だったな。感きわまれとばかりの大合唱が、ぴたりと止んで、小屋の中に入ると、あたりはなぜか嘘のような静寂がただよって、人の気配はまったくなかったのだった。

二人は、空腹で荷物を降ろすとすぐにゴソゴソと、ガソリン式ラジウスで簡単な味噌汁を作り

何か食べてすぐに眠ったのだった。

幻聴だったのだろうか?

いや、そうではなかった。そうではなかったということは、また今度かくことにする。  

2000年09月05日 21時06分34秒

Macのばあい

付録で付いてるCDがちがうなあ。

「 3D・環境アトラス 」ってすごくええよ。1994年にロンドン大学で作ったやつで、1992年に各国の首脳間で2000年までに二酸化炭素の排出を25%から30%カットすることに合意したとか、1987年のモントリオール条約では、CFC(フロン)の排出量を2000年までに50%削減( 年間3%ずつ上昇している )することが決定された。この合意は、1990年ロンドンにおいてフロン類とハロン類を2000年までに全廃するという内容に修正されたとか、今はもう2000年なのでどちらも達成されているのかいないのかなんとなくやばい感じだけは解かる人には解かっているんじゃあないのか。

商用ページのほうにも書いといたけどね・・・。

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