以下の資料は、<市民新党にいがた>によって作成され、広く活用されている討論資料集のヴァージョンアップ版です。
前文は、資料が電子メールで送付される際に、つけられていたものですが、この資料の作成の経緯や、活用されている状況などの情報を含んでいますので、ごく一部の個人あての内容や技術的な記述だけを除いて、そのままここに収録させていただきました。
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 全体の構成は、以下のようになっています。
 1.「従軍慰安婦問題」に関する日本政府及び国際機関の見解
  ■政府の見解 
  ■国連・国際団体による調査と評価
 2.「慰安婦問題」はデマか?
 3.「強制性」についてのさらなる検討と「商行為」「公娼制」問題 
  ■「『強制連行』『奴隷狩り』はなかった」「中には望んで慰安婦になる者もい
た」?
  ■「(純粋な)商行為」か? 
  ■「公娼制」との関係
 4.「やむを得ないこと」「どこの国でもやっていたこと」か?
  ■「従軍慰安婦」問題と国際条約・国際合意との関係
  ■日本軍の「慰安婦制度」と外国軍の状況
 5.「従軍慰安婦」用語問題
 6.慰安婦問題は教育上有害か? 「子どもたちに希望を与える教育」とは?



「従軍慰安婦問題」に関する討論資料(改訂版)

  1997.3  市民新党にいがた   ※この資料は、96年12月新潟県議会に提出された「中学校歴史教科書の訂正について の意見書提出に関する陳情」について討論するために私たちが作成した資料で、12月 13日、議会内各党会派に配布した。97年に入って、再編集・追補・加筆をおこなった 。なおこの資料を作成するに当たっては、「日本の戦争責任資料センター」及び「半 月城」氏の御協力をいただいた。

1.「従軍慰安婦問題」に関する日本政府及び国際機関の見解

■政府の見解  日本政府は従来、「従軍慰安婦なるものにつきまして・・・やはり民間の業者がそ うした方々を軍とともに連れて歩いているとか、そういうふうな状況のようでござい まして、こうした実態について、わたしどもとして調査して結果を出すことは、率直 に申しましてできかねる」(90年6の韓国のノテウ大統領(当時)の来日に関連し、慰 安婦問題の質問に対する96.6.6参議院予算委員会答弁)という立場だった。  しかし、下記のように92年の防衛庁資料の発見を契機にした一連の調査結果により 、当時の軍や政府の関与については自民党単独政権の時から既に公式に認めているの である。地方議会の自民党議員団や地方組織がこうした見地に異論を唱えるとは理解 しがたい。事実関係の発覚と政府見解の経緯は以下に示すとおりである。 ●92年1月11日、防衛庁所蔵資料の中から吉見・中央大教授が慰安婦関係資料を発見。 ●翌12日には当時の加藤紘一官房長官が日本軍の関与を正式に認め、13日には謝罪の 談話を発表。また訪韓した当時の宮沢喜一首相は17日、日韓首脳会談で公式に謝罪。 ●政府は慰安婦問題について調査を進め、その結果を同年7月6日発表した。報告書は 慰安所の設置や経営・監督、慰安所関係者への身分証明所の発給などの点で、軍隊の みならず「政府が直接関与」していたことを初めて公式に認めた。 ●この調査資料は防衛庁、外務省、厚生省などから127件も集めらた。その公表資料 は次のような内容を含んでいる。 (1)軍占領地で「日本軍人が住民の女性を強姦するなどして反日感情が高まっている ため慰安施設を整備する必要がある」という内容の軍の指令。 (2)軍の威信を保持するため、慰安婦の募集にあたる人の人選を適切に行うよう求め る指令。 (3)慰安施設の築造、増強のために兵員の提供をもとめる命令。 (4)部隊ごとの慰安所の利用日時の指定、料金のほか、軍医の慰安婦に対する定期的 な性病検査を定めた「慰安所規定」 (5)慰安所解説のための渡航には、軍の証明書が必要とする指示。 ●同じ日、当時の加藤官房長官は記者会見で、韓国を始め中国、台湾、フィリピン出 身などの元慰安婦に対する日本政府としての謝罪の意を次のように表明。  「政府としては、国籍、出身地を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし がたい辛苦をなめられた方々に対し、改めて衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上 げたい。このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に たって、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係お よびその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。  この問題については、いろいろな方々の話を聞くにつけ、誠に心の痛む思いがする 。このような辛酸をなめられた方々に対し、われわれの気持ちをいかなる形で表すこ とができるのか、各方面の意見を聞きながら誠意を持って検討していきたい。」 ●日本政府は7月26日、ソウルで元慰安婦16人から聞き取り調査を始めた。そして報 告書で「慰安婦強制」を認め謝罪。報告書は92年8月4日(宮沢内閣退陣の前日)に発 表。そのなかの「慰安婦の募集」の項では「斡旋業者らがあるいは甘言を弄し、ある いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが多く、さらに官憲等 が直接これに荷担する等のケースもみられた」と強制連行を明確に認めている。 ●さらに、この報告書に付け加える形で河野洋平官房長官が談話を発表し、慰安婦の 募集や移送、管理などが、甘言、弾圧によるなど「総じて本人たちの意志に反して行 われた」と述べて、募集だけでなく全般的に「強制」があったことを認めた。そして 「心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気 持ちを申し上げる」と、日本政府として改めて謝罪した。さらに「このような歴史の 真実を回避することなく、歴史の教訓として直視していきたい」と述べ、歴史教育な どを通じて「永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」と決意を表明した。 ●第1次橋本政権の見解  「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深 く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆ る従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒(いや)しがたい傷を負 われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。  我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが 国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴 史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と 尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております 。」(1996.10. 「従軍慰安婦」への「おわび」の手紙、橋本首相) ●現内閣小杉隆現文部大臣の態度  現文部大臣の小杉隆氏は、就任時の記者会見で、来春から中学校の教科書に登場す る従軍慰安婦の記述について、アジア諸国に対する日本の侵略行為などを謝罪した昨 年八月の村山富市首相(当時)の談話に「全く賛成だ」とした上で「率直に事実は事 実として載せる教科書検定調査審議会の判断を支持する」と述べ、 また、同様の主旨で国会でも答弁している(96年11月)。  さらに「昭和史研究所」の会員らが文部省に小杉文相を訪ね「従軍慰安婦」記述の 削除を要請した際も、「検定は基準に沿っておこなわれている」「削除・訂正を教科 書会社に求める考えはない」と突っぱね、さらに97年に入って「新しい歴史教科書を つくる会」の呼びかけ人代表七人が中学校教科書の「従軍慰安婦」関連記述を大臣勧 告で削除するよう申し入れた際もこれを拒否している。  今回自民党が採択の方向で検討している「陳情」は、こうした日本政府及び自民党 の歴代幹部・党首などの公式見解、現内閣の文部大臣の姿勢を真っ向から否定するも のである。 ■国連による調査と見解・評価 ●国連はすでに92年に日本政府から「従軍慰安婦」に関する資料を入手して検討を始 め、国際法に関する論議なども人権委員会で扱ってきた。同委員会は早くから慰安婦 の問題について関心を寄せ、日本政府が初めて公式に謝罪した翌月(92年8月)には 、差別小委(差別防止及び少数者保護小委)で特別報告官が「日本政府に資料提出を 求める」など本格的な調査を開始している。この委員会は、90年に予備報告、91年と 92年に中間報告、93年に最終報告をおこなった。その中で、特に従軍慰安婦などのよ うに国際的に違法だと認識されている人権侵害は個人に国家賠償を請求する権利があ り、加害国はこうした行為を行なった責任者を処罰し被害者を救済する義務があると 結論づけている。  ※加害国による救済に関して言えば、アメリカは過去、戦時中に強制収容した日系 人に対し大統領が謝罪し、一人あたり2万ドルの謝罪金を支払ったのは記憶に新しい ところである。 ●同人権委員会差別小委ではこの報告をさらに深めるために、旧日本軍による従軍慰 安婦・強制労働問題などの人権侵害を調査する「特別報告官」の設置を決めた。 ●こうした調査と討論の結果、日本軍の慰安所は国際法違反であるとするIFOR(国際 的な人権擁護組織)の提案が採択され、正式な国連文書として配布されている。つま りこの時点で、日本軍の慰安所は国際法違反であるという、国連の正式な認識がすで に成り立っているのである。 ※IFORの提案は、(1)従軍慰安婦問題は、時効による免責規定がない国際条約「強制 労働に関する条約」(日本の批准は1932年)などに明確に違反する。(2)日本は批准 後、条約の精神を具体化する法整備を怠っている。(3)過去にさかのぼって責任者の 処罰をおこなうための立法化を進める義務がある。とする内容を含んでいる。ちなみ に、近代法では「法の不可遡及」、すなわち法律成立以前の行為については責任を問 われないというのが原則である。しかし、にもかかわらず、責任者処罰は先進諸国で は国際的な流れになっている。過去の戦争犯罪者を裁けるように、ドイツでは79年に 、カナダでは87年、オーストラリアでは88年、イギリスでは91年に国内法の整備をし 、時効を停止するなどして戦犯を裁いてきた。 ●クマラスワミ調査報告  この問題はその後「女性に対する暴力問題」特別報告官のクマラスワミ氏に引き継 がれた。クマラスワミ氏はスリランカの民族学研究国際センター所長としてアジア地 域の女性問題に取り組んできた女性法学者で、94年4月に特別報告官に任命された。  クマラスワミ氏はこうした「国際的な認識」を基本に、各国政府やNGOから得た 資料を検討し、慰安婦問題を「犯罪」と認定する立場を明らかにした予備報告書を人 権委員会に提出した。なお、クマラスワミ氏は「国連調査団」として同年7月に日本 を訪問しているが、国連調査団が日本を訪れたのは旧国際連盟が「満州国」問題で派 遣したリットン調査団以来のできごとである。  さらにアジア各国での調査をもとに、96年3月、最終報告書が人権委に提出された 。なおクマラスワミ報告が短期間の調査に基づく、信憑性のないものとする批判があ るが、こうした経緯からわかるように同報告はそれまでの数年間に及ぶ一連の人権委 員会の調査の成果を引き継ぎそれを深化させるものとなっていることに留意すべきで ある。  調査は日本政府からも資料の提出を受け、慰安婦からの聞き取り調査も行なわれた 。そしてまず調査団から見た日本政府の見解を、以下のように評している−「・・・ 日本政府が我々に渡した文書には、いわゆる『慰安婦』問題について道義的責任を受 諾する声明や呼びかけ文が含まれている。河野洋平官房長官による1993年8月4日付談 話は、慰安所の存在及び慰安所の設置・運営に旧日本軍が直接・間接に関与したこと 、及び募集が私人によってなされた場合でも、それは軍の要請を受けてなされたこと を受諾した。談話はさらに、多くの場合『慰安婦』は、その意思に反して集められた こと、及び慰安所における生活は『強制的な状況』の下での痛ましいものであったこ とを承認した」。また、こうした政府の見解や資料と慰安婦の証言との関係について も、「(慰安婦の証言は)性奴隷制が軍司令部および政府の命令で組織的方法で日本 帝国軍隊により開設され厳重に統制されていたことを信じさせるに至った文書情報と 符合している」として、その整合性を認めている。  