イスラエルの兵役拒否をめぐる現状
ここにあげた2つの記事は、やや古くなっています。
1月24日、53名のイスラエル予備役兵たちが「軍務拒否」の声明を発表した直後のものです。
この記事の記者は必ずしも、彼らに好意的であったり支持しているわけではありません。
しかし、イスラエル軍と兵役拒否をめぐる実情の一端を良く表しています。(2.11)
長引くインティファーダが良心的兵役拒否者たちに新しい力を与える
Gloval News Service of the Jewish People
兵役を拒否するイスラエル予備兵
Israel Insider

長引くインティファーダが良心的兵役拒否者たちに
新しい力を与える
アーロン・ライトナー(Aaron Lightner)
グローバル・ニュース・サービス・オブ・ザ・ジュエッシュ・ピープル紙
(ユダヤ人の世界ニュースサービス)


テルアビブ、1月15日―――
イスラエル人の集団がごつごつした岩の丘を赤い泥を靴に付けながらとぼとぼと登りながら、シュプレヒコールを始める。
「われわれは泣かない、われわれは撃たない。われわれは人殺しになることを拒否する」と彼らは叫ぶ。


イスラエルの予備役に反対するグループが
良心的兵役拒否者が拘留されている軍事刑務所の
前で抗議した。

50人余りのデモ参加者たちが、アトリットのそばにある第六軍事刑務所が見渡せる丘に到着していた。この刑務所には、良心的兵役拒否者たちが拘留されている。

「違法行為には服従しないことは兵士の義務です」、白髪の活動家ペレッツ・キッドロン(Peretz Kidron)は語る。「イスラエル兵が戦争犯罪を犯しながら『われわれはただ命令に従っているだけだ』と言うのなら、彼らはナチスがやったのと同じ言い逃れをしているのです。」

これらの良心的兵役拒否者たちは、しばしばrefuseniks(命令に従わない人の意)と呼ばれるのだが、増えつつあるヨルダン川西岸やガザ地区での予備役を拒否したり、イスラエル国防軍へのいっさいの徴兵を完全に拒否するイスラエル人の代表ともいえる。

良心的兵役拒否者団体・イエス・ガブル(Yesh Gvul)の指導者であるアイシャイ・メニュチン(Ishai Menuchin)予備軍少佐が拡声器(ハンドマイク)手に、険しい斜面に立っている。

「われわれは予備役にやっていこない2万人の兵士について話しているのです。2万人といえば、巨大な予備役兵予備軍と言えます。」とメニュチンは語る。「事実はこうです。神の見放したナブルス付近のバリケードを防護するために進んで自分の命を危険にさらそうと思う人は、ますます少なくなっているのです。」

イスラエル軍はメニュチンの数字は途方もなく誇張されていると言う。

「彼らの主張は、正直言って、でたらめだよ」とはイスラエル国防軍(IDF)のスポークスマンであるオリビア・レイビック(Olivier Ravich)中佐、「予備役の数を、彼らの言うように操作することなんてだれでもできるのさ」。

ともかく、思想的な理由で兵役を忌避しているのは忌避者全体の一部にすぎない。その〔兵役忌避の〕傾向はインティファーダよりもずっと前からあったもので、オスロ合意が署名されたときに平和は間近まで来たという一部の人達の気分を反映している。

1990年代にイスラエル社会の中産階級社会化が進むにつれて、多くのイスラエル人は予備役に行くことより、海外を旅行したり、金儲けになるインターネットのベンチャー企業に参加することに時間をかけることを好むようになった。

イスラエル国防軍は良心的兵役拒否者の数を明かそうとしない。しかし、パレスチナ人の反乱を目下の脅威とますます考えるようになってきている多くの住民の中では、彼らは例外にすぎないという。

軍の志気は、これまで通り高い状態のままであると強調する。「事実、ここ数年、戦闘部隊に志願する召集兵と予備役の古参兵の数は増えている」と、レイビックは言う。

それでも、インティファーダの混乱がイエス・ガブルのようなグループに対して新たな目的を植え付ける。

イエス・ガブルの名前は―――これは「限度がある」と「境界がある」という両方を意味するヘブライ語の文句であるが―――は、グループの出発点である1982年のレバノン侵攻を反映している。この戦争は一部のイスラエル人が必要な戦争というよりも、選択出来る戦争だと見なした最初の戦争である。

