[投稿−映画紹介]

映画『アメリカ--戦争する国の人々--』
戦地へ殺す人を送った国・殺した人が帰還した米国社会

監督■藤本幸久 製作・著作■森の映画社 2009年 

 藤本幸久監督の『アメリカ--戦争する国の人々--』(8時間14分)と『ONE SHOT ONE KILL--兵士になるということ--』(1時間18分)を観た。

 後者は全編が米海兵隊での12週間の訓練模様。カメラのインタビューに、訓練生が意外にも素直に返答しているところが面白かった。訓練終了後に「自分は(今までとは)変わったと思う」、「戦場にも行きます」、「海兵隊を信頼しています。それ以上は言えません」とか。その時、このインタビュー中に「政治的領域の心情を詮索はしないでください」などの横やりが入った。



映画のチラシより



 前者では藤本監督の前作『アメリカばんざい』で示唆されていた軍国主義・アメリカの実像を展開。海兵隊募集をめぐる引き裂かれた米国社会と、湾岸・イラク戦争での過酷な戦闘の実相、戦地への派遣を拒否した軍人たち、帰還兵らが劣化ウラン弾被ばくやPTSD・「ヤク」なしでは生きられなくなりホームレス=「森の人」になった人々の告白・告発だ。



 今では故人になったアレン・ネルソンの語りもすごい。戦地・ベトナムでの体験は私も聞いて知ってはいたが、小学生に「殺したのですか ?」と質問されて葛藤した彼については知らなかった。「答えないわけにはいかない」。だから彼は「殺した」とこの時、認めた。
市場経済の極致・アメリカ社会

 冒頭の、高校生に海兵隊募集の偽善を説明するところでは、前作『アメリカばんざい』と違って、募集費用を含む軍事費が国家の福祉と比較して過大な現実を強く訴えたものになっている。また「先住民」が基地被害にさらされており、アメリカのメキシコ侵略の歴史的事実を引きずっていることを訴えている。その点では堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ 』 (岩波新書) と併せて考えたらどうなるか、関心がもたれる。同書は自由化・市場経済優位下の米国が、教育や医療など公共的領域は壊滅的な悲惨に達していると批判(*)。台風被害者たちは「国からこの機会にわれわれはやっかい払いされた。国に捨てられた」と告発している(同名のUも刊行済み)。米国社会=市場経済の極致から公共性の意味を問い、ソ連社会=崩壊した計画経済について考えさせられる。

 なお軍隊は強制の体系だが、その国民による<合意>の側面もある。
私の父は敗戦間際に応召し、戦地には行かず過酷な規律から解放された。彼にとって軍隊はただただ強制の連続だった。しかし私の祖父は志願してシベリア出兵に参じた。過酷な規律も、彼にとってはほとんど苦痛ではなかった。一三人兄弟の長男として育った彼は、食事も衣服も支給されて満足だった。戦地で異国人と戦う気概に溢れ、排外主義的国家に強く共鳴・合意していた。

 この映画での海兵隊はすべて志願兵。自分の意思で入隊したとはいえ、進学からも就職からも締め出された若者たちだ。その彼らも次第に訓練を経て<合意>させられていく。トルストイ『戦争と平和』のアンドレイ・ボルコンスキーが初めはそうでなかったのに、次第に殺すことを得意になって語ったみたいに。

 藤本監督は3年間200日の米国への旅でこの作品を完成したという。登場する人々は、よく監督とカメラを前に苦痛に満ちた告白をしてくれたものだ。よほどの信頼を得たものと思われる。すばらしい監督だ。

 海兵隊についても帰還兵についても、自分は既に知っていると思っているあなた ! あなたも、この映画を実際に観る価値がある。


*公共的領域は壊滅的:鳩山首相は「新しい公共」論を提唱している(今年1月の施政方針演説)。教育や子育て、街づくり、福祉などの分野で、行政だけに頼らず市民自らが協働して社会を支える役割を担う理念のようだ。具体的にはNPOへの寄付やNPOの支出に非課税などへの優遇課税。この理念は「小さな政府」志向的だ。他方、首相らは財政出動も国債発行増額も認め、九二兆円予算を組む「大きな政府」的でもある。

吉田正司


 ●映画「アメリカ-戦争する国の人びと」の公式サイトはこちら

 ●「アメリカ-戦争する国の人びと」は ポレポレ東中野で4月16日まで上映中
 ●「ONE SHOT ONE KILL」は 渋谷アップリンクで4月10日からロードショー

 ●「ONE SHOT ONE KILL」のPN紹介記事はこちら