この報告では、第二次大戦中、旧日本軍が朝鮮半島出身者などに強制した従軍慰安 婦は「性奴隷」であると定義し、奴隷の移送は非人道的行為であり、さらに「慰安婦 の場合の女性や少女の誘拐、組織的強姦は、明らかに一般市民に対する人道に対する 罪にあたる」と断定した。  その上で、従軍慰安婦問題を現代にも通じる女性に対する暴力の問題とする観点か ら、次の六項目を日本政府へ「勧告」した。  (1)日本帝国陸軍が作った慰安所制度は国際法に違反する。日本政府はその法的責 任を認める。  (2)日本の性奴隷にされた被害者個々人に補償金を支払う。  (3)慰安所とそれに関連する活動について、すべての資料の公開をする。  (4)被害者の女性個々人に対して、公開の書面による謝罪をする。  (5)教育の場でこの問題の理解を深める。  (6)慰安婦の募集と慰安所の設置に当たった犯罪者の追及を可能な限り行う。  なお、オランダを始めとする諸外国はこの報告書を高く評価したが、日本政府はこ の報告内容に抵抗した。しかし当初は膨大な反論資料を作成し各国に配布したものの 、むしろ反発を招き撤回した。この報告に対し日本政府は未だに「事実関係について は留保」という態度を示し個人補償などの必要性を認めていない。補償問題は今回の 議論にはなっていないのでおいておくが、日本政府自身、この報告を「留意する(ta ke note)」という決議に賛成していることを無視すべきでなく、なによりこれが国際 的な公式評価であることを忘れてはならない。  国連で安保理非常任理事国に選出された日本は特に国連機関の決議を尊重すべきで ある。なかんずく人権委員会は「国連精神」具現の一つの場として国連機関の中で特 に重要な存在である。我々は−特に公党や公の議会関係者は−その機関の決議や公式 見解を軽んじるべきではない。

2.「慰安婦問題はデマ」か?

 慰安婦問題について、「強制ではなかった」とする主張ばかりでなく、驚くべきこ とに「そうした事実はなかった」あるいは慰安婦本人やこれに関わった人々の証言を 「デマ」とする主張まである。  そうした人々が論拠としているのは、当時山口県の労務報国会で動員部長をしてい た吉田清治さんの「 1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部などの指示 に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行した」という証言をめぐっての評価で ある。これに対して秦・千葉大教授が吉田証言の舞台となった済州島に出向き、島民 の証言からそうした強制連行はなかった、とする調査報告をおこなった。「デマ」と 主張する人々はこの件を引き合いに出し、「慰安婦証言=デマ」とするほとんど唯一 の根拠としている。  しかしこの「なかった」とする調査を行った秦氏本人が、数万人に及ぶ慰安婦の存 在自体は認めていることを無視するべきではない。調査についても、慰安婦の多くが 名乗りたがらない、家族・親族・地域の人々もそれを隠そうとする韓国の文化的風土 を考えれば、島民の回答を言葉通り受けとめるわけにはいかないとも思われる(現地 を取材したテレビ局もそうした雰囲気を報道した)が、もちろん島民の表向きの証言 が符合しない以上、この吉田証言は歴史事実の冷静な検討の際にはその材料からはは ずすべきで、国連クマラスワミ報告もこの証言については反対意見を併記して引用す るにとどめている。 ※なお、中央大・吉見教授らの調査では吉田証言には決定的な矛盾は見あたらなかっ たが、上記の理由により同教授はクマラスワミ報告の価値を防衛するため同証言の採 用をやめるよう要請している。吉見氏はその手紙の中で「吉田氏の本に依拠しなくて も、強制の事実は証明できる」と述べている。しかし、厳正な歴史的事実の検証材料 としての学問的価値としては100%ではないものの、当時の状況を示す当事者の証言 としては充分な価値があると多くの人が考えていることも付記しておく。  慰安婦問題を問題にしている人たちも事実関係の検討の材料としては取り上げてい ない証言だけをとらえて、これを「デマ」とし、それをほとんど唯一の論拠として「 事実と異なる」と主張することこそ「本当のデマ」であり、これは」詐欺師のやり方 である。 ●ここでは、「証言」によらなくとも削除派の論理がいかにデタラメなものであるも のかを証明するために、「慰安婦」の方々の悲惨な体験は敢えて収録していない。だ が削除派が「慰安婦」の「証言」に疑問があると考えたとしても、当事者の声にまず 耳を傾けてみるべきことはどのような実証、論争、調査、研究においても最低限かつ 必須の作業であると言わなければならない。身を切り裂くような思いで明らかにされ た多くの「証言」は、他の様々な文書資料との符号、証言間の整合性などを考慮すれ ば、充分すぎるほど価値のあるものであることだけは指摘しておきたい。

3.「強制性」についてのさらなる検討と「商行為」「公娼制」問題 

 削除派は、全ての教科書で慰安婦が奴隷狩りのように強制連行されたかのよう記述 されている、と言っているが、教科書の記述を見ればわかる通り、これは事実ではな く、ためにするデマである。  また、「強制性」を連行時の「奴隷狩り」のような形態のみに限定し、「そういう ことは無かった」「無いとは言えないがそれが全てではなかった」とするのも、意図 的なすり替えである。  ここでは、これら「強制性」や「商行為」「公娼制度」などの問題について明らか にする。 ■「『強制連行』『奴隷狩り』はなかった」「中には望んで慰安婦になる者もいた」? ●何事にも例外は無数にあるが、大まかこれら幾つかの要素を重ねて一つ一つの事例 を見ないと、木を見て森を見ないことになる。現在繰り広げられているキャンペーン の多くはそうした手法によるものである。部分的で強制に見えない事例を並べ、そし て最後に、「彼女たちは悲痛な顔付きをしていなかった」という「経験」まで駆り出 される。軍人がいつもいつも狂暴ではなかったように、彼女たちもいつも泣いて暮ら しているわけにはいかなかったのである。こうした問題を検証するためには、その歴 史的経緯をきちんと見る必要がある。 ●現在知られている最初の軍慰安所は、海軍によって上海事変(1932.1)直後に設置さ れた。1932年から敗戦の45年のあしかけ14年にわたって慰安婦が集められたわけであ るが、その集め方は、当然にもこうした戦線の拡大の時期によって状況が異なってい る。