ここ数ヶ月の間、組織の電話は鳴り続けている、とメニュチンは言う。2000年の9月にインティファーダが始まってから彼の組織は400人以上の予備役忌避を支援した。その中には現在も第六刑務所に拘留されている36人も含まれている。

ほとんどのイスラエル人には、予備役を自由に拒否する方法が数え切れないくらいある。―――例えば、海外旅行に出かけたり、医者の証明書を手に入れる。もしくは身体評価を格下げするために自分の体を傷つけることまである。ただ思想的な理由で拒否することを明確にする人々だけが、投獄の可能性に直面するのである。

拘留期間は予備役の期間とほぼ同じくらい(一般的に、14日〜26日)であるし、兵役拒否者が釈放されるときに職場などで思わしくない結果で苦しむことはめったにない。

「徴集兵だったときは、私はタポーチ(Tapuach)地区〔ガザ地区でナブルス(Nablus)の近く〕にいて、郷里で自分が属していた砲兵隊の話をしたりして楽しんでいました。」とイシャイ・サギ(Ishai Sagi)少尉(27)は語る。「しかし私がタポーチ地区に少年ではなく男の成人として送り戻された時、自分がそこでやらなければならない恐ろしいことを認識させられたのです。私は部隊長に言いました。私が強制された命令を兵たちに下すことはしたくないし、これっきりで私は従軍を止めたい」、と。

それから6ヶ月たたないうちに、サギはタポーチに戻れという命令を受け取った。拒否すると、彼は第六刑務所に26日間、拘留された。

イェディオット・アクロノット(Yediot Achronot)紙の最近の世論調査によれば、近年、予備役は誰もが望まないものになってしまい、41%ものイスラエル人が予備役に就くのは"だまされやすい人間"だけだと思っているような状況である。マ・アリブ(Ma´ariv)日報の報道によれば、全体で約25万人の潜在的な予備兵のうち、26日間の完全な予備役を果たすのはたったの1万3000人にすぎない。

イスラエル軍は9月に新しい二つの旅団の設立を発表し、期間延長で召集兵を雇って、予備役制度に対する影響が小さくなるようにした。

軍にとっては、予備役のジレンマは思想的というより予算に関係するものである。多くの予備兵は軍人としての経歴や家族を持て、軍に対して、若い召集兵よりも多くものを要求するのである。

軍は予備兵に対して彼らが民間部門で受け取るのとおよそ同じだけの給料を支払う。さらに予備役が作戦中に戦死すると、予備軍の士官や彼らの部隊は組織的に団結して、割り増しされた手当を要求した。

もし割り増し手当や、より高い報酬とよりよい勤務時間条件を提供しなければ、軍は予備役たちに対して、君達は招集に応じた「かも」ではない、と説得するという仕事に悩ませられ続けることになる。と、、予備兵支援団体バルタム(Baltam)のスポークスマンであるツィビッカ・ヴェシュレー(Tzvika Weshler)は語っている。

軍はバルタムの以下のような要求に直面している。26日間以上従軍した予備兵に対する特別手当のために1700万ドルを積み立てておくこと、予備兵が訓練を行う基地の補修・整備そして勤務時間をより柔軟にすること、などである。

イスラエル国防軍の作戦計画部門の前代表者で、現在テルアビブ大学の戦略研究のためのジェフィーセンターの研究員をつとめる予備役の旅団長のシュロモ・ブロム(Shlomo Brom)は言う。
長期的には、イスラエル国防軍は予備役に依存しないように再構築される必要があるだろう。

「短期的には、しかしながら、ほとんど変化は見込めない。インティファーダのためにイスラエル国防軍がこれまでの5倍の予備兵の部隊を使用している時に従軍しようという予備兵の数は減るだろう。」とブロム氏は語る。

それでもイエス・ガブルはイスラエル国防軍法規(the IDF´s code)の中にある不法な命令には従わなくても良いという条項をバス停や駅で兵士たちに知らせている。

