集会報告

米軍住宅は本当に必要なのか? 
「池子米軍住宅増設に反対する1・29市民集会」報告


 
 1月29日(土)横浜で「池子米軍住宅増設に反対する1・29市民集会」(戦争反対・平和の白いリボン神奈川、すべての基地にNOを・ファイトかながわ共催)が、昨年9月の小学校建設工事強行と12月の逗子市長選の結果をふまえて行われた。

 まずDVDで池子・横須賀の状況が紹介された。住宅が不足しているから池子に増設すると言われていたが、現在池子の住宅854戸3300人分に対し住んでいるのは2258人に過ぎず約200戸が空いているという。(昨年7月 南関東防衛局資料)しかも米軍は民間業者と契約し横須賀基地周辺に米軍住宅を次々建設、その数は現在500戸を超えている。ただしこの住宅のうち高層のものは入居率が大変悪いようだ。小学校のすぐ近くに米軍専用マンションが建てられていく風景に不安がふくらんだ。

 続いて3人から報告があった。


 沢さん(元逗子市長)からは80年代からの緑を守る闘いとその結果交わされた三者合意(注1)の意義、これを踏みにじった国と中田横浜市長(当時)の理不尽さと平井逗子市長の態度の変化、今回の選挙の分析などが話された。

 前回の闘いを知っている市民は地元を二分することに疲れ、その後移り住んだ人びとは争点が分からずにこれまでで二番目に低い投票率となって平井氏が再選された。平井市長は米軍の小学校建設を許可しておきながら基地の全面返還を求める懸垂幕を市役所に掲げたままだったのだ。

 人選の遅れと争点を浸透させられなかったために選挙は残念な結果に終わったが、建設反対の行動は今後も続けていくとの表明がされた。(増設に反対する市民が毎週金曜日に正門前で抗議行動を行っている)


 遺棄毒ガス問題を中心に研究している北さんからは池子の汚染についての話があった。

 日本海軍の火薬庫・弾薬庫だった池子には相模海軍工廠(注2)から毒ガス兵器が運びこまれ、またここで毒ガスを兵器に充填する作業も行われていた。戦後これらの兵器や毒ガスの一部は米軍に接収されたが、混乱のなかで埋められたり行方が分からなくなったものも多い。また米軍の処理もずさんだった。

 米軍は池子を弾薬庫として使用し続け、ベトナム戦争時には毒ガス弾の搬出入が繰り返された。このような基地内で徹底した調査もせずに工事を行うことの危険性が訴えられた。


 池子の問題をわかりやすくまとめたパンフレット作成中の星野さんから、パンフの内容紹介(09年以後の動き)と横浜市、神奈川県との交渉の報告がなされた。

 700戸建設の基本計画が昨年8月400戸とされたのはDVDでも紹介されたように米軍の都合のようだ。一方逗子市に提示された40haの返還地は米軍と市の共同使用に変えられている。横浜市や県との交渉では、国がアメリカと決めたことに自治体は何も言えない(言わない)という言葉が繰り返されている。住民の生活や権利を守ろうという立場はまったく見えない。

 今回の集会はPort Side Station 横浜市民放送局でネット中継され、現在も下記のサイトで録画配信中である。
http://portside-station.net/2011/01/10/6827/

 この文章で説明不足の点も多いので、ぜひアクセスしていただきたい。また、池子問題のパンフレットも近日完成の予定だ。

 在日米軍再編問題は沖縄だけの問題ではない。神奈川でも池子以外にもキャンプ座間、相模補給廠などで進められている。地元ではそれぞれに反対の動きがあるが、まだ市民全体のものにはなっていない。最後の質疑応答ではもっと広めるためにはどうしたらよいかが課題として残された。
 
(注1) 三者合意 12年にわたる市民運動の結果、94年に防衛庁(当時)と逗子市が神奈川県の仲介のもと合意した契約。工事が進行された米軍住宅854戸の建設を認める代わり、残余地206ha(横浜市域も含む)を保全し追加建設はしないこと、基地内に文化財等の資料館をつくることなどが取り決められた。
(注2) 相模海軍工廠 神奈川県寒川町、平塚市にあった日本海軍の化学兵器・火工兵器の製造工場。毒ガスもつくられていた。
ピース・ニュースでは2002年にこの跡地を訪ねるフィールドワークを行った。
http://www.jca.apc.org/~p-news/fw/sagamikousyou.htm