初期には数は多くなく、1937年の「南京事件」を契機に急増した。この時期、慰 安婦集めはややもすると度が過ぎ、派遣軍が選定した業者が時には誘拐まがいの方法 で募集を行ない、このような不祥事が続けば日本軍に対する日本国民の信頼が崩れる と恐れた陸軍省副官は「各派遣軍は徴集業務を統制し、業者の選定をしっかりおこな い、業者と地元の警察・憲兵との連携を密接に行うよう行うよう」命じた(注1)。  なおこの通牒は兵務局兵務課が立案し、梅津陸軍次官が決裁した。この通牒の最後 には「依命通牒す」とあり、杉山陸軍大臣の委任を受けて発行されたことが明記され ている。日本政府の認識を決定的に変えさせたこの資料は、「従軍慰安婦」の必要性 自体を暗示しており、この当時、陸軍省は「従軍慰安婦」の果たす「役割」を高く評 価しており、その認識にたち、慰安婦の意義を説く教育参考資料「支那事変の経験よ り観たる軍紀振作対策」も各部隊に配布している。その内容は、軍慰安所は軍人の志 気の振興、軍規の維持、略奪・強姦・放火・捕虜虐殺などの犯罪の予防、性病の予防 のために必要であると説いているものである(注2)。  41年に対米宣戦布告し本格的に太平洋戦争に突入すると、こうした慰安所も泥沼化 していった。戦線が拡大し「慰安婦」の需要が増すと、陸軍省は従来派遣軍にまかせ ていた軍慰安所の設置を自らも手がけ始めた。1942年9月3日の陸軍省課長会報で倉本 敬次郎恩賞課長は、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり」としてその結果を報 告した。それによると、設置された軍慰安所は、華北100、華中140、華南40、南方10 0、南海10、樺太10、計400ヶ所であった。  また、台湾軍が南方軍の求めにより「従軍慰安婦」50人を選定し、その渡航許可を 陸軍大臣に求めた公文書(注3)なども発見されている。この申請はもちろん許可さ れ実行にうつされた。  戦争末期になると兵士の数も増え、それにともない慰安婦集めも激しさを増し、朝 鮮では44年8月に「女子挺身勤労令」が出された。(注4)。  初期には余裕があり、中には望んで応募した者も当然いるだろう。事実、「慰安婦 」問題を調査する市民や研究者の呼び掛けで1992年末、「日本の戦後補償に関する国 際公聴会」が東京で開かれたとき、韓国からの研究報告は、慰安婦として名乗り出て いる人の26%が「奴隷狩り」であり、68%が「だまされて」であったことを明らかに している(戦争犠牲者を心に刻む会編『アジアの声』第7集、東方出版)。台湾でも その数値に近く、さらに限られた数だが「自発的に」というものもある。もし「強制 」を狭く「連行」時の「暴力」に限定するならば、問題のないケースも少なくないこ とになる。しかし、「従軍看護婦」の名の下に募集された者であったり、たとえ自ら 志願したものであっても、あるいは甘言にだまされていても、現地に到着し自分がい ったい何をされるかが明確になった時点で、それを拒否して自由に帰国できる経済的 ・法的保障がなければ、そしてその後軍事的圧力下で性行為を強要されていたとすれ ば、それはたとえお金を得ていたとしても「強制」以外のなにものでもない。こうし て「自ら応募させ」て集めて慰安婦とし、欺き、強制的に性行為に従事させることを 「自発的に応じた」として切り捨て、「強制の事実はない」などと強弁することは絶 対にできない。 (注1)陸軍省副官通牒、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」   支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当り 、故らに軍部了解等の名義を利用し、為に軍の威信を傷つけ、且つ一般民の誤解を招 く虞あるもの、或は従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し社会問題を惹起する 虞あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し警 察当局に検挙取調を受くる者ある等、注意を要する者少なからざるに就ては、将来是 等の募集に当たりては、関係地方の憲兵及警察当局との連繋を密にし、以て軍の威信 保持上、並に社会問題上、遺漏なき様配慮相成度、依命通牒す。 (注2)「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」  事変勃発以来の実情に徴するに、赫々たる武勲の反面に略奪、強姦、放火、俘虜惨 殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感 を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とするところなり。・・・犯罪 非行生起の状況を観察するに、戦闘行動直後に多発するを認む。・・・事変地におい ては特に環境を整理し、慰安施設に関し周到なる考慮を払い、殺伐なる感情及び劣情 を緩和抑制することに留意するを要す。・・  特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして、之が指導監督の 適否は、志気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に影響するに大ならざるを 思わざるべからず。 (注3)台電 第602号  陸密電第63号に関し、「ボルネオ」行き慰安土人50名、為し得る限り派遣方、 南方総軍より要求せるを以て、陸密電第623号に基き、憲兵調査選定せる左記経営 者3名渡航認可あり度、申請す。 (注4)内務大臣請議「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正の件」44.6.27  勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとし、一般労務募集に対しても忌避逃走し、 或は不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず、未婚女子の徴用は必至にして、中に は此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり、此等悪質なる流言と相 俟って、労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる。 ■「(純粋な)商行為」か?  ●日本軍関係者資料も「慰安婦を酷使した」と証明  中国で第10軍の参謀をしていた山崎少佐は1937年12月18日付けの日記で、「参謀 が指揮し慰安婦を憲兵が集め・・・慰安所は大繁盛で・・・慰安婦を酷使に至る・・ ・兵はおおむね満足」と述べている。商行為ではなく、強制性は明らかである。 ●「純粋の商行為」などでないことは、これまで明らかにしたような強制の事実が何 よりも具体的に物語っている。強制を伴っている以上、そこで行われていることは強 姦であり、強制猥褻、監禁、強制、脅迫、略取・誘拐などの罪を併発させる。確かに 慰安婦の多くは金に相当する者を受け取っていたがそれは価値の危うい「軍票」であ った(敗戦時にはただの紙切れとなっている)。またそれとは別に兵士が直接払う場 合も少なくなかったが、このような形でたとえ金銭が支払われたとしても、元来が自 由な契約に基づいて行われたものでないこと、また異境に無一文で連れて来られてい る者にとって、金銭を受け取ることはまず生きるためであり自力での帰還のためにも 必要なのだから、それを受け取ることは「純粋な商行為」など決して意味しない。 ●また、「商行為」論を強調するために、「彼女たちが得る収入は、一般兵士の給料 に比べてはるかに多かった」という主張が秦教授の説として、クマラスワミ報告書で も「紹介」されている。確かに一部の「従軍慰安婦」は高給だったかも知れないが、 しかし同時に、同報告やさまざまな聞き取り調査は、一方でお金をもらっていない「 従軍慰安婦」がいたことも指摘している。時期、地域、各慰安所の状況などによって 、「お金を受け取っている」「受け取っても管理人に渡す」「受け取っていない」な どさまざまな実態があったことが、こうした調査で明らかにされている。また、「従 軍慰安婦」たちが得ていたお金は、正確には「軍票」である。中国で軍慰安所を開設 した平原大隊長によれば、戦争末期になると軍票の価値が暴落し、「従軍慰安婦」の 生活は楽でなかったことが示されている。それでも軍票がまだいくばくかの価値があ る内はまだましだったが、無惨にも軍票は終戦とともにただの紙くずになってしまっ たのである。こうした事情を抜きに、全ての慰安婦が「高給」を得ていた、したがっ て悲惨な生活などあり得ない、などと言うのも手のつけようのない詐欺師のデマと言 うべきであろう。 ■「公娼制」との関係  「戦前の日本では、売春は公然と認められていた・・内地で売春が営業として行わ れていたのと同じく、戦地でも売春業者が男性の集団である軍隊を相手に商売をした 。これは違法なことでも何でもなかった。よい・わるいの問題ではなく事実の問題で ある。日本で売春が法的に禁止されたのは、戦後何年も経ってからのことだ。」とす る主張がある。たしかに、戦前、売春は公然と行われていた。これが公娼制度と呼ば れるものだ。しかし、そこにはいくつかの原則があったことが意外と知られていない。  一つは、許可を受けた特定の場所と特定の人にしかこれが許されなかったことだ。 つまり、誰でもどこでも自由に売春が公認されたというものでなく、貸座敷と呼ばれ る定められた屋内で、警察署が所持する娼妓名簿に登録されている女性だけに許され たのである(娼妓取締規則二、八条)。もしそれに違反すれば、拘留または科料に処 せられた(同一三条)。第二には、強制をともなう売春は、当然にも許されない建前 だったことである。したがって、強制売春を排除するために、当事者本人が自ら警察 署に出頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、また娼妓をやめたいと本人 が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得ず 」(同六条)とされていた。  これらの規定は、彼女たちの人権を擁護しようとする当時の活発な廃娼運動に押さ れて制定されたものであり、内務大臣は右の娼妓取締規則を公布する際、その目的の 一つが「娼妓を保護して体質に耐えざる苦行を為し、若しくは他人の虐待を受くるに 至らざらしむる」(1900年内務省令第四四号)ことにあるとしたことからも明白であ る。したがって、もし「慰安婦」とされた女性が、どこかの警察に出頭して娼妓名簿 に登録し、軍隊内にある「貸座敷」で売春していたというのであれば、それは公娼制 度の枠内の出来事であり、当時、少なくとも国内法では違法とは言えなかった。しか し、だまして連れてこられたような女性が娼妓の申請をするはずがないばかりか、軍 隊内に貸座敷があろうはずもない。貸座敷とは、「貸座敷、引手茶屋、娼妓取締規則 」によって警察の許可を受けた建物であり、あえてさらに付言すれば、他に「芸娼妓 口入業者取締規則」というものもあって、娼妓への紹介業者も取り締まられていたの である。だから、もしこれらの法令に基づいていない娼妓がいて、あるいは許可を得 ていない貸座敷や斡旋業者があれば、それらは公娼でなく私娼、貸座敷でなく私娼窟 であり、口入れ業者でなくヤミ・ブローカーなのであった。だとすれば、当時の日本 軍は、自ら私娼窟をその体内に持ち、そこで法的に私娼に位置づけられる人々を監禁 し、強姦したことになる。  こうした意味で、従軍慰安婦制度は、「公娼制」の立場から見ても極めて無法な状 態のもとに存在していたのである。  さらにつけ加えると、削除派が「仕方がないこと」として依拠しようとするこの「 公娼制」すら、当時でも大きな社会問題となっており、粘り強い廃娼運動の結果、19 30年を前後して廃娼決議をおこなう県(1928年の埼玉・福井・福島・秋田を皮切りに 、以後1940年までの間に、新潟、神奈川、長野、沖縄、茨城、山梨、宮崎、岩手、高 知、愛媛、三重、宮城、鹿児島、広島、富山、滋賀、宮崎(再決議)岡山の計21県) 、あるいは実際に廃娼を実施する県(群馬がすでに1893年、その後1930年に埼玉、以 後1941年までの間に、秋田、長崎、青森、北海道:部分的に実施、富山、三重、宮崎 、茨城、香川、愛媛、徳島、鳥取、石川の計14県)が続出しているのだ。今まさにこ の同じ地方議会を舞台に、「当時も公娼制があったから」などとうそぶくのは、60年 も前におこなわれた先人達の議論や取り組みに泥を塗るようなものであり、歴史の歯 車を100年以上戻すような暴挙と言うべきであろう。

4.「やむを得ないこと」「どこの国でもやっていたこと」か?

