マスコミ,政治家や戦争屋が、終戦ムードを煽り,
米国が勝利したかのように主張した。

しかし日曜日に威勢よく集まった100,000人は、
明らかにそうではないと思っていたのだ。

ロンドンで戦争反対の10万人のデモ!
人々は6時間にもわたってへとへとになりながらデモ行進をした後に
バスに乗り込んだのだった。

力強いこうした行動が人々の間にそれまでには見られなかったような
絆、結びつきを生み出した

何か違いが生み出されて行くだろう。靴は少々減ったかもしれないが、
減っただけのことはあったのだ。

  誰もが,先月の集会よりももっと大きく,良く,力強い反戦集会を期待した。そして事実それはより大きく,より良く,より力強い集会だった。マスコミ,政治家や戦争を煽る人々が、戦争が終わり,米国が勝利したと主張しようとしたにも関わらず,日曜日に威勢よく集まった100,000人は,明らかにそうではないと思っていたのだ。

 また,戦争が終結しているということを信じることによって,集会への参加を思いとどまる者は誰もいなかった。もし実際に戦争が終わったのなら,北部同盟は米国の前進に反対しないだろうし、BBCなどのマスコミが「新しい」米の資金援助を受けた北部同盟の司令官たちに属する占領地域に入ることを禁じることもないはずである。ジャーナリストたちが死ぬこともないはずである。

 10月13日の集会参加人数と比較して2倍もの参加者が参加した大規模な集会をもっと多くの抗議者達に積極的に支持しようとさせたのは、一つには北部同盟にはアフガニスタンを引き継がせてはならないという 願望だったのである。






 ハイドパークに集まった信じられないほどの人波は,先月行われた整然とした行進のように行うのは非常に困難だろうということを意味した。それどころか,行進が動き始める直前でも旗を振ったり,スローガンを叫ぶグループや個人が,公園を埋め尽くした。

 戦争について自分の意見を言うためにハイドパークに設けられた発言コーナーにも,多くの支持者が加わった。1人の男性とスピーカによって率いられた巨大な緑の横断幕を持ったニューハムからのイスラム教徒のグループは,すぐにマスコミや反戦支持者,見物人に囲まれながら,北部同盟を野蛮であるとして非難し,アフガニスタン,パキスタンおよびイラクでの米国の政策に関し次ぎから次ぎへと馬鹿げた声明を明らかにしている米国政府の非効率を暴露した。

 これに対し、発言コーナーでなら当たり前である反論をあえてしようとする人は誰もいなかった。






 ドラムが鳴り始めるとともに,行進が動き始めていた。イスラム教徒たちは正午の祈りを終え,行進に参加した。社会主義者,緑の党メンバー,戦争に反対するヘルスワーカー,反グローバリズム・メンバー,に加えて横断幕やプラカード、さらには多くの様々な写真、操り人形や巨大な紙張子をを掲げた人々すべてが行進に参加した。

 言うまでもなく,竹馬にのった十数人の男女,曲芸師,仮装した人々や,地方のサーカスから脱け出てきたような格好の人たちもいた。まもなく,それぞれが叫んだり,踊ったりしている集団がトラファルガー広場へ向かって行進した。

 共産党のニック・ライトは,色々な職業のいろいろな人達が「強大な精神」をこの集会にもたらしたと私たちに語った。一方で,ストップ・ザ・ウォー連合のアンドリュー・マレーは,「多様性はストップ・ザ・ウォー連合の強さの1つである」と強調した。





行進は時折とても速度が遅くなり、警察にとっては集会(警察が本部に最終的な報告をする時には,50-70,000の人数を20,000とみなしたり,100,000が突然15-50,000になったりと人数を数えるのが一般的にはあまり得意なわけではない。)に参加している人数を把握するのが困難であったが。

 しかし,デモの速度が再び、上がると,デモ行進する人間は喜びの声を挙げそれに対して他の人々が「アラー-u-アクバル」,「神は偉大だ」と叫んだ。通りから離れていた人達の多くが,デモや抗議を行っている人たちに加わり、時折立ち止まって、行進に参加している芸人達のパフォーマンスを見ていた。

 人々がロンドンの「ニューヨーク」スタイルの広告ライトを通過して,トラファルガー広場に入ろうとする頃には,集会は,出す音も最高に大きくなりかつ最大の盛り上がりを見せた。参加者の少なさ、悪天候,モラルの低さなどが懸念されたが,人々が長いデモを経て集会の最後を締めくくるトラファルガー広場へ向かっていく頃には、そうした懸念は、いつのまにか消えてしまっていた。






