本の紹介
ドワード・W・サィード「イスラム報道」をよんで


再びサィードの声を聞こう。

  1979年4月、中東イランのホメイニ師を指導者とするイスラム革命がおこった。そのあとの米大使館人質事件、ソ連軍のアフガニスタン侵攻、翌80年のイラン・イラク戦争。激動する世界情勢のなかで、イスラムに関するニュース報道はいったいどのように米国内に報道されたのか。
 この本は、サブタイトルにも使われた「メディアと専門家が私達の世界観を決定している!」という現実を描くために、81年に発刊されたが、サィードは次のように執筆動機を述べている。

 「私が本当に信ずるのは、批判精神の存在、および専門家の特殊利害や常識的見解を超越してその批判的精神を発揮する能力と意志を持つ市民の存在である。・・・・人間的な知識が始まり、その知識を求める公共の責任が担われ始める。その目標を前進させるために、私はこの本を著した。」


再びサィードの声を聞こう。

第一章  ニュースとしてのイスラ

 西洋社会でイスラムがどのように理解され報道されてきたのかを歴史的に、また、欧州と米国との違いも含め説明している。特に米国では、ムスリムとアラブは、本質的には石油供給者又は潜在的テロリストとして報道され、議論され理解されているといってもあまり誇張ではないと言っている。

 たとえばたくさんの事例の一部を紹介すると、イスラム革命のホメイニ師の著書「イスラム政府」は、「ホメイニ師のわが闘争」として売られ、別の時代にヒトラーが現れたかのようにホメイニが圧制者、憎悪する人、誘惑者であり、世界の秩序に対する脅威であるかのように扱っていると分析している。

 特に米国にはいつも世界を親米と反米に分けたがる傾向、自民族中心や見当違いによるパターン、価値の押し付けが見られ、「メディアと専門家が私達の世界観を決定している」現実を多様な観点から読者に示している。

第二章  イラン報道

 ここで著者は、79年11月4日のテヘラン イラン人学生によるアメリカ大使館占拠事件でイランはアメリカ人の目にどのように映ったかを分析している。刺激的な言葉のオンパレードである。  「我々は追い詰められている」  「殉教のイデオロギー」(タイム)、「イランの殉教複合体」(ニューズウィーク)、「イランがイスラム型政府になった事は、近年におけるアメリカの最大の挫折である」(セントルイス・ポスト・ディスパッチ紙)。

 大使館占拠後の一週間に、巨大なイラン群集の写真が際限なく登場したように、険悪な表情のアヤトラ・ホメイニの写真もひんぱんに、そして変わりばえなく現れた。怒ったアメリカ人がイラン国旗を焼却(そして販売)するお決まりの気晴らしを報道機関は「愛国心」として忠実に伝えた。

 米国のジャーナリストがいざとなると権力からの独立性が失われ忠誠愛国をうたいあげてしまうという事なのだ。そして又複雑きわまる情勢展開について分析や深い報道を提供していないで短期間にレポートを送り続けるマスメディアの現状を「ニューヨーク・タイムズ」の特集記事などを例に、示している。

 これらの事は、昨年来の日本の報道にも言えることである。アフガニスタン侵略戦争に関する日本のテレビ・新聞報道も、繰り返し、タリバンの「女子差別」を伝え、オマル師のぼやけたはっきりしない写真を見せていた事を思い出す。そしてまた米国の大量殺戮兵器がアフガニスタン民衆や、タリバン兵らを虫けらのように殺していった事実はほとんど報道しなかったこともまた・・・。

第三章 知識と権力

  最後の本章で著者は、全ての知識は主観的な解釈であるとはっきり述べている。そしてニュースを理解する事は自分が何者であり、自分の住む社会がどのように機能しているかを理解する事であるといっている。その上で、知性を権力に奉仕させるのか、あるいは、批判や一般社会や倫理観に奉仕させるのか。この選択が解釈の第一歩であるという。
 サィードは、1995年刊行の「知識人とは何か」のなかで「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアである。さらには権力者に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」といっている。この「イスラム報道」は、そのようなサィードの生き方・姿勢が溢れた本である。


私は、「この世界を知って解釈する」するということが、どのように行われるのか、また行われなければならないか、この本を読んで、学ぶところ大変多かった。
最後に、94年11月の朝日新聞に出た「知識人サィード、希望を語る」のインタビュー記事で述べた「サィードの声」を記し この書評の結語としたい。

「この世界に希望を持つためには、批判し続けることこそ必要です。そうした批判的思考からしか未来の希望は生まれません。新しい観点は古い世界やシステムを批判していく事から生まれます。必要なのは、それを続ける強い意志なのです」