■「従軍慰安婦」問題と国際条約・国際合意との関係  「戦時下だからある程度のことは仕方がない」とする論調もある。しかし、どんな に激しい、生死をかけたような猛烈な企業間競争でも一定のルールがあるように、戦 争でも一定の法や条約やルールがある。端的なものが捕虜虐待を禁じた国際条約など である。  確かに戦争下ではこうした国際協約などをしばしば逸脱する行為がおこなわれるの も事実だ。しかしだからといってそうした行為が許されるかどうかは別である。日本 の「従軍慰安婦制度」は、こうした国際法や国際的ルールに照らしても完全な無法・ 違法状態であって、許されざる行為がなされたことを無視するわけには行かない。い わゆる従軍慰安婦問題は、以下のような国際条約や国際合意に違反していると考えら れている。 A.婦女売買禁止条約(注1)  1938年、内務省は軍人相手の売春婦の渡航に関し各知事あてに重要な通達を出した 。「日本国内で売春目的の女性の募集・周旋の取締を適正に行われないと憂慮される 事態は、1)帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を損なう。2)銃後の国民、特に出征兵 士遺家族に悪い影響を与える。3)婦女売買に関する国際条約に反する。」などと警 告をだした。この2)の理由で「従軍慰安婦」は本格的に植民地出身者に切り替えた 。また、売春婦を21歳以上としたのは、未成年の場合たとえ本人の承諾があろうと売 春は国際法違反であったためである。  このように国際法を認識していながら、現実には朝鮮人・中国人の未成年者にまで 売春をさせていたわけだからこれは国際法違反である。しかし、これには「抜け道」 があった。1910年の条約は植民地などに必ずしも適用しなくてもよいとの規定があっ た。これは世界的に一部の植民地で行われていた持参金・花嫁料などの社会的風習( 朝鮮にはない)を容認するために作られたものであるが、日本政府はこの条項を悪用 し積極的に植民地出身者の女性を「従軍慰安婦」にしたのである。この点に関しては 国際法違反でないと強弁できるかも知れない。しかし、さすがに今の日本政府はこの 点を積極的に主張しない。条約本来の趣旨に反するし、また植民地出身者に対する明 白な民族差別をみずから告白することになるからである。  しかし、よしんば婦女売買条約が植民地に適用されないと強弁しても、植民地出身 の「従軍慰安婦」を船舶(日本の本土とみなされる)で連行したり、徴集の指令を陸 軍中央で行ったのは国際法違反とされるのは間違いない。 (注1)次の4条約で日本はa,b,cのみ加入  a.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際協定 1940年  b.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際条約 1910年  c.婦女および児童の売買禁止に関する国際条約   1921年  d.青年婦女子の売買の禁止に関する国際条約   1933年 B.強制労働に関するILO29号条約(1930)  まず、「従軍慰安婦」の強いられた行為が「労働」にあたるのかどうかであるが、 NGOの国際法律家協会(ICJ)は当初これを条約で言う「労務」とすることにつ いては慎重だった。しかし、労務とは「あらゆる労務およびサービス」をさすので、 最近は「従軍慰安婦」もやはりこの条約の検討対象と考えるのが大勢を占めるように なっている。  今年3月4日、国際労働機関(ILO)の条約勧告適用専門家委員会は1995年の一 年間に検討した問題の年次意見報告書を発表したが、その中で旧日本軍の『慰安所』 に監禁された女性たちへの大きな人権侵害や性的虐待にふれ、「こうした行為は、条 約に違反する性奴隷として特徴付けられる」との意見を表明している。 C.奴隷条約(1926)  奥野議員や板垣議員の思惑がどうであれ、クマラスワミ報告でも「従軍慰安婦」は 「性奴隷」であったと断定され「性奴隷」の認識は国際的に広がった。こうした認識 からすると「従軍慰安婦」は奴隷条約違反になる。  しかし、日本はこの時はまだこの条約に加入していなかった。こうした言い逃れに 対しICJは「20世紀初頭には慣習国際法が奴隷慣行を禁止していたこと、および すべての国が奴隷取引を禁止する義務を負っていたことは一般に受け入れられていた 」とし、奴隷条約違反であると主張している。当時単に条約に加入していないから形 式的に国際法違反ではないという主張は、少なくとも良識ある国なら言い出すべきで はない。 D.ハーグ陸戦法規(1907年)  この条約の付属書である「陸戦の法規慣例に関する規則」第46条は、占領地で「家 の名誉および権利、個人の生命、私有財産」の尊重を求めている。ICJは、この中 の家の名誉には「強姦による屈辱的な行為にさらされないという家族における女性の 権利」を含んでいるとしている。  ただし、この条約は全交戦国が加入しなければ適用されないという総加入条項があ るので直接には適用されない。しかし、ICJはこれも慣習国際法を反映したものな ので日本を拘束するものであるとしている。従って、総加入条項にかかわりなく、女 性は戦時において「強姦」や「強制的売淫」から保護されていると主張している。 E.人道に対する罪  人道に対する罪は戦後、ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例第5条で定められた。 