「従軍慰安婦教科書削除決議問題」資料集

V.3 96/12/3-97/2/12

latest up date 3/17/1997

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■    「従軍慰安婦教科書削除決議問題」資料集V.3 96/12/3-97/2/12    ■


<目次>

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□はじめに−フロッピー版資料集発行ならびにホームページ開設の経過−hajime.txt「教科書に真実と自由を連絡会」(仮称)結成ご賛同のお願い  renraku.txt右派勢力の教科書攻撃に関する略年表
	フリージャーナリストの井上澄夫氏作成の年表です。印鑰智哉氏がHTML化さ
	れたものにリンクしています。

□自由主義史観批判論文等
●NEW【必見】従軍慰安婦教科書問題討論資料(改訂版)1997/3/17
これは、以下の討論資料(1)(2)(3)の改訂版です。
   従軍慰安婦教科書問題討論資料(1)       【長文】 toron1.txt
   従軍慰安婦教科書問題討論資料(2)       【長文】 toron2.txt
   従軍慰安婦教科書問題討論資料(3)       【長文】 toron3.txt
●藤岡「自由主義史観」批判−そのデマゴギーを暴く 広瀬信 【長文】 hirose.txt
●教科諸問題>右派勢力の議会攻勢の分析          井上澄夫 inoue.txt
●藤岡信勝氏の近現代史授業「改造」批判         大八木賢治 ooyagi.txt

□歴史教育者協議会の声明
●「中学校歴史教科書訂正意見書提出」に反対する新潟歴教協の声明  niigata1.txt
●歴史教育者協議会の声明
 ◎歴史を歪め教科書を歪める地方議会決議に反対する               rekikyo1.txt
 ◎教科書執筆者と教科書出版社にたいする脅迫に抗議する           rekikyo2.txt
●京都歴教協の「従軍慰安婦教科書削除問題」に対するアピール     kyoto.txt

□従軍慰安婦教科書削除問題資料集(時系列)
●「新しい歴史教科書をつくる会」呼びかけ人と賛同者名簿       tukuru.txt
●「新しい歴史教科書をつくる会」に抗議する女たちの緊急アピール等  onnata.txt
●「新しい歴史教科書をつくる会」記者会見メモ1996.12.2             kisha.txt
●教科書問題>新潟情報 予断は許さぬが今回は見送りか?           niigata2.txt
●栃尾市>中学校教科書改訂に関する意見書の提出について            tochio.txt
●岡山県議会に提出された教科書「是正」についての意見書            okayama.txt
●京都府加茂町>従軍慰安婦教科書削除意見書が賛成8、反対7で採択  kamocho.txt
●高岡市>平成9年度使用中学校教科書改訂についての陳情             takaoka.txt
●教科書関係者への「脅迫状」から【抜粋】                          kyohaku.txt
●自由主義史観・つくる会等の動きを憂慮する在日朝鮮人声明          zainicho.txt
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 ■はじめに−フロッピー版資料集発行ならびにホームページ開設の経過−■
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藤岡信勝氏らによる自由主義史観の提唱とそれに基づく歴史教科書への攻撃は、地方
議会決議という形であらわれ、マスコミ報道などもあり、現在多くの国民の知るとこ
ろとなりました。そうした中で、「従軍慰安婦は商行為なの?」「南京大虐殺はなか
ったの?」などという声が、子どもたちの間からも聞かれるようになりました。

私は歴史教育者の一人として、こうした動きを黙視できないと考え、昨年12月はじ
めから自由主義史観や教科書攻撃に関する情報をインターネットを通して集めてきま
した。そして、仁井谷明さんのフロッピー版「沖縄米軍基地賞」のとりくみに学び、
フロッピー版「従軍慰安婦教科書削除問題資料」を作成するとともに、300部を製
本して関係各位に配布しました。フロッピーについては、1997年1月末現在で、
100枚近くを郵送または手渡ししてきました。また、フロッピーの資料の一部は大
手商用パソコン通信のBIGROBE/PC−VAN/SIG「平和のひろば」ライ
ブラリィに登録・公開されています。

藤岡信勝氏は討論授業(ディベート)の提唱者です。彼の手法は、嘘と真実とをディ
ベートすることにより、真実を相対化し、歴史を見る目を曇らせるものであり、注意
が必要です。広瀬信氏の「藤岡『自由主義史観』批判−そのデマゴギーを暴く」は、
藤岡流ダマシのテクニックを見抜くのに最適の論文です。また「市民新党にいがた」
の皆さんが作成された「従軍慰安婦教科書問題討論資料(1)(2)(3)」は非常
にわかりやすく従軍慰安婦問題や南京大虐殺問題について解説してあり、私たちに澄
とって必見の論文です。地方議会での取り組みの方向性を示唆する論文として、井上
夫さんの「右派勢力の議会攻勢の分析」を掲載しましたので、あわせてご活用くださ
い。また、京都歴教協の大八木賢治氏の論考は、現場での実践を踏まえたもので、ぜ
ひご一読いただきたいと思います。

歴史教育者協議会関係のアピールや市民団体とのとりくみとともに、「新しい歴史教
科書をつくる会」や地方議会での動きについてもフォローしました。今後もさまざま
な動きが強まってくると思われますので、そのつど内容を更新していきたいと思いま
す。

今年の1月末、フロッピー版「従軍慰安婦教科書削除問題資料」の目次ならびにまえ
がきを「民衆のメディアメディアメーリングリスト」に投稿したところ、参加者の方
々からホームページを作成したらどうかという声をいただきました。そして今井恭平
さんから協力の申し出があり、こうやって皆さんに活用していただけるようになりま
した。

資料を提供していただいた、歴史教育者協議会事務局ならびに「オールタナティブ運
動メーリングリスト」参加の方々、またホームページ開設にあたってご協力いただい
た「民衆のメディア連絡会」ならびにJCA(市民コンピュータコミュニケーション
研究会)の皆さん、そして今井恭平さんにあつくお礼申し上げます。
                     京都歴史教育者協議会 本 庄  豊
                            HPM20797@pcvan.or.jp 
                     ==================


以下は、フロッピー版「従軍慰安婦教科書削除問題資料」のREADMEからの転載です。
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資料集の電子データ化については、昨年、仁井谷明さんが、フロッピー版沖縄米軍基
地問題資料を作成しているのを知ってから、新しい市民運動の展開の方向を示すもの
として注目してしました。

このフロッピーの資料は、PC−VAN平和SIGのライブラリィに登録された資料
を中心に転載て作成したものです。平和SIGには、博物館ボードを中心にインター
ネットに蓄積された資料が投稿されています。これらを、編集し目次とまえがきをつ
けて、ライブラリィ化しました。

このフロッピー版「従軍慰安婦教科書削除決議問題」資料集は自由にコピーしていた
だいてかまいません。ただし、コピーする場合は、編集等はしないでください。お問
い合わせは、EmailかFAXでお願いします。電話による問い合わせはご遠慮くださ
い。また、コピーして多数に普及する場合は、その旨連絡してください。不許可にす
ることはありませんが、どのくらい普及してるのか知りたいので‥‥‥。なお、編集
についての責任は、すべて本庄@PEACEにあります。

      _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

       京都府綴喜郡宇治田原町岩山隠谷見晴らし通り38−31
    TEL 0774-88-4205  FAX 0774-88-4206 本 庄   豊

      _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


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 HPM20797@pcvan.or.jp (private Eml)  PEACE@pcvan.or.jp (PC-VAN/JHEIWA)
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【本文開始】
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PEACE@本庄です。以下のような手紙が郵送されました。
自由主義史観による教科書攻撃をはねかえすために、ご協力をお願いします。

ぜひ、賛同をお願いします。賛同される方は、手紙の後につけた様式でPEACE@
本庄まで連絡して下さい。2月20日までにできるだけたくさんの方の賛同を
得たいと思っています。ご協力をお願いいたします。FAXやハガキでの連絡
も受け付けています。賛同者をできるだけたくさん募り、会発足の勢いをつけ
たいと思います。2月末から3月にかけて、地方議会での教科書攻撃の動きが
顕著になります。ぜひ!ぜひ!ぜひ!賛同者になって下さい。

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連絡は、PEACE@本庄まで! → HPM20797@pcvan.or.jp
faxの方は、        → fax 03-3947-5790 歴教協気付
ハガキの方は、      → 〒170 豊島区南大塚2-13-8 千成ビル 歴教協
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訂正版>                                   以下転載(改行位置訂正byPEACE)
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   ■「教科書に真実と自由を連絡会」(仮称)結成ご賛同のお願い■

 前略
 突然のお願いのお手紙をさしあげ、失礼の段、おゆるし下さい。
 新聞等ですでにご承知のことかもしれませんが、最近また教科書にたいする
攻撃がはげしくなってきました。その背景には藤岡信勝東大教授の主宰する自
由主義史観研究会によるいわゆる「東京裁判史観」批判がありますが、これを
うけて来年度から使用される中学校の教科書に登場する「従軍慰安婦」の記述
を最大の標的とし、その削除を求める右翼団体の行動が96年夏ごろからはげ
しくなりました。彼らは文部省や教科書会社へおしかけ、さらには一部の教科
書執筆者へも脅迫状を送りつけています。藤岡教授らは、96年12月2日、
言論界、財界から78名の賛同をえて「新しい歴史教科書をつくる会」を発足
させ、教科書攻撃のうごきをいっそう強めようとしています。さらに各地の自
治体議会で、「従軍慰安婦の記述の削除を求める意見書」を採択しようとする
運動もはじまり、12月11日以来、国会でもそのような立場からたびたびと
りあげられています。
 私どもは、このような事態を放置したり黙視すれば、真実をおおいかくして
歴史教育をゆがめるのみでなく、思想・言論の自由を脅かす重大な結果をまね
くことになるものと考えます。さらには、無謀な侵略戦争への反省をゆるがせ
にし、アジア諸国をはじめ諸外国との友好を傷つけ、その信頼を失うこととな
ります。
 そこで私どもは、標記のような連絡会を各界の広範な方々とともに結成し、
シンポジウム等の開催、関係方面への申し入れなど必要な活動をおこないたい
と考えました。どうか私どもの趣旨をご理解いただき、会の結成にご賛同下さ
いますよう、お願い申しあげます。
 お手数ですが、同封のハガキにて、2月20日までにご返信下さいますよう
お願いいたします。
 また、恐縮ですが、郵送料、印刷代程度のカンパをお願いできれば、幸いに
存じます。そのさいは同封の郵便振替用紙をご利用下さいますよう、お願いい
たします。

     1997年2月4日

呼びかけ人(五十音順)

荒井 信一       日本の戦争責任資料センター代表
家永 三郎       東京教育大学名誉教授
石川 真澄       ジャーナリスト
大槻  健       早稲田大学名誉教授
黒田  清       黒田ジャーナル代表
寿岳 章子       元京都府立大学教授
中塚  明       奈良女子大学名誉教授
永原 慶二       一橋大学名誉教授
林  英夫       立教大学名誉教授
堀尾 輝久       中央大学教授・東京大学名誉教授
牧  柾名       元東京大学教授・駿河台大学教授
丸木 正臣       和光学園園長
弓削  達       東京大学・フェリス女学院大学名誉教授
粟屋憲太郎       立教大学教授
伊ケ崎暁生       富山国際大学教授
内海 愛子       恵泉女学園大学教員
国弘 正雄       前参議院議員
            エジンバラ大学人文科学高等研究所特任客員教授
暉峻 淑子       埼玉大学名誉教授
中野  光       中央大学教授
浜林 正夫       一橋大学名誉教授
藤原  彰       日本現代史研究者
本多 勝一       「週刊金曜日」編集委員
松島 栄一       歴史教育者協議会委員長
山住 正己       教科書問題を考える市民の会
米田佐代子       歴史科学協議会代表委員

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会の趣旨に賛同します

ご意見など‥‥‥‥‥

ご住所‥‥‥‥‥‥‥

お名前‥‥‥‥‥‥‥

いわゆる肩書き‥‥‥

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連絡は、PEACE@本庄まで! → HPM20797@pcvan.or.jp
faxの方は、        → fax 03-3947-5790 歴教協気付
ハガキの方は、      → 〒170 豊島区南大塚2-13-8 千成ビル 歴教協気付

カンパの振込口座は、郵便局の00100-9-352592 です。手弁当でやっています。
よろしくお願いします。加入者名は「教科書に真実と自由を連絡会」です。
                 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

       平和・自然・人、それが好きです!
      _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

      HPM20797@pcvan.or.jp (private Eml)
      PEACE@pcvan.or.jp   (PC-VAN/JHEIWA)

           _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
      従軍慰安婦教科書削除問題資料集 URL
      http://www.jca.or.jp/~pebble/ianfu



□自由主義史観批判論文
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   ==============================
   論文>藤岡「自由主義史観」批判−そのデマゴギーを暴く 広瀬信
   ==============================

広瀬氏より、平和SIGライブラリへの登録依頼がありましたので、博物館ならび
にライブラリ「平和の本棚」に登録します。改行位置など若干の変更はPEACEが行い
ました。転載については、広瀬氏hirose@edu.toyama-u.ac.jpまで直接申し込むか、
私PEACE PEACE@pcvan.or.jp までEmailをお願いします。

広瀬論文開始
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96年1月16日付で、『社会科教育』または『社会科教育別冊 「近現代史」の授
業改革』への掲載を求めて、樋口雅子編集長宛に投稿し、「投稿の呼びかけも行って
いない」というウソの理由(『社会科教育別冊』は「*投稿歓迎*」と宣伝してい
る)で門前払いにされた論文です。(広瀬)


      藤岡「自由主義史観」批判
     ――そのデマゴギーを暴く

                   930 富山市五福3190
                   富山大学教育学部助教授 広瀬 信
                   Email:hirose@edu.toyama-u.ac.jp

はじめに
 戦後50年の昨年、「韓国併合」を美化する江藤前総務庁長官発言や、「欧米も
やっていたので、日本だけが悪いのではない」という趣旨を盛り込んだ「戦後50年
国会決議」など、かつての日本の侵略戦争や植民地支配を美化・合理化する動きが強
められた。自民党のタカ派的潮流からなる「歴史・検討委員会」によって発行された
『大東亜戦争の総括』(展転社)は、そうした流れの理論的支柱ともいうべき書物で
ある。
 「歴史・検討委員会」は、1993年8月10日、細川首相(当時)が、就任後初
の記者会見で、かつて日本が行った戦争は「侵略戦争であった」と発言した(半月後
の所信表明演説では「植民地支配と侵略的行為」と修正)ことをきっかけに、危機意
識にかられて結成されたもので、その趣旨は、「細川首相の『侵略戦争』発言や、連
立政権の『戦争責任の謝罪表明』の意図等に見る如く、戦争に対する反省の名のもと
に、一方的な、自虐的な史観の横行は看過できない。われわれは、公正な史実に基づ
く日本人自身の歴史観の確立が緊急の課題と確信する」というものであった。そし
て、93年10月から95年2月まで、20回におよぶ会合を重ねて、その「成果」
を戦後50年の8月15日に出版したのである。
 このような動きに呼応するかのように、94年4月から『社会科教育』(明治図
書)誌上で連載が始められたのが、藤岡信勝東京大学教育学部教授による「『近現代
史』の授業をどう改造するか」である。95年9月からは『社会科教育別冊』シリー
ズとして『「近現代史」の授業改革』の刊行も開始された。これは、教育運動内部で
公然と始められた侵略戦争美化の動き(その総体は「近現代史」全体の見直しという
大がかりなものだが、その核心は「侵略戦争」という戦争評価の見直し)として、看
過できない動きである。本稿では、連載にみられる藤岡氏の手法が、いかに作為的
で、デマゴギーに満ちたものであるかを解明することによって、「自由主義史観」な
るものの正体を明らかにしたい。

1、「歴史像先にありき」の「自由主義史観」
  藤岡氏は、「近現代史」の見直しを提唱し、自分たちのアプローチを「自由主義史
観」とよんでいる。その問題意識は、「戦後の『近現代史』教育は、自国の歴史に対
する誇りを欠き、未来を展望する知恵と勇気を与えるものではありませんでした。日
本の『近現代史』を暗黒に塗りつぶしてきた『東京裁判史観』の克服が今こそ必要で
す」(『「近現代史」の授業改革』創刊の辞)というものである。
 藤岡氏にとって、日本の行った戦争を「侵略戦争」と描く歴史像(彼はこれを「東
京裁判史観」と攻撃する)こそ、「自国の歴史に対する誇りを欠き……日本の『近現
代史』を暗黒に塗りつぶ」すことになる元凶であり、「『戦争の授業』のパラダイム
を大胆に転換する」ことが、「『近現代史』の授業改革の最も重要な課題の一つ」
1)と位置づけられることになる。そして、「新しい『戦争の授業』のパラダイム」
の「最も重要な観点として」強調されるのは、「自国に対する肯定的イメージに裏付
けられた授業」「ひとことで言えば、『元気の出る』歴史」2)ということになる。
誤解のないように述べておくが、これは近現代史一般についてではなく、「元気ので
る戦争の授業」3)ということなのである。あらかじめ設定されたこのような歴史像
に合わせて、作為的に日本の近現代史像(日本の行った戦争)を描くのが、藤岡氏の
提唱する「自由主義史観」である。それは、決して歴史の真実を学問的に探求するも
のではなく、自民党のタカ派的潮流による『大東亜戦争の総括』と呼応する、かつて
の侵略戦争を美化・合理化するイデオロギーに他ならない。

