映画の紹介

鶴彬-こころの軌跡-


監督 神山征二郎 2009年 90分



画像は「鶴彬-こころの軌跡-」公式サイトより


 プロレタリア川柳作家、鶴彬(1909〜1938)の生涯を描いた作品である。

 石川県の海辺の町で生まれた鶴彬は高等小学校卒業後、養父の織物工場で働きながら川柳を作り始める。若い鋭い感性は当時盛んだったプロレタリア文学運動に触発され、ほとばしるような作品が次々と生まれていく。しかし弾圧は厳しく作品発表の場も奪われ、治安維持法により投獄された留置所で赤痢にかかって十分な看病も受けずに29歳で死んでゆく。

 随所で紹介される彼の作品がすばらしい。川柳はもちろん評論の一部や詩が読み上げられるが、短い間にこれほどのものを生み出した才能に感動するばかりだ。同時に彼を襲った理不尽な運命がのろわれる。 

 17歳のとき養父の織物工場が倒産し大阪の工場で働いた彼は「胃袋で直感し」プロレタリア川柳へと進んでいく。

 
燐寸の棒の 燃焼にも似た 生命 (15歳 大正13)

 暴風と 海との恋を みましたか (16歳)

 空澄み渡る 腹は 減る減る   (17歳)

 食堂があっても 食えぬ 失業者 (20歳 西暦1929)

 昼業と夜業 夫婦をきりはなし  (20歳)



特に後の2句など不況の現在を詠ったようだ。

 革新川柳の大御所井上剣花坊・信子夫妻の支援を受けながら作品はいっそう先鋭化していく。地元でナップ(全日本無産者芸術連盟)の支部を結成し活動する彼は治安維持法違反で逮捕され、軍隊内でも活動をやめず投獄される。
 除隊後も特高に付きまとわれ職もないまま、故郷の友人や井上信子(剣花坊は鶴25歳の時死去)の援助をうけ作品を生み出し続ける。特に信子は家族のように鶴を援助し、柳壇から締め出された鶴に彼女の発行する「蒼空」の編集を委ねる。(この女性も強靭な意志の人で、演じた樫山文枝が信子を中心とした作品をやりたいと語っていたが、ぜひ見てみたい。)

 この時期発表された川柳・評論はほとばしるようだ。しかし弾圧は厳しく掲載誌は次々発禁処分となっていく。
 

農村予算が 軍艦に化けて 飼猫までたべる冬籠り (25歳 昭和9)

 ふるさとは 病ひと一しょに 帰るとこ    (26歳)

 吸いに行く 姉を殺した綿くずを       (26歳)

 母国掠め盗った国の歴史を 復習する大声   (27歳)

枯れ芝よ 団結をして 春を待つ         (27歳)

 タマ除けを生めよ殖やせよ 勲章をやろう     (28歳 西暦1937)

手と足をもいだ丸太にしてかえし         (28歳)

 胎内の 動きを知るころ 骨がつき        (28歳)


 
 「まだ、鶴彬を知らないすべての人へ、鶴よ、飛んで行け。」映画化を計画した平野氏の言葉である。私も切にそう思う。

 ぜひ多くの人に、この映画を見てほしい。このような若者がいたことを知ってほしい。

 嵐の時代に、人々に真実を伝えようと言葉を送り続けた人がいることを。

暁を抱いて 闇にゐる蕾 

 


映画「「鶴彬 こころの軌跡」公式サイト
http://tsuruakira.jp/
 
*作品の後の年代に元号と西暦が混在するが、筆者が当時の状況を思い浮かべやすいほうを採用した。