この罪は戦前または戦時中の非人道的行為を裁くものである。日本政府は人権委員会 に提出した「非公式見解書」の中で、戦後生まれた法規で戦争中の犯罪は裁くのは伝 統的な国際法に反すると主張していた。  しかし、この「人道に関する罪」については「極東国際軍事裁判所条例」でも取り 入れられており、その裁判自体を日本政府は1951年の平和条約で承認しているので、 結果的に「法の不可遡及」を間接的に認めたことになる。したがって今日、日本がこ の「人道に対する罪」を過去に遡って適用できないと主張しても国際的には通用しない。  この事実に気がついたのか、日本政府はそれまでの主張を撤回している。 ■日本軍の「慰安婦制度」と外国軍の状況  削除派は「日本だけでなくどこの国でもやったことであり、そのようなことをどう して教科書に載せなければならないのか」と息巻いており、各地の「陳情・請願」に もこの主張が反映されているものが少なくない。まあこれは「○○ちゃんもやったの になんで僕だけ叱られるのか」という幼ない子どもの言い訳の域を脱しない滑稽な論 理ではある。−もちろん、他の国において同様の制度や行為があればそれは糾弾され 、歴史が明らかにするべきことである。その上で、自国の教科書においては、まず自 国の行為を掲載した上で、教育上の必要に応じて、そして事実の解明と共に、それら 海外の事実を記載すべきだろう。だが、現在わかっていることで言えば、やはり日本 軍「従軍慰安婦制度」の特異な性格に目を向けなければならない。  削除派の秦教授は自らの著書で、あえて「(削除反対派の)吉見義明氏の『従軍慰 安婦』を参照」、などともっともらしく注釈をつけながら、「(日本の慰安所に)類 似の慰安所制度は第二次大戦期のドイツ、イタリア、アメリカ、イギリス、ソ連など にも存在したのに、日本だけを処罰せよというのは公平を欠くのではないか。」と述 べている。  しかし吉見氏が明らかにしていることはこういうことである。まず英米軍について 、軍が民間の売春宿を監督下に置いたり軍用の売春宿を作ろうと試みた例があり、そ のこと自体は指弾されなければならないだろう。しかしほとんどは命令によりすぐに 閉鎖されており、他の軍隊と比較して日本軍の特筆すべき特徴は、女性の強制連行・ 強制使役、未成年者の使役などの問題であり、また問題が明らかになった時、その閉 鎖命令を出したかどうか、という点である。何より、軍の中央が計画し、推進したと いう点で、イギリス軍やアメリカ軍と日本軍とでは、決定的に違っていた。さらに吉 見氏はソ連軍については、「ソ連軍が軍専用売春宿をもっていたかどうかは分からな い。ただし、ソ連軍が数多くの強姦事件をおこしたことは事実であろう。(中略)そ して、(日本軍降伏後)このとき日本側が強姦を防ぐために、(ソ連軍に対して)慰 安所設置を申し出たことが伝えられている。(中略)日本人は、ソ連軍に対しても、 若い女性を犠牲として提供していたことになる。」と指摘している。まさにここに、 女性を軍事物資や取引の材料としか考えない恥ずべき日本軍の姿があらわれている。  結局のところ日本軍と類似の慰安所制度があったと考えられるのは、我々が手にす る資料から考えうる限り今のところドイツ軍だけになりそうだが、戦後ドイツは、自 らの侵略・残虐行為について、まだ多くの限界を抱えつつも、日本とは比較にならな い積極的な立場と政策をとっていることは言うまでもない(日本と同様な立場にある ドイツの場合、ナチスの過ちや犯罪について学校では子どもが12歳になった時点で1 年間かけて教育するとのことである。また、ドイツが侵略した隣国ポーランドと共同 で教科書を作ろうという取り組みも行われており、これらは、もう二度と過去のよう な過ちは繰り返さないという強い決意のあらわれであろう。こうした教育を藤岡教授 や西尾教授は、ドイツ版「自虐史観」というのだろうか)。  このような日本軍の「従軍慰安婦」制度が特異であるゆえに、旧ユーゴの民族主義 指導者による「民族浄化」という名の組織的な大量強姦・残虐行為と同等の問題とし て、国連人権委員会などにおいて厳しい批判の目が向けられているのである。

5.「従軍慰安婦」用語問題

 あえて項目を立てて取り上げるようなことではないが、多くの「陳情・請願」にも 反映されている「用語問題」をここでは取り上げる。  削除派は、「従軍」とは「軍属」のことを指し、「従軍慰安婦」は「当時使われて いなかった造語」である、したがって「従軍慰安婦」そのものが存在しない、と論理 を飛躍させ、さらに、だからこれは歴史の歪曲である、と言うまでに至っている。ま た、削除派はあたかも全ての教科書で「従軍慰安婦」と記述されているかのように描 き出しているが、これも誤りである(補助資料参照)。  ところで、「当時使われていなかった」言葉を使用することは、本当にできないの か。では「縄文式土器」や「弥生人」、「前方後円墳」、あるいは「幕藩体制」とか 「安土桃山時代」「江戸時代」などという言葉はどうか。歴史学で「当時使われてい なかった」言葉を使用することは必要上当然のことである。  ではその上で、「従軍慰安婦」という用語は適切か不適切か。まず右派が主張する 「『従軍』とは『軍属』のこと」とするのは意図的な矮小化である。