企画展の紹介

日本とコリアの架け橋─高麗博物館

「韓国併合」100年と在日韓国・朝鮮人 ─前編1945年まで─

 
 
  休日の新宿・職安通りは韓国料理や韓流スターのグッズを求める人々であふれている。コリアタウンとも呼ばれるこの通りのビルの7階にある高麗博物館は、日本とコリア(韓国・朝鮮)の交流の歴史を学び互いの友好を深めようと2001年に開館した。

 日本人、在日韓国・朝鮮人ら多くの市民からの基金とボランティアによって運営されていて、小さなスペースは選び抜かれた展示でいっぱいだ。テーマを決めての企画展では入念な準備のもとに集められた資料をボランティアがていねいに説明にしてくれる

  
  現在(3/20まで)は企画展〈「韓国併合」100年と在日韓国・朝鮮人─前編1945年まで─〉が開催されている。

  19世紀後半からの日本への渡航の歴史や植民地とされた後に渡航者が増加した理由、日本での労働現場の実態などが写真・新聞記事・証言などを加えたパネルにまとめられていた。



 土地を取り上げ借金を背負わせて故郷を離れざるを得ない状況をつくりだし、さらに渡航者の労働を搾り取る日本の姿はおぞましい。新潟・中津川発電所(注)のパネルの前では本当に心が凍るようだった。強制連行以前から多くの渡航者が過酷な生活を強いられていたことを思い知らされた。大阪・猪飼野や東京・荒川流域の朝鮮人町の暮らしも紹介されている。


(注)
 1922年(大正11年)信濃川支流中津川に信越電力株式会社中津川発電所の建設工事が始まった。集められた土木労働者1000名のうち600名が朝鮮人だった。

 9月読売新聞に「信濃川流域に朝鮮人の遺体が何体も流れ着く」と報道され大きく問題となった。タコ部屋での厳しい労働条件に逃亡を図った朝鮮人数十人を工事を請け負った大倉組の幹部が虐殺し、遺体を川へ捨てたために事件が発覚したのだ。

 これを契機に在日本朝鮮労働者商況調査会が結成され、11月には東京朝鮮労働同盟へと発展していった。関東大震災は翌年9月に起こった。


 39年から始まった強制連行で働かされた人びとの労働現場を赤い点で示した地図もあった。点のない県はない。樺太・択捉から沖縄まで約70万人が連行され、重労働のため逃亡率は36%にものぼった。原爆投下地広島と長崎にも赤い点がある。長崎三菱重工では2万人、広島市内では5万人の朝鮮人が被爆しその半数以上が爆死した。

 関東大震災時の大虐殺の他にも多くの事件があったこと、激しい差別とそれに抗して戦った人びとが存在したことが明かされていく。戦後を扱う後編の展示もぜひ見てみたい。

 高麗博物館ではこれまで「失われた朝鮮文化遺産」「鳥居・しめ縄はどこから来たか」「布施辰治」などさまざまなテーマの企画展を催してきた。3月23日からは「在日食文化展」(仮題)が開かれる予定だ。また文化講座やハングル教室、コンサートも随時行われている。常設展示には朝鮮の家具や楽器・磁器などもあり興味深い。チマチョゴリ・パジチョゴリの無料着用のコーナー目当てで訪れる人もいて、他の展示を見て驚くことも多いという。

 コリアタウンを歩く人たちが正確な日韓の歴史を知り理解を深めていけば、どんなにすばらしいことだろうか。それこそ東アジアの平和への大きな一歩になると確信する。
Y.A
【高麗博物館】
住所  〒169-0072  東京都新宿区大久保1−12−1 第二韓国広場ビル7階
開館時間 12:00〜17:00
休館日  月・火曜日、年末年始、展示替えのため臨時休館あり
連絡先  電話 03−5272−3510
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