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沖縄の友の言葉  「ストップ!オスプレイ!」
 
  五月、復帰四〇年を迎えた沖縄では沖縄各地から普天間基地へ向かう平和行進や県民大会などさまざまな行動が行われ私も参加した。これらの場や辺野古のテントなどで語られた言葉を伝えたい。

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 俺は本当に怒ってるのさ。

 MVオスプレイのことだよ。沖縄ではずっと配備に反対し続けてきたんだ。でも政府は米軍から正式に聞いてないと言って逃げてきた。米軍は一〇年以上前から二〇一二年秋に配備するって発表してるのにだよ。去年「正式な伝達」があったといって押し付けてきた。

 もちろん全県一致して猛反発だ。このままでは難しいと思ったのか、岩国などに先行駐機させるという小細工案を出してきた。本土で安全性を証明してみせるんだってさ。米軍の報告書にまで「未亡人製造機」と呼ばれた欠陥機だ。四月にモロッコで起きた事故も原因不明のままなんだよ。そんなもの振り分けられたところは当然反対さ。各地から突き上げられて、舌の根も乾かないうちにやっぱり沖縄へ直接配備と戻したのは知ってるだろ。しかも三か月も早めてさ。

大きなガジュマルの木の下で行われた
「普天間閉鎖!ストップ!オスプレイ」集会-5月15日普天間第一ゲート前


 試験飛行でさえ危険だと本土から総スカンを食らったものを、街のど真ん中の普天間基地に常駐させようっていうんだ。沖縄の声は無視なのに、ヤマトの声はすぐ聞いたんだ。県民の九割が反対しても、保守派の知事も市長も反対してもだよ。沖縄はやっぱり差別されてると県民みんなが痛感したわけさ。

 あいつらは犠牲者が出ないとわからない。第二の宮森小の悲劇(注)が起こらないと動かないんだ。そのあと琉球独立運動が盛んにでもなればちょっとは深刻さに気付くだろうか。

 オスプレイは七月に那覇軍港へ運ばれてそこで組み立てられ、試験飛行をやってから普天間へ配備するんだって。那覇市の上空も飛ぶんだぜ。

 陸揚げさせちゃいけない。シュプレヒコールだけでは陸揚げは止められない。体を張るしかないんだ。辺野古も高江もそうやって何とか止めてきたんだ。「年金生活者が普天間第一ゲートを占拠しよう」って案もある。いろいろ考えてるのさ。

 米軍の直接統治の頃、俺たちウチナーンチュは人権なんかなかった。米軍の思いのままさ。平和憲法のある日本に復帰すれば基地も減って安全な暮らしができると信じて一生懸命復帰運動をやったのに、政府が交渉を始めたら「復帰」の中身がどんどん変わってしまった。四〇年前の五月一五日与儀公園で開かれた復帰抗議県民大会は土砂降りの雨のなか一万人が集まった。俺は悔し涙が止まらなかった。俺たちの求めていたのはこんなものじゃなかったのに。

 本土の米軍基地は復帰前後に三分の一に減ったのに沖縄はそのまま、本土の機能まで引き受けて負担がふえるばっかりさ。米軍が一番なのは同じで、そのうえヤマトンチュが上の顔色見ながら無理難題を押し付けてくる。いやいや、あんたたちは別さ。俺たちと一緒に闘ってくれる仲間だ。だけど本土のほとんどの連中は沖縄のことをどう思っているのかね。

 まず、オスプレイさ。絶対止めなくちゃ。あぁ、待ってるよ、がんばろう!


(注)宮森小学校米軍機墜落事件  一九五九年六月石川市(現うるま市)住宅地に米軍機が墜落炎上し宮森小学校児童と住人一七名が死亡 重軽症者二一〇名、校舎民家など多数が焼失した。
Y.A