「軍属」という 用語には明確な定義が与えられているが、例えば「国防用語辞典」(防衛学会編、朝 雲新聞社)には「従軍」という言葉は収録されておらず、右派が主張するような「『 従軍』=『軍属』」という定義は成り立たないし、正しくない。従軍という言葉は、 確かに軍務に属した限定的な部分を指すことにも使用された。しかし「従軍」の一般 的な意味は、多くの各種辞典等では「軍隊に従って戦地に赴くこと」とあり、慰安婦 たちの置かれた状況と何ら矛盾することはない。また、こうした意味からすれば、「 従軍」は必ずしも軍務に直接属さない部分を含んでいるものと考えるのが常識的解釈 である。むしろ、日本軍によって慰安所が設置され「慰安婦」が募集・管理されてい たという実態からは、広い意味での「従軍」よりも、もっと強く軍の関与のある位置 にあるとさえ考えることができる。こうした点から、軍の管理のもとに性行為を強制 されたという意味で、国連クマラスワミ報告では軍隊による「性奴隷」という用語を 用いている。その他、多くの研究者や支援グループもこの「性奴隷」あるいは「軍隊 慰安婦」などの用語を提唱している。また、「慰安婦」の中で現実に「『従軍』看護 婦」として募集された人がいるということにも留意すべきである。しかもすでに「従 軍慰安婦」という言葉自体が書物、新聞、いくつかの辞典などで定着しており、これ らの歴史的事実関係と社会的常識のレベルにおける歴史用語として「従軍慰安婦」と いう用語が教科書に反映されていると理解することは全く合理的なことであるし、「 従軍慰安婦」という用語が少なくとも実態からかけ離れたものであることを想起させ るものではないことは明らかである。  さらに、この「従軍慰安婦」という言葉が最初に使用されたのは、右派が指摘する ように確かに1973年に発刊された「従軍慰安婦」という著書(千田夏光氏著)である と考えられている。しかしこの千田氏の著書は、現在アジア各地の駐箚(さつ)大公 使館をはじめ外交出先機関に配備されていて、新たに赴任してきた外交関係者に、こ れによりアジア各地で旧軍がしてきたことの一部でも知らしめようという目的で必読 書にされているという。それほど、「従軍慰安婦」という用語も、その事実関係も、 アジア諸国や日本の外交部門にとっては「常識」となっているということも強く指摘 しておく。 こうして、削除派の「用語問題」に関する主張は、論理的にも、実体的 にもほとんど根拠のないものであることは明らかであると言える。

6.慰安婦問題は教育上有害か? 「子どもたちに希望を与える教育」とは?

 「『従軍慰安婦』をとりあげることは、そもそも教育的に意味のないことである。 人間の暗部を早熟的に暴いて見せても、とくに得るところはない」(「論争・近現代 史教育の改革歴史教科書批判運動の提唱」『現代教育科学』96年9月号)とする論調 がある。また、「このような自虐的な歴史観は、子どもたちに希望を与えることはで きない。」とする主張もある。  たしかに、多くの教師は戸惑っているかもしれない。いったいどのようにして「慰 安婦」問題を子供たちに教えればよいか、特に中学生などに、どのように話しかけれ ばよいのかという疑問は大きいだろう。その戸惑いに乗じて「自虐的歴史観を教える べきではない」とする主張がされている。しかし性関係に強制やいやがらせや虐待が あってはならないことを教えるために、そして、女性の、ひいては等しく人間の尊厳 や人権を理解させるためにも、この問題は教えられていく必要がある。現在の中学生 の年齢で慰安婦とさせられた女性もいるのである。何よりも「国際化」時代にあって 若年からそうした海外文化との交流の機会がより多くなってくる今日、歴史事実を認 識しておくことは重要な必要条件である。  また、かつて日本が多数の「慰安婦」を作り出し深刻な被害をアジアに与えたこと を、日本人がいかに記憶し、心にとどめるか、そして将来に向けて再び同じ事を起こ さないため、つまり再発防止のためにどうすべきかという課題は、歴史教育の本質的 目的の一つでもある。被害者は、再び地獄を見ない権利がある。そうできるか否かの 鍵の一つは教育にあるといってよい。  また、「自国の歴史に誇りと自信を持たせる歴史教育」というが、自国の都合の悪 い事実を歪曲・隠蔽する動きに、どうして「誇り」など持てようか。反省すべき、謝 罪すべきこと、補償すべきことをきちんとおこなって、それを自ら明らかにする歴史 教育こそ、そうした国や教育の姿勢に「希望」や「誇り」を持つことができるように なるのではないか。  「自虐的」とレッテルを貼ろうと、事実は事実である。今や慰安婦の事実、その強 制性は証明され、その認識は国際的にも共有されたものである。これに目をそむけ続 ける限り、「国際化」時代にあって世界の各地でさまざまな精力的なボランティア活 動や国際交流活動を行なっている青年・若者達の成果を全く水泡に帰すものにしてし まう危険すらあるのである。      =======================               中山 均             市民新党にいがた          〒950-21 新潟市真砂1-21-46       電話025-230-6368 FAX025-267-8602        e-mail:nnpp@ppp.bekkoame.or.jp      URL http://www.bekkoame.or.jp/~nnpp/      =======================