 トラファルガー広場が,集会参加者のごく一部の人間だけで埋め尽くされてしまうという状態の中で人々は歓呼の声をあげた。

 そして今度はネルソン提督の円柱のメイン・プラットフォームの上に飛び乗る人々の数は,制限されたが、それにも関わらず,すべての組織やグループの人々が,国際的に賞賛されているジャーナリスト,政治家や平和運動家に加えてそこに立つことになった。

 スピーチは次々と行われた。また,平和と人々との調和に関するコーランからの2つの極めて興味をそそる一節が書かれた2つの大きな垂幕が舞台の正面の両側にあり,それはとても美しい光景だった。

 その垂幕は,ラマダンを良くアピールするものであったし、またストップ・ザ・ウォー同盟に対する英国のイスラム教徒による貢献を示すものでもあった。

 これはまた,イスラム教の議会のシディキ博士,イスラム教徒のジャーナリストであるタリク・アリ,外傷心理療法医サルマ・ヤコブ,バーミンガムのストップ・ザ・ウォーの議長(バーミンガムからは,市の同盟を代表する支援者で溢れた40を越えるバスが来ていた),アムネスティ・インターナショナルのアサド・レマンやその他数多くの人々によって行われた演説の中にもよく現れていた。






 多数のゲストが登場し、その多くがストップ・ザ・ウオー同盟の活動努力に触れていた。国会議員のジョージ・ガロウエイ氏は自分が1時間もしゃべり続けてもトラファルガー広場にどんどん参加者が入ってきて、ところ構わず人ごみの中に押し入ってくるのを見て喜んでいた。

 同氏がアフガニスタン人がラマダンの初日を米・英の空爆の中でどう過ごしたかを語ると、いっせいに野次や嫌悪をあらわす声があがった。

 タリバンによってスパイ容疑で拘留され、後に無罪釈放されたイボンヌ・リドリーさんは参加者に向かって、10日間タリバンと一緒に過ごしてみて、いかに西側諸国のメディアがタリバンを悪者扱いしているかがよくわかったと強調した。

 またイボンヌさんは米の攻撃にいかに嫌悪感を覚えたか、そして米軍がタリバンとなんら軍事的な関わりを持たない村を破壊した際、多くの子供達を殺害したことにいかにショックを受けたかを語った。

 ストップ・ザ・ウオー同盟のリンゼイ・ジャーマン氏はイボンヌさんについて「数週間前は自分自身でもそれほど運動にコミットしていないと思っていたイボンヌさんのような人にアフガニスタンで起きた事実が今何が起こっているのかを意識させるようになった」と語った。






 タリク・アリ氏は政治による文明の崩壊とイスラム教への無視について語った。アリ氏がトラファルガー広場はスペインのイスラム教の街タリフ・アル・ガーにちなんで名づけられたと言うと参加者は大喜びした。

 他にも多くの演説が行われたが、なんと言っても大きな喝采を浴びたのは国際的にも有名なジャーナリストのジョン・ピルガー氏であった。かつてこんなにも賞賛を受けたことはないと、同氏は感謝していた。また,同氏はこの大集会を支持すると訴え、ロンドンではベトナム戦争以来の規模の集会になったと訴えた。

  ピルガー氏はジャーナリストとして初めて、今回のアフガニスタンでの戦争に反対する記事を書いたのである。 "欺瞞に満ちた戦争"という見出しの彼にとっては15年ぶりのミラー紙掲載の記事であった。






 日没が近づくにつれ、イスラム教徒は断食をやめ、連帯の意志を示すため一緒に断食に加わっていた非イスラム教徒とともになつめやしとパンを食べ始める。サルマ・ヤコブ氏はこの連帯行動を"とても感動的な行動"と表現している。

 美しい旋律の祈りの呼びかけが大型の拡声器を通して遠くまで浪々としかもはっきりと響きわたると、あたりは完全な静寂につつまれるのであった。その後多くの人が祈りの呼びかけに賛辞を送り、それがさらにはアフガニスタンにおける戦争の犠牲者に対する黙祷となった。

 夜を徹して演説は続きバーミンガムから来ていた人達がロンドンを出発したのは午後の5時になっていた。バーミンガムの人達は誰もが旗を残していき、喉に痛みを感じ、丸一日断食をやった後で飲み食いし、他の参加者たちと抗議、デモ行進を6時間にもわたってへとへとになりながらやった後にバスに乗り込んだのだった。

 疲れるが、力強いこうした行動が人々の間にそれまでには見られなかったような絆、結びつきを生み出した。参加者は何か違ったものが生み出せるという希望を抱いて自分のすべてをこの行動に捧げたのである。

 メディアは過小評価的な扱いをする可能性があるがこの行動は今後も続くであろうし、インシャラー(アラーの思し召しであるなら)何か違いが生み出されて行くだろう。靴は少々減ったかもしれないが、減っただけのことはあったのだ。

Islamic network Sunday 18th November 2001