アフガニスタンで使われた武器はモデルチェンジのため
在庫一掃されたのではないか。

自分たち人間の生活を守るその欲望の総和が
タリバン政権を倒したのではないか、

「対テロの正義の戦い」そのような考え方やり方に
世界中が踊らされた結果ではないか。

「今、アフガニスタンは」
−中村哲医師現地報告会に参加して−
2002年5月18日 千代田区公会堂


 5月18日(日)、東京九段下で行われた「飢餓と戦火のアフガニスタン東京講演会実行委員会」主催の中村哲医師現地報告会に参加した。前回(昨年11月17日東京)のような通路や舞台の上までぎっしりのようなひどい混雑はなかったが会場はほぼ満席状態であった。女性が八割くらいで男性が少なかった。


講演会での中村哲氏

 ここで中村哲氏の人となりを紹介しておきたい。以下は海外医療協力団体ペシャワール会のパンフレットからの引用である。

 中村哲氏は、福岡に本部があるペシャワール会の現地代表、PMS病院(ペシャワール会医療サービス)総院長。1946年福岡市生まれ。九州大学医学部卒業後、国内の診療所勤務を経て、1984年パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。ハンセン病のコントロール計画を柱にしたアフガニスタン難民の診療に携わる。

 1986年アフガニスタン難民のための医療チームを設立、長期的展望に立ったアフガン山岳地帯の無医村での診療を実践。1991年からアフガニスタン東北部に3つの診療所を設立し、無料診療にあたる。1998年には恒久的なPMS基地病院(建坪1000坪、70床)をペシャワールに建設、らい診療とアフガニスタン両国の活動の拠点とする。

 2001年からはアフガニスタンの首都カブールに5つの臨時診療所を設置、貧困地区の診療を行う一方、大干ばつに見舞われたアフガニスタン国内の井戸と水路(カレーズ)の掘削と復旧に従事。2001年10月には「アフガンいのちの基金」を設立。空爆下、国内避難民への緊急食糧配給を実施。PMSの現地スタッフ225名、日本人スタッフ10名。年間診療数30万人。


 私が、中村哲という人を知ったのは、昨年9月11日の米国同時多発テロ以降のことである。それまで私はアフガニスタンがどのような国であったのかほとんど知らなかった。米国の報復攻撃に強く反対して、仲間との学習を通じて「世界でもっとも貧しい国」のひとつアフガニスタンのことを学び、17年も前から現地医療活動に従事してきた医師中村哲氏の存在を知った。ニュース23に出演していた中村氏は、国会で「自衛隊の米軍支援は有害無益の何ものでもない」と、国民の「選良」たる国会議員の前で証言したという。わたしは、中村氏の国会証言録を読み、中村氏のその言葉に対して、初めに怒りそして笑い出す議員たちがいたことに恥ずかしい気持ちを味わった。私は、そのような国会議員たちに失望と軽蔑の思いを抑える事ができなかった。

 それから、彼の著書「アフガニスタンの診療所から」を読んでみて、この人は「本物」の人間だと強く感じた。日本がバブル崩壊だ、漂流だ、といって右往左往する以前から、遠く離れた中央アジアの世界で、貧しい人々の医療活動を続けそれを支えるボランティア組織ペシャワール会があり、たゆまず活動を続けてきたことを知った。

 ペシャワール会のボランティアの年配の女性は「空腹という事は本当に苦しい事です、私達の年代はそれが本当にわかるのです。それをあのアフガニスタンの子供たちが・・・・」といって、涙をためて会へ集まる郵便物を整理している。私はその姿をテレビで見ていて、小さい事でもいいから、信ずる事をやる、その一歩一歩の尊さを教えられた。


 アフガニスタン復興東京会議のあと、マスコミ報道がすくなくなった。しかし中村氏は今もなお、アフガニスタンでは戦闘は続き、地上戦は以前よりも激しさを増しているという事実を伝えている。そして国際的復興援助について、鋭い批判がある。それは、次のような言葉からだ。

 東京会議で援助額が決められたがもともと自分たちが壊していたのに何が援助かとも思う。自分の国の教育も出来ていないのになぜアフガンの教育なのか。女性への教育というが女性のこじきで溢れている、夫をなくした女性、親を亡くした子供たちに今食料が必要なのです、今女性はこじきか売春をするしかない。 


 淡々として決して激さない調子で話される言葉は、文章で読むと大変厳しい。なぜ西欧はタリバン政権をつぶさなければならなかったのかという会場からの質問に対しても、その言葉は、実に的を得たものであった。

 西欧はなぜタリバン政権をつぶさなければならなかったのか。私もわかりません、ただ、タリバンがいると都合が悪いと思う人がいたのでしょう。アフガニスタンで使われた武器はモデルチェンジで在庫一掃されたのではないか。(途中略)自分たち人間の生活を守るその欲望の総和がタリバン政権を倒したのではないか、「対テロの正義の戦い」そのような考え方やり方に世界中が踊らされた結果ではないか。


そして、米国に追随している日本の行き方に対しても、私達日本人の自画像を鏡に映し出すような明確な言葉で示している。

 日本国民は米国の事を聞いていれば自分たちの生活を続けていけると思い追随したのではないか。自衛隊を派遣する理由として偽装難民がNGOを襲うのでそれを守るためとした議員がいた。別の政治的な目的で派遣している。
 日本は戦後朝鮮戦争によって、ベトナム戦争によって経済がうわむき、その結果豊かになってきた。私は戦争によって豊かになろうとは思わない。
 パキスタンのムシャラフ大統領は米国の軍隊と日本の金によってパキスタンを売ったとして非難が高まっています。パキスタンでは連日ニュースになっている戦火の事が日本ではニュースにならない。学校で教育を受ける女たちが映されるばかりで明らかに報道管制がなされていると思う。報道機関の自粛ムードが最も怖い。


 そして、最後に国際援助のあり方についての基本的姿勢を述べて氏の報告会は終わった。

 わたしは援助と迫害の論理は同じであると思います。
アフガニスタンの生活はアフガニスタン自身が決定する事です。

 ペシャワール会のホームページは最近コンテンツが一新され,そのタイトルは「誰も行かない所に行く 他人がやりたがらないことをやる」となった。まことに、驚くべき表明である。今回の報告会でも、中村氏の淡々として話す言葉の端はしにこの思いは感じる事が出来た。それは、世界がアフガニスタンを見捨ててきたことに対する静かな抗議の表明であり、私たちに向けられた強いメッセージであると思われた。

 ペシャワール会が昨年10月から呼びかけた「アフガンいのちの基金」キャンペーンに5万4千人近い個人・団体からの献金7億6千万円が集まったという。それから緊急食糧支援として2万7千家族に食糧配布され、今後「緑の大地計画」(アフガニスタン農村復興5ヵ年計画)に使われるという。

 一方、日本国政府は自衛隊の半年延長を決めそれにかかる費用が150億円だという。私達の税金がそのように使われていることに私は一納税者として、なによりも人間として座視することは、けっしてできない。

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