その法律は1956年のカフル・カッセム(Kafr Qassem)大虐殺事件の真相究明のための調査委員会の判断に由来する。この事件では、兵士たちがシナイ戦争の初期に布かれていた夜間外出禁止令に気が付かなかった49人のアラブ市民を虐殺した。最終的に裁判長は不法な命令に従うことは犯罪であるという判決を下した。

平和活動家のキドロン氏によれば、それ以来、軍は兵役拒否者(refusenik)を軍法会議にかける事はなくなった、とは言った。

もし軍法会議にかけるということになると、その裁判はイスラエル国防軍の法律について、イスラエル国防軍の規律はイスラエルの署名したすべての国際協定を組み入れているという主張も含めて、容易でない疑問を提起することになるだろう。

イエス・ガブルのメンバーは軍を支持しているという―――ただし、防衛的な軍としてのみのことであるが。

「パレスチナ人たちを抑え付けておけば私たちは守られるというのは、神話です。 しかし、それはさらなる暴力への引き金であり、私たちに安全を与えることはできないのです」キドロン氏は言っている。


兵役を拒否するイスラエル予備役兵
ローリー・コパンス(LAURIE COPANS)
Isral Insider(イスラエル・インサイダー)紙2002.1.28付

エルサレム(AP)―52名(訳者注:53名の間違い)のイスラエル予備兵が,西岸とガザ地区での軍事行動はイスラエルの安全とは全く関係が無く,パレスチナを支配するためのものであるとし,同地区での戦闘にはもはや参加しないつもりであると金曜日に述べた。

イスラエルの新聞の広告では,兵士たち(少佐の地位にある者も含む)は,イスラエルの厳格な往来の禁止、は多くのパレスチナ人を自分たちのコミュニティに閉じ込め,必要も無くパレスチナ人をひどい目に合わせていると語っている。一方、イスラエルは,封鎖は,パレスチナの兵士による攻撃を防ぐために必要であると言っているのである。

「われわれは(ユダヤ人の)西岸とガザ地区にある入植地の平和のための戦争を続けるつもりはないことを宣言する。われわれはグリーン・ラインのもう一方の側で,パレスチナ人全体を支配し,排斥し,餓死させ,いやしめるという意図を持って戦いを継続するつもりはない」と同広告は主張する。

グリーンラインは,1967年の中東戦争でイスラエルが占領した領域からイスラエルを分割した線である。

軍隊の命令が「平和とは関係が無く,永遠にパレスチナの人々を支配したいという意図だけ」であることが明確になったために,兵士たちは,パレスチナ地域での任務を中止することを決定したと書いたのである。

このような兵士による軍隊についての公の批判は,イスラエルでは比較的まれであるが,ここ数年,1982年のレバノン侵攻と87〜93年のイスラエルに対する最初のパレスチナ反乱の時などは,兵役を拒否する兵士団も出てきている。

金曜日の予備役兵士の声明は,2000年9月の暴動以来、初めて大兵士団がパレスチナ地域での兵役を拒否すると表明したものである

イスラエルの男性は,3年間強制的に兵役を課せられ,40歳まで毎年およそ1ヶ月間予備役任務を行わなければならない。

イスラエルテレビのチャンネル2は,金曜日に次のように報告した。この兵役拒否グループに参加した何人かの兵士たちは,理由も無くパレスチナ人をいやしめるように命令されたと言った。あるケースでは,イスラエル兵士たちはパレスチナ人の家や温室を破壊するように命令された。イスラエルを攻撃する途中で,パレスチナの兵隊がそばを通過したということだけを理由としてである。

「今からあと10〜15年後に,人々は過去を振り返り,頭を抱え,『われわれは何をしたのか?』と言うだろう」とノーム・リヴンは,自分がパレスチナ地域で兵役を拒否した理由を説明しながら述べた。

軍隊は,チャンネル2によれば、「判断を下すときには,作戦上の考慮と倫理的な考慮を秤にかけた」と答えている。

イスラエル国家評議会の議長であるMaj. Gen. Uzi Dayanは,兵役を拒否するグループが出来たということに重大な関心を持っていると述べた。

テレビでDayanは「兵役拒否グループには困っています。われわれは,こういった議論を認めなければならない。だが,私は兵役拒否という現れ方であってはならないでしょう」と語った。