2、その本質は「大東亜戦争肯定論」
  藤岡氏は、「日本だけ悪者にする『東京裁判史観』も、日本は少しも悪くなかった
とする『大東亜戦争肯定史観』も、ともに一面的です」(『「近現代史」の授業改
革』創刊の辞)と、自分の「自由主義史観」はそのどちらでもない第3の立場である
かのように装っているが、その攻撃目標は、彼が「東京裁判(=コミンテルン)史
観」と歪んだレッテル貼りを行っている(「大東亜戦争肯定論者」からの借り物にす
ぎないが)、日本の行った戦争を「侵略戦争」と見る歴史認識である。
 彼が「一面的」と批判する「大東亜戦争肯定史観」とは何かというと、「単に大東
亜戦争を何らかの意味で肯定することによって特徴づけられる歴史観なのではない。
それに加えてこの戦争の『侵略戦争』としての性格をほぼ全面的に否定するような歴
史観」4)であるとされる。つまり、さすがに彼も、あの戦争が「侵略戦争」である
ということを100%否定することはできないため、「『侵略戦争』としての性格を
ほぼ全面的に否定する」極論のみを「一面的」と批判するのである。しかし、日本の
行った戦争を「侵略戦争」と見る歴史認識を攻撃するためには、彼の言う100%
「大東亜戦争肯定史観」に立つ論者も含め、「大東亜戦争を何らかの意味で肯定す
る」論者とは喜んで手を結ぶのである。実際、彼の論点はもっぱらそれらの「大東亜
戦争肯定論者」からの借り物にすぎない。そのことを簡潔に明らかにするために、彼
の援用する論者と、自民党タカ派的潮流の手になる『大東亜戦争の総括』に登場する
論者との重なり具合を見てみよう。
 藤岡氏が援用している論者の内、『大東亜戦争の総括』に登場する論者は、富士信
夫、江藤淳、小堀桂一郎、西尾幹二、岡崎久彦、総山孝雄、佐藤和男、高橋史朗、田
中正明の9氏である。「一面的」「大東亜戦争肯定史観」と一応批判されながらも、
その著『大東亜戦争への道』を、「戦前の日本の国家行動について最も好意的な解釈
とその裏付けとなる事実を知ろうとすれば、本書に当たるのが一番よいだろう」と推
奨されている中村粲氏を加えれば、『大東亜戦争の総括』の19人の論者中の10人
を占める。
 藤岡氏は、「『大東亜戦争肯定史観』の定義的条件として『一つでも「肯定」の論
拠を認めること』、という条件を設定するなら、今日よほど極端な『東京裁判史観』
信奉者以外は、私を含めてたいていの人が『大東亜戦争肯定史観』のカテゴリーに
入ってしまう」5)と自らも認めているように、「大東亜戦争肯定論者」なのであ
る。それも、さまざまなバリエーションを持つ「『肯定』の論拠」をほとんど否定す
ることのない、かなりの「大東亜戦争肯定論者」である。

3、藤岡氏の果たしている役割
 藤岡氏の援用する論者の多くが、自民党タカ派による『大東亜戦争の総括』に登場
する論者でもあることを見たが、それ以外にも、渡部昇一氏ら、『諸君』、『正論』
などの右派ジャーナリズムの常連が援用されていることは、彼の引用文献をていねい
に見れば確認できる。つまり、藤岡氏の果たしている役割は、これまでなら教育雑誌
にはなかなか登場することのできなかった右派ジャーナリズムの常連達の主張を、彼
の連載を通じて、社会科教育研究者や現場教師へと媒介することなのである。
 藤岡氏がもともと右派的な人物なら、読者もそのような目で見るであろうが、教育
科学研究会の常任委員で、どちらかといえばこれまで文部省に対抗する側に身を置い
てきたと見られている人物であり、『授業づくりネットワーク』誌の編集代表の仕事
などを通じて現場教師に非常に大きな影響力を持っている人物だけに、その媒介効果
は絶大である。また、授業づくりの専門家である彼は、彼を信奉する教育実践家を擁
して、いっしょに教材づくりや授業実践に乗り出している。「侵略戦争美化」を、
「有能な」教育実践家を巻き込んだ教育運動として展開している点が、従来には見ら
れなかった重要な特徴といえる。戦略家でもある彼は、この動きを、やがて「自由主
義史観」に基づく教科書づくりに結びつけることも展望しているものと考えられる。

4「克服」すべき「東京裁判史観」とは
 藤岡氏が、「克服」すべきであると主張する「東京裁判史観」とは何なのか。彼が
依拠する論者の規定によって確認しておこう。
 彼はまず、富士信夫氏の、「東京裁判法廷が下した本判決の内容をすべて真実であ
るとなし、日本が行った戦争は国際法、条約、協定等を侵犯した『侵略戦争』であっ
て、過去における日本の行為・行動はすべて犯罪的であり、『悪』であった、とする
歴史観」(傍線は筆者)6)という定義を引用する。次に、安藤仁介氏の、「第二次
世界大戦後のわが国では、いわゆる東京裁判史観なるものが幅を利かせている。これ
はある意味で、東京裁判の検察側の主張や多数意見判決に範をとり、要するに戦前
の、ひいては明治以後の日本の歴史が、富国強兵と侵略のそれであったとして、これ
を全面的に否定するとともに、その責任を一部の財閥や旧軍部に帰する発想である」
(傍線は筆者)7)という規定を引用し、「安藤の説明により明瞭に示されているよ
うに、『東京裁判史観』は東京裁判が直接の対象とした1928〜45年の期間の日
本の歴史の見方にとどまらず、それ以前の時期を含む明治以後の日本の近現代史全体
の評価におよぶものである。本稿ではそのような意味でこのことばを使うことにした
い」8)と自ら規定している。
 しかし、そもそも、富士の言うように、「東京裁判法廷が下した本判決の内容をす
べて真実であるとなし」「日本の行為・行動はすべて……『悪』であった」とする歴
史観にもとづいて書かれた歴史叙述など存在しないし、安藤のいうように、「明治以
後の日本の歴史」を「全面的に否定する」歴史叙述も存在しない。善か悪かの二元論
で歴史を描くようなやり方は、まじめな歴史研究や歴史教育とは相容れないものであ
る。にもかかわらず、このようなありもしない架空の攻撃目標(「東京裁判史観」)
を設定しておいて、次にみるように、あたかも学校の教科書がそのような「東京裁判
史観」に毒されているかのように読者を惑わすのが藤岡氏の手法なのである。教科書
=「東京裁判史観」という図式を作り上げた上で、「百パーセントの日本弁護論」の
「大東亜戦争肯定史観」も、「悪いのは日本だけ」の「東京裁判史観」も「善玉・悪
玉史観としての共通性」を持っているなどと攻撃する9)に至っては、自分で爆破し
ながら中国側の仕業とした、柳条湖事件での関東軍の謀略的手法とウリ二つである。
富士らの「善玉・悪玉史観」的定義を採用したのはそもそも藤岡氏自身なのだから、
彼によって「東京裁判史観」と描かれるものが「善玉・悪玉史観」なのは当然なので
ある。

5、「南京大虐殺」の犠牲者数にこだわるのはなぜか
 藤岡氏は、『社会科教育』誌上での連載を「『南京事件』についての教科書記述」
で開始し、その後も執拗に犠牲者の「数」にこだわり、「大虐殺派」「虐殺少数派」
「虐殺否定派」のパネルディスカッションまで設定している(結果的に「大虐殺派」
は出席を断り、他の2派で開催)。藤岡氏が、このように虐殺の犠牲者数にこだわる
のはなぜか。
 彼は、何が歴史の真実かということに関心があるわけではさらさらない。とりあえ
ず、最初は、虐殺の「数」には諸説があるということを読者に強く印象づけられさえ
すればよいのである。その上で、虐殺の「数」については、田中正明氏らの「まぼろ
し派」から、板倉由明氏(1.3万人)、秦郁彦氏(3.8〜4.2万人)らの「少
数派」、洞富雄、藤原彰、笠原十九司、本多勝一、家永三郎の各氏らの「大虐殺派」
まで諸説があるにも関わらず、教科書には「大虐殺派」(藤岡氏は、「大虐殺派」は
中国側の数や東京裁判の結論をうのみにしていると不当に攻撃した上で、秦説の約4
万人が最新の研究成果と持ち上げている10) )の10数万〜30万人という数し
か載っていない→教科書の扱いは不当だ→それは教科書が「東京裁判史観」に支配さ
れているからだ、教科書=「東京裁判史観」だという図式に読者を誘導する。「南京
大虐殺」はそのための舞台装置としての役割を担わされているのである。
 戦略家の藤岡氏は、そのような自分の戦略を次のように述べている。「南京事件の
死者の数についての教科書の扱いが確かに不当だということが立証できれば、その扱
い方に集約的に表現されている一方的な見方、すなわち日本は大陸で犯罪を犯したの
だから被害者の言い分はすべて真実として受け入れるべきだ、という卑屈な見方が教
科書を支配していることが確実に言え、そこからその淵源としての『東京裁判史観』
の問題性に迫っていくことができる。これが、私が前回、意図的に採用したストラテ
ジーであった」11)。
 なお、「まぼろし説」や「少数説」が教科書に載っていないのは、教科書が「東京
裁判史観」に支配されているからではなく、それらの説が、学問的に説得力を持って
いないからである。藤岡氏はそれらの説を、「否定派の方々の著書(たとえば田中正
明……)を読むと、その主張もまた本当らしく思える」12) とか、「歴史の真実
を実証的に研究する立場から、板倉論文を本誌に掲載させていただく」13) とか
いって持ち上げるが、「まぼろし説」の田中正明氏が、虐殺の事実を隠すために松井
石根大将の「陣中日記」や「日誌抜粋」を改竄(1985年11月25日付『朝日新
聞』)したり、「少数説」の板倉由明氏が、「数」を少しでも少なく見せるために、
「戦闘で敵兵を殺すこと、付随して不可避的に起こる非戦闘員の犠牲は、『虐殺』で
はないと考えている」とか、将校や兵士の日記などの個人の記録は「原則として人数
算定の資料としては使っていない」14) とするなど、これらの論者は、日本軍の
戦争犯罪である「南京大虐殺」を「まぼろし」にしたり、特別重大な事件ではないも
の(「『数万から十万程度の虐殺』なら戦場では常態」15) )のように歴史を改
竄したいという政治的意図を持った議論なのである。藤原彰氏も述べているように、
「なるべく犠牲者数を少なく計算しようとする意図が見え見えなのが少数論であ」
16) り、学問的には相手にされないのである。

6、藤岡氏のだましのテクニック
 藤岡氏は、授業へのディベート導入の提唱者でもあるが、ディベートとは、設定さ
れた論題に対して、肯定側と否定側が、聴衆に対するその説得力を競う競技であり、
どちらが本当に正しいのかを明らかにすることを目的にはしていない。藤岡氏は、
ディベート研究の専門家であるだけに、極めて巧妙に、読者に自分の立論に説得力が
あるように思い込ませていく。彼がアメリカで弁護士をやれば、有罪を無罪にする
(陪審員にそう思いこませる)名うての弁護士と評判をとるのではないかとさえ思え
るほどである(少しほめすぎか)。しかも、本当のディベートなら、肯定側と否定側
にほぼ互角の論者が立ち、同じ持ち時間内で闘うのだが、藤岡氏の『社会科教育』誌
上の連載の場合は、一方的な一人勝負であり、対抗する論者は登場しない。読者(教
師)の多くは細かな歴史的事実を知らないから、具体的な「事実」を挙げながら、一
定の歴史像をもって歴史が語られると、足をすくわれ、本当のように思えてしまう。
藤岡氏は、このようなことを十分承知した上で、2年計画で長々と一方的に語り続け
ているのである。彼は、様々なだましのテクニックを駆使しているが、一、二、具体
的事例を挙げてみよう。
 (1)「『南京事件』についての教科書記述」について
 藤岡氏は、連載を「『南京事件』についての教科書記述」で始めている。中学校歴
史教科書記述の犠牲者数が、「各社まちまちだ」(実際は、十数万〜20万人で、
30万人は戦死者とあわせた数)と違いを誇張した後、「犠牲者数については長い論
争があり」と、教科書が取り上げていない「少数説」へつなげるための伏線を張り、
「右の教科書にみるようにさまざまな説が行われている(実際は、教科書では、「ま
ぼろし説」や「少数説」は採用されていないが、まずは、さまざまな説があると読者
に印象づける)。ことの性質からして事実は一つしかないのに、数字の見積もりはあ
まりにもちがう(はっきりした犠牲者数の算定は不可能であることをよく承知した上
でこのように述べて、うさんくささを醸し出している)。このような場合、『誰が』
主張している数字なのかを明示して、生徒がその主張のもとの文献にあたり批判的に
検討する手掛かりを与えておくことが最低限必要である(今の教科書が、学術論文の
ようにいちいち出典を明示していないことを百も承知で、うさんくささを醸し出すた
めに意図的に言っている)」と述べる。
 次に、中国人の証言と、それが「反対尋問」に耐えないという富士信夫氏の主張を
引き(「反対尋問」に耐えない証言は誇大妄想だと読者に印象づけることがねらい
で、自分では、証言のどこが事実で、どこが事実でないのかという証明は何もしてい
ない。しかも、反対尋問に耐えないという証言を富士氏の著書から探してきて紹介し
ているのは藤岡氏自身で、「大虐殺派」がそれを決定的証拠だとしているようなもの
ではない)、「問題はこうした証言(一つの証言をやり玉にあげて、他のあらゆる証
言等も信用できないと印象づけるやり方)をうのみにして、白髪三千丈式の数字を合
算する(「うのみ」にしていることを自分で証明もせずに断言する)政治的意図のほ
うにある。東京裁判の『20数万人』説はこのようにしてでき上がったのである」
17) と、何も証明せずに断言し、次の「東京裁判史観」批判につなげている。
 藤岡氏は、連載第二回目でも「南京事件の犠牲者数」を取り上げる。「前回、南京
事件の死者の数について中学校の歴史教科書に記述されている数字が根拠の乏しいも
のであることを書いた」と、教科書の記述が、何を根拠にしているのかはいっさい検
証せず、「根拠の乏しいもの」と断定とした上で、秦郁彦氏の主張を紹介しながら、
「虐殺されたと考えられている人数をみずからの責任においてあげているのが、秦郁
彦、板倉由明、畝本正己の三氏だけ」と根拠も示さず断定し、さらに「虐殺派の場合
は中国側の数字を『そのまま紹介、引用』(秦論文)しているだけ」と攻撃し、信用
できない数字だと読者に印象づける。そして、秦氏の著書を「歴史家らしい史料批判
に基づく冷静な検討が行われている」と持ち上げ、「日本の教科書は中国側や東京裁
判の結論をうのみにするのではなく、日本の歴史家の最新の研究成果に依拠すべきで
ある」「すでにみたように、現行の教科書のほとんどは、……中国側または東京裁判
の結論をあげているだけなのである」18) と断定・攻撃する。だが、賢明な読者
ならお気づきだと思うが、藤岡氏自身が紹介した6つの教科書の内、3つの教科書が
採用している「十数万人」というのは、中国側の30万人説や、東京裁判の20万人
説を「うのみ」にした数ではない。藤岡氏は、自分の立論のためには、自分で作った
土俵も勝手にゆがめて平気なのである。「虐殺派の場合は中国側の数字を『そのまま
紹介、引用』しているだけ」と断定するのも、藤原彰氏も批判するように、「事実に
反する言いがかり」であり、数々の研究を「知っていても全然無視したうえでの」
19) デマゴギーなのである。しかし、詳しい知識を持たない読者の場合は、本当
のことに気づかない。藤岡氏はそのことを十分承知した上で論じている確信犯なので
ある。

 (2)「『非戦闘員三〇万虐殺』の虚構」について20)
 藤岡氏は、連載第18回目でも「犠牲者数」の問題を取り上げている。まず、
「『虐殺』とは何か」と問いを立て、「非戦闘員=民間人を殺害するような時に『虐
殺』という言葉が抵抗感なく使える」とし、「兵士が敵の兵士を殺すのは普通の戦闘
行為であって『虐殺』とはよべない。このことこそ、『虐殺』の定義においてもっと
も重要なポイントである」と定義する。次に、「『南京大虐殺』とはどういう事実を
指すのかということについて、私が長い間抱いていたイメージは、南京市内に入城し
た日本軍が、丸腰の中国人市民を無差別に掠奪、強姦、放火、虐殺した結果、死者
30万人に及んだ、というものである。ここでのポイントは、死者の中に中国軍の兵
士は含まれていないということである。武装した日本軍が無この市民を襲撃して殺害
する。だから『大虐殺』なのである。『南京事件』について特に自分で調べてみよう
としない限り、大方の人々のイメージは右のようなものではないかと思う」と、自分
も含め「大方の人々」がそうだ述べて、読者が、自分も「南京大虐殺」=「中国市民
30万人虐殺」と教えられてきたと自己確認するように仕向けていく。その上で、本
多公栄氏の実践記録『ぼくらの太平洋戦争』の中から、本多が中国の教科書の記述と
して提示した史料として、「一ヶ月あまりのうちに殺された非戦闘員は30万を下ら
なかった」という部分を引用する。次に、南京陥落から4日後の12月17日の文書
が南京市民の数を「20万人」としていることを示し、「正常な知能をもった人なら
ば、あることに気づくはずである。そう、20万の人口の市で30万の『虐殺』をす
ることはできないということである」と述べ、この事実が、本多の示した「中国の教
科書のウソを暴露している」と結論づける。さらに、中国の教科書という「旧敵国の
プロパガンダを史実として与える」から、「反対尋問の機会を保障しない」から
「『非戦闘員三〇万虐殺』の虚構」が真実であるかのように印象づけられてしまうの
だとたたみかける。そして再度、「『虐殺』の定義にかかわるポイントは、戦闘員と
非戦闘員の区別である」と主張する。
 このように、「事実」を具体的に積み上げた議論を展開されると、いかにも「『非
戦闘員三〇万虐殺』の虚構」ということに納得してしまいそうになる。見事なディ
ベーターである。しかし、藤岡氏はここでも、読者が何も知らないものと馬鹿にし
て、だましのテクニックを確信犯的に駆使しているのである。そのトリックは、「非
戦闘員=民間人」というすり替えにある。しかし、「非戦闘員」には、武器を捨てて
市内に逃げ込んだ兵士や、捕虜も含まれるのである。「30万人」が正しいかどうか
は別にして、「非戦闘員三〇万虐殺」=「一般市民三〇万人虐殺」ではないのであ
る。そして、事実、「南京大虐殺」では、武器を捨てて逃げ込んだ兵士や、無抵抗の
捕虜がたくさん虐殺されたのである。「大虐殺派」の文献にも通じている藤岡氏がこ
の事実を知らないはずがない。藤岡氏は、そのことを十分承知しながら、読者をだま
しているのである。
 しかし、藤岡氏は、ここでついに墓穴を掘ってしまった。自分が反対尋問にさらさ
れずに、一方的に長々と語り続けられる安逸さに油断してしまったのであろう。賢明
な読者ならお気づきであろうが、連載の第一回目に、藤岡氏自身が引用した現行中学
校の教科書に「その死者の数は、……女性・子どもをふくむ一般市民で7〜8万、武
器を捨てた兵士をふくめると、20万にもおよぶといわれる」(東書)と書いてあっ
たのである。藤岡氏は、自分の文章でもその事実を確認しているため、「知らなかっ
た」と言い逃れはできない。明らかに、この事実を知りながら、意図的に読者をだま
したのである。藤岡氏自身の表現をもじって言えば、藤岡氏が、「南京大虐殺」の犠
牲者に「武器を捨てた兵士」が多数含まれているということを知りながら、「大虐
殺」説=「一般市民三〇万人虐殺」説だと意図的にねじまげるデマゴーグだ「という
ことが立証されれば」、そのデマに「集約的に表現されている」デマゴーグとしての
体質が、藤岡氏の連載全体に貫かれているということが「確実に言え」、それによっ
て「自由主義史観」なるもののインチキ性を暴くことができるのである。

おわりに
 最後に、これまでの歴史教育が、「日本の社会を暗く描きだした」ために、子ども
たちが「自国の歴史に対する誇りを欠」いてしまうのだという藤岡氏の主張に共感を
覚えておられる読者のみなさんに、私からのメッセージを送りたい。
 藤岡氏や「大東亜戦争肯定論者」の言うように、過去の歴史の事実を覆い隠すこと
によって、作為的に、日本の近現代史を「明るく」描くことで本当によいのであろう
か。そうではなくて、過去の歴史の真実を真摯に見つめ、そこから教訓を汲み取り、
明るい未来を展望できる歴史をこそ語っていくべきなのではないか。決して「暗い歴
史」でもいいではないかと言っているわけではない。私は、民主主義と平和の実現を
追求し、前進してきた20世紀の人類史という「大きな物語」の中に位置づけて、日
本の近現代史を語るべきではないかと思うのである。森田俊男編著『増補版 人類の
良心=平和の思想』(平和文化)のご一読をお薦めする。
<注>
 1)『「近現代史」の授業改革1』明治図書、1995年9月、12頁。
 2)、3)前掲誌、15頁。
  4)『社会科教育』明治図書、1994年9月号、122頁。
 5)前掲誌、121頁。
  6)前掲誌、1994年4月号、118頁(富士信夫『私の見た東京裁判(下)』
    講談社学術文庫、1988年、542頁)。
  7)前掲誌、118〜9頁(マイニア(安藤仁介訳)『東京裁判勝者の裁き』新装
      版、福村出版、1985年、216〜7頁)。
  8)前掲誌、119頁。
  9)前掲誌、1994年8月号、118〜9頁。
  10)前掲誌、1994年5月号、115〜6頁。
 11)前掲誌、118頁。
  12)前掲誌、1995年6月号、117頁。
  13)『「近現代史」の授業改革1』明治図書、1995年9月、72頁。
  14)前掲誌、73頁、75頁。
  15)前掲誌、74頁。
 16)藤原彰「南京大虐殺の犠牲者数について」『歴史地理教育』、1995年3月
      号、67頁。
 17)『社会科教育』明治図書、1994年4月号、114〜7頁。
 18)前掲誌、1994年5月号、115〜6頁。
 19)藤原前掲論文、66〜7頁。なお、笠原十九司「戦争責任と歴史教育――藤岡
      信勝氏の『東京裁判史観批判論』を批判する」(『アジアの中の日本軍』大月
      書店、1994年9月、所収)が、南京事件の専門家の立場から、藤岡氏のこ
      れらの議論に対する詳細な批判を行っているが、藤岡氏は、『社会科教育』の
      読者がこの本を読むことはほとんどないと高をくくって、まともに批判に答え
      ていない。
 20)『社会科教育』、1995年9月号、118〜21頁。
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                           広瀬論文転載ここまで


従軍慰安婦教科書問題討論資料(改訂版)

目次に戻る 以下の資料は、<市民新党にいがた>によって作成され、広く活用されている 討論資料集のヴァージョンアップ版です。 前文は、資料が電子メールで送付される際に、つけられていたものですが、この資料 の作成の経緯や、活用されている状況などの情報を含んでいますので、ごく一部の個 人あての内容や技術的な記述だけを除いて、そのままここに収録させていただきました。 /HTML作成者

前文

 以前amlにupした「従軍慰安婦」問題に関する資料集(市民新党にいがた作成)は 各地で転載・活用され、原さん、本庄さんのホームページにも収録されています。  また、井上澄夫さんが中心となって各地へ慰安婦問題でFAX通信を出していて、そ の中にこの資料を「諸資料を活用した力作。編集部として推薦します」などと過分な 紹介をして下さり、さらに各地から新たに問い合わせが舞い込むようになりました。

 前の資料は、確かに各地で好評を得ておりますが、もともとは新潟県議会に出され た陳情に対する反論の形で議会対策用に作成したものなので、各地で提出されている 陳情・請願の内容全体をカバーするものではありませんでした。そこで、各地での共 通した論調全体に対応させるために、これを機会に改訂を加えることにしました。

 まず、全体の構成も少し変えました。また、例の「従軍慰安婦」の「用語問題」で も項を起こし(もちろん、「あえてとりあげるような問題ではないが」と断った上で です)、さらに「外国もやったから許される」というような論理に対し、外国軍の状 況なども加えています。「用語問題」では、小倉さん、島川さん、青木さん、今井さ んなどの書き込みや、友人からの個人メールも役立てさせていただきました。直接文 面に反映できない部分も、皆さんから寄せられた情報や意見により、へたに突っ込ん で削除派から足をすくわれないようにすることができて感謝しております。またaml に書き込まれた他のいくつかの様々な情報も随所に反映させています。それぞれに御 礼を述べる余裕もありませんので、この場をお借りして御礼申し上げます。

 さらに半月城さんの最近のup資料も活用し、「公娼制」についての項や他の部分も 手を加えました。それから、細かいところでは、前の資料では「慰安婦制度は、公娼 制度などの範囲外でおこなわれたものであり、当時の国内法からしても全くの違法状 態」という文章になっておりますが、別の問題で小倉さんから提供された「軍事行政 法」の問題や、友人からも「(警察力の及ぶ)公娼制度とは異なったとしても、当時 の軍と警察、刑事訴訟法などとの関係はどうだったのか、つめる必要がある」との指 摘もあったので、慎重を期し、私としてはいずれにしても公娼制度の範囲外の行為で あるということを主張したかったので、「当時の公娼制度の立場から見ても、無法状 態」という表現に変更しました。半月城さんからも目を通していただき、何カ所か修 正済みです。その他文章も推敲を重ね、できる限りまともな文面になるようにしたつ もりですが、まだ誤字脱字等は残っているかも知れません。

 それから、半月城さんから提供された情報をもとに資料中にも収録した部分で、当 時の地方議会における「廃娼決議」の動きを、2重になりますがここであえて述べて おきたいと思います。
 削除派が「仕方がないこと」として依拠しようとする「公娼制」すら、当時でも大 きな社会問題となっており、粘り強い廃娼運動の結果、1930年を前後して廃娼決議を おこなう県(1928年から1940年の間に、埼玉・福井・福島・秋田を皮切りに、以後新 潟、神奈川、長野、沖縄、茨城、山梨、宮崎、岩手、高知、愛媛、三重、宮城、鹿児 島、広島、富山、滋賀、宮崎(再決議)岡山の計21県)、あるいは実際に廃娼を実施 する県(群馬がすでに1893年、その1930年の後埼、以後1941年までの間に、秋田、長 崎、青森、北海道:部分的に実施、富山、三重、宮崎、茨城、香川、愛媛、徳島、鳥 取、石川の計14県)が続出しているのです。「当時も公娼制があったから」などとう そぶくのは、60年も前の地方議会でおこなわれた先人達の議論や取り組みの歴史に泥 を塗るようなものであり、歴史の歯車を100年以上戻すような暴挙と言うべきです。 この中には、岡山、新潟を始めいくつか現在「慰安婦」問題の陳情が議論になってい るところがちゃんと含まれてますね。廃娼決議をした同じ地方議会で、慰安婦削除が 決議されようとしているのは、なんとも皮肉なことです。

 全体の論調は、削除勢力とのディべーとや議会対策などにも重点を置いているので 、少なくない方にとっては不十分なものに思えるかも知れません。特に最後の方は、 「国」の概念や「海外での青年達の苦労」に、やや無防備な論調だったかもしれませ んが、電子データですので加工も可です。

 また、実際にプリントアウトして各地に配布する資料は巻末に補助資料として中学 校教科書の当該部分の記述も収録しましたが、ここでは省略します。


 全体の構成は、以下のようになっています。
 1.「従軍慰安婦問題」に関する日本政府及び国際機関の見解
  ■政府の見解 
  ■国連・国際団体による調査と評価
 2.「慰安婦問題」はデマか?
 3.「強制性」についてのさらなる検討と「商行為」「公娼制」問題 
  ■「『強制連行』『奴隷狩り』はなかった」「中には望んで慰安婦になる者もい
た」?
  ■「(純粋な)商行為」か? 
  ■「公娼制」との関係
 4.「やむを得ないこと」「どこの国でもやっていたこと」か?
  ■「従軍慰安婦」問題と国際条約・国際合意との関係
  ■日本軍の「慰安婦制度」と外国軍の状況
 5.「従軍慰安婦」用語問題
 6.慰安婦問題は教育上有害か? 「子どもたちに希望を与える教育」とは?

「従軍慰安婦問題」に関する討論資料(改訂版)

1997.3  市民新党にいがた   ※この資料は、96年12月新潟県議会に提出された「中学校歴史教科書の訂正について の意見書提出に関する陳情」について討論するために私たちが作成した資料で、12月 13日、議会内各党会派に配布した。97年に入って、再編集・追補・加筆をおこなった 。なおこの資料を作成するに当たっては、「日本の戦争責任資料センター」及び「半 月城」氏の御協力をいただいた。

1.「従軍慰安婦問題」に関する日本政府及び国際機関の見解

■政府の見解  日本政府は従来、「従軍慰安婦なるものにつきまして・・・やはり民間の業者がそ うした方々を軍とともに連れて歩いているとか、そういうふうな状況のようでござい まして、こうした実態について、わたしどもとして調査して結果を出すことは、率直 に申しましてできかねる」(90年6の韓国のノテウ大統領(当時)の来日に関連し、慰 安婦問題の質問に対する96.6.6参議院予算委員会答弁)という立場だった。  しかし、下記のように92年の防衛庁資料の発見を契機にした一連の調査結果により 、当時の軍や政府の関与については自民党単独政権の時から既に公式に認めているの である。地方議会の自民党議員団や地方組織がこうした見地に異論を唱えるとは理解 しがたい。事実関係の発覚と政府見解の経緯は以下に示すとおりである。 ●92年1月11日、防衛庁所蔵資料の中から吉見・中央大教授が慰安婦関係資料を発見。 ●翌12日には当時の加藤紘一官房長官が日本軍の関与を正式に認め、13日には謝罪の 談話を発表。また訪韓した当時の宮沢喜一首相は17日、日韓首脳会談で公式に謝罪。 ●政府は慰安婦問題について調査を進め、その結果を同年7月6日発表した。報告書は 慰安所の設置や経営・監督、慰安所関係者への身分証明所の発給などの点で、軍隊の みならず「政府が直接関与」していたことを初めて公式に認めた。 ●この調査資料は防衛庁、外務省、厚生省などから127件も集めらた。その公表資料 は次のような内容を含んでいる。 (1)軍占領地で「日本軍人が住民の女性を強姦するなどして反日感情が高まっている ため慰安施設を整備する必要がある」という内容の軍の指令。 (2)軍の威信を保持するため、慰安婦の募集にあたる人の人選を適切に行うよう求め る指令。 (3)慰安施設の築造、増強のために兵員の提供をもとめる命令。 (4)部隊ごとの慰安所の利用日時の指定、料金のほか、軍医の慰安婦に対する定期的 な性病検査を定めた「慰安所規定」 (5)慰安所解説のための渡航には、軍の証明書が必要とする指示。 ●同じ日、当時の加藤官房長官は記者会見で、韓国を始め中国、台湾、フィリピン出 身などの元慰安婦に対する日本政府としての謝罪の意を次のように表明。  「政府としては、国籍、出身地を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし がたい辛苦をなめられた方々に対し、改めて衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上 げたい。このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に たって、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係お よびその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。  この問題については、いろいろな方々の話を聞くにつけ、誠に心の痛む思いがする 。このような辛酸をなめられた方々に対し、われわれの気持ちをいかなる形で表すこ とができるのか、各方面の意見を聞きながら誠意を持って検討していきたい。」 ●日本政府は7月26日、ソウルで元慰安婦16人から聞き取り調査を始めた。そして報 告書で「慰安婦強制」を認め謝罪。報告書は92年8月4日(宮沢内閣退陣の前日)に発 表。そのなかの「慰安婦の募集」の項では「斡旋業者らがあるいは甘言を弄し、ある いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが多く、さらに官憲等 が直接これに荷担する等のケースもみられた」と強制連行を明確に認めている。 ●さらに、この報告書に付け加える形で河野洋平官房長官が談話を発表し、慰安婦の 募集や移送、管理などが、甘言、弾圧によるなど「総じて本人たちの意志に反して行 われた」と述べて、募集だけでなく全般的に「強制」があったことを認めた。そして 「心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気 持ちを申し上げる」と、日本政府として改めて謝罪した。さらに「このような歴史の 真実を回避することなく、歴史の教訓として直視していきたい」と述べ、歴史教育な どを通じて「永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」と決意を表明した。 ●第1次橋本政権の見解  「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深 く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆ る従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒(いや)しがたい傷を負 われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。  我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが 国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴 史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と 尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております 。」(1996.10. 「従軍慰安婦」への「おわび」の手紙、橋本首相) ●現内閣小杉隆現文部大臣の態度  現文部大臣の小杉隆氏は、就任時の記者会見で、来春から中学校の教科書に登場す る従軍慰安婦の記述について、アジア諸国に対する日本の侵略行為などを謝罪した昨 年八月の村山富市首相(当時)の談話に「全く賛成だ」とした上で「率直に事実は事 実として載せる教科書検定調査審議会の判断を支持する」と述べ、 また、同様の主旨で国会でも答弁している(96年11月)。  さらに「昭和史研究所」の会員らが文部省に小杉文相を訪ね「従軍慰安婦」記述の 削除を要請した際も、「検定は基準に沿っておこなわれている」「削除・訂正を教科 書会社に求める考えはない」と突っぱね、さらに97年に入って「新しい歴史教科書を つくる会」の呼びかけ人代表七人が中学校教科書の「従軍慰安婦」関連記述を大臣勧 告で削除するよう申し入れた際もこれを拒否している。  今回自民党が採択の方向で検討している「陳情」は、こうした日本政府及び自民党 の歴代幹部・党首などの公式見解、現内閣の文部大臣の姿勢を真っ向から否定するも のである。 ■国連による調査と見解・評価 ●国連はすでに92年に日本政府から「従軍慰安婦」に関する資料を入手して検討を始 め、国際法に関する論議なども人権委員会で扱ってきた。同委員会は早くから慰安婦 の問題について関心を寄せ、日本政府が初めて公式に謝罪した翌月(92年8月)には 、差別小委(差別防止及び少数者保護小委)で特別報告官が「日本政府に資料提出を 求める」など本格的な調査を開始している。この委員会は、90年に予備報告、91年と 92年に中間報告、93年に最終報告をおこなった。その中で、特に従軍慰安婦などのよ うに国際的に違法だと認識されている人権侵害は個人に国家賠償を請求する権利があ り、加害国はこうした行為を行なった責任者を処罰し被害者を救済する義務があると 結論づけている。  ※加害国による救済に関して言えば、アメリカは過去、戦時中に強制収容した日系 人に対し大統領が謝罪し、一人あたり2万ドルの謝罪金を支払ったのは記憶に新しい ところである。 ●同人権委員会差別小委ではこの報告をさらに深めるために、旧日本軍による従軍慰 安婦・強制労働問題などの人権侵害を調査する「特別報告官」の設置を決めた。 ●こうした調査と討論の結果、日本軍の慰安所は国際法違反であるとするIFOR(国際 的な人権擁護組織)の提案が採択され、正式な国連文書として配布されている。つま りこの時点で、日本軍の慰安所は国際法違反であるという、国連の正式な認識がすで に成り立っているのである。 ※IFORの提案は、(1)従軍慰安婦問題は、時効による免責規定がない国際条約「強制 労働に関する条約」(日本の批准は1932年)などに明確に違反する。(2)日本は批准 後、条約の精神を具体化する法整備を怠っている。(3)過去にさかのぼって責任者の 処罰をおこなうための立法化を進める義務がある。とする内容を含んでいる。ちなみ に、近代法では「法の不可遡及」、すなわち法律成立以前の行為については責任を問 われないというのが原則である。しかし、にもかかわらず、責任者処罰は先進諸国で は国際的な流れになっている。過去の戦争犯罪者を裁けるように、ドイツでは79年に 、カナダでは87年、オーストラリアでは88年、イギリスでは91年に国内法の整備をし 、時効を停止するなどして戦犯を裁いてきた。 ●クマラスワミ調査報告  この問題はその後「女性に対する暴力問題」特別報告官のクマラスワミ氏に引き継 がれた。クマラスワミ氏はスリランカの民族学研究国際センター所長としてアジア地 域の女性問題に取り組んできた女性法学者で、94年4月に特別報告官に任命された。  クマラスワミ氏はこうした「国際的な認識」を基本に、各国政府やNGOから得た 資料を検討し、慰安婦問題を「犯罪」と認定する立場を明らかにした予備報告書を人 権委員会に提出した。なお、クマラスワミ氏は「国連調査団」として同年7月に日本 を訪問しているが、国連調査団が日本を訪れたのは旧国際連盟が「満州国」問題で派 遣したリットン調査団以来のできごとである。  さらにアジア各国での調査をもとに、96年3月、最終報告書が人権委に提出された 。なおクマラスワミ報告が短期間の調査に基づく、信憑性のないものとする批判があ るが、こうした経緯からわかるように同報告はそれまでの数年間に及ぶ一連の人権委 員会の調査の成果を引き継ぎそれを深化させるものとなっていることに留意すべきで ある。  調査は日本政府からも資料の提出を受け、慰安婦からの聞き取り調査も行なわれた 。そしてまず調査団から見た日本政府の見解を、以下のように評している−「・・・ 日本政府が我々に渡した文書には、いわゆる『慰安婦』問題について道義的責任を受 諾する声明や呼びかけ文が含まれている。河野洋平官房長官による1993年8月4日付談 話は、慰安所の存在及び慰安所の設置・運営に旧日本軍が直接・間接に関与したこと 、及び募集が私人によってなされた場合でも、それは軍の要請を受けてなされたこと を受諾した。談話はさらに、多くの場合『慰安婦』は、その意思に反して集められた こと、及び慰安所における生活は『強制的な状況』の下での痛ましいものであったこ とを承認した」。また、こうした政府の見解や資料と慰安婦の証言との関係について も、「(慰安婦の証言は)性奴隷制が軍司令部および政府の命令で組織的方法で日本 帝国軍隊により開設され厳重に統制されていたことを信じさせるに至った文書情報と 符合している」として、その整合性を認めている。  この報告では、第二次大戦中、旧日本軍が朝鮮半島出身者などに強制した従軍慰安 婦は「性奴隷」であると定義し、奴隷の移送は非人道的行為であり、さらに「慰安婦 の場合の女性や少女の誘拐、組織的強姦は、明らかに一般市民に対する人道に対する 罪にあたる」と断定した。  その上で、従軍慰安婦問題を現代にも通じる女性に対する暴力の問題とする観点か ら、次の六項目を日本政府へ「勧告」した。  (1)日本帝国陸軍が作った慰安所制度は国際法に違反する。日本政府はその法的責 任を認める。  (2)日本の性奴隷にされた被害者個々人に補償金を支払う。  (3)慰安所とそれに関連する活動について、すべての資料の公開をする。  (4)被害者の女性個々人に対して、公開の書面による謝罪をする。  (5)教育の場でこの問題の理解を深める。  (6)慰安婦の募集と慰安所の設置に当たった犯罪者の追及を可能な限り行う。  なお、オランダを始めとする諸外国はこの報告書を高く評価したが、日本政府はこ の報告内容に抵抗した。しかし当初は膨大な反論資料を作成し各国に配布したものの 、むしろ反発を招き撤回した。この報告に対し日本政府は未だに「事実関係について は留保」という態度を示し個人補償などの必要性を認めていない。補償問題は今回の 議論にはなっていないのでおいておくが、日本政府自身、この報告を「留意する(ta ke note)」という決議に賛成していることを無視すべきでなく、なによりこれが国際 的な公式評価であることを忘れてはならない。  国連で安保理非常任理事国に選出された日本は特に国連機関の決議を尊重すべきで ある。なかんずく人権委員会は「国連精神」具現の一つの場として国連機関の中で特 に重要な存在である。我々は−特に公党や公の議会関係者は−その機関の決議や公式 見解を軽んじるべきではない。

2.「慰安婦問題はデマ」か?

 慰安婦問題について、「強制ではなかった」とする主張ばかりでなく、驚くべきこ とに「そうした事実はなかった」あるいは慰安婦本人やこれに関わった人々の証言を 「デマ」とする主張まである。  そうした人々が論拠としているのは、当時山口県の労務報国会で動員部長をしてい た吉田清治さんの「 1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部などの指示 に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行した」という証言をめぐっての評価で ある。これに対して秦・千葉大教授が吉田証言の舞台となった済州島に出向き、島民 の証言からそうした強制連行はなかった、とする調査報告をおこなった。「デマ」と 主張する人々はこの件を引き合いに出し、「慰安婦証言=デマ」とするほとんど唯一 の根拠としている。  しかしこの「なかった」とする調査を行った秦氏本人が、数万人に及ぶ慰安婦の存 在自体は認めていることを無視するべきではない。調査についても、慰安婦の多くが 名乗りたがらない、家族・親族・地域の人々もそれを隠そうとする韓国の文化的風土 を考えれば、島民の回答を言葉通り受けとめるわけにはいかないとも思われる(現地 を取材したテレビ局もそうした雰囲気を報道した)が、もちろん島民の表向きの証言 が符合しない以上、この吉田証言は歴史事実の冷静な検討の際にはその材料からはは ずすべきで、国連クマラスワミ報告もこの証言については反対意見を併記して引用す るにとどめている。 ※なお、中央大・吉見教授らの調査では吉田証言には決定的な矛盾は見あたらなかっ たが、上記の理由により同教授はクマラスワミ報告の価値を防衛するため同証言の採 用をやめるよう要請している。吉見氏はその手紙の中で「吉田氏の本に依拠しなくて も、強制の事実は証明できる」と述べている。しかし、厳正な歴史的事実の検証材料 としての学問的価値としては100%ではないものの、当時の状況を示す当事者の証言 としては充分な価値があると多くの人が考えていることも付記しておく。  慰安婦問題を問題にしている人たちも事実関係の検討の材料としては取り上げてい ない証言だけをとらえて、これを「デマ」とし、それをほとんど唯一の論拠として「 事実と異なる」と主張することこそ「本当のデマ」であり、これは」詐欺師のやり方 である。 ●ここでは、「証言」によらなくとも削除派の論理がいかにデタラメなものであるも のかを証明するために、「慰安婦」の方々の悲惨な体験は敢えて収録していない。だ が削除派が「慰安婦」の「証言」に疑問があると考えたとしても、当事者の声にまず 耳を傾けてみるべきことはどのような実証、論争、調査、研究においても最低限かつ 必須の作業であると言わなければならない。身を切り裂くような思いで明らかにされ た多くの「証言」は、他の様々な文書資料との符号、証言間の整合性などを考慮すれ ば、充分すぎるほど価値のあるものであることだけは指摘しておきたい。

3.「強制性」についてのさらなる検討と「商行為」「公娼制」問題 

 削除派は、全ての教科書で慰安婦が奴隷狩りのように強制連行されたかのよう記述 されている、と言っているが、教科書の記述を見ればわかる通り、これは事実ではな く、ためにするデマである。  また、「強制性」を連行時の「奴隷狩り」のような形態のみに限定し、「そういう ことは無かった」「無いとは言えないがそれが全てではなかった」とするのも、意図 的なすり替えである。  ここでは、これら「強制性」や「商行為」「公娼制度」などの問題について明らか にする。 ■「『強制連行』『奴隷狩り』はなかった」「中には望んで慰安婦になる者もいた」? ●何事にも例外は無数にあるが、大まかこれら幾つかの要素を重ねて一つ一つの事例 を見ないと、木を見て森を見ないことになる。現在繰り広げられているキャンペーン の多くはそうした手法によるものである。部分的で強制に見えない事例を並べ、そし て最後に、「彼女たちは悲痛な顔付きをしていなかった」という「経験」まで駆り出 される。軍人がいつもいつも狂暴ではなかったように、彼女たちもいつも泣いて暮ら しているわけにはいかなかったのである。こうした問題を検証するためには、その歴 史的経緯をきちんと見る必要がある。 ●現在知られている最初の軍慰安所は、海軍によって上海事変(1932.1)直後に設置さ れた。1932年から敗戦の45年のあしかけ14年にわたって慰安婦が集められたわけであ るが、その集め方は、当然にもこうした戦線の拡大の時期によって状況が異なってい る。初期には数は多くなく、1937年の「南京事件」を契機に急増した。この時期、慰 安婦集めはややもすると度が過ぎ、派遣軍が選定した業者が時には誘拐まがいの方法 で募集を行ない、このような不祥事が続けば日本軍に対する日本国民の信頼が崩れる と恐れた陸軍省副官は「各派遣軍は徴集業務を統制し、業者の選定をしっかりおこな い、業者と地元の警察・憲兵との連携を密接に行うよう行うよう」命じた(注1)。  なおこの通牒は兵務局兵務課が立案し、梅津陸軍次官が決裁した。この通牒の最後 には「依命通牒す」とあり、杉山陸軍大臣の委任を受けて発行されたことが明記され ている。日本政府の認識を決定的に変えさせたこの資料は、「従軍慰安婦」の必要性 自体を暗示しており、この当時、陸軍省は「従軍慰安婦」の果たす「役割」を高く評 価しており、その認識にたち、慰安婦の意義を説く教育参考資料「支那事変の経験よ り観たる軍紀振作対策」も各部隊に配布している。その内容は、軍慰安所は軍人の志 気の振興、軍規の維持、略奪・強姦・放火・捕虜虐殺などの犯罪の予防、性病の予防 のために必要であると説いているものである(注2)。  41年に対米宣戦布告し本格的に太平洋戦争に突入すると、こうした慰安所も泥沼化 していった。戦線が拡大し「慰安婦」の需要が増すと、陸軍省は従来派遣軍にまかせ ていた軍慰安所の設置を自らも手がけ始めた。1942年9月3日の陸軍省課長会報で倉本 敬次郎恩賞課長は、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり」としてその結果を報 告した。それによると、設置された軍慰安所は、華北100、華中140、華南40、南方10 0、南海10、樺太10、計400ヶ所であった。  また、台湾軍が南方軍の求めにより「従軍慰安婦」50人を選定し、その渡航許可を 陸軍大臣に求めた公文書(注3)なども発見されている。この申請はもちろん許可さ れ実行にうつされた。  戦争末期になると兵士の数も増え、それにともない慰安婦集めも激しさを増し、朝 鮮では44年8月に「女子挺身勤労令」が出された。(注4)。  初期には余裕があり、中には望んで応募した者も当然いるだろう。事実、「慰安婦 」問題を調査する市民や研究者の呼び掛けで1992年末、「日本の戦後補償に関する国 際公聴会」が東京で開かれたとき、韓国からの研究報告は、慰安婦として名乗り出て いる人の26%が「奴隷狩り」であり、68%が「だまされて」であったことを明らかに している(戦争犠牲者を心に刻む会編『アジアの声』第7集、東方出版)。台湾でも その数値に近く、さらに限られた数だが「自発的に」というものもある。もし「強制 」を狭く「連行」時の「暴力」に限定するならば、問題のないケースも少なくないこ とになる。しかし、「従軍看護婦」の名の下に募集された者であったり、たとえ自ら 志願したものであっても、あるいは甘言にだまされていても、現地に到着し自分がい ったい何をされるかが明確になった時点で、それを拒否して自由に帰国できる経済的 ・法的保障がなければ、そしてその後軍事的圧力下で性行為を強要されていたとすれ ば、それはたとえお金を得ていたとしても「強制」以外のなにものでもない。こうし て「自ら応募させ」て集めて慰安婦とし、欺き、強制的に性行為に従事させることを 「自発的に応じた」として切り捨て、「強制の事実はない」などと強弁することは絶 対にできない。 (注1)陸軍省副官通牒、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」   支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当り 、故らに軍部了解等の名義を利用し、為に軍の威信を傷つけ、且つ一般民の誤解を招 く虞あるもの、或は従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し社会問題を惹起する 虞あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し警 察当局に検挙取調を受くる者ある等、注意を要する者少なからざるに就ては、将来是 等の募集に当たりては、関係地方の憲兵及警察当局との連繋を密にし、以て軍の威信 保持上、並に社会問題上、遺漏なき様配慮相成度、依命通牒す。 (注2)「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」  事変勃発以来の実情に徴するに、赫々たる武勲の反面に略奪、強姦、放火、俘虜惨 殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感 を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とするところなり。・・・犯罪 非行生起の状況を観察するに、戦闘行動直後に多発するを認む。・・・事変地におい ては特に環境を整理し、慰安施設に関し周到なる考慮を払い、殺伐なる感情及び劣情 を緩和抑制することに留意するを要す。・・  特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして、之が指導監督の 適否は、志気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に影響するに大ならざるを 思わざるべからず。 (注3)台電 第602号  陸密電第63号に関し、「ボルネオ」行き慰安土人50名、為し得る限り派遣方、 南方総軍より要求せるを以て、陸密電第623号に基き、憲兵調査選定せる左記経営 者3名渡航認可あり度、申請す。 (注4)内務大臣請議「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正の件」44.6.27  勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとし、一般労務募集に対しても忌避逃走し、 或は不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず、未婚女子の徴用は必至にして、中に は此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり、此等悪質なる流言と相 俟って、労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる。 ■「(純粋な)商行為」か?  ●日本軍関係者資料も「慰安婦を酷使した」と証明  中国で第10軍の参謀をしていた山崎少佐は1937年12月18日付けの日記で、「参謀 が指揮し慰安婦を憲兵が集め・・・慰安所は大繁盛で・・・慰安婦を酷使に至る・・ ・兵はおおむね満足」と述べている。商行為ではなく、強制性は明らかである。 ●「純粋の商行為」などでないことは、これまで明らかにしたような強制の事実が何 よりも具体的に物語っている。強制を伴っている以上、そこで行われていることは強 姦であり、強制猥褻、監禁、強制、脅迫、略取・誘拐などの罪を併発させる。確かに 慰安婦の多くは金に相当する者を受け取っていたがそれは価値の危うい「軍票」であ った(敗戦時にはただの紙切れとなっている)。またそれとは別に兵士が直接払う場 合も少なくなかったが、このような形でたとえ金銭が支払われたとしても、元来が自 由な契約に基づいて行われたものでないこと、また異境に無一文で連れて来られてい る者にとって、金銭を受け取ることはまず生きるためであり自力での帰還のためにも 必要なのだから、それを受け取ることは「純粋な商行為」など決して意味しない。 ●また、「商行為」論を強調するために、「彼女たちが得る収入は、一般兵士の給料 に比べてはるかに多かった」という主張が秦教授の説として、クマラスワミ報告書で も「紹介」されている。確かに一部の「従軍慰安婦」は高給だったかも知れないが、 しかし同時に、同報告やさまざまな聞き取り調査は、一方でお金をもらっていない「 従軍慰安婦」がいたことも指摘している。時期、地域、各慰安所の状況などによって 、「お金を受け取っている」「受け取っても管理人に渡す」「受け取っていない」な どさまざまな実態があったことが、こうした調査で明らかにされている。また、「従 軍慰安婦」たちが得ていたお金は、正確には「軍票」である。中国で軍慰安所を開設 した平原大隊長によれば、戦争末期になると軍票の価値が暴落し、「従軍慰安婦」の 生活は楽でなかったことが示されている。それでも軍票がまだいくばくかの価値があ る内はまだましだったが、無惨にも軍票は終戦とともにただの紙くずになってしまっ たのである。こうした事情を抜きに、全ての慰安婦が「高給」を得ていた、したがっ て悲惨な生活などあり得ない、などと言うのも手のつけようのない詐欺師のデマと言 うべきであろう。 ■「公娼制」との関係  「戦前の日本では、売春は公然と認められていた・・内地で売春が営業として行わ れていたのと同じく、戦地でも売春業者が男性の集団である軍隊を相手に商売をした 。これは違法なことでも何でもなかった。よい・わるいの問題ではなく事実の問題で ある。日本で売春が法的に禁止されたのは、戦後何年も経ってからのことだ。」とす る主張がある。たしかに、戦前、売春は公然と行われていた。これが公娼制度と呼ば れるものだ。しかし、そこにはいくつかの原則があったことが意外と知られていない。  一つは、許可を受けた特定の場所と特定の人にしかこれが許されなかったことだ。 つまり、誰でもどこでも自由に売春が公認されたというものでなく、貸座敷と呼ばれ る定められた屋内で、警察署が所持する娼妓名簿に登録されている女性だけに許され たのである(娼妓取締規則二、八条)。もしそれに違反すれば、拘留または科料に処 せられた(同一三条)。第二には、強制をともなう売春は、当然にも許されない建前 だったことである。したがって、強制売春を排除するために、当事者本人が自ら警察 署に出頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、また娼妓をやめたいと本人 が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得ず 」(同六条)とされていた。  これらの規定は、彼女たちの人権を擁護しようとする当時の活発な廃娼運動に押さ れて制定されたものであり、内務大臣は右の娼妓取締規則を公布する際、その目的の 一つが「娼妓を保護して体質に耐えざる苦行を為し、若しくは他人の虐待を受くるに 至らざらしむる」(1900年内務省令第四四号)ことにあるとしたことからも明白であ る。したがって、もし「慰安婦」とされた女性が、どこかの警察に出頭して娼妓名簿 に登録し、軍隊内にある「貸座敷」で売春していたというのであれば、それは公娼制 度の枠内の出来事であり、当時、少なくとも国内法では違法とは言えなかった。しか し、だまして連れてこられたような女性が娼妓の申請をするはずがないばかりか、軍 隊内に貸座敷があろうはずもない。貸座敷とは、「貸座敷、引手茶屋、娼妓取締規則 」によって警察の許可を受けた建物であり、あえてさらに付言すれば、他に「芸娼妓 口入業者取締規則」というものもあって、娼妓への紹介業者も取り締まられていたの である。だから、もしこれらの法令に基づいていない娼妓がいて、あるいは許可を得 ていない貸座敷や斡旋業者があれば、それらは公娼でなく私娼、貸座敷でなく私娼窟 であり、口入れ業者でなくヤミ・ブローカーなのであった。だとすれば、当時の日本 軍は、自ら私娼窟をその体内に持ち、そこで法的に私娼に位置づけられる人々を監禁 し、強姦したことになる。  こうした意味で、従軍慰安婦制度は、「公娼制」の立場から見ても極めて無法な状 態のもとに存在していたのである。  さらにつけ加えると、削除派が「仕方がないこと」として依拠しようとするこの「 公娼制」すら、当時でも大きな社会問題となっており、粘り強い廃娼運動の結果、19 30年を前後して廃娼決議をおこなう県(1928年の埼玉・福井・福島・秋田を皮切りに 、以後1940年までの間に、新潟、神奈川、長野、沖縄、茨城、山梨、宮崎、岩手、高 知、愛媛、三重、宮城、鹿児島、広島、富山、滋賀、宮崎(再決議)岡山の計21県) 、あるいは実際に廃娼を実施する県(群馬がすでに1893年、その後1930年に埼玉、以 後1941年までの間に、秋田、長崎、青森、北海道:部分的に実施、富山、三重、宮崎 、茨城、香川、愛媛、徳島、鳥取、石川の計14県)が続出しているのだ。今まさにこ の同じ地方議会を舞台に、「当時も公娼制があったから」などとうそぶくのは、60年 も前におこなわれた先人達の議論や取り組みに泥を塗るようなものであり、歴史の歯 車を100年以上戻すような暴挙と言うべきであろう。

4.「やむを得ないこと」「どこの国でもやっていたこと」か?

■「従軍慰安婦」問題と国際条約・国際合意との関係  「戦時下だからある程度のことは仕方がない」とする論調もある。しかし、どんな に激しい、生死をかけたような猛烈な企業間競争でも一定のルールがあるように、戦 争でも一定の法や条約やルールがある。端的なものが捕虜虐待を禁じた国際条約など である。  確かに戦争下ではこうした国際協約などをしばしば逸脱する行為がおこなわれるの も事実だ。しかしだからといってそうした行為が許されるかどうかは別である。日本 の「従軍慰安婦制度」は、こうした国際法や国際的ルールに照らしても完全な無法・ 違法状態であって、許されざる行為がなされたことを無視するわけには行かない。い わゆる従軍慰安婦問題は、以下のような国際条約や国際合意に違反していると考えら れている。 A.婦女売買禁止条約(注1)  1938年、内務省は軍人相手の売春婦の渡航に関し各知事あてに重要な通達を出した 。「日本国内で売春目的の女性の募集・周旋の取締を適正に行われないと憂慮される 事態は、1)帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を損なう。2)銃後の国民、特に出征兵 士遺家族に悪い影響を与える。3)婦女売買に関する国際条約に反する。」などと警 告をだした。この2)の理由で「従軍慰安婦」は本格的に植民地出身者に切り替えた 。また、売春婦を21歳以上としたのは、未成年の場合たとえ本人の承諾があろうと売 春は国際法違反であったためである。  このように国際法を認識していながら、現実には朝鮮人・中国人の未成年者にまで 売春をさせていたわけだからこれは国際法違反である。しかし、これには「抜け道」 があった。1910年の条約は植民地などに必ずしも適用しなくてもよいとの規定があっ た。これは世界的に一部の植民地で行われていた持参金・花嫁料などの社会的風習( 朝鮮にはない)を容認するために作られたものであるが、日本政府はこの条項を悪用 し積極的に植民地出身者の女性を「従軍慰安婦」にしたのである。この点に関しては 国際法違反でないと強弁できるかも知れない。しかし、さすがに今の日本政府はこの 点を積極的に主張しない。条約本来の趣旨に反するし、また植民地出身者に対する明 白な民族差別をみずから告白することになるからである。  しかし、よしんば婦女売買条約が植民地に適用されないと強弁しても、植民地出身 の「従軍慰安婦」を船舶(日本の本土とみなされる)で連行したり、徴集の指令を陸 軍中央で行ったのは国際法違反とされるのは間違いない。 (注1)次の4条約で日本はa,b,cのみ加入  a.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際協定 1940年  b.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際条約 1910年  c.婦女および児童の売買禁止に関する国際条約   1921年  d.青年婦女子の売買の禁止に関する国際条約   1933年 B.強制労働に関するILO29号条約(1930)  まず、「従軍慰安婦」の強いられた行為が「労働」にあたるのかどうかであるが、 NGOの国際法律家協会(ICJ)は当初これを条約で言う「労務」とすることにつ いては慎重だった。しかし、労務とは「あらゆる労務およびサービス」をさすので、 最近は「従軍慰安婦」もやはりこの条約の検討対象と考えるのが大勢を占めるように なっている。  今年3月4日、国際労働機関(ILO)の条約勧告適用専門家委員会は1995年の一 年間に検討した問題の年次意見報告書を発表したが、その中で旧日本軍の『慰安所』 に監禁された女性たちへの大きな人権侵害や性的虐待にふれ、「こうした行為は、条 約に違反する性奴隷として特徴付けられる」との意見を表明している。 C.奴隷条約(1926)  奥野議員や板垣議員の思惑がどうであれ、クマラスワミ報告でも「従軍慰安婦」は 「性奴隷」であったと断定され「性奴隷」の認識は国際的に広がった。こうした認識 からすると「従軍慰安婦」は奴隷条約違反になる。  しかし、日本はこの時はまだこの条約に加入していなかった。こうした言い逃れに 対しICJは「20世紀初頭には慣習国際法が奴隷慣行を禁止していたこと、および すべての国が奴隷取引を禁止する義務を負っていたことは一般に受け入れられていた 」とし、奴隷条約違反であると主張している。当時単に条約に加入していないから形 式的に国際法違反ではないという主張は、少なくとも良識ある国なら言い出すべきで はない。 D.ハーグ陸戦法規(1907年)  この条約の付属書である「陸戦の法規慣例に関する規則」第46条は、占領地で「家 の名誉および権利、個人の生命、私有財産」の尊重を求めている。ICJは、この中 の家の名誉には「強姦による屈辱的な行為にさらされないという家族における女性の 権利」を含んでいるとしている。  ただし、この条約は全交戦国が加入しなければ適用されないという総加入条項があ るので直接には適用されない。しかし、ICJはこれも慣習国際法を反映したものな ので日本を拘束するものであるとしている。従って、総加入条項にかかわりなく、女 性は戦時において「強姦」や「強制的売淫」から保護されていると主張している。 E.人道に対する罪  人道に対する罪は戦後、ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例第5条で定められた。 この罪は戦前または戦時中の非人道的行為を裁くものである。日本政府は人権委員会 に提出した「非公式見解書」の中で、戦後生まれた法規で戦争中の犯罪は裁くのは伝 統的な国際法に反すると主張していた。  しかし、この「人道に関する罪」については「極東国際軍事裁判所条例」でも取り 入れられており、その裁判自体を日本政府は1951年の平和条約で承認しているので、 結果的に「法の不可遡及」を間接的に認めたことになる。したがって今日、日本がこ の「人道に対する罪」を過去に遡って適用できないと主張しても国際的には通用しない。  この事実に気がついたのか、日本政府はそれまでの主張を撤回している。 ■日本軍の「慰安婦制度」と外国軍の状況  削除派は「日本だけでなくどこの国でもやったことであり、そのようなことをどう して教科書に載せなければならないのか」と息巻いており、各地の「陳情・請願」に もこの主張が反映されているものが少なくない。まあこれは「○○ちゃんもやったの になんで僕だけ叱られるのか」という幼ない子どもの言い訳の域を脱しない滑稽な論 理ではある。−もちろん、他の国において同様の制度や行為があればそれは糾弾され 、歴史が明らかにするべきことである。その上で、自国の教科書においては、まず自 国の行為を掲載した上で、教育上の必要に応じて、そして事実の解明と共に、それら 海外の事実を記載すべきだろう。だが、現在わかっていることで言えば、やはり日本 軍「従軍慰安婦制度」の特異な性格に目を向けなければならない。  削除派の秦教授は自らの著書で、あえて「(削除反対派の)吉見義明氏の『従軍慰 安婦』を参照」、などともっともらしく注釈をつけながら、「(日本の慰安所に)類 似の慰安所制度は第二次大戦期のドイツ、イタリア、アメリカ、イギリス、ソ連など にも存在したのに、日本だけを処罰せよというのは公平を欠くのではないか。」と述 べている。  しかし吉見氏が明らかにしていることはこういうことである。まず英米軍について 、軍が民間の売春宿を監督下に置いたり軍用の売春宿を作ろうと試みた例があり、そ のこと自体は指弾されなければならないだろう。しかしほとんどは命令によりすぐに 閉鎖されており、他の軍隊と比較して日本軍の特筆すべき特徴は、女性の強制連行・ 強制使役、未成年者の使役などの問題であり、また問題が明らかになった時、その閉 鎖命令を出したかどうか、という点である。何より、軍の中央が計画し、推進したと いう点で、イギリス軍やアメリカ軍と日本軍とでは、決定的に違っていた。さらに吉 見氏はソ連軍については、「ソ連軍が軍専用売春宿をもっていたかどうかは分からな い。ただし、ソ連軍が数多くの強姦事件をおこしたことは事実であろう。(中略)そ して、(日本軍降伏後)このとき日本側が強姦を防ぐために、(ソ連軍に対して)慰 安所設置を申し出たことが伝えられている。(中略)日本人は、ソ連軍に対しても、 若い女性を犠牲として提供していたことになる。」と指摘している。まさにここに、 女性を軍事物資や取引の材料としか考えない恥ずべき日本軍の姿があらわれている。  結局のところ日本軍と類似の慰安所制度があったと考えられるのは、我々が手にす る資料から考えうる限り今のところドイツ軍だけになりそうだが、戦後ドイツは、自 らの侵略・残虐行為について、まだ多くの限界を抱えつつも、日本とは比較にならな い積極的な立場と政策をとっていることは言うまでもない(日本と同様な立場にある ドイツの場合、ナチスの過ちや犯罪について学校では子どもが12歳になった時点で1 年間かけて教育するとのことである。また、ドイツが侵略した隣国ポーランドと共同 で教科書を作ろうという取り組みも行われており、これらは、もう二度と過去のよう な過ちは繰り返さないという強い決意のあらわれであろう。こうした教育を藤岡教授 や西尾教授は、ドイツ版「自虐史観」というのだろうか)。  このような日本軍の「従軍慰安婦」制度が特異であるゆえに、旧ユーゴの民族主義 指導者による「民族浄化」という名の組織的な大量強姦・残虐行為と同等の問題とし て、国連人権委員会などにおいて厳しい批判の目が向けられているのである。

5.「従軍慰安婦」用語問題

 あえて項目を立てて取り上げるようなことではないが、多くの「陳情・請願」にも 反映されている「用語問題」をここでは取り上げる。  削除派は、「従軍」とは「軍属」のことを指し、「従軍慰安婦」は「当時使われて いなかった造語」である、したがって「従軍慰安婦」そのものが存在しない、と論理 を飛躍させ、さらに、だからこれは歴史の歪曲である、と言うまでに至っている。ま た、削除派はあたかも全ての教科書で「従軍慰安婦」と記述されているかのように描 き出しているが、これも誤りである(補助資料参照)。  ところで、「当時使われていなかった」言葉を使用することは、本当にできないの か。では「縄文式土器」や「弥生人」、「前方後円墳」、あるいは「幕藩体制」とか 「安土桃山時代」「江戸時代」などという言葉はどうか。歴史学で「当時使われてい なかった」言葉を使用することは必要上当然のことである。  ではその上で、「従軍慰安婦」という用語は適切か不適切か。まず右派が主張する 「『従軍』とは『軍属』のこと」とするのは意図的な矮小化である。「軍属」という 用語には明確な定義が与えられているが、例えば「国防用語辞典」(防衛学会編、朝 雲新聞社)には「従軍」という言葉は収録されておらず、右派が主張するような「『 従軍』=『軍属』」という定義は成り立たないし、正しくない。従軍という言葉は、 確かに軍務に属した限定的な部分を指すことにも使用された。しかし「従軍」の一般 的な意味は、多くの各種辞典等では「軍隊に従って戦地に赴くこと」とあり、慰安婦 たちの置かれた状況と何ら矛盾することはない。また、こうした意味からすれば、「 従軍」は必ずしも軍務に直接属さない部分を含んでいるものと考えるのが常識的解釈 である。むしろ、日本軍によって慰安所が設置され「慰安婦」が募集・管理されてい たという実態からは、広い意味での「従軍」よりも、もっと強く軍の関与のある位置 にあるとさえ考えることができる。こうした点から、軍の管理のもとに性行為を強制 されたという意味で、国連クマラスワミ報告では軍隊による「性奴隷」という用語を 用いている。その他、多くの研究者や支援グループもこの「性奴隷」あるいは「軍隊 慰安婦」などの用語を提唱している。また、「慰安婦」の中で現実に「『従軍』看護 婦」として募集された人がいるということにも留意すべきである。しかもすでに「従 軍慰安婦」という言葉自体が書物、新聞、いくつかの辞典などで定着しており、これ らの歴史的事実関係と社会的常識のレベルにおける歴史用語として「従軍慰安婦」と いう用語が教科書に反映されていると理解することは全く合理的なことであるし、「 従軍慰安婦」という用語が少なくとも実態からかけ離れたものであることを想起させ るものではないことは明らかである。  さらに、この「従軍慰安婦」という言葉が最初に使用されたのは、右派が指摘する ように確かに1973年に発刊された「従軍慰安婦」という著書(千田夏光氏著)である と考えられている。しかしこの千田氏の著書は、現在アジア各地の駐箚(さつ)大公 使館をはじめ外交出先機関に配備されていて、新たに赴任してきた外交関係者に、こ れによりアジア各地で旧軍がしてきたことの一部でも知らしめようという目的で必読 書にされているという。それほど、「従軍慰安婦」という用語も、その事実関係も、 アジア諸国や日本の外交部門にとっては「常識」となっているということも強く指摘 しておく。 こうして、削除派の「用語問題」に関する主張は、論理的にも、実体的 にもほとんど根拠のないものであることは明らかであると言える。

6.慰安婦問題は教育上有害か? 「子どもたちに希望を与える教育」とは?

 「『従軍慰安婦』をとりあげることは、そもそも教育的に意味のないことである。 人間の暗部を早熟的に暴いて見せても、とくに得るところはない」(「論争・近現代 史教育の改革歴史教科書批判運動の提唱」『現代教育科学』96年9月号)とする論調 がある。また、「このような自虐的な歴史観は、子どもたちに希望を与えることはで きない。」とする主張もある。  たしかに、多くの教師は戸惑っているかもしれない。いったいどのようにして「慰 安婦」問題を子供たちに教えればよいか、特に中学生などに、どのように話しかけれ ばよいのかという疑問は大きいだろう。その戸惑いに乗じて「自虐的歴史観を教える べきではない」とする主張がされている。しかし性関係に強制やいやがらせや虐待が あってはならないことを教えるために、そして、女性の、ひいては等しく人間の尊厳 や人権を理解させるためにも、この問題は教えられていく必要がある。現在の中学生 の年齢で慰安婦とさせられた女性もいるのである。何よりも「国際化」時代にあって 若年からそうした海外文化との交流の機会がより多くなってくる今日、歴史事実を認 識しておくことは重要な必要条件である。  また、かつて日本が多数の「慰安婦」を作り出し深刻な被害をアジアに与えたこと を、日本人がいかに記憶し、心にとどめるか、そして将来に向けて再び同じ事を起こ さないため、つまり再発防止のためにどうすべきかという課題は、歴史教育の本質的 目的の一つでもある。被害者は、再び地獄を見ない権利がある。そうできるか否かの 鍵の一つは教育にあるといってよい。  また、「自国の歴史に誇りと自信を持たせる歴史教育」というが、自国の都合の悪 い事実を歪曲・隠蔽する動きに、どうして「誇り」など持てようか。反省すべき、謝 罪すべきこと、補償すべきことをきちんとおこなって、それを自ら明らかにする歴史 教育こそ、そうした国や教育の姿勢に「希望」や「誇り」を持つことができるように なるのではないか。  「自虐的」とレッテルを貼ろうと、事実は事実である。今や慰安婦の事実、その強 制性は証明され、その認識は国際的にも共有されたものである。これに目をそむけ続 ける限り、「国際化」時代にあって世界の各地でさまざまな精力的なボランティア活 動や国際交流活動を行なっている青年・若者達の成果を全く水泡に帰すものにしてし まう危険すらあるのである。      =======================               中山 均             市民新党にいがた          〒950-21 新潟市真砂1-21-46       電話025-230-6368 FAX025-267-8602        e-mail:nnpp@ppp.bekkoame.or.jp      URL http://www.bekkoame.or.jp/~nnpp/      =======================


====================================== [aml]【必見】従軍慰安婦教科書問題討論資料(1) 目次に戻る (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#nnpp@ppp.bekkoame.or.jp (中山/市民新党にいがた) 文書名:[aml:2682] kengikai-iannfu2 Date: Thu Dec 19 00:57:53 1996  県議会での慰安婦問題について、新潟・岡山のほかに、鹿児島・長崎・茨城で同様 の動きがあるようです。  新潟ではとえりあえず見送りの方向ですが、2月県議会で再浮上します。  前回お知らせした、私たちが議会対策用に作成した資料を掲載します。このamlで おなじみの半月城さんにも目を通していただきましたが、「かなりよく推敲されてい て、論理展開が明瞭で説得力があ」ると評価いただきました。  前回でも書いたとおり、自民党を説得する、あるいはこちら側が協力を要請する「 革新系」に大義を確信してもらうためには、事実関係の厳正な分析と、政府・国連機 関などの公式見解などを動員して作成された資料が必要だと思い、作成しました。新 潟では議会内外でこれが重要な武器となりました。  慰安婦の方々の痛苦な証言だけでなく、日本に残された文書資料や国連資料などに よってでも、彼らの理論を切り崩すことができるのだということにも確信を持つべき です。  作成に当たり、半月城さん、戦争責任資料センターの上杉さんに御協力いただきま した。  主要には新潟への陳情に対する討論資料として作成されたものなので、他の地域で は不十分なものかもしれませんが、加工・加筆して今後活用できると思います。  とりあえずメールで掲載しますが、改行位置などが崩れる場合があります。Macで ワークスかNisusというワープロを御使用であれば、Eudraの「書類の添付」機能を使 ってテキストだけでなく書類ファイルとして送ることもできます。郵送も可能です( その際は実費カンパ願います。A4で8枚くらい)。  各地での活用を歓迎しますが、不特定多数MLへの転載やホームページなどへの利用 は原則として御遠慮下さい。向こうさんに早々手の内を見られるのはイヤですから。 −−−−−ここから−−−−− 「従軍慰安婦問題」に関する論争点をめぐる討論資料 ※この資料は、96年12月新潟県議会に提出された「中学校歴史教科書の訂正について の意見書提出に関する請願」について討論するために私たちが作成した資料で、12月 13日、議会内各党会派に配布した。再緑するにあたり若干の省略と加筆をおこなった。                         1996.12.      市民新党 にいがた 1.「従軍慰安婦問題」の事実関係と「強制性」に関する日本政府及び国際機関の見解 ■政府の見解  すでに従軍慰安婦の存在、当時の軍や政府の関与については自民党単独政権の時か ら既に公式に認めており、自民党の地方組織がこうした見地に異論を唱えるとは理解 しがたい。事実関係の発覚と政府見解の経緯は以下に示すとおりである。 ●92年1月11日、防衛庁所蔵資料の中から吉見・中央大教授が慰安婦関係資料を発見。 ●翌12日には当時の加藤紘一官房長官が日本軍の関与を正式に認め、13日には謝罪の 談話を発表。また訪韓した当時の宮沢喜一首相は17日、日韓首脳会談で公式に謝罪。 ●政府は慰安婦問題について調査を進め、その結果を同年7月6日発表した。報告書は 慰安所の設置や経営・監督、慰安所関係者への身分証明所の発給などの点で、軍隊の みならず「政府が直接関与」していたことを初めて公式に認めた。 ●この調査資料は防衛庁、外務、厚生省などから127件も集めらた。その公表資料は 次のような内容を含んでいる。 (1)軍占領地で「日本軍人が住民の女性を強姦するなどして反日感情が高まってい るため慰安施設を整備する必要がある」という内容の軍の指令。 (2)軍の威信を保持するため、慰安婦の募集にあたる人の人選を適切に行うよう求 める指令。 (3)慰安施設の築造、増強のために兵員の提供をもとめる命令。 (4)部隊ごとの慰安所の利用日時の指定、料金のほか、軍医の慰安婦に対する定期 的な性病検査を定めた「慰安所規定」 (5)慰安所解説のための渡航には、軍の証明書が必要とする指示。 ●同じ日、当時の加藤官房長官は記者会見で、韓国を始め中国、台湾、フィリピン出 身などの元慰安婦に対する日本政府としての謝罪の意を次のように表明。  「政府としては、国籍、出身地を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし がたい辛苦をなめられた方々に対し、改めて衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上 げたい。このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に たって、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係お よびその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。  この問題については、いろいろな方々の話を聞くにつけ、誠に心の痛む思いがする 。このような辛酸をなめられた方々に対し、われわれの気持ちをいかなる形で表すこ とができるのか、各方面の意見を聞きながら誠意を持って検討していきたい。」 ●日本政府は7月26日、ソウルで元慰安婦16人から聞き取り調査を始めた。そして報 告書で「慰安婦強制」を認め謝罪。報告書は宮沢内閣退陣の前日、すなわち92年8月4 日に発表。そのなかの「慰安婦の募集」の項では「斡旋業者らがあるいは甘言を弄し 、あるいは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが多く、さらに 官憲等が直接これに荷担する等のケースもみられた」と強制連行を明確に認めている のである。 ●さらに、この報告書に付け加える形で河野洋平官房長官が談話を発表し、慰安婦の 募集や移送、管理などが、甘言、弾圧によるなど「総じて本人たちの意志に反して行 われた」と述べて、募集だけでなく全般的に「強制」があったことを認めた。そして 「心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気 持ちを申し上げる」と、日本政府として改めて謝罪した。さらに「このような歴史の 真実を回避することなく、歴史の教訓として直視していきたい」と述べ、歴史教育な どを通じて「永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」と決意を表明した。 ●96年10月第1次橋本政権の見解  「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深 く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆ る従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒(いや)しがたい傷を負 われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。  我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが 国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴 史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と 尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。」  (1996.10. 「従軍慰安婦」への「おわび」の手紙、橋本首相) ●小杉隆現文部大臣の態度  現文部大臣の小杉隆氏は、就任時の記者会見で、来春から中学校の教科書に登場す る従軍慰安婦の記述について、アジア諸国に対する日本の侵略行為などを謝罪した昨 年八月の村山富市首相(当時)の談話に「全く賛成だ」とした上で「率直に事実は事 実として載せる教科書検定調査審議会の判断を支持する」と述べている。  また、同様の主旨で国会でも答弁しいている(96年11月)。  今回自民党が採択の方向で検討している「陳情」は、こうした日本政府及び自民党 の歴代幹部・党首などの公式見解、現内閣の文部大臣の姿勢にも真っ向から敵対する ものである。 ■国連による調査と見解・評価 ●国連はすでに92年に日本政府から「従軍慰安婦」に関する資料を入手して検討を始 め、国際法に関する論議なども人権委員会で論議してきた。同委員会は早くから慰安 婦の問題について関心を寄せ、日本政府が初めて公式に謝罪した翌月(92年8月)に は、差別小委(差別防止及び少数者保護小委)で特別報告官が「日本政府に資料提出 を求める」など本格的な調査を開始している。この委員会は、90年に予備報告、91年 と92年に中間報告、93年に最終報告をおこなった。その中で、特に従軍慰安婦などの ように国際的に違法だと認識されている人権侵害は個人に国家賠償を請求する権利が あり、加害国はこうした行為を行った責任者を処罰し被害者を救済する義務があると 結論づけている。  ※加害国の救済に関して言えば、アメリカは過去、戦時中に強制収容した日系人に 対し大統領が謝罪し、一人あたり2万ドルの謝罪金を支払ったのは記憶に新しいとこ ろである。 ●同人県委員会差別小委ではこの報告をさらに深めるために、旧日本軍による従軍慰 安婦・強制労働問題などの人権侵害を調査する「特別報告官」の設置を決めた。 ●こうした調査と討論の結果、日本軍の慰安所は国際法違反であるとするIFOR(国際 的な人権擁護組織)の提案が採択され、正式な国連文書として配布されている。つま りこの時点で、日本軍の慰安所は国際法違反であるという、国連の正式な認識がすで に成り立っているのである。 ※IFORの提案は、(1)従軍慰安婦問題は、時効による免責規定がない国際条約「強 制労働に関する条約」(日本の批准は1932年)などに明確に違反する。(2)日 本は批准後、条約の精神を具体化する法整備を怠っている。(3)過去にさかのぼっ て責任者の処罰をおこなうための立法化を進める義務がある。とする内容を含んでい る。ちなみに、近代法では「法の不可遡及」、すなわち法律成立以前の行為について は責任を問われないというのが原則である。しかし、にもかかわらず、責任者処罰は 先進諸国では国際的な流れになっている。過去の戦争犯罪者を裁けるように、ドイツ では79年に、カナダでは87年、オーストラリアでは88年、イギリスでは91年に国内法 の整備をし、時効を停止するなどして戦犯を裁いてきた。 ●クマラスワミ報告調査  この問題はその後「女性に対する暴力問題」特別報告官のクマラスワミ氏に引き継 がれた。クマラスワミ氏はスリランカの民族学研究国際センター所長としてアジア地 域の女性問題に取り組んできた女性法学者だが、94年4月に特別報告官に任命された。  クマラスワミ氏はこうした「国際的な認識」を基本に、各国政府やNGOから得た 資料を検討し、予備報告書を人権委員会に提出した。その予備報告書の中では慰安婦 問題を「犯罪」と認定する立場を明らかにした。なお、クマラスワミ氏は「国連調査 団」として同年7月に日本を訪問しているが、国連調査団が日本を訪れたのは旧国際 連盟が「満州国」問題で派遣したリットン調査団以来のできごとである。 こうして アジア各国での調査をもとに、96年3月、最終報告書が人権委に提出された。なおク マラスワミ報告が短期間の調査に基づく、信憑性のないものとする批判があるが、こ うした経緯からわかるように同報告はそれまでの数年間に及ぶ一連の人権委員会の調 査の成果を引き継ぎそれを深化させるものとなっていることに留意すべきである。  調査は日本政府からも資料の提出を受け、慰安婦からの聞き取り調査も行なわれた 。そしてまず調査団から見た日本政府の見解を、以下のように評している−「・・・ 日本政府が我々に渡した文書には、いわゆる『慰安婦』問題について道義的責任を受 諾する声明や呼びかけ文が含まれている。河野洋平官房長官による1993年8月4日付談 話は、慰安所の存在及び慰安所の設置・運営に旧日本軍が直接・間接に関与したこと 、及び募集が私人によってなされた場合でも、それは軍の要請を受けてなされたこと を受諾した。談話はさらに、多くの場合『慰安婦』は、その意思に反して集められた こと、及び慰安所における生活は『強制的な状況』の下での痛ましいものであったこ とを承認した」。また、こうした政府の見解や資料と慰安婦の証言との関係・符号性 についても、証言が「性奴隷制が軍司令部および政府の命令で組織的方法で日本帝国 軍隊により開設され厳重に統制されていたことを信じさせるに至った文書情報と符合 している」としてその信憑性を示している。  この報告では、第二次大戦中、旧日本軍が朝鮮半島出身者などに強制した従軍慰安 婦は「性奴隷」であると定義し、奴隷の移送は非人道的行為であり、さらに「慰安婦 の場合の女性や少女の誘拐、組織的強姦は、明らかに一般市民に対する人道に対する 罪にあたる」と断定した。  その上で、従軍慰安婦問題を現代にも通じる女性に対する暴力の問題とする観点か ら、次の六項目を日本政府へ「勧告」した。  (1)日本帝国陸軍が作った慰安所制度は国際法に違反する。日本政府はその法的責 任を認める。  (2)日本の性奴隷にされた被害者個々人に補償金を支払う。  (3)慰安所とそれに関連する活動について、すべての資料の公開をする。  (4)被害者の女性個々人に対して、公開の書面による謝罪をする。  (5)教育の場でこの問題の理解を深める。  (6)慰安婦の募集と慰安所の設置に当たった犯罪者の追及を可能な限り行う。  オランダを始めとする諸外国はこの報告書を高く評価したが、日本政府はこの報告 内容に抵抗した。しかし当初は膨大な反論資料を作成し各国に配布したものの、むし ろ反発を招き撤回した。この報告に対し日本政府は未だに「事実関係については留保 」という態度を示し個人補償などの必要性を認めていない。補償問題は今回の議論に はなっていないのでおいておくが、日本政府自身、この報告を「留意する(teke not e)」という決議に賛成していることを無視すべきでなく、なによりこれが国際的な公 式評価であることを忘れてはならない。  国連で安保理非常任理事国に選出された日本は特に国連機関の決議を尊重すべきで ある。なかんずく人権委員会は「国連精神」具現の一つの場として国連機関の中で特 に重要な存在である。我々は−特に公党や公の議会関係者は−その機関の決議や公式 見解を軽んじるべきではない。 [aml]【必見】従軍慰安婦教科書問題討論資料(2) 目次に戻る (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#nnpp@ppp.bekkoame.or.jp (中山/市民新党にいがた) 文書名:[aml:2682] kengikai-iannfu2 Date: Thu Dec 19 00:57:53 1996 2.「慰安婦問題はデマ」か?  慰安婦問題について、「強制ではなかった」とする主張ばかりでなく、驚くべきこ とに「そうした事実はなかった」あるいは慰安婦本人やこれに関わった人々の証言を 「デマ」とする主張まである。  そうした人々が論拠としているのは、当時山口県の労務報国会で動員部長をしてい た吉田清治さんの証言で、「1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行した」というものである。これ に対してある歴史学者がその吉田証言の舞台となった済州島に出向き、島民の証言か らそうした強制連行はなかった、とする調査報告がおこなわれた。「デマ」と主張す る人々はこの件を引き合いに出し、「慰安婦証言=デマ」とするほとんど唯一の根拠 としている。  しかしこの「なかった」とする調査を行った学者本人(秦・千葉大教授)が、数万 人に及ぶ慰安婦の存在自体は認めていることを無視するべきではない。調査について も、慰安婦の多くが名乗りたがらない、家族・親族・地域の人々もそれを隠そうとす る韓国の文化的風土を考えれば、島民の回答を言葉通り受けとめるわけにはいかない と考えられる(事実、現地を取材したテレビ局はそうした雰囲気を報道した)が、も ちろん島民の表向きの証言が符合しない以上、この吉田証言は歴史事実の冷静な検討 の際にはその材料からははずすべきで、国連クマラスワミ報告もこの証言については 反対意見を併記して引用するにとどめている。 ※なお、中央大・吉見教授らの調査では吉田証言には決定的な矛盾は見あたらなかっ たが、上記の理由により同教授はクマラスワミ報告の価値を防衛するため同証言の採 用をやめるよう要請している。吉見氏はその手紙の中で「吉田氏の本に依拠しなくて も、強制の事実は証明できる」と述べている。しかし、厳正な歴史的事実の検証材料 としての学問的価値としては100%ではないものの、当時の状況を示す当事者の証言 としては充分な価値があると多くの人が考えていることも付記しておく。  慰安婦問題を問題にしている人たちも事実関係の検討の材料として取り上げていな い証言だけをとらえて「デマ」とし、それをほとんど唯一の論拠として「まだ事実関 係が明らかでない」「事実と異なる」と主張するのは詐欺師のやり方である。  また、慰安婦の「証言」だけでは証拠にならない、とする主張もあるが、上であげ たようにさまざまな文書資料があり、また次項で述べるような軍参謀将校の日記まで もある。さらに「証言」の多くがこうした文書資料の内容と符合しており、「デマ」 とする主張こそ「本当のデマ」と言わなければならない。 3.「強制性」についてのさらなる検討 ■「中には望んで慰安婦になる者もいた?」 ●何事にも例外は無数にあるが、大まかこれら幾つかの要素を重ねて一つ一つの事例 を見ないと、木を見て森を見ないことになる。現在、繰り広げられているキャンペー ンの多くはそうした手法によるものである。部分的で強制にみえない事例を並べ、そ して最後に、「彼女たちは悲痛な顔付きをしていなかった」という「経験」まで駆り 出される。軍人がいつもいつも狂暴ではなかったように、彼女たちもいつも泣いて暮 らしているわけにはいかなかったのである。こうした問題を検証するためには、その 歴史的経緯をきちんと見る必要がある。 ●慰安婦集めの形態とその推移  現在知られている最初の軍慰安所は、海軍によって上海事変(1932.1)直後に設置さ れた。   1932年から敗戦の45年のあしかけ14年にわたって慰安婦が集められたわ けであるが、その集め方は、当然にもこうした戦線の拡大の時期によって状況が異な っている。初期には数は多くなく、1937年の「南京事件」を契機に急増した。この時 期、慰安婦集めはややもすると度が過ぎ、派遣軍が選定した業者が時には誘拐まがい の方法で募集を行ない、このような不祥事が続けば日本軍に対する日本国民の信頼が 崩れると恐れた陸軍省副官は「各派遣軍は徴集業務を統制し、業者の選定をしっかり おこない、業者と地元の警察・憲兵との連携を密接に行うよう行うよう」命じた(注 1)。  なおこの通牒は兵務局兵務課が立案し、梅津陸軍次官が決裁した。この通牒の最後 には「依命通牒す」とあり、杉山陸軍大臣の委任を受けて発行されたことが明記され ている。日本政府の認識を決定的に変えさせたこの資料は、「従軍慰安婦」の必要性 自体を暗示しており、この当時、陸軍省は「従軍慰安婦」の果たす「役割」を高く評 価しており、その認識にたち、慰安婦の意義を説く教育参考資料「支那事変の経験よ り観たる軍紀振作対策」も各部隊に配布している。その内容は、軍慰安所は軍人の志 気の振興、軍規の維持、略奪・強姦・放火・捕虜虐殺などの犯罪の予防、性病の予防 のために必要であると説いているものである(注2)。  41年に対米宣戦布告し本格的に太平洋戦争に突入すると、こうした慰安所も泥沼化 していった。戦線が拡大し「慰安婦」の需要が増すと、陸軍省は従来派遣軍にまかせ ていた軍慰安所の設置を自らも手がけ始めた。1942年9月3日の陸軍省課長会報で倉本 敬次郎恩賞課長は、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり」としてその結果を報 告した。それによると、設置された軍慰安所は、華北100、華中140、華南40、南方10 0、南海10、樺太10、計400ヶ所であった。  台湾軍が南方軍の求めにより「従軍慰安婦」50人を選定し、その渡航許可を陸軍大 臣に求めた公文書(注3)なども発見されている。この申請はもちろん許可され実行 にうつされた。 戦争末期になると兵士の数も増え、それにともない慰安婦集めも激しさを増し、 朝鮮では44年8月に「女子挺身勤労令」が出された。(注4)。  初期には余裕があり、中には望んで応募した者も当然いるだろう。事実、「慰安婦 」問題を調査する市民や研究者の呼び掛けで1992年末、「日本の戦後補償に関する国 際公聴会」が東京で開かれたとき、韓国からの研究報告は、26%が「奴隷狩り」であ り、68%が「だまされて」であったことを明らかにしている(戦争犠牲者を心に刻む 会編『アジアの声』第7集、東方出版)。台湾でもその数値に近く、さらに限られた 数だが「自発的に」というものもある。もし「強制」を狭く「連行」時の「暴力」に 限定するならば、問題のないケースも少なくないことになる。しかし、「従軍看護婦 」の名の下に募集された者であったり、たとえ自ら志願したものであっても、あるい は甘言にだまされていても、現地に到着し自分がいったい何をされるかが明確になっ た時点で、それを拒否して自由に帰国できる経済的・法的保障がなければ、そしてそ の後軍事的圧力下で性行為を強要されていたとすれば、それはたとえお金を得ていた としても「強制」以外のなにものでもない。こうして「自ら応募させ」て集めて慰安 婦とし、欺き、強制的に性行為に従事させることを「自発的に応じた」として切り捨 て、「強制の事実はない」などと強弁することは絶対にできない。 (注1)陸軍省副官通牒、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」   支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当り 、故らに軍部了解等の名義を利用し、為に軍の威信を傷つけ、且つ一般民の誤解を招 く虞あるもの、或は従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し社会問題を惹起する 虞あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し警 察当局に検挙取調を受くる者ある等、注意を要する者少なからざるに就ては 、将来 是等の募集に当たりては、関係地方の憲兵及警察当局との連繋を密にし、以て軍の威 信保持上、並に社会問題上、遺漏なき様配慮相成度、依命通牒す。 (注2)「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」  事変勃発以来の実情に徴するに、赫々たる武勲の反面に略奪、強姦、放火、俘虜惨 殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感 を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とするところなり。・・・犯罪 非行生起の状況を観察するに、戦闘行動直後に多発するを認む。・・・事変地におい ては特に環境を整理し、慰安施設に関し周到なる考慮を払い、殺伐なる感情及び劣情 を緩和抑制することに留意するを要す。・・  特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして、之が指導監督の 適否は、志気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に影響するに大ならざるを 思わざるべからず。 (注3)台電 第602号 陸密電第63号に関し、「ボルネオ」行き慰安土人50名、為し得る限り派遣方、 南方総軍より要求せるを以て、陸密電第623号に基き、憲兵調査選定せる左記経営 者3名渡航認可あり度、申請す。 (注4)内務大臣請議「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正の件」44.6.27 勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとし、一般労務募集に対しても忌避逃走し 、或は不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず、未婚女子の徴用は必至にして、中 には此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり、此等悪質なる流言と 相俟って、労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる。 [aml]【必見】従軍慰安婦教科書問題討論資料(3) 目次に戻る (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#nnpp@ppp.bekkoame.or.jp (中山/市民新党にいがた) 文書名:[aml:2682] kengikai-iannfu2 Date: Thu Dec 19 00:57:53 1996 ■「(純粋な)商行為」あるいは「公娼制」の延長か? ●日本軍関係者資料も「慰安婦を酷使した」と証明  中国で第10軍の参謀をしていた山崎少佐は1937年12月18日付けの日記で、「参謀 が指揮し慰安婦を憲兵が集め・・・慰安所は大繁盛で・・・慰安婦を酷使に至る・・ ・兵はおおむね満足」と述べている。強制性は明らかである。 ●「純粋の商行為」などでないことは、これらの強制の事実が何よりも具体的に物語 っている。強制を伴っている以上、そこで行われていることは強姦であり、強制猥褻 、監禁、強制、脅迫、略取・誘拐などの罪を併発させる。確かに慰安婦の多くは金に 相当する者を受け取っていたがそれは価値の危うい「軍票」であった(敗戦時にはた だの紙切れとなっている)。またそれとは別に兵士が直接払う場合も少なくなかった が、このような形でたとえ金銭が支払われたとしても、元来が自由な契約に基づいて 行われたものでないこと、また異境に無 一文で連れて来られている者にとって、金 銭を受け取ることはまず生きるためであり自力での帰還のためにも必要なのだから、 それを受け取ることは「純粋な商行為」など決して意味しない。 ●「 戦前の日本では、売春は公然と認められていた・・内地で売春が営業として行 われていたのと同じく、戦地でも売春業者が男性の集団である軍隊を相手に商売をし た。これは違法なことでも何でもなかった。よい・わるいの問題ではなく事実の問題 である。日本で売春が法的に禁止されたのは、戦後何年も経ってからのことだ。」と する主張がある。たしかに、戦前、売春は公然と行われていた。これが公娼制度と呼 ばれるものだ。しかし、そこにはいくつかの原則があったことが意外と知られていない。  一つは、許可を受けた特定の場所と特定の人にしかこれが許されなかったことだ。 つまり、誰でもどこでも自由に売春が公認されたというものでなく、貸座敷と呼ばれ る定められた屋内で、警察署が所持する娼妓名簿に登録されている女性だけに許され たのである(娼妓取締規則二、八条)。もしそれに違反すれば、拘留または科料に処 せられた(同一三条)。第二には、強制をともなう売春は、当然にも許されない建前 だったことである。したがって、強制売春を排除するために、当事者本人が自ら警察 署に出頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、また娼妓をやめたいと本人 が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得ず 」(同六条)とされていた。  これらの規定は、彼女たちの人権を擁護しようとする当時の活発な廃娼運動に押さ れて制定されたものであり、内務大臣は右の娼妓取締規則を公布する際、その目的の 一つが「娼妓を保護して体質に耐えざる苦行を為し、若しくは他人の虐待を受くるに 至らざらしむる」(1900年内務省令第四四号)ことにあるとしたことからも明白であ る。したがって、もし「慰安婦」とされた女性が、どこかの警察に出頭して娼妓名簿 に登録し、軍隊内にある「貸座敷」で売春していたというのであれば、それは公娼制 度の枠内の出来事であり、当時、少なくとも国内法では違法とは言えなかった。しか し、だまして連れてこられたような女性が娼妓の申請をするはずがないばかりか、軍 隊内に貸座敷があろうはずもない。貸座敷とは、「貸座敷、引手茶屋、娼妓取締規則 」によって警察の許可を受けた建物であり、あえてさらに付言すれば、他に「芸娼妓 口入業者取締規則」というものもあって、娼妓への紹介業者も取り締まられていたの である。だから、もしこれらの法令に基づいていない娼妓がいて、あるいは許可を得 ていない貸座敷や斡旋業者があれば、それらは公娼でなく私娼、貸座敷でなく私娼窟 であり、口入れ業者でなくヤミ・ブローカーなのであった。だとすれば、当時の日本 軍は、自ら私娼窟をその体内に持ち、そこで法的に私娼に位置づけられる人々を監禁 し、強姦したことになる。  こうした意味で、従軍慰安婦制度は、国内法に照らしても完全な違法状態であった のである。 ●さらに、「戦時下だからある程度のことは仕方がない」とする論調もある。しかし 、どんなに激しい企業間競争でも、それこそ生死をかけたような猛烈な活動でも一定 のルールがあるように、戦争でも一定の法や条約やルールがある。端的なものが捕虜 虐待を禁じた国際条約などである。  確かに戦争下ではこうした国際協約などをしばしば逸脱する行為がおこなわれるの も事実だ。しかしだからといってそうした行為が許されるかどうかは別である。日本 の従軍慰安婦制度は、こうした国際法や国際的ルールに照らしても完全な無法・違法 状態であって、許されざる行為がなされたことを無視するわけには行かない。いわゆ る従軍慰安婦問題は、以下のような国際条約や国際合意に違反していると考えられて いる。 A.婦女売買禁止条約(注1)  1938年、内務省は軍人相手の売春婦の渡航に関し各知事あてに重要な通達を出した 。「日本国内で売春目的の女性の募集・周旋の取締を適正に行われないと憂慮される 事態は、1)帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を損なう。2)銃後の国民、特に出征兵 士遺家族に悪い影響を与える。3)婦女売買に関する国際条約に反する。」などと警 告をだした。この2)の理由で「従軍慰安婦」は本格的に植民地出身者に切り替えた 。また、売春婦を21歳以上としたのは、未成年の場合たとえ本人の承諾があろうと売 春は国際法違反であったためである。  このように国際法を認識していながら、現実には朝鮮人・中国人の未成年者にまで 売春をさせていたわけだからこれは国際法違反である。しかし、これには「抜け道」 があった。1910年の条約は植民地などに必ずしも適用しなくてもよいとの規定があっ た。これは世界的に一部の植民地で行われていた持参金・花嫁料などの社会的風習( 朝鮮にはない)を容認するために作られたものであるが、日本政府はこの条項を悪用 し積極的に植民地出身者の女性を「従軍慰安婦」にしたのである。この点に関しては 国際法違反でないと強弁できるかも知れない。しかし、さすがに今の日本政府はこの 点を積極的に主張しない。条約本来の趣旨に反するし、また植民地出身者に対する明 白な民族差別をみずから告白することになるからである。 しかし、よしんば婦女売買条約が植民地に適用されないと強弁しても、植民地出 身の「従軍慰安婦」を船舶(日本の本土とみなされる)で連行したり、徴集の指令を 陸軍中央で行ったのは国際法違反とされるのは間違いない。 (注1)次の4条約で日本はa,b,cのみ加入  a.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際協定 1940年  b.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際条約 1910年  c.婦女および児童の売買禁止に関する国際条約   1921年  d.青年婦女子の売買の禁止に関する国際条約   1933年 B.強制労働に関するILO29号条約(1930)  まず、「従軍慰安婦」の強いられた行為が「労働」にあたるのかどうかであるが、 NGOの国際法律家協会(ICJ)は当初これを条約で言う「労務」とすることにつ いては慎重だった。しかし、労務とは「あらゆる労務およびサービス」をさすので、 最近は「従軍慰安婦」もやはりこの条約の検討対象と考えるのが大勢を占めるように なっている。  今年3月4日、国際労働機関(ILO)の条約勧告適用専門家委員会は1995年の一 年間に検討した問題の年次意見報告書を発表したが、その中で旧日本軍の『慰安所』 に監禁された女性たちへの大きな人権侵害や性的虐待にふれ、「こうした行為は、条 約に違反する性奴隷として特徴付けられる」との意見を表明している。 C.奴隷条約(1926)  奥野議員や板垣議員の思惑がどうであれ、クマラスワミ報告でも「従軍慰安婦」は 「性奴隷」であったと断定され「性奴隷」の認識は国際的に広がった。こうした認識 からすると「従軍慰安婦」は奴隷条約違反になる。  しかし、日本はこの時はまだこの条約に加入していなかった。こうした言い逃れに 対しICJは「20世紀初頭には慣習国際法が奴隷慣行を禁止していたこと、および すべての国が奴隷取引を禁止する義務を負っていたことは一般に受け入れられていた 」とし、奴隷条約違反であると主張している。当時単に条約に加入していないから形 式的に国際法違反ではないという主張は、少なくとも良識ある国なら言い出すべきで はない。 D.ハーグ陸戦法規(1907年)  この条約の付属書である「陸戦の法規慣例に関する規則」第46条は、占領地で「家 の名誉および権利、個人の生命、私有財産」の尊重を求めている。ICJは、この中 の家の名誉には「強姦による屈辱的な行為にさらされないという家族における女性の 権利」を含んでいるとしている。  ただし、この条約は全交戦国が加入しなければ適用されないという総加入条項があ るので直接には適用されません。しかし、ICJはこれも慣習国際法を反映したもの なので日本を拘束するものであるとしている。従って、総加入条項にかかわりなく、 女性は戦時において「強姦」や「強制的売淫」から保護されていると主張している。 E.人道に対する罪  人道に対する罪は戦後、ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例第5条で定められた。 この罪は戦前または戦時中の非人道的行為を裁くものである。日本政府は人権委員会 に提出した「非公式見解書」の中で、戦後生まれた法規で戦争中の犯罪は裁くのは伝 統的な国際法に反すると主張していた。  しかし、この「人道に関する罪」については「極東国際軍事裁判所条例」でも取り 入れられており、その裁判自体を日本政府は1951年の平和条約で承認しているので、 結果的に「法の不可遡及」を間接的に認めたことになる。したがって今日、日本がこ の「人道に対する罪」を過去に遡って適用できないと主張しても国際的には通用しない。  この事実に気がついたのか、日本政府はそれまでの主張を撤回している。 4.「慰安婦問題は教育上有害」か?  「『従軍慰安婦』をとりあげることは、そもそも教育的に意味のないことである。 人間の暗部を早熟的に暴いて見せても、とくに得るところはない」 (「論争・近現 代史教育の改革歴史教科書批判運動の提唱」『現代教育科学』96年9月号)とする論 調がある。たしかに、多くの教師は戸惑っているかもしれない。いったいどのように して「慰安婦」問題を子供たちに教えればよいか、特に中学生などに、どのように話 しかければよいのかという疑問は大きいだろう。 その戸惑いに乗じて「自虐的歴史 観を教えるべきではない」とする主張がされる。しかしよく考えてみるべきである。 性に強制があってはならないこと、セクシャル・ハラスメントを行わない・また行わ せないような、男と女の関係をつくりあげていくためにも、なるべく早くからこうし た問題の教育はおこなわれるべきである。「慰安婦」問題は、現在起こっている性暴 力や性的いやがらせなどとともに反面教師としなければならない歴史的素材を提供し ている。女性の、ひいては等しく人間の尊厳や人権を理解させるためにも、この問題 は教えられていく必要がある。何よりも「国際化」時代にあって若年からそうした海 外文化との交流の機会がより多くなってくる今日、歴史事実を認識しておくことは重 要な必要条件である。また教育には重要な課題がある。 かつて日本が多数の「慰安 婦」を作り出し深刻な被害をアジアに与えたことを、日本人がいかに記憶し、心にと どめるか、そして将来に向けて再び同じ 事を起こさないため、つまり再発防止のた めにどうすべきかという課題は、歴史教育の本質的目的の一つでもある。被害者は、 再び地獄を見ない権利がある。そうできるか否かの鍵の一つ は教育にあるといって よい。  「自虐的」とレッテルを貼ろうと、事実は事実である。今や慰安婦の事実、その強 制性は証明され、その観点は国際的にも共通の認識である。これに目をそむけ続ける 限り、「国際化」時代にあって世界の各地でさまざまな精力的なボランティア活動や 国際交流活動を行なっている青年・若者達の成果を全く水泡に帰すものにしてしまう 危険すらあるのである。      =======================               中山 均             市民新党にいがた          〒950-21 新潟市真砂1-21-46       電話025-230-6368 FAX025-267-8602        e-mail:nnpp@ppp.bekkoame.or.jp      URL http://www.bekkoame.or.jp/~nnpp/      ======================= [aml]教科諸問題>右派勢力の議会攻勢の分析 井上澄夫 目次に戻る (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#ogr@nsknet.or.jp (Toshimaru Ogura) 文書名:[aml:3337] Ianfu Chihougikai:Chukan Bunseki Date: Sat Feb 1 01:38:46 1997 井上澄夫さんから、下記のようなFAXが届きました。 ===================== 新しい中学社会科教科書から「従軍慰安婦」の記述などの削除を求める右派勢力の地 方議会攻勢についての中間的分析 1997.1.31 井上澄夫 各位 取り急ぎ連絡します。  昨年末まで右派の陳情が採択されたのは、97.1.7づけ『産経』によれば、岡山県議 会(趣旨採択)および9市町村議会です。その9議会について、私は4議会の政府宛意 見書を入手しました。(新潟県栃尾市、京都市加茂町、岡山県大原町・瀬戸町)。他 の5議会については、各方面に協力を要請しています。(未入手、青森県黒石市・金 木町・柏村、山形県南陽市、岡山県北房町)。さらに、右派から提出された陳情書に ついては、岡山県議会、新潟県議会(96年12月議会で継続審議)、新潟市議会(96年 12月議会で継続審議)、富山県高岡市議会(96年12月議会で継続審議)のものを入手 しました。それらに基づいて分析を試みると、以下のようになります。 1. 新潟県・市議会宛のもの(陳情者・県=「新潟県高等学校教育正常化推進会議、 市=「新潟子弟教育正常化推進会議)は、ほぼ同文で、(おそらく戦術として)教科 書のの記述そのものには深入りせず、力点を「学校教育法」第38条および文部省の「 教育図書検定基準」に反するということに置き、検定基準の項目中、1、2、3、4を詳 述して、文部大臣が「教科書図書検定規則」第13条の規定に基づいて教科書発行者に 記事の訂正の申請をするよう勧告することを要求している。  上記3文書は、いくらかの違いを含んでいるが、論理の構成と文言がほとんど同じ であり、同一文書からの引き写しであると推測できる。分析者は「日本を守る国民会 議」の全国縦断キャラバン(96.9.20から一ヶ月)にかかわる文書を入手していない が、同会議が全国の系列団体に陳情書のひな型を配付し、上記3文書はそれに基づい たものではないかと推測している。  (94年春から95年夏にかけて展開された同会議と「英霊にこたえる会」の全国キャ ラバンでは、「戦没者追悼感謝決議」推進のためらひな型(「戦没者に追悼と感謝の 意を表明し、恒久平和の建設を誓う決議」〔文案〕)が配付され、それを下敷きにし た陳情書が地方議会に提出されたことを想起すると、先述の推定は当たっているかも しれない) 2. 岡山県議会に提出された陳情書と同県大原町・瀬戸町議会が採択した政府宛意見 書は、1のものとは異なる。3文書はまったく同じではないが、力点は教科書の記述や 用語に対する「批判」を根拠に、記述の削除を要求している。これら3文書の下敷き は、明らかに昨年10月の『諸君!』に掲載された藤岡信勝東大教育学部教授〔自由主 義史観研究会代表〕のアジ文書「『従軍慰安婦』を中学生に教えるな!」である。岡 山県議会宛陳情書には藤岡のものとまったく同じ文言がある。 3. 京都府加茂町議会りの意見書は、2と同様削除を要求しているが、表現は恐ろし く粗雑である。これ、昨年12月20日〔岡山県議会が右派の陳情を趣旨採択した翌日〕 8対7の僅差で採択されたが、同議会共産党町議の話によれば、自民党町議が前日の「 岡山から思いつき」提出した。内容は「先人の築かれた過去の歴史を悪と決めつけ、 国民の誇りを傷付けようとする特定の『反日的』グループが日本の歴史教科書にいわ ゆる従軍慰安婦の虚構の記述は、文部省の教科書検定基準にも反するものである」( 文章になっていないが、原文のママ=引用者)「元慰安婦の記述の削除を強く求める 」というものである。 右派勢力の教科書攻撃は、新しい中学教科書の検定結果が公表された96年6月末頃か ら激しくなり、本格的な展開は同年9月からですが、上の1と2に見られる右派の要求 の差異は、問題とされた記述の「訂正」では生温い、「削除」すべきとする、運動の 激化・過熱ぶりを示すのかもしれません。しかし、これから始まる各地の2(〜3)月 議会にどのような陳情がなされるかについては、即断しないほうがいいと思います。 右派の地方議会対策は保守色の強い議会から着手し、これを受ける自民党議員は議会 の会派構成や自民党議員団の体質に応じて対応するのが常ですが、現在すでに水面下 で進められているであろう動きは予断を許しません。  日韓・日中間にいわゆる「領土問題」があり、教科書記述の「訂正」や削除が国際 問題に発展するのを恐れている日本政府は、今のところ右派勢力の要求に応じる姿勢 を見せていないため、右派勢力には一見焦りが昂じているように見えます。しかし、 右派の動きは、この国の政治状況全体の右傾化(教育現場との関連では日教組の「軟 化」=政府との妥協姿勢)につけこむ、長期戦略に立っていると見るべきで、今回の 教科書攻撃はその手始めにすぎないことを考えると、事態を甘くとらえるべきではな いと思います。  沖縄の基地機能は固定・強化され、「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」の見 直しもすでに進行しています。そしてこの「見直し」は「朝鮮半島有事」への対応を 核としています。そのような日本国家の戦争計画を円滑ならしめるための世論形成を 右派勢力が図っていると見ることも必要ではないかと私は思います。「記憶の暗殺者 」たちのこの動きは、ナチの焚書と同質のものであり、チマ・チョゴリ襲撃を喜ぶ《 草の根保守》がその基盤となっている現実を忘れるべきではないと思います。  私は資料の収集を含め調査を続けます。前出の資料はいつでも提供します。各地で 奮闘されているみなさんの資料提供も、どうかよろしくお願いします。ともにがんば りましょう。 井上澄夫 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ■藤岡信勝氏の近現代史授業「改造」批判   京都歴教協事務局 大八木賢治■ 目次に戻る   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   目次>   はじめに   1.藤岡氏は何を主張しているのか    −藤岡信勝講演「二十一世社会科の展望」から−   2.歴史観、歴史教育をめぐって−東京裁判史観という認識にかかわって−   3.日本の近現代史をどう構想するか−戦争学習を中心に−   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− はじめに 一昨年の93年l 0月の社会科教育学会以来、東京大学教育学部教授、藤岡信勝氏が「東 京裁判史「批判」を中心として「近現代史」の授業の改造を月刊誌「社会科教育」誌 上において主張している。藤岡氏は1970年代の学力論争で「徹底したマルクス主義の 立場を取り、学力を『計測可能』なものに限定すぺきとして注目を浴びた」人物で、 その後「授業作りネットワーク」を提唱し、教育科学研究会「授業づくり」部会の中 心人物である。そして今日の彼の授業作りの中心はデイペイトにあり、デイペイトこ そ社会科教育の中心に位置すぺきだという主張のように思われる。今回の「近現代」 の改造もデイベイトの手法で展開されている。 氏の今日の主張は氏の研究の歩みから見て「転向」「変節」といわれてのやむえない ものであり、谷川氏の「私がこだわりたいのは、研究者としての姿勢である。藤岡氏 の研究の軌跡を見ると、何が藤岡氏の研究の核であるのか、ますますわからなくな る。・・・そして考えというものは変わるだけの必然性がなければならないし、その 論理も明示されなければならない。」(1)という批判は当を得ている。また本人の 藤岡氏も谷川氏との討論の中で、転向したことを認めている。しかし、このような態 度ば研究者としての基本的責任を放棄してしたといわなければならない。 このような藤岡氏の主張する「近現代史」とばどのようなものか、さらに藤岡氏の歴 史認識も含め、その間題点を明らかにしていきたい。その中で歴史教育のあり方や意 義について深めるとともに、今日における近現代史教育の内容とあり方のついて深め てみたい。 l.藤岡信勝氏は何を主張しているか 一藤岡信勝講演「二十一世紀社会科の展望」から一 (1)「ifの歴史」という手法からでてくる歴史認識 デイベイトこそが新しいものの見方を作ることができる。「i f」によって新しい歴史 観が育つという。 ●「原爆投下」デイベイト 「歴史の因果関係をたどりながら、原爆投下というものについて政治的評価を決めな ければならない。特に肯定する側を持った子供たちは、まったく今まで考えてみな かった思考回路を使って自分で歴史を組み立てていくということをせまられた」(藤 岡) 賛成「原爆投下は人命の被害を少なくするためのものだった。」 反対「いやそうではない」 賛成「もし原爆が投下されなかったら、日本の幸福はもっと先にのぴていただろう。 ・・・・・で、もしあの時点で原爆が投下されなかったら、ソ連が日本に攻め込んで きただろう・・ソ連の軍隊は先頭に犯罪者の部隊をおいて、強姦など非行の限りを尽 くします。・・・もしソ連が日本に攻め込んできたら日本は原爆を投下されたよりも ある意味ではもっと悲惨な事態になっただろう」 このような中学生2年生のデイベイトを「ある文脈において成り立つ」として積極的に 評価する。これまでの日本の教師は一方的に原爆悲惨論を押しつけてきたとして、そ れに変わる「大変すばらしい」実践であると評価する。,岡氏は生徒の賛成討論に感 心をしているが、仮の立場として無理やり主張させられた中学生の歴史認,はゆがめ られないだろうか。賛成の意見として表明されている内容は、保守政治を主張してき た一定の政治的見解を代表するもので、目新しいものではない。逆にデイペイトのた めに無理やり一定の政治的見解を「自分のもの」のようにして発言させられるのであ る。中学生の発達段階を考えてみてもきわめて危険な実践と言わなければならない。 (2)「東京裁判史観」という規定から生まれる近現代史認識とその批判 「極東国際軍事裁判」は「日本の戦前の行為一1928年から1945年までですが一その 期間の日本の行為を断罪したわけです。そういう日本を断罪した歴史観を私たちは戦 後基本的に受容してきた」と主張する。そして氏がどのような戦後史を展開する か・・・ a「(その)憲法は、いわば日本が連合国に対して行ったわび証文、始末書のような性 格を持っていたと思います」 b「冷戦が始まっていたのでアメリカが日本に対し、軍備をもてるように憲法を変えて いいよと言ってきた」 C「(吉田首相は)“いや”日本はまだ食うことのほうが先なんだ”と言って、いわゆ る『軽武装プラス経済建設路線』を敷いた」 d「日本人はいつしか自国の防衛や安全保陣について自分で責任を持って考えるのでな くl00%アメリカに任せて、アメリカの核の傘に入ることを選んだ」 東京裁判史観によって「邪悪な国」であった日本は日本だけが戦争をしないようにす ることだ、そして日本は一国平和主義の中で安穏と暮らしてきた。「『日本こそ悪い のだ』ということによって、『日本さえ何もしなければ世界は平和だ』というストー リー」を椎持してきたという。 このような見解が特に新しいものでない。まさに90年の湾岸戦争以後憲法改悪をねら う自衛隊の海外派兵の実現を求める政治勢力の見解そのものである。しかしaからdの ような論理はどこから出てくるのだろうか?ここには日本国民がいつも歴史に状況に 流され、主体性なく生きてきた無責任な日本人という像が浮かび上がってくる。しか し一方でアメリカに許された憲法改悪の方針に従順に従わなかった日本人民衆の主体 性については藤岡氏はまったく目をつむるのである。逆にアメリカの勧めに素直に従 わず、東西対立の冷戦構造の中に自ら主体的に入っていかなかったとして非難してい るのである。氏の「歴史観」はいったいどのような立場に立ったものか、最低平和主 義を基本とする日本国憩法の立場ではない。 そして戦後の歴史教育の主流は「東京裁判史額」をペースに「講座派」の歴史家が唱 えた歴史観の枠内で、「明治以降の近代日本の歴史をもっぱらまっ黒けに描いてき た」(下)と主張する。その対局として「大東亜戦争史観」を二つ目の歴史観として 位置付け、これには反対のように言いながら「繰り返し、ああいう発言が出てくるの は(『東京裁判史観』をタテマエとして、『日本だけが悪い』というストーリーを守 ることで)その問題を日本人がまだオープンに討論せずに封印してきた、そのツケで ある」として「大東亜戦争・史観」を事実上擁護している。 そして藤岡氏は第一の「東京裁判史観」でも、第二の「大東亜史観」でもない第三の 歴史観として「自由主義史観」なるものを提起している。この「自由主義史観」なる ものがどのようなものか、それを代表するものとして司馬遼太郎の歴史小説の方法を 「司馬史観」としてとりあげている。その性格をB健全なナショナリズム、Aリアリ ズム、Bイデオロギー不信、◎官僚主義批判をあげ、「自由主義史観」と呼ぶにふさ わしい内実を持っていると主張する。そのポイントは明治期と昭和期をまったく違う 時代、異なる時代であって、明治期というのは日本を植民地化の危機から救い出し、 国民国家を成立させた希望に満ちた明るい時代であったという。しかし日露戦争の教 訓を正しく受け継がなかった一部軍人や政治家のために昭和期というのは狂ってし まったのだという歴史認識で近現代史を構成しようとしている。そしてそれを誤らせ たのは「戦路論」がなかったからとして、岡崎久彦の「戦略的思考」を持ち上げてい る。日本の近代の時代とは「(日本は)基本的にアングロ・サクソンにつくかロシア につくか迫られていた。」日露戦争のときは「祖国防衛戦争」として戦い、国際的に はアングロ・サクソンについたので勝利することができた。しかしアメリカの鉄道王 ハリマンが南満州鉄道の共同経営を提案したとき、資本の余力のない日本はそれを受 け入れたらよかったのに、アメリカに権益を譲り渡すからという小村寿太郎の反対で 結局だめになったという。これさえうまくいっていれば昭和期のような失敗をせずに すんだのだと展開する。さらに藤岡は自分の主張を強めるため、自由主義者の代表と して「東洋経済新報」の石橋湛山を持ち上げ、彼が展開した「植民地放棄論」を自分 の主張の中に位置付けようとしている。 藤岡の出してきた第三の歴史観の「自由主義史観」というのが何か新しい歴史認識で あるように見せかけるが、その内実は80年代に出てきた「戦略論」を認識の基礎にし て、戦略論による「近現代史像」と「司馬史観」による英雄主義を結びつけるもの で、何ら目新しいものではない。この「戦略論」というのは戦前の「地政学」に流れ を持つものであり、帝国主義の国際関係論そのものである。その認識の仕方は「国 家」の利益がすべての前提にあるもので、それにすべてを従属させるところに特徴が ある。また「地政学入門」(曽村保信著)では会話体で地政学を紹介しているが、そ の学問としての科学性について自らむつかしさを次のように認めている。A「・・独断 と偏見の固まりではないかと感じられる部分も、かなり多いと思われますが.・・」 B「その点は私も同感です。何しろ膨大なデーターを個人の考えで処理しようとする と、そこにどうしても先入見が入りやすい。・・いったんどこかでインプットする材 料を取り違えると結果はひどいことになってしまう・・。」しかも藤岡は「司馬史 観」による近代史の総括として次のようなことをいって何も恥じないのである。「日 本近代の歴史を見ますと、実は満州事変に始まる15年間だけが、非常に異常な時代で あって、その以前と以後とは、一以後いうのは戦後の時代ですが−、日本は国際的に 見てそんなに間違ったひどい行為をしていなかった。」(藤岡講演「2l世紀の社会科 の展望」明治、社会科教育別冊) 司馬遼太郎の歴史小説が伊藤らの明治期の元勲らの悩みという歴史の一面を映し出し ているとしても、また戦略論から15年戦争期において支配階級が選択を誤ったことを 浮かびあがらせたとしても、それは歴史の大きな展開の中での一面に遇ぎない。それ で歴史を叙述するということは歴史学、歴史教育を支配者の教訓話に追いやっていく もので、手のこんだ国史教育の焼き直しに過ぎない。その結果、第二に「自由主義史 観」では歴史の舞台に民衆は常に除外されており、民衆が歴史にどう主体的に働きか けどう成長していったのか、どのような課題を抱えていったのかという視点はまった く見られない。それは氏の「自由主義史観」なるものが支配者の学間であることを象 徴している。そして第三に必然的に日本のアジア侵略の視点がまったく抜け落ちてい るのである。たとえ15年戦争を侵略戦争であることを認めた(一部政治家や軍人の責 任)としても、その出発点が明治期の日清戦争にあり、そのアジアへの帝国主義的進 出の上に昭和期の15年戦争が連続していることを認めようとしない。しかしすでに虐 殺行為は日清戦争から始まっており、また日本のアジアヘの帝国主義的進出がすすむ につれて、意図的にアジア蔑視が学校教育などを通じて注ぎ込まれてきた。「満蒙生 命線」論がこうした帝国主義的侵略とアジア蔑視の中で作られてきたことは周知の車 実である。それが15年戦争につながってきたことはこれまでの歴史学が明らかにして いる。また石橋湛山のデーターを使い日本が、植民地経営に国庫の資金を注ぎ込み 「植民地をいかに本土並に扱い橋を作り、学校を建て、いわば『善政』を施してき た」とする大東亜戦争史観の言い分に「事実として」「正しい面もあることを実感す るに至たった」という。しかし石橋湛山は日本帝国の「善政」を証明したのではな く、「満蒙放棄論」の経済的側面を強調したのに過ぎないのである。。湛山はJSミ ルの植民地放棄論とその思想を早稲田の天野為之や三浦槻太郎から受けつぎ「大日本 主義」に反対し、「小日本主義」を主張してきた人物で、辛亥革命を一貫して支援し 中国の民族独立の展望を語ってきた。また、彼の「満蒙放棄論」ば単に「経済的」な 側面だけを言っているのではなく、「政治外交論」「人口・移民」「軍事」「国際間 係」も含め、「1910年代に一段と体系化された満蒙放棄論」として形成されたもの で、日本の植民地支配を根底から否定したものである。(3) しかも「帝国日本」の 軍国主義による民主主義圧殺が石橋湛山の「満蒙放棄論」を実現させなかった最大の 理由であることを忘れてはならない。このような石橋湛山の思想や見解を「自由主 義」であるからといって藤岡の「自由主義史観」とどこで結びつくのか不明である。 そして第四に、歴史の発展についての視点がまったく欠如しており、全体像をまった く示すことができないでいる。ある意味ではそれは必然である。それは15年戦争期だ けが「異常な時期であり」「その前後はそんなに間違ったことはしていない」という 歴史の見方から出てくるもので、自分の都合のよいと思われる意見や見解をつなげて いるに過ぎないからである。石橋湛山の例はその典型で、「『数量データー』から見 た日本近現代史」(4)の中に登場させるが、湛山の主張とまったく反対のことを「実 感」しても何とも思わないところに「自由主義史観」の無節操さを表している。 2.歴史観、歴史教育をめぐって一東京裁判史観という認譲にかかわって一 (1)東京裁判史観という歴史認識について  藤岡氏の「東京裁判史観批判」の中心的な柱は南京大虐殺についての教科書記 述と「南京大虐殺派」の研究者批判にある。そのボイントは、a.南京事件の犠牲 者(死者)の数が十数万人、二十万人、三十万人以上と、数字の主張者を示さず まちまちに記述していること。そしてb.これらの数は「日本を犯罪国家として断 罪した東京裁判の呪縛」を受けた教科書著者の中国側、もしくは東京裁判の結論 をあげている自主性のない態度を示している。B東京裁判二十万人説は日本を戦 争犯罪国家として政治的に断罪するために信憑性のない中国人の証言をうのみに してでき上かった白髪三千丈式の数を合算してでき上がった数字である。C南京 事件の死者の数についての教科書の扱いが不当だということが立証できれば、教 科書記述のもとにある「東京裁判史観」の問題性に迫ることができる。しかしこ れらの内容がいかに根拠のない主張であるかについては「アジアの中の日本軍」 (著者、笠原十九司)に詳しい。すでに明らかなように東京裁判にしても埋葬 隊、その他の団体の埋葬記録に基づいたものであり、日本の代表的な研究者の洞 富雄氏の「二十万人をくだらない中国軍民の犠牲者が生じた」(「決定版・南京 大虐殺」徳間書店)という結論にしても洞氏自身の埋葬記録を検討した結果に基 づいている。この事実だけでも藤岡氏の「東京裁判史観批判」は崩れ去ってしま うものである、しかし藤岡氏が一連の人物の文章を引用して「東京裁判史観批 判」の根拠を出してくる。さらにアジア太平洋戦争のみならず、近現代史全体に その認識を広げている。 ■富士信男(「私のみた東京裁判史観下」) 「東京裁判法廷が下した本判決の内容をすべて真実であるとなし、日本が行った 戦争は国際法、条約、協定など侵犯した侵略行為であって、過去における日本の 行為・行動はすべて犯罪的であり、『悪』であった、とする歴史観」である ■安藤仁(「東京裁判勝者の裁きマイテイア著」訳)「第二次世界大戦後のわが 国でば、いわゆる東京裁判史観なるものが幅を手I!かせている。これはある意味 で、東京裁判の検察側の主張や多数意見に範を取り、要するに戦前の、ひいては 明治以後の日本の歴史が、富国強兵と侵略のそれであったとして、これを全面的 に否定するとともに、その責任を一部の財閥や旧軍部に帰す発想である」 そしてこの安藤の主張をもとに、東京裁判が直接対象としてl928年からl945年の 間のみならずそれ以前の時期を含む、明治以後の日本の近現代史全体の評価に及 ぶものとして「東京裁判史観」なるものを定義づけている。その根拠として明治 維新の廃藩置県の評価を取り上げ、それが日本を欧米の植民地化から守った革命 的な事業であったにもかかわらず「東京裁判史観」に基づく教科書は「明治の変 革を日本民族が列強の圧力下にあって自前の近代国家を創出する生みの苦しみと してロマンと共感を持って描き出すという姿勢がまったく欠如している」(5)と いう。そして「そういう民族の歴史の大きな物語を欠いているがゆえに、教科書 は気の抜けたビールのような客観主義か職業的歴史家以外に関心のない個別抹消 の事象の羅列に陥るのである。」(6)とまで言い切っている。そして近現代史を 暗く描いてきたのが「マルクス主義歴史学」であり、これが東京裁判と結びつ き、日本人の「洗脳」作戦が国民的規模で展開されてきたと主張している。そし て近現代全体を暗黒に描き出す歴史像を「東京裁判史観」と勝手にけているので ある。 そもそも「東京裁判史観」というの言葉はl985年、当時の中曽根康弘首相が自民 党の研修会・軽井沢セミナーで述べた「『東京裁判史観』を克服する必要があ る、日本人のアイデンテイテイーを確立する必要がある」が最初であった。それ ば中曽根首相が「戦後政治総決算論」を唱え、首相としてめて靖国神社公式参拝 を行ったり、文部省通達という形で学校に「日の丸」掲揚や「君が代」斉唱の徹 底を指令を出すという、一連の右傾化のなかで登場してきたものである。しかし 藤岡がこれまでの右翼学者たちと異なる点は、全面的に近現代史そのものを書き 換え、教科書や授業そのものを根本的に変え、戦後の歴史学や歴史教育、民主教 育が創造してきた成果を根本的に覆そうというものである。 (2)戦後の歴史学や歴史教育の立場 藤岡の言い方では、戦後の歴史学や歴史教育はすべて「東京裁判史観」である。 戦後の歴史学や歴史教育、社会科教育、さらには教育のあり方の出発点が戦争へ の「反省」と平和の大切さ、さらにはその基礎となる民主主義の尊重を基本とす るものであった。いわば日本の過去について正しく認識することを基本とすると ころから出発したのである。(l947年「学習指導要領試案」)しかし藤岡は「青 年時代に、いかに間違ったことをした人間でも、どこかいいところがあるはずで す。その人格を全昔的に否定することばできない。」(8)とい、同様に「日本の 国の歴史についても同じことが言える」と主張する。そして藤岡にすれぱ「マル クス主義歴史学」が日本の近現代史を暗く描き、国家を全面否定し、ひいては人 格の全面否定をし、「東京裁判史観」として「日本人から国家意識を奪い、国家 への誇りをそぎ落とす『洗脳』工作」(9)の役割を担ったとするのである。その ことは南京事件の犠牲者の数の問題について教科書の扱いが不当であることを証 明することによって明らかにできるというのである。しかし同じことを主張して きたのが南京事件を幻とする人達である。彼らは侵略戦争の謝罪と反省を進める 世論