【必見】従軍慰安婦教科書問題討論資料(2)

2.「慰安婦問題はデマ」か?
 慰安婦問題について、「強制ではなかった」とする主張ばかりでなく、驚くべきこ
とに「そうした事実はなかった」あるいは慰安婦本人やこれに関わった人々の証言を
「デマ」とする主張まである。
 そうした人々が論拠としているのは、当時山口県の労務報国会で動員部長をしてい
た吉田清治さんの証言で、「1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など
の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行した」というものである。これ
に対してある歴史学者がその吉田証言の舞台となった済州島に出向き、島民の証言か
らそうした強制連行はなかった、とする調査報告がおこなわれた。「デマ」と主張す
る人々はこの件を引き合いに出し、「慰安婦証言=デマ」とするほとんど唯一の根拠
としている。
 しかしこの「なかった」とする調査を行った学者本人(秦・千葉大教授)が、数万
人に及ぶ慰安婦の存在自体は認めていることを無視するべきではない。調査について
も、慰安婦の多くが名乗りたがらない、家族・親族・地域の人々もそれを隠そうとす
る韓国の文化的風土を考えれば、島民の回答を言葉通り受けとめるわけにはいかない
と考えられる(事実、現地を取材したテレビ局はそうした雰囲気を報道した)が、も
ちろん島民の表向きの証言が符合しない以上、この吉田証言は歴史事実の冷静な検討
の際にはその材料からははずすべきで、国連クマラスワミ報告もこの証言については
反対意見を併記して引用するにとどめている。
※なお、中央大・吉見教授らの調査では吉田証言には決定的な矛盾は見あたらなかっ
たが、上記の理由により同教授はクマラスワミ報告の価値を防衛するため同証言の採
用をやめるよう要請している。吉見氏はその手紙の中で「吉田氏の本に依拠しなくて
も、強制の事実は証明できる」と述べている。しかし、厳正な歴史的事実の検証材料
としての学問的価値としては100%ではないものの、当時の状況を示す当事者の証言
としては充分な価値があると多くの人が考えていることも付記しておく。

 慰安婦問題を問題にしている人たちも事実関係の検討の材料として取り上げていな
い証言だけをとらえて「デマ」とし、それをほとんど唯一の論拠として「まだ事実関
係が明らかでない」「事実と異なる」と主張するのは詐欺師のやり方である。

 また、慰安婦の「証言」だけでは証拠にならない、とする主張もあるが、上であげ
たようにさまざまな文書資料があり、また次項で述べるような軍参謀将校の日記まで
もある。さらに「証言」の多くがこうした文書資料の内容と符合しており、「デマ」
とする主張こそ「本当のデマ」と言わなければならない。

3.「強制性」についてのさらなる検討
■「中には望んで慰安婦になる者もいた?」
●何事にも例外は無数にあるが、大まかこれら幾つかの要素を重ねて一つ一つの事例
を見ないと、木を見て森を見ないことになる。現在、繰り広げられているキャンペー
ンの多くはそうした手法によるものである。部分的で強制にみえない事例を並べ、そ
して最後に、「彼女たちは悲痛な顔付きをしていなかった」という「経験」まで駆り
出される。軍人がいつもいつも狂暴ではなかったように、彼女たちもいつも泣いて暮
らしているわけにはいかなかったのである。こうした問題を検証するためには、その
歴史的経緯をきちんと見る必要がある。
●慰安婦集めの形態とその推移
 現在知られている最初の軍慰安所は、海軍によって上海事変(1932.1)直後に設置さ
れた。   1932年から敗戦の45年のあしかけ14年にわたって慰安婦が集められたわ
けであるが、その集め方は、当然にもこうした戦線の拡大の時期によって状況が異な
っている。初期には数は多くなく、1937年の「南京事件」を契機に急増した。この時
期、慰安婦集めはややもすると度が過ぎ、派遣軍が選定した業者が時には誘拐まがい
の方法で募集を行ない、このような不祥事が続けば日本軍に対する日本国民の信頼が
崩れると恐れた陸軍省副官は「各派遣軍は徴集業務を統制し、業者の選定をしっかり
おこない、業者と地元の警察・憲兵との連携を密接に行うよう行うよう」命じた(注
1)。
 なおこの通牒は兵務局兵務課が立案し、梅津陸軍次官が決裁した。この通牒の最後
には「依命通牒す」とあり、杉山陸軍大臣の委任を受けて発行されたことが明記され
ている。日本政府の認識を決定的に変えさせたこの資料は、「従軍慰安婦」の必要性
自体を暗示しており、この当時、陸軍省は「従軍慰安婦」の果たす「役割」を高く評
価しており、その認識にたち、慰安婦の意義を説く教育参考資料「支那事変の経験よ
り観たる軍紀振作対策」も各部隊に配布している。その内容は、軍慰安所は軍人の志
気の振興、軍規の維持、略奪・強姦・放火・捕虜虐殺などの犯罪の予防、性病の予防
のために必要であると説いているものである(注2)。
 41年に対米宣戦布告し本格的に太平洋戦争に突入すると、こうした慰安所も泥沼化
していった。戦線が拡大し「慰安婦」の需要が増すと、陸軍省は従来派遣軍にまかせ
ていた軍慰安所の設置を自らも手がけ始めた。1942年9月3日の陸軍省課長会報で倉本
敬次郎恩賞課長は、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり」としてその結果を報
告した。それによると、設置された軍慰安所は、華北100、華中140、華南40、南方10
0、南海10、樺太10、計400ヶ所であった。
 台湾軍が南方軍の求めにより「従軍慰安婦」50人を選定し、その渡航許可を陸軍大
臣に求めた公文書(注3)なども発見されている。この申請はもちろん許可され実行
にうつされた。
   戦争末期になると兵士の数も増え、それにともない慰安婦集めも激しさを増し、
朝鮮では44年8月に「女子挺身勤労令」が出された。(注4)。
 初期には余裕があり、中には望んで応募した者も当然いるだろう。事実、「慰安婦
」問題を調査する市民や研究者の呼び掛けで1992年末、「日本の戦後補償に関する国
際公聴会」が東京で開かれたとき、韓国からの研究報告は、26%が「奴隷狩り」であ
り、68%が「だまされて」であったことを明らかにしている(戦争犠牲者を心に刻む
会編『アジアの声』第7集、東方出版)。台湾でもその数値に近く、さらに限られた
数だが「自発的に」というものもある。もし「強制」を狭く「連行」時の「暴力」に
限定するならば、問題のないケースも少なくないことになる。しかし、「従軍看護婦
」の名の下に募集された者であったり、たとえ自ら志願したものであっても、あるい
は甘言にだまされていても、現地に到着し自分がいったい何をされるかが明確になっ
た時点で、それを拒否して自由に帰国できる経済的・法的保障がなければ、そしてそ
の後軍事的圧力下で性行為を強要されていたとすれば、それはたとえお金を得ていた
としても「強制」以外のなにものでもない。こうして「自ら応募させ」て集めて慰安
婦とし、欺き、強制的に性行為に従事させることを「自発的に応じた」として切り捨
て、「強制の事実はない」などと強弁することは絶対にできない。
(注1)陸軍省副官通牒、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」
  支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当り
、故らに軍部了解等の名義を利用し、為に軍の威信を傷つけ、且つ一般民の誤解を招
く虞あるもの、或は従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し社会問題を惹起する
虞あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し警
察当局に検挙取調を受くる者ある等、注意を要する者少なからざるに就ては  、将来
是等の募集に当たりては、関係地方の憲兵及警察当局との連繋を密にし、以て軍の威
信保持上、並に社会問題上、遺漏なき様配慮相成度、依命通牒す。
(注2)「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」
 事変勃発以来の実情に徴するに、赫々たる武勲の反面に略奪、強姦、放火、俘虜惨
殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感
を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とするところなり。・・・犯罪
非行生起の状況を観察するに、戦闘行動直後に多発するを認む。・・・事変地におい
ては特に環境を整理し、慰安施設に関し周到なる考慮を払い、殺伐なる感情及び劣情
を緩和抑制することに留意するを要す。・・
 特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして、之が指導監督の
適否は、志気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に影響するに大ならざるを
思わざるべからず。
(注3)台電 第602号
  陸密電第63号に関し、「ボルネオ」行き慰安土人50名、為し得る限り派遣方、
南方総軍より要求せるを以て、陸密電第623号に基き、憲兵調査選定せる左記経営
者3名渡航認可あり度、申請す。
(注4)内務大臣請議「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正の件」44.6.27
   勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとし、一般労務募集に対しても忌避逃走し
、或は不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず、未婚女子の徴用は必至にして、中
には此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり、此等悪質なる流言と
